魔法少女リリカルなのは SS

                       14歳の春。



 闇の書事件から五年。フェイト・T・ハラオウンは14歳になっていた。二つに結っていた髪を今はまっすぐに下ろし、先のほうをリボンで纏めている。背の高さも、同じ学校に通う五人組の中では一番高い。少々年不相応にスラッと伸びた身長は、姉とも言える職場の先輩に「五年前のクロノ君と並べてみたいねー、絶対同い年には見えないよー」との感想を貰っている。ちなみにその場に居合わせた当の本人である義兄は眉を寄せながら黙っていた。おそらく、同じ感想を抱いていたのだと思う。
 奇しくも彼女の義兄と同じ11歳の時に合格率15%以下と言われる執務官試験を、経験者でもある義兄の指導もあって一発合格。就任後は義兄の辿った道をなぞる様に、優秀な成績を収めており、士官学校の候補生にとっては憧れの的、上層部でも一目置かれているほどだ。
 そのフェイトの日常は、友人達のいる海鳴市である。そこではフェイトは私立聖祥大学付属中学校二年生として生活を送っている。同じ管理局に属している高町なのはや八神はやて、魔道師ではないが理解ある友人のアリサ・バニングスと月村すずかとともに学業に精を出している。ここでの成績も国語に目を瞑れば優秀。人目を引く金の髪に謙虚な物腰で教師や学友の多くから好感をもたれている。
 心身ともに、大きな成長を果たした五年間。ここまで聞けば、まさに順風満帆。心許した友人に囲まれ、学ぶことはまだまだ多いが職場、学校ともに高い評価を受け、悩むことなどないように思える。
 しかし、そんな環境にいようと悩みとは出てくるものだ。いや、ある意味そんな環境、そんな彼女だからこそ生まれた悩みともいえる。目下のところ、悩みが解決する兆しは見えていない。
 そのように彼女が今現在進行中で抱えている悩みとは。







「フェイトさん、付き合ってください!」
「ごめんなさい」

 交際の申し出を断ることだった。

 私立聖祥大学付属中学校二年生兼時空管理局執務官フェイト・T・ハラオウン14歳、春の出来事である。







「で、何?また断ったの?」

 昼休み。屋上でいつもの面子と弁当を囲んだフェイトの向かいに座る友人───アリサ・バニングスはそう切り出してきた。

「うん……」

 フェイトは少し困った顔をしながら頷いた。

「まだ四月だって言うのに三回目じゃない。去年よりペース上がってるんじゃないの?」
「そうかも……」

 事実、去年告白された回数は六回。時期が二、三学期に固まっているとは言え既に去年の半分の回数に達してしまっている。

「にしても、なんでそんなに的にされてるのよ?もっとあたしに的が集まってもいいんじゃない?」

 納得のいかない顔をしているアリサに答えたのは隣に座る月村すずかだ。

「アリサちゃんもよく告白されているよね?」
「だから〜、フェイトほどじゃないって言っているのよ〜」

そのアリサの贅沢とも言える不満に、友人達は苦笑を浮かべた。

 フェイト達が通う私立聖祥大学付属中学校は、小学から大学までエスカレーター式の私立学校である。小学校までは共学であるが、中学校になると男女別々の学校になる。最も、学校自体は同じ敷地内にあり、それまで同じ時間を過ごし気心しれた男女生徒は昼食を一緒にとる為に互いの校舎を行き往きしている。
 その中学生という世代になると思春期に入る時期であり、多少の差はあるが身体にも変化が出てくる時期である。男の子は男性らしく、女の子は女性らしく、その変化によって異性を異性として明確に認識し始める時期だ。
 そうなると、フェイトがされたように異性の中で特別と思える人物にその思いを伝える───告白と言う行為に至るようになる。
 その中でフェイトに告白が集中しているのには彼女自身の魅力もあるがそれ以外にも理由があった。
 それは彼女の交友関係───実はさきほど不満を漏らしているアリサ・バニングスがその理由に一役買っていたりする。
 アリサ・バニングスは物怖じしない性格であり、回りを引っ張り纏める娘である。それは仲良し五人組の中でもクラスの中でも同じであり、そのどちらでもリーダー格という位置についている。それは周囲からの目を集めている生徒でもあるということであり、その視線はアリサの友人であるフェイト達にも注がれていた。
 そのアリサに告白が集中しないのは、彼女自身には責任はないのだが───彼女の生まれのせいだった。
 彼女の親は日米にいくつもの関連会社を持つ大会社の経営者であり、それなりの学費が要求され、裕福な家の子供が集まる聖祥学園においてもいわゆる『お金持ち』の家である。
 容姿端麗、成績優秀、その上そんな恵まれた環境にある彼女は自然と周りから『高嶺の花』という奴になってしまったのだ。まあ、『その高嶺がいい』と言って挑み、散って逝った男達もいたがそれは少数である。
 そうして次に告白の的になってしまったのが、フェイトであった。
 フェイトは本来この世界とは異なる次元にある世界の人間であるが、その事情を知らない人間にはイタリア人ということで通っている。日本人という者はお国柄どうしても外国人を特別視してしまう。その辺りはアリサを見る目にも通じておりそれがより彼女を高嶺にしてしまっている。
 しかし、フェイトの場合、その控えめで人当たりのいい性格が国籍の壁を感じさせなかった。特別視すること自体は変わりないが、普通の外国人に比べればずっと身近な存在であると思われている。要はアリサに比べるとフェイトは『普通』の生徒なのである。
特に部活などしていないが、交友関係による知名度の高さ、学年でも上から数えたほうがずっと早い成績、異国人の証明であるかのような金の髪と容姿、それらの壁を感じさせない性格。
 それらがフェイトに告白が集中している理由なのであった。


「それで、フェイト。誰かと付き合おうって気にはならないの?」
「うん……」

 フェイトの学校における交友関係は同じ管理局の魔道師であるなのはとはやて。それらの事情を知っているアリサとすずかを中心に回っている。
 男女が別れる前の小学生時代に親しくなったクラスメイトの男子もそれなりにいたが、 休日に一緒に出かけたり家に招待するような男子はいなかった。

「それに私、管理局のお仕事もあるし……」

 11歳の時、執務官となり既に三年の実績を積んでいるフェイトの評価は高い。有事の際は、学校の途中でも呼び出される事もしばしばだ。同じ管理局員であるなのはとはやても同様であり、この三人の早退回数は普通の生徒と比べていると桁が違ってしまっている。
 もし、フェイトが誰かと付き合う事になる場合、それらの事情も知っていなければならない。いつ管理局から呼び出しがあるかわからないフェイトだ。休日にその誰かと出かけている最中にでもそれは例外ではなく、その事情を知っていなければデートの最中に抜け出すことを許してくれる男はそうそうにいないだろう。そしてそれだけの事情を話せる相手に会ったことは今のところ、ないのであった。

「それはわかってるけどねぇ……」
「アリサちゃん、フェイトちゃん困ってるからその辺で……」

 眉を八の字にして納得のいかない顔をしているアリサをフェイトの隣に座るなのはがこの話題にストップをかける。

「あのねぇ。あたしだって何も野次馬根性でこの話してるんじゃないのよ。このままじゃあんまりよくないって言ってるのよ」

 アリサの言い分を理解しかねるなのは達の注目を集めるように、人差し指を立てて解説を始める。

「いい?あたし達は花も恥らう14の乙女よ?管理局の事が大変なのはわかるけど、そんなんじゃ男の一人や二人も引っ掛けられないわよ?」
「私、男の人二人も要らんけど」
「それにっ」

 はやてのツッコミをスルーしつつ、しかしアリサは気まずそうに告げる。

「前にフェイトにあった事、忘れた訳じゃないでしょうね?もう終わった事だけどまた起きない保障はないじゃない」

 その言葉に皆、顔を伏せる。特にフェイトは沈痛な顔を浮かべている。
 それは何度目の告白だったか。相手の男子から呼び出されたフェイトはその申し出に誠意を持って断った。そこまではいつもと同じだった。問題が起きたのはその後の事だった。
 その時、フェイトに告白した相手は女子達の間でも人気の高い生徒だった。フェイト達はした事は無いがけっこうな数の女子が彼の噂をよくしていた。その噂のフェイトがその生徒の告白を断ったことが流れたのだ。
 そうして、一部の女子による身勝手な嫌がらせがフェイトに向けられた。もっともその事態をいち早く察したアリサによってその行為はすぐに収まったが、フェイトの受けた衝撃は大きくしばらくの間、沈んだ顔ばかり浮かべていた。
 確かに、アリサの言うとおりではある。だからと言って妙案があるわけでもない。それはなのは達も言いだしっぺのアリサも同じであった。

その日の昼食は、少々気まずい雰囲気を残したまま終了した。






「最近、フェイトちゃんに元気が無いと思うのよ」

 なのは達が昼食を取ってい時と、ほぼ同時刻。
 時空管理局・巡航L級8番艦アースラに搭乗する時空管理局管制司令エイミィ・リミエッタは目の前の相手に唐突にそう切り出した。

「そうか?」
「そうよ」

 その目の前の相手、アースラの艦長であるクロノ・ハラオウンはその言葉に首を傾げた。唐突なのは割といつもの事なので気にしない。

「あのねぇ……。お義兄ちゃんなんだからそれくらい気づきなさいよ」
「いや、確かに様子が変だとは思ってはいたが……」
「だったら、どうにかせんかぁ!」

 エイミィの放ったチョップをクロノは椅子に座ったまま、身体を反らしてかわす。上官と部下の規律まるで無しである。

「部下の管理も艦長の仕事でしょ。それにお義兄ちゃんなんだから尚更でしょうに……」
「そうは言ってもだな……」
「今のフェイトちゃん、前に落ち込んでた時に近いと思うんだけど」
「む」

 さすがにその言葉は無視できなかった。
 前に落ち込んでいた時と言うのは、フェイトが女子から嫌がらせを受けた時のことだ。表面上、冷静を装っていたクロノだったが、内心心配だらけでその時にフェイトに来ていた仕事はすべてキャンセル、すべて自分で処理していた。無論、その事はフェイトに伝えていない。見えないところでは、エイミィも呆れるほどのお義兄ちゃんっぷりを発揮しているのだった。

「しかし、どうしろと言うんだ。フェイトの事だ。相談しろと言って大丈夫だからと言って断りそうだぞ」
「その辺り、クロノ君に似てるよねぇ」
「茶化すな」

 クロノの目は真剣そのものだ。そのお義兄ちゃんらしさをもう少しわかりやすくフェイトに見せられないものか。艦長になってから仕事により厳しくなったクロノにそう思わずにはいられないエイミィだった。

「相談に乗るだけが悩みの解決法じゃないでしょ。要は思いつめないように気を使ってあげればいいのよ」
「具体的には?」
「買い物にでも誘って出かければいいんじゃない?」
「……そんなことでいいのか?」
「いいのよ。気晴らしが出来ればいいんだから」
「それならなのは達でもいいんじゃないか?」
「同性じゃ解決しない事っていうのもあるのよ。そもそもなのはちゃん達で解決できる事ならもうとっくに解決してるでしょ」

 確かになのは達は、友人の悩みに乗らないような娘達ではない。そんな娘達がいて悩むと言うなら、彼女達には相談できないことか、もしくは彼女達でも解決できないことなのか。
 そこまで来てクロノは、フェイトに由々しき事態が起こっているのでは真剣に考え始めた。顎に手を添え、目の前のエイミィも視界に入らないように黙考し出す。彼の頭の中では今後のスケジュールが無駄なほど高速に展開されている。

「ま、がんばってね、お義兄ちゃん」

 そんなエイミィの言葉も、今のクロノの耳には入ってこなかった。






 それから数日後。クロノが思っていたよりも早くクロノとフェイトの休日は重なった。
休日と言えど、ハラオウン家の朝は変わらない。いつもの時間に起床し、いつも通り家族で朝食を囲む。違うのはアースラの宿直でアルフがおらず、家長であるリンディは仕事があり、いつも子供達を見送る彼女を子供達が見送るということくらいだ。
リンディを見送った後、朝食の片づけをしているフェイトにクロノが声をかける。

「フェイト。今日は何か予定はあるか?」

 もし、あったら計画はご破算である。もっとも彼女の予定を確認していない辺りで計画と呼べるような代物ではないとも言える。実際、大した計画を立てたわけでもない。

「ないけど、どうかした?」

 なのは達から誘いは受けていたが、断っていた。沈んでいる自分に気を使っているのだとわかっていたが、逆に申し訳ないと思ったためだ。この辺りはエイミィが指摘した通りであった。
そんなフェイトの心情を知らないクロノは内心ほっとしつつ言葉をつげる。

「もし、君がよければ買い物に付き合ってもらいたいのだが」
「………」

 クロノの言葉に、目をパチクリとさせるフェイト。数秒の沈黙の後、クロノに近寄ると彼の額に手を当てる。

「熱はないみたい……」
「案外、君も失礼だな……」

 妹のあんまりと言えばあんまりな行動にクロノは眉を顰めざるを得なかった。

「でもどうしたの急に?」
「新しい服を買おうと思ってね。都合がよければ付き合ってもらいたいのだがどうかな?」

 フェイトの顔色を伺いながら、用意していたセリフを言う。ちなみに職業柄のせいか、様々な状況を想定して準備していたセリフは十に近かったりする。
 フェイトは少し困った顔をしながら唇を開きかけ、また閉じる。その様子に誘い方を間違えたかと心配する。

「うん……、じゃあ一緒に行くよ」

 迷いを見せながらもフェイトは微笑んでクロノの誘いを受けた。心配が杞憂に終わり、クロノは内心ほっとする。

「それじゃ、片付けは僕がやっておくから準備してきてくれ」
「わかった。よろしくね」

 フェイトがキッチンを立ち去って姿が見えなくなるとクロノは安堵のため息をついた。まずはなんとかなったが、本番はこれからだ。気を緩めることは出来ない。
 クロノはスポンジと皿に手を伸ばして、慣れない洗い物に専念した。






 それから数時間ほどして、二人は市内の大型デパートへとやってきていた。フェイトが小学校に通い始めた頃にここで携帯電話を購入して以来、ハラオウン家は度々ここを利用している。

「それでクロノ。どんな服買うの?」

 衣服関係を取り扱っている階は三階である。そこに上がるエスカレーターの途中でフェイトが尋ねる。

「……普段着だ。それとトレーニングウェアもだな」

 一瞬、開いた間と近しい者にしかわからない僅かな動揺を見抜きつつ、フェイトはそれに気づいていないフリをする。

「それじゃ、その辺りから見てみようか」

 三階に着く。振り返ったフェイトの顔が何故かいたずらを企んでいる様な顔に見え、クロノは背筋に嫌なものが走るのを覚えた。






「これなんかいいんじゃないか。安いみたいだし」
「駄目だよ、クロノ。安くていい物もあるけどちゃんと選ばないと」

 背筋に走ったものは間違いではなかった。三階に着いてからクロノの服を選び始めたフェイトだがあれでもないこれでもないと買うものを未だ一着も決めないまま三十分が過ぎていた。

「なあ、フェイト。もうそろそろどれにするか決めないか」
「もうちょっと待って。この服にあう上着を考えてるから」

 ようやく見立てがすんだと思ったらこれである。いつの間にやらコーディネートまで考えクロノが購入するつもりもない服まで計算に入れている。

「うん、じゃあこれとこれ」

 幸いにも上着のほうは早めに見立てが済んだ。選んだ服に合わせるために選択の幅が狭かったためだ。

「次はトレーニングウェアだったよね」
「あ、ああ……」
「じゃあ、こっちだね」

 フェイトが慣れた様子でクロノを先導する。彼女はリンディと一緒にここにクロノの服を買いに何度も来ている。クロノよりもずっと階の構造に詳しかった。

「あ」

 不意にフェイトが足を止める。その場所はまだトレーニングウェアがある場所ではなく、各種ズボンがずらりと並んでいる。訝しんでクロノがフェイトの視線を追うと、彼女の目はそこから少しずれたところに向けられていた。
 フェイトが見ていたのは帽子のコーナーだった。様々な種類の帽子が段に並べられている。フェイトは振り返ると、クロノを引っ張ってそのコーナーに連れてくる。

「トレーニングウェアを見るんじゃなかったのか?」
「目的の物を買うだけが買い物じゃないよクロノ。せっかくだから色々見てみないと」

 フェイトが一番近くにあった帽子を手に取る。野球帽タイプの青い帽子だ。

「クロノ、これ被ってみて」
「い、いや僕は別に………」
「いいからいいから。色々試してみようよ」

 フェイトに帽子を手渡され、クロノは渋々帽子を被る。ニ、三回ほど被り具合を調整して フェイトに顔を向ける。瞬間、フェイトは可笑しそうに口元を押さえた。コーナーに置いてある鏡を見ると、納得するように自分の顔が渋くなるのが見えた。

「クロノが帽子を被ってる所って見たことなかったけど、なんだか子供っぽく見えるね」
「これでも君より五つも年上なんだが」

 そうは言うものの反論はしない。彼自身そう思っているのだろう。
 柔らかいながらも、精悍さもある顔立ちのクロノだが、帽子を被ったらその精悍さが抜け、二、三歳ほど年若く見せていた。これが五年前だったらより顕著だっただろう。

「次はこれなんかどうかな?」

 フェイトはクロノの頭から帽子を取ると、逆の手に持った帽子を差し出す。今度はニットの帽子だ。

「いや、だから………」

 慌てて手で帽子を押し返そうとする。だが、それもニコニコとしているフェイトを見ては力なく垂れ下がるのみであった。






「クロノ、荷物半分持つよ」
「いや、これくらいなら大丈夫だ」

 そういうクロノの手には左右の手に二つづつ、計四つの大き目の袋が握られている。普段から管理局員として鍛えているクロノにしてみればさほど苦にもならないが、見ているほうからするとずっしりとした印象を受ける。
 クロノとして見れば、さきほどまでいたデパートでのやりとりの方がよほど苦だった。トレーニングウェアを買ってあとはフェイトの服を選ぶだけで終わりだと踏んでいたがそれは間違った認識だった。
 フェイトが自分の服を買うまでにかかった時間はクロノの倍はかかり、せっかくだからというフェイトに連れまわされた。服だけでなく靴も選ぶことになったし、似合いもしない眼鏡をかけさせれられるわ、新しい食器や家電商品も見て周り、本屋では参考書から友人に薦められた文庫本と多岐にわたる本を吟味し、その他諸々とデパートで回った店は片手では数え切れない程だった。
 それが嫌だったという訳ではないが、目が回る勢いだった。普段家族で買い物に来ても荷物持ちしか役割が手持ち無沙汰だったが、それが近くにある嵐に巻き込まれなかった幸運だったのだと今知った。
 しかし、それも今日のフェイトのことを思い返せば忘れられた。
買い物の最中のフェイトは本当に明るかった。あちこち自分を連れて回るフェイトは年相応の少女だった。出会った頃、表情にどこかしら陰を宿していた少女の面影はどこにも見えなかった。自分よりも遥かにこの世界での、いや生きることの楽しみを知っているようだった。
 それが、途方も無く嬉しかった。



 そうして、買い物が終わる頃には空はすっかり夕暮れに染まっていた。



 今、二人が歩いているのは海鳴臨海公園だ。まっすぐ家に帰るなら通る必要の無い場所だが、クロノの提案で寄り道することにした。
 夕日に染まった海を眺めながら、並んで歩く。フェイトにとってここは思い出深い場所だ。なのはと何度も戦った場所でもあるし、クロノと初めて会ったのもここ。そしてなのはの名前を始めて呼んだ場所もここだった。

「屋台が出ているな」

 クロノの声が思い出を振り返っていたフェイトを呼び戻す。言われて見ると、縁日でよく見かける形の屋台があった。どうやら鯛焼き屋のようで、品物を受け取った客が去って、丁度客足が途切れたところだ。

「せっかくだから、食べていくか?」

 いい香りがこちらまで漂ってきており食欲をそそる。夕食前だが、ひとつくらいなら問題ないだろう。なにしろ家には大飯食らいがいる。その上、宿直帰りだからいつもより食欲が二割り増しなのは想像に易い。自分達が多少残してもその分、彼女が食べてくれるだろう。フェイトは頷いた。

「じゃあ、ちょっと荷物をもってくれないか。これじゃ財布が出せない」
「あ、私が出すよ。安いけど今日のお礼」

 そこで待ってて、とベンチを指すとクロノの返事も待たず、屋台に向かう。クロノは苦笑して、荷物をベンチに置いて腰を下ろしてフェイトを待つ。
 五分と経たないうちに戻ってきたフェイトはクロノの隣に座ると買ってきた鯛焼きを手渡す。

「旨いな」
「うん」

 それきり、二人して食べるのに専念する。フェイトの食べる速さにあわせていたがそれでも早々と平らげてしまった。
 鯛焼きは食べ終えたが、二人は立ち上がらない。なんとなく、もう少しこうしていたい気がした。しばらく二人で海を眺める

「クロノ」

 フェイトが名前を呼ぶ。クロノは顔だけをフェイトの方に向けた。

「ありがとうね」
「奢ってもらったのは僕だぞ」
「鯛焼きじゃなくて今日のこと」
「大したことじゃないよ」
「気を使ってくれたんでしょ?」

 さらりと述べられた言葉にクロノは唖然とする。気まずげに頭を掻きながら尋ねる。

「いつから気が付いていた?」
「服を買いに行くって言ったところ。クロノ仕事ばっかりで、私服なんてそんなに必要じゃないから」

 つまりほとんど最初からばれていたようだ。デパートでの悪戯めいた表情と行動はそのためだったのか。
 自分よりも遥かに自分の生活環境を理解している妹に舌を巻く。

「……でも、わかっていたのならどうして誘いに乗ったんだ?」
「断ったらクロノに悪いと思ったから。忙しいのに私の事考えてくれてるんだって思ったら断る気がなくなっちゃった。それに」
「それに?」
「クロノと二人で出かけるのって初めてだったから」

 言われて気が付く。任務や訓練で二人きりになることは多いが、こういった用で出かけたことはなかった。
 なんと付き合いの悪い義兄だとクロノは自分で思った。内心でため息をつく。

「まあ、なんだ。これくらいならいつだって付き合う」

 照れくさそうに頬を掻きながら言葉を続ける。

「それと、もう少し僕に甘えてくれ。なのは達より力になれるとは思えないが、
彼女達に言えない様な愚痴なら聞くことぐらい出来る」

 そうは言うが、クロノはフェイトの悩みが男子から告白を受けていることだとは知らない。知ったら、おそらくかなりの勢いで慌てふためくだろう。

「うん……」

 クロノの言葉に澄み切った微笑で答える。それから、身体を傾けて頭をクロノの肩に乗せた。

「フェ、フェイト?」
「甘えていいんだよね?」

 言葉の調子にからかう物がある。フェイトの顔が近すぎるので首を回すことはできないが、見なくても今日何度も見たあの表情をしているのがよくわかった。
そうして、クロノは身を固めたまま、フェイトは身を寄りかけたまま。
 夕暮れの公園でしばらくそのままでいた。






 翌日、いつも通り、と言うより上機嫌で登校して来たフェイトにアリサは元気になってよかったと喜び半分、休日の間フェイトを元気付けるためにいろいろ考えていた事がご破算になったことに不満半分の複雑な表情をした。素直に元気になってよかったと言うなのは達がそれを引き立てるのに一役買っていた。



「それで、フェイト。あんたって好みのタイプとかあるの?」



 昼休み。いつものように屋上での昼食の席でアリサはそう切り出した。フェイトは食べていたおかずが喉に詰まりそうになんとか押さえ、聞き返す。

「こ、好み………?」
「そ、好み。今まで断ってきた中には好きなタイプの男はいなかった?」
「アリサちゃ〜ん……、その話はもう……」
「駄目よ。フェイトの調子は戻ったけど、問題は解決したわけじゃないわ。いまの内に対策を立てておくべきだわ。で、どう?」

 この話題を止めようとするなのはを黙らせ、フェイトに問いかける。対策と言うが、興味本位が勝っているように見えるのは気のせいではないだろう。ちなみにフェイトが最初に告白を受けた時、断り方を伝授したのはアリサである。

「そ、そういうのは考えたこと無いかな……」
「ま、多分そう言うと思ってたわ」

 見抜いているといわんばかりに人差し指を立てる。その姿に嫌な予感を覚えるフェイト。

「だから、いくつか質問するからそれに答えて。それである程度好みが絞れるでしょ。そういう男以外とは付き合いませんって言えばそれだけでも結構数が減らせるかもしれないでしょ」

 フェイトが視線を友人達に巡らす。アリサ以外の友人達は揃ってすまなそうな顔をした。こうなっては止められないと長い付き合いでわかっているのだ。
 フェイトは渋々頷いた。

「じゃあ質問その一。やっぱり優しい男のほうがいい?」

 最近、ツンデレなんていうのもあるしね〜、と女子校のイメージを破壊しかねない言葉を言ってのけるアリサ。おまけに意味を取り違えている。

「や、優しいほうがいいかな……」

 フェイトが搾り出すように答える。それだけ答えるのでも何故か頬が赤くなった。

「じゃあ、次。甘えたい?甘えられたい?」
「え?」
「頼りがいのある男と、自分を頼りにしてくれる男、どっちがいいってこと」

 考える。管理局では頼りにしてくれる人はそれなりにいると思う。そうと思えるだけの信頼は局員の間にあるのだ。
 しかしこれはプライベートの話である。普段の生活で自分を頼りにしてくれる男、というのはどうもピンと来ない。
 しかし、頼りがいのある男の人と言えば、心当たりがあったのでどうにかイメージできる。

「た、頼りがいのある人かな……」
「ほうほう。フェイトは男に甘えたいと」
「そ、そこまでは言って無いよ」
「それじゃ次。賑やかな男と物静かな男。これどっち?」
「う、う〜ん……」

 賑やかな雰囲気は好きだが一人でも賑やかな男の人はあまり知らない。女性なら何人か心当たりはあるが、今回は関係が無い。
 物静かな男と言えば、身内の男魔道師達はどちらかと言えばその部類に入るだろう。特に家族内でそういう人がいるし。

「物静かな人………」
「なるほど。まあ、フェイトもどっちかって言えば間違いなく静かなほうだし納得ね。あとはそうねぇ……」

 腕を組んで考え出すアリサ。どうやらそれほど多く質問を考えてきたわけではないようだ。もしかしたら、授業の途中にでも思いついたのかもしれない。
 そのまま質問が思い浮かばなければいいな、と希望を抱くフェイトだったが、アリサが顔を上げる。どうやら、何か思いついたようだ。

「そうだそうだ。基本的なことを忘れていたわ」
「き、基本……?」
「そ、フェイト。年上と年下どっちがいい?」
「年上と年下……?」

 管理局の仕事をしているフェイトは様々な人と関わっている。執務官になってからは特にそうで老若男女区別がない。髪を白くした老人の提督に報告書を出すこともあれば、まだ年齢が二桁にもならない士官候補生に講義を行うこともある。
 それでもまだまだ少女の域を出ないフェイトである。年上と接する機会の方が多い。仮にではあるが、自分より年下の士官候補生と付き合うことになる、という事態を考えてみるがフェイトは想像も出来なかった。
 すると自分は年上のほうがいいのだろうか。想像してみる。何故か容易に想像できた。町の中を二人で腕を組んでいる図だ。相手の顔を想像しかけた所で、慌ててそれを打ち消す。そこまで考える必要はないだろう。うん。

「年上かな……」
「年上……。まあさっき頼りがいのある方がいいって言ってたから矛盾して無いわね。さて!」

 パンッ、と仕切り直しと言わんばかりに手を叩いて友人達の視線を集める。

「とりあえず質問はこんなもんでいいわ。足りないと思ったらまた後で聞けばいいし」
「ま、まだあるの?」
「それはこれからの話し合い次第」

 どうかスムーズに話が終わるように。アリサ以外の少女達はそう思った。

「ここまでの質問で、フェイトの好みは優しくて頼りがいがあって物静かで年上の男と言うことになったわ」

 そういう事にされてしまったフェイトだが、まあ間違いでも無いので黙っている。そういう人物に心当たりもある事だし。

(あれ……?)

 今自分はどういう話し合いをしていたのだったか?

「なによ。皆して首を傾げて?」

 言われてみると、アリサ以外皆何か考え込んでいるようだった。アリサの言葉でそれに気づいたのも同じようだった。

「………」
「………」

 なのはとはやては何も言わない。しょうがないとアリサは視線をすずかに向ける。

「すずか?どうかした?」
「その〜……フェイトちゃんの好みなんだけど………」

 このおっとりとした少女は困った笑顔で、あっさりと爆弾を投下した。

「なんだか、クロノさんみたいだなぁ〜、って………」

 時間が止まる。


















 そして、時は動き出す。

「え、え、ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 弁当箱をひっくり返さなかったのが奇跡に近い勢いで立ち上がるフェイト。が、周囲の何事かという視線を受けて慌てて座り直す。

「ああ〜、なるほど〜。確かに合致するわね」

 ひどく納得した顔で頷くアリサ。しかし、すぐに己の不明を恥じるように眉を顰める。

「しまったわね……。恭也さん以外にも身近にいい男がいたことにきがつかなかったなんて……」
「え、えぇ!?」

 凄い勢いで首をアリサの方に向けるフェイト。一方のアリサは手をヒラヒラ振る動作をする。

「安心なさい。後から取るような真似はしないから」
「あんしっ?と、取る……!?じゃ、じゃなくて!クロノはお義兄ちゃんなんだからそういうのじゃなくて!」

 慌てまくるフェイトを面白そうに見やるアリサ。が、ここで思わぬところから声があがった。

「そうやね!クロノ君はフェイトちゃんのお義兄ちゃんなんやからそんなんちゃうよね!」
「そうそう、そうだよねフェイトちゃん?」
「え?」

 同じ管理局員の二人に何故か同意を求められる。

「……なんであんたたちが慌ててるのよ?」

 その言葉になのはとはやては明後日のほうに視線をやる。その頬はうっすらと赤くなっていた。

『…………………』

 チャイムが鳴る。奇妙な沈黙だけ残してを残して本日の昼食は終わりを迎えた。







 人気無い校舎を、フェイトは急ぎ足で歩く。掃除当番で遅くなる事はなのは達には予め伝えており、自分を待たなくてもいいと言っておいた。また彼女達自身の予定もあった様で今日は一人での下校である。

「もう、アリサったら……」

 ぶちぶちと呟く。昼休みが終わってからずっとこの調子だ。授業中も「お義兄ちゃんお義兄ちゃん……」と自己暗示をかけるように呟いていた。教師やクラスメイトは見なかった事、聞いてなかった事にしてくれたが全く自覚していない。
 大体、何故自分の好みがクロノになるのだろうか。優しくて頼りがいがあって物静かで年上の男性は他にもいるだろう。例えば、ほらなんだ。ええと。……まあ、例は挙がらないがいるはずだ。多分。
 加熱する思考は全く冷静ではなかった。その思考のままフェイトは黙考を続ける。
なにより、クロノと自分は義理とは言え兄妹だ。何をしたって兄妹のスキンシップを出ない。人から見てもそのはずだ。今の自分の年齢とクロノの年齢を考えれば、自分達を見て恋人同士だと勘違いするような人はいないだろう。
 不意に昨日の光景が脳裏を過ぎる。

 夕暮れの公園。海を見ながら彼に寄りかかっていたあの時の事を。

 ブンブンと首を振る。昨日の出来事がなんだか急に恥ずかしくなった。頬が赤くなっているのがわかる。
 自分は一人でなにをしているのだか。他人から見たら何事かと心配されそうだ。
 フェイトは大きくため息をついた。そこでようやく自分が昇降口に着いていたことに気が付いた。すでに自分の下駄箱を通り過ぎている。慌てて、その短い距離を引き返す。
本当に何をしているのだか。もう一度ため息をつきながら下駄箱を開ける。
そこには自分の靴と一通の手紙があった。
 フェイトは先に手紙を取り、封を開ける。

『放課後、体育館裏で待っています』

 下駄箱にラブレターという、最早古風と言っていい渡し方をしたそれは名前も時間も書かれておらず、ただ用件のみが書いてあった。






 こうして、この場に訪れるのは何度目か。
 沈んだ気持ちを抱えたまま、フェイトは指定された体育館裏にやってきていた。
相手の方はすでにやってきていた。遠目からでもそわそわしているのがわかる。
それもフェイトの姿を認めた瞬間、凍りついたように止まる。
 ひどく落ち着き無い表情をしているその男子にフェイトは覚えがなかった。小学の時、一緒のクラスになった男子のことは覚えているからおそらく同じクラスにはなったことのない人だと思う。
 フェイトと男子は三歩ほどの距離を置いて向き合い、しばし黙り込む。

「フェイトさん、好きです。付き合ってください!!」

 唐突に、名乗ることも無く男子はフェイトに告白した。ここまで直球なのも初めてだ。その誠意に胸を痛める。痛めながらもフェイトはその返事をする。

「ごめんなさい」

 深々と頭を下げて謝罪する。せめて、僅かでも目の前の男子が心を痛めないように。
頭を下げているフェイトには男子がどんな顔をしているのかわからない。気まずい沈黙を破ったのは男子のほうだった。

「そう、ですか」

 この結末をわかっていたかのような諦めを含んだ声だった。

「そうですよね。わかっていたんです。絶対に申し出を受けてはくれないだろうって」

 自らの愚かしさを笑うように告げる。その言葉に痛めた胸がさらに痛くなる。しかし、耐えなくてはならない。交際を断られた彼の方が、もっと心を痛めているのだ。これは自分が出した答え。だからその結果をしっかりと受け止めなくては──────




「だって、フェイトさん。もう付き合っている人がいるんだからね」

 それを、リカイフノウな言葉が、凍りつかせた。

 ぐわばっ!という勢いで顔を上げる。両手で頭を抱えている男子はそれに気が付かない。

「あ、え?な、なんの……?」
「誤魔化さなくていいです。昨日、デパートで買い物してましたよね?それから臨海公園を一緒にベンチで………」

 つらそうに言葉を閉じる。一方フェイトはそれを気遣う余裕は無い。
 見られた!?あれを!?
 一気に顔が赤くなる。独白を続ける男子はそれに気づかない。ベクトルは違うが二人はヒートし続ける。

「凄く格好いい人でしたよね。背も高くて落ち着いてて。悔しいけど敵いっこないって思いました。そんな人と付き合ってるんだから僕みたいな子供見たいな奴の告白なんてご迷惑でしたよね」
「だ、あの!だから!」
「でも諦めきれなくて、慌てて手紙を送ったんです。結果はわかりきっていると言うのに。全く未練たらたらで情けない奴です。道化とは僕のような奴の事を言うんです」

 フェイトに背を向け、天を仰ぐ。セリフと動作が芝居がかってきているが、彼は演劇部員だったりする。この後、この失恋で人生の悲しみを知った彼は俳優として大成するがそれは全くの余談である。

「フェイトさん」

 肩越しにフェイトを見る。見られたフェイトは思わず背筋を伸ばした。

「お幸せにー!!!!!!」

 沈む夕日に向かって駆け出す男子。本当に地平線の彼方まで到達しそうな勢いだった。
 一人残されたフェイトはこの事態を反芻する。

 昨日、クロノと買い物にいったところを見られて。
 公園で彼に甘えたところも見られて。
 クロノと恋人同士に見られた───────

 恋人。クロノと。クロノと恋人同士。

 脳が沸騰する。染まった頬は夕暮れよりなお赤い。なんだかクラクラする。
 夕暮れの体育館裏で、フェイトはしばらく立ち尽くしていた。





 その後、フェイトはクロノの事を避け、何かしてしまったかとクロノが本気で思い悩んで回りに相談するのはもう少しあとの話で。フェイトが自分の気持ちを自覚するのはそのすぐあとの話である。


 私立聖祥大学付属中学校二年生兼時空管理局執務官フェイト・T・ハラオウン14歳の春は始まったばかりである。

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