リリカルなのは SS

執務官のとある休日
 どうしてこうなったのか。クロノは自問する。現状はわかるがそれに至るまでの過程がどうにも理解が出来ない。現場で状況にあわせ、臨機応変な判断が求められる執務官としては頂けない。
 いや、この際過程の事は無視するとする。問題は現状だ。今、現状において自分のすべき事はなんだ。いや、別に窮地に追い込まれたわけでもないので深刻に考える必要も無いのだが、どうにもすっきりしないと言うか居心地が悪いと言うか。いや決して悪いわけではない。強いて言うなら場違いだ。狼形態のアルフとザフィーラの間にフェレット形態のユーノが割り込むくらいに。
 そんな割と捻じ曲がった思考に浸かるクロノの横に熱い緑茶が注がれた湯飲みが置かれる。

「ま、お茶でも」

 そう言ってお茶を持ってきた人物はクロノの隣に座る。

「ありがとうございます」

 礼を言いお茶をすする。旨い。何故、母はこの茶に砂糖とミルクを混ぜるのか。いまさらながら疑問に思う。
 さて、もう一度思う。どうしてこうなったのか。とりあえず現状を確認しよう。
 自分は時空管理局執務官クロノ・ハラオウン。今年で十五歳。今日は休日で今いる場所は海鳴市の高町家。そして先ほどお茶を持ってきて隣で座っているのは同じ管理局に勤める高町なのはの父、高町士郎氏。現状確認終了。うむ、割と前後が繋がっていない。
 どうしてこうなったのか。それは数時間前に遡る────────。





 クロノ執務官は多忙である。デスクワークに基礎訓練、各種手続きの取次ぎに現場指揮。調査のために無限書庫の司書となったユーノに探してもらう資料の選別。なのはへ管理局関連の連絡の伝達や義妹となったフェイトの執務官試験の指導、管理局入りはしたが未だ周りからの不信がぬぐいきれない夜天の王、八神はやてと守護騎士ヴォルケンリッター達の弁護のための根回し等、実に多忙極まる。
 しかし、そんな彼にも休日はある。彼自身は別に取らなくても大丈夫と思っているが、ミッドチルダにも一応就業規則というものがあるし、何より家族やスタッフが許さなかった。
 そんな訳で、その日は世間一般では平日、しかしクロノには休日と言う日だった。
休日でもいつも通りの時間きっちり起きたクロノはフェイトの作った朝食を家族一緒に食べ、仕事に向かうリンディ、学校に向かうフェイト、天気がよければいつでも出かけるアルフを送り出した。
 それから特に予定も立てていなかったクロノはデバイスの整備、自宅でも出来る細かい仕事、提督試験のための勉強など身内から他にやることはないのか、言われそうなというか言われている事ばかりして持て余し気味の休日の午前を終えた。
そうして時計の針が一時を指そうかという時間に、当然の生理現象として胃が空腹を訴えた。
 そこでクロノは問題に直面した。

「昼食、どうしよう」

 腹が減ってからようやくその事に気づいた自分に呆れる。家には自分一人しかいないのだ。勝手に食事が出て来たらそれは怪奇現象だ。
クロノとて多少の料理は出来る。士官学校時代のサバイバル教習で食材を無駄にしない程度の調理は覚えた。
 しかし、それはエイミィやフェイトが作るような家庭料理とはほど遠い。花見の時に作った焼きそばとて、それは同じことだ。あえて、自分から作ろうとも思えない。
何より、一番のネックは下手に食材に手を出すと、料理番達から非難される事だ。以前、昼食を自分で作ったら、よく家に来て飯を作りに来る友人で部下である料理番が夕食で使う予定だった食材を使ってしまい、ネチネチと文句を言われた。自分の家の事なのに理不尽だと思った。また、その料理番の意向でハラオウン家にはインスタントの類は存在していない。
 残り物がないかと冷蔵庫を開ける。まるで無し。そもそもハラオウン家には大飯食らいの使い魔がいる。残り物が出る時は、彼女が夕食の席にいない時のみだ。
どうやら家で昼食を取るのは得策ではないようだ。おかしな話ではあるが自分の調理に対する不精や料理番の事を考えるとそうなってしまった。世界はおかしな事ばっかりだ。
 そうなると、選択肢は外で取ることになるが、元々こちらでの活動が少ないクロノである。界隈に詳しいわけも無く飲食店の心当たりも無い。
それでも、まあ外に出れば飲食店の一つや二つあるだろう。最悪、コンビニで弁当でも買えばいい。
 そう思って出かける準備をしようと先ほどまで自室で使っていたマグカップを流しにまで持っていく。
 そこで、クロノはふと思い出す。そう言えば、母さんがアースラのコーヒーを切らしたと言っていたな。
リンディが飲んでいるコーヒーはなのはの両親が経営する翠屋の特性ブレンドだ。以前、プレゼントされて以来ずっと愛好している。素材の味を殺し尽す量の砂糖を入れての話だが。
 そこでクロノは今まで翠屋に訪れた事がない事に気が付いた。なのはの両親である桃子と士郎とは面識はあるがそれは管理局の話をした時や花見の席での事である。

「この機会に行ってみるか」

 翠屋は喫茶店だ。コーヒーを買いがてら一緒に昼食を取れる。一石二鳥という奴だ。
クロノはマグカップを水につけると、財布をポケットにねじ込み、ガスと戸締りを確認して家を後にした。






 現場の地形把握は指揮をする者にとって必須スキルだ。初めて訪れる現場でも迅速に動けるよう地形を頭に叩き込んでおかなくてはならない。
 PT事件や闇の書事件の時にこの町の地形を頭に入れていたクロノは迷う事無く、翠屋に辿り着いた。昼のピークは過ぎたようで客の姿はそれほどなかった。
ドアにつけられた来客を知らせるベルの音を聞きながら、店内に入る。レジにいた店員がこちらに振り返りクロノを出迎える。
「いらっしゃいませ〜、ってあらクロノ君?」
 レジにいたのは桃子だった。数えるほどしか顔を合わせていないにも関わらず自分の顔を覚えている事に感心しつつ、クロノは挨拶した。

「こんにちは、桃子さん」
「今日はどうしたの?なのはならまだ学校だけど」
「いえ、今日は客として来ました」
「まっ、嬉しいな〜。それじゃ立ち話もなんだから座って座って」

 桃子に案内された席はカウンター席だ。自然と桃子と向き合う形になる。

「メニューはそこだから。好きなの選んでね〜」

 メニューに目を通す。それなりに腹は減っているがそれほど食べるほうでもない。サンドイッチか何かで済まそうと思ったクロノの前にまだ注文もしていないのにカップが置かれた。顔を上げるとニコニコ顔の桃子がいた。

「桃子さん?あの、まだ注文していないのですが……」
「気にしないで。いつもなのはがお世話になってるお礼と初来店のサービスってことで」
「そんな、悪いです」
「いいからいいから。子供は素直に大人に甘えておくっ」

 子供を諭すような口調で言われてクロノは呆気に取られ、それからぎこちない動作で差し出されたミルクティーを口に運んだ。その様を桃子は微笑ましそうに眺める。何故だか照れくさかった。



 クロノがサンドイッチとサラダのセットを注文し、フェイトから聞いた以上の味に満足し、食後のお茶を飲んでいる折、桃子が思い出したように呟く。
「そういえば、クロノ君が来てくれたから管理局の人は皆来てくれたことになるわね」
「そうなんですか?」
「うん。リンディさんはお休みに来てくれるし、フェイトちゃんやはやてちゃんも学校帰りになのはと一緒に寄ってくれたりするし、はやてちゃんに付き合ってヴィータちゃんとかシャマルさんも来てくれるし。シグナムさんも一緒に来るけど時々一人でも来てくれるし」
「シグナムが?」

 さらっと予想外の人物の名前が出てきて、思わず聞き返す。

「ちなみに彼女は何を注文するんですか?」
「ん〜、和物が好きみたいだけどウチは洋菓子屋だから。代用ってことで抹茶パフェとか」

 常に毅然とし、堅物とも言えるシグナムが一人、パフェを突いている姿を想像し、クロノは思わず顔を逸らした。彼女には悪いが、普段のイメージから激しくかけ離れていた。

「あ〜、あとお花見の席で一緒になったリンディさんの同僚の方………そうそう、レティさんもこの間リンディさんと来てくれたわね」

 今度は椅子からずり落ちそうになる。わざわざこっちにお茶を飲みに来ていたのかあの人は。
 類は友を呼ぶというか、レティも嗜好が割とリンディに近い。翠屋の味は彼女を十分に満足させていたことだろう。
 クロノの脳内に、翠屋で奥様会議が開かれる。『聞いてくださって奥様』『あらあら、本当に?』『そうなのよ、うちの子ったらもう』『大変ねぇ、奥様』と何故か口調の変わった母の姿が浮かぶ。願わくば、その会議の話題に自分の名が上がっていないよう、クロノは祈った。
 そこで時計を確認すると、時刻は三時を回ろうとしていた。翠屋についたのが一時半を過ぎた頃だったから、一時間以上経っている。クロノにしてみればそれほど時間が経っているようには思っていなかった。

「それじゃそろそろお暇します」
「あ、クロノ君」

 代金を支払い、立ち去ろうとするクロノに桃子が声をかける。

「なんでしょうか?」
「今日、お夕飯どうするの?家の人、いないんでしょ?」

 言われて気づく。昼食と同じ問題だと言うのにその事に全く気がまわっていなかった。

「そう言えば、今日はフェイトがそちらにお邪魔する日でしたね」

 フェイトには『お呼ばれの日』と言われる高町家の夕食に招待される日がある。高町家の都合とフェイトの都合があった時に招待されるため、行われる日の規則性がない。そしてその日をフェイトはいつも楽しみにしており、朝食の時に今日がその日である事を話していた。それとクロノの食事の心配もしていたが適当に答えて納得させたというのに呆れたものである。
 そういうわけで、夕食にも頼みの料理番がいない。どうしたものかと考えるが状況は昼食の時とほぼ同じなのだ。なので答えもすぐに出た。

「なんとかします。帰りにでも何か買って食べればいいですし」
「あ、駄目よ〜。育ち盛りが外食に頼っちゃあ」

 またも子供を諭すような口調に、何故か逆らいがたい物を感じる。適当に答えて、切り抜ければいいのにそれが出来なかった。

「あ、そうだ。クロノ君この後用事ってある?」
「いえ、特には」

 帰ったらトレーニングでもしようかと言うくらいだ。夜には明日の準備をしなくてはならないが、それほど時間のかかる事でも無い。

「そう、それじゃあ」

 桃子の言葉を遮るように来客のベルが鳴る。そちらを振り向けば、翠屋のエプロンを着た男性の姿があった。

「買出し、終わったぞ」
「あ、あなた。お帰り〜」

 現れたのは、なのはの父で桃子の夫である高町士郎だった。言葉の示す通り両手に紙袋を抱えている。

「おや、クロノ君」
「どうも、こんにちは」

クロノの姿を見つけた士郎に軽く会釈する。士郎も会釈を返そうとするが荷物を抱えているため、首を軽く下げてのみに留まった。

「あなた。今日はもうお店のほうはいいから頼みごとがあるんだけど」
「ん、なんだ?」
「夕食まで家でクロノ君の相手して欲しいの」

 きょとんと、会話の意味がわからずクロノは固まった。

「今日、クロノ君の家の人誰もいないから、フェイトちゃんと一緒に招待しようと思って」
「そうなのか。よしそれじゃ行こうかクロノ君」
「え、あ、はい」

 ぽん、と肩を叩かれたクロノは思わず背中を押されたように椅子から立ち上がる。

「それじゃまたね、クロノ君」

 桃子の明るい声に押し出されるように、クロノは士郎と翠屋を後にした。自分は知らない間に返事をしたのだろうか、と疑問に思いつつ。



 そうして現在に至る。



 クロノは今、高町家の縁側で座っている。リビングに通されるかと思ったが、士郎が今日は天気がいいからと庭先に出たのだ。そうして親子ほど、年の離れている二人は並んでお茶をすすっていた。
 二人の間に会話は無い。そもそもまともに対面するのは初めてなのだ。何を話せばいいのかわからない。何か聞かれればそこから会話が続けられるかもしれなかったが、士郎は何も話しかけてこない。自然と、沈黙が続くことになる。
だがそれは口を噤んでしまう様な重苦しい類の沈黙ではなかった。何はなくとも穏やかな気持ちでいられる。海を眺めているような気持ちで言葉が不要に思えるような、そんな類の沈黙だった。
 残り少なくなったお茶を飲みきり、湯飲みを置く。それをきっかけになんとなくクロノは口を開いた。

「なのはは管理局でよく頑張ってます」

 口にしたのはなのはの事だった。二人の共通項と言えば彼女である。一番話題にしやすい事だった

「失敗も多いですが、それでも挫けず立ち止まらず、精一杯前に進んでいます」
「そうか」
「何か聞きたいことはありますか?出来る限りお答えしますが」
「いや、それだけ聞ければ十分だよ」

 クロノは首を士郎に向ける。士郎の横顔は言葉を証明するように澄んでいた。

「なのはの事は信じている。だから、俺は何の心配もして無いよ」

 クロノは思わず口元を緩めた。なるほど、この親あってあの子ありか。なのはがあれだけ真っ直ぐな少女であることに納得が言った。

「けど、色々と迷惑はかけるかもしれないがよろしく頼むよ」
「はい」
「お茶のおかわりは?」
「頂きます」

 士郎は自分とクロノの湯飲みを持って台所に向かう。数分して最初と同じようにお茶を置き、またクロノの隣に腰掛ける。
そうして、時折思い出したように会話しながら二人は日暮れまでずっと縁側でお茶を飲んでいた。





 学校を終えたなのはとフェイトは、フェイトの着替えのため一旦、ハラオウン家に寄ってから高町家に向かっていた。
 クロノが家にいなかった事を少し気にしながら、談笑する。取り留めの無い会話だがそれだけでも十分に楽しかった。
 十数分の道のりを長く感じる事無く、高町家に着いた二人が家に上がろうとする。

「あれ?」

 庭先から会話が聞こえてきた。振り返ってフェイトを見ると彼女にも聞こえたようで答えるように頷いていた。
 気になって、玄関を通らず庭に出る。普段なのはの家族はこの時間に帰っていることは少ない。いるとすると大学が休講になった恭也か早上がりの士郎ぐらいだ。偶然二人して早く帰ってくることになったのだろうか。
 なのはの予想は半分当たりで半分外れだった。見慣れた庭先、見慣れた二人。しかし、初めて見る組み合わせの二人が初めて見る光景を作っていた。

「クロノ君?」

 そこにいたのはクロノだった。士郎と一緒に縁側に腰掛けていた。意外と言えば意外すぎる光景に驚いた。
 なのはの声が聞こえたのだろう。お茶を飲んでいた男二人がなのはの方に振り返る。驚いた様子のなのはとフェイトの姿がクロノの目に映る。

「お帰りなのは。いらっしゃいフェイト」
「お帰り。お邪魔しているよ」

 なのはが二人に小走りで駆け寄る。驚きを隠せず、詰め寄るように問う。

「クロノ君、どうしてうちに?」
「ちょっと、まあ色々あって」

 クロノはここに至るまでの経緯を簡単に説明した。それを聞いたなのははなんだか複雑そうな顔をした。

「お母さんったら、強引なんだから……」
「まあまあ」

 妻を弁護するように士郎が言う。クロノを連れてきた実行犯からすると桃子が責められると自分も悪いことをした気になる。

「それじゃ、二人も帰ってきたことだし中に入ろうか。少し寒くなってきたことだしな」

 そう言って士郎が立ち上がるがクロノは腰を上げなかった。皆が不思議がる。

「クロノ君?」
「もう少しここで時間を潰していいですか?」

 クロノ以外の者は彼の意図が読めなかった。訝しい視線を受けながらクロノは答えた。

「ここは落ち着くので。もう少しだけ」

 そう言った彼の顔はなのはとフェイトも見たことが無いほど穏やかなものだった。
結局、四人は家人が皆戻ってくるまで縁側にいた。





 先ほどまでの穏やかさが嘘のように肩身が狭かった。
 急遽、夕食に参加することになったクロノを美由希は「よく来たね〜」と歓迎し、恭也は「うむ」とだけ頷いた。後者の心中をクロノは図ることが出来なかった。
 そうして始まった夕食会。もういつもの事と慣れた様子のフェイトと高町家面々の談笑の中、クロノは会話に入っていけない自分がひどく場違いな気がした。それは最初に庭に案内された時に感じたことでもあるが、今のほうがより顕著だった。
 自然と箸の進みが遅くなっているクロノに桃子が声をかけた。

「クロノ君、ちゃんと食べてる?」
「え、あ、はい。頂いてます」

 意識の外から声をかけられて、クロノは慌てて取り繕うように箸を進めた。

「そう、あんまり食べてないみたいだけど。口に合わない?」
「い、いえ。ただ僕はそんなに食べるほうじゃないので……」
「駄目よ〜、育ち盛りなんだから〜」

 翠屋で言われた事を再び言われる。しかも妹の目の前でだ。クロノは自分の頬が赤くなるのを感じた。

「そうだね。エイミィももっと食べないからクロノは大きくなれないって言ってたよ」
「フェ、フェイト?」

 追い打ちをかけるように、フェイトが言った。今のやりとりがおかしくてしょうがないようだった。

「……必要な分の栄養は取っている。余計なお世話だと言っておいてくれ」
「いや、クロノ君。男はもっと食べるべきだ。じゃないと大きくなれない」

 なんとかした反論も今度は士郎に返される。その口調は桃子のそれと同じだった。

「それにご飯が美味しいことは幸せだ。それを小食と言うだけで逃がすのは人生において大きな損失だぞ」

 至って大真面目に言いながら士郎はあやすようにクロノの頭に手をやる。クロノはひどく驚いたが何も言えず頷いた。頭を撫でられるクロノというエイミィでも見たことがないレアな場面に遭遇しなのはとフェイトは驚きながらもその様子を笑っていた。そんな二人にクロノは憮然としながら箸を進めた。
 少し遠くにあるソースを取ろうとして手を伸ばすと、近くにいた恭也がソースを取ってクロノに差し出した。苦笑している。心中察すると言うところか。礼を言ってソースを受け取る。
 最初に感じていた肩身の狭さはいつの間にか無くなっていた。





 夕食会も終わり、そろそろフェイトと帰宅しようかという時刻。クロノは庭に立って空を眺めていた。その姿をなのはが縁側から見つける。

「クロノ君?」
「なのはか」

 クロノが振り向く。見慣れた彼の姿が何故かいつもと違って見えた。

「ごめんね〜…、なんだかお父さんとお母さんがおもちゃにしちゃって……」
「確かに。照れくさかった」

 食事中のクロノは本当に恥ずかしそうだった。それを気にして士郎と桃子は都度都度クロノにあれこれと話しかけたがなのはにして見れば失礼が無いかおっかなびっくりという感じだった。

「本当に、照れくさかった。あんな風に子ども扱いされた事なんてほとんどなかったから」

 なんでもないように言ったその言葉に、なのはは身を固めた。軽々しく聞いていい事ではないが聞かずにはいられなかった。

「リンディさんと……クロノ君のお父さんってクロノ君の事、見てれくれなかったの?」
「父さんの事はあんまり覚えていない。母さんは仕事があったし、僕も魔法の修行があったから」

 クロノは三歳の時に、父親を亡くしている。五歳の時には、魔法の修行を初め、自分と同じ九歳の時に士官学校に入っている。その後の執務官になって今に至るのだが当時の話を詳しく聞いた事は無い。しかし、その間に親子の触れ合いが普通の一家と比べてずっと少なかったのは容易に想像できた。
 口篭るなのはからクロノは背を向けて視線を再び空に向ける。そのまま、今日のことを思い返しながら口を開いた。

「いい家だね。ここは」
「そ、そうかな?」
「ああ。温かい家族に温かい家。君がまっすぐに育った理由がよくわかったよ」
「あ、ありがとう」

 家族を褒められ、なのはは照れる。そんななのはをクロノは遠くを眺めるように見た。

「クロノ君……?」
「こんな家の子供なら君は………」

 躊躇う様に言葉を切る。クロノが今、どんな顔をしているのかなのははわからなかった。その僅かな間の後、クロノは振り向いて言葉を続けた。

「君は、魔法に関わらなくても、まっすぐに生きていけたかもしれないな」

 それはいつか思ったことだった。
 なのはは優しく純粋だ。その才能は目を見張るものがあるが、戦いというものが似合う少女ではない。今日見たように、家族で夕食を囲んでいる姿の方がずっと似合っている。
 士郎は心配していないと言っていたがそれはなのはが進もうとする道のことだ。彼女がその道を、夢を、未来を進む途中で失敗することや迷うことはあっても、間違った選択をしてその道から外れ、見ていた夢を見失うことはないと信じているのだ。そのことについてはクロノ自身も強く思っている。
 だが、それはなのはの身を案じていないと言うことではない。その道の途中でどんな苦難が待っているのか、それはわかることではない。その苦難が、彼女を傷つけ、立ち上がることを出来なくするかもしれない。その未来を奪い去るものかもしれない。そんな危険を孕んだ道を、彼女は進もうとしている。
 そんな道を進まなくても、こんな温かい家と家族がいるのならば。魔法に関わるよりも、ずっと健やかで穏やかな未来を進んでいたかもしれない。それはなのは一人の幸せを考えれば、ずっと幸せなことではないだろうか。
 執務官としては才ある人材が入ったことに。友人としては同じ仕事を出来ることに。なのはが管理局入りを決めた時は素直に喜んだ。それに偽りは無い。
 だが、その時僅かに思い、今日膨らんだこの思いも間違いなく本心だった。

「クロノ君………」

 そんな言葉を漏らしたクロノになのはは距離を感じた。縁側と庭先の短い距離が、何かに遮られたように長く感じた。
 クロノの言葉は自分を案じての事だ。心配してくれることは嬉しい。だが、その言葉はなのはにとって受け入れられるものではなかった。
なのはは庭に下りる。さきほど感じた距離は無くす様にクロノに歩み寄る。あんなものは錯覚だ。そう念じるなのはの思いを証明するようにクロノとの距離は簡単に縮まった。手を伸ばせば、届く距離に彼がいる。なのはは、手を伸ばす。両手で彼の手を取った。クロノは驚いたような顔でなのはを見た。

「なのは?」
「私は、ここにいるよ」

 クロノの手を掴んだまま、両手を額に当てる。言葉が、想いが伝わるよう、祈るように。

「私は、クロノ君やフェイトちゃんやユーノ君。他の皆と同じ場所にいるよ」

 魔法に関わることの無かった生活。それを考えたことが無いとは言わない。けれどそれは、ありえなかった未来なのだ。
魔法に関わってたくさんの出会いがあった。大変なこともあった。つらいこともあった。けれど、それに勝る楽しさや喜びがあった。その中で同じ場所にいる皆と進んでいける今に満足している。

「だから」

 そんな、今を否定するようなことは言わないで。

 言葉にしなかった思いは、クロノは確かに受け取った。

「そう、だな」

 苦笑するクロノの顔は教え子に間違いを正された教師のようだった。年に似合わない笑い方をするクロノになのはも笑う。

「悪かった。今のは忘れてくれ」
「うん」
「だから、これからもよろしく頼む」
「うんっ!」

 微笑む顔が眩しかった。その眩しさにクロノははたと気づく。
今、自分の手はなのはの両手にしっかりと握られている。彼女の体温がダイレクトに伝わってくる。
 恐竜並みの伝達速度でようやくそのことに気づいたクロノは一気に顔を紅くして身を固めた。そんなクロノをなのはは不審がる。

「クロノ君?」
「あ、いや、なんでもないぞ!うん、なんでもない!」

 慌てるクロノになのはは不審を強める。そんな彼を救うように声が響いた。

「クロノー?そろそろ帰ろうー」

 フェイトの声だ。彼女の声に反応したなのははあっさり手を離してそちらに振り向いた。正直、助かったとクロノは思った。恥ずかしさを隠すようにポケットに突っ込んだ手にはまだなのはの体温が残っていた。





 帰宅するクロノとフェイトを高町家の皆が送り出す。

「ごちそうさまでした」
「お邪魔しました」

 揃って礼を言う兄弟に、桃子が微笑む。

「いいのよ。またいつでも来てね」
「……本当に今日はのんびり出来ました。こんなにゆっくり過ごしたのは久しぶりです。本当にありがとうございました」

 そう言ってもう一度礼を重ねるクロノの顔はなのはとフェイトの目には随分と幼く見えた。
 それから高町一家に見送られたクロノとフェイトは先ほどまでの夕食会の事を話しながら、自宅へと向かう。
その間、クロノの表情はいつもよりもずっと柔らかかった。

「明日からまたお仕事だね」

 自宅も間近に迫ったところでフェイトがそう言った。

「そうだな」
「お仕事が終わったら、また今日みたいな休日だといいね」
「……そうだな」

 顔を上げる。高町家の庭から見たのと同じ夜空なのに違って見えた。

「そうなら、次の休日が恋しくなるな」

 仕事の数を上げれば切りが無い。いつも通りの忙しい日々が始まる。しかし、明日からは今日までとは違った気持ちで仕事が出来るかもしれない。
 夜空を見上げながら、クロノは明日に思いを馳せた。





















 おまけ

「そう言えば、なのはのお友達で男の子がウチに上がったのって初めてじゃない?」
クロノとフェイトが帰った高町家のリビング。一家の談笑の話題はクロノの事だった。
「あ〜、そういえばそうだよね」
 母の言葉に同意する美由希。実際にはクロノの前にユーノという男の友達が高町家に上がっているのだが、正体が明かされた後でも高町家のユーノの扱いはペットのままだった。哀れすぎる。

「でもクロノ君。いい子だよね〜。あんな弟だったら欲しかったな〜」
「それは俺のような兄はいらないと言うことか」
「そ、そんなこと言ってないよ〜」

 兄妹のやりとりをよそに、桃子が呟く。

「でもあの子、なのはとそんなに変わらないのに忙しいんでしょ?執務官って大変なのねぇ」
「え?」

 母の言葉になのはが固まる。

「そうだね。だから年の割にしっかりしてるみたいだけど」
「俺もあのくらいの頃はまだまだ使えなかったな」
「そうだな〜、あのくらいの年だと恭也も美由希も基礎の最中だったし」

 うんうんと、頷く姉と兄と父。

「あの〜……………」

 その中、なのはが気まずそうに発言する。

「大変申し上げにくいのですが〜………」
「ん?なに、なのは?」

 言いづらそうにするなのはに桃子が柔らかく微笑む。

「クロノ君、今年で十五歳で私より五つも年上なのですが〜……」

 母の笑みが凍りつく。見れば、他の面々も同じように凍りついていた。

 ああ、だからあんなに子ども扱いしてたのか。

 クロノの前で事態が発覚しなくてよかったと、なのはは心の底から思った。


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