リリカルなのは SS

                       守りたいもの

「うわぁ……」

 それ以外の言葉が出てこなかった。
 眼前には、どこまでも続く緑があった。丘から見下ろすと所々に色を添えるように野花が咲いていた。その緑の先の右手には澄んだ湖が、左手には深い森があった。もしかしたら森の中には川も流れているかもしれない。そのずっと先には青い山脈が連なっていた。
 この光景に、人の手はまるで入っていない。ありのままの自然の姿だった。海鳴は自然が多いほうだが、今ある目の前の光景に比べれば子供の遊びのように可愛いものだった。
 小走りで野を駆ける。踏みしめた草は今まで感じたことの無いほど柔らかかった。

「なのは。任務中だぞ」

 そんななのはを咎めてクロノが声をかける。しかしなのはは気にした様子もなく振り向いて彼に問いかけた。

「ここがクロノ君の?」

 クロノの表情は任務中であるため、引き締まっていた。しかし、過去を懐かしむ感情を隠しきれておらず、その顔には少しだけ柔らかいものがあった。

「ああ。ここがミッドチルダ。僕の故郷だ」





 きっかけはアースラに舞い込んできた一つの任務だった。
 管理局の武装隊がロストロギアの盗掘を行った魔導師を追ってミッドチルダにやってきた。魔術師に傷を負わせはしたが、今一歩のところで森の奥深くまで逃げられてしまった。しかしそれで捜査の手は止まるわけではない。数日間、武装隊は森を捜索し続けた。
 その時、武装隊は異常な魔力を感知した。とんでもない量の魔力だ。慌てて探知を試みるが、発生した魔力は跡形もなく消え、発生場所も特定できなかった。
魔術師が持ち去ったロストロギアが発動したのかもしれない。一度感知してからその魔力が発生することはなかったが、だからと言って迂闊に捜査を続けるほどその武装隊は愚かではなかった。どんな危険を孕んでいるのかわからないのがロストロギアだと知っているからだ。
 事態を重く見た武装隊の隊長は、用心してロストロギアを取り扱う課に応援を要請した。本局は申請を通し、その応援をアースラに命じたのだった。
任務に赴いたのはクロノとなのはだったが、なのははアースラ所属ではない。本来なら所属しているクロノとフェイトが任務に赴くのが筋であったがクロノの提案でなのはの来ることになったのだ。
 任務の詳細を聞いたクロノは軽く驚いた。任務の場所が幼少時代に過ごしたことのある場所だったからだ。先日、海鳴の桜台でその頃の事を思い出していたので尚更だった。
 そこでクロノはなのはが未だミッドチルダに訪れたことが無い事に気が付いた。本局はミッドチルダの管轄でもあるが存在しているのは次元空間である。正確な意味ではなのははミッドチルダに行ったことが無いのだ。
 なので、今後の異世界の見聞を広めるためになのはに任務を依頼してはどうかと、クロノはリンディに提案したのだ。なのははフェイトと同じAAAクラスの魔導師だ。能力的な違いはあるが、連れて行って足を引っ張ると言うことはまず考えられなかった。加えて、アースラにフェイトとアルフが残ることで何かあった時の予備戦力も確保できる。
 その提案をリンディは許可し、あとはなのはが依頼を承諾するかどうかだけになった。その時、任務も学校もなかったなのはは初めて訪れることになる異世界に心躍らせながら依頼を受けるのだった。





「問題の魔導師が、逃げ込んだのはあの森だ。まずは武装隊が捜索を終えた地点まで飛んでいくぞ」

 飛行魔法を詠唱し、クロノとなのはが宙に浮く。

「わあ………」

 空から視線を巡らしても途切れることのない自然になのはは何度目になるかわからない感嘆を上げる。クロノは呆れたように先に進んだ。なのはが慌てて後を追う。
 それほど長い距離を飛んだわけでもないが眼前にはもう森の緑しかなかった。森以外の風景がないかとなのはは首を回す。好奇心丸出しのなのはにクロノは引率の先生とはこういう気持ちなのかと思った。

「なのは。ここで降りるぞ」

 なのはの先を進んでいたクロノが停止する。言うや否やすぐに森に降下し、なのはも遅れて森へ降りた。
 降り立った場所は、大小様々な木々のため迷路を思わせるほど入り組んでいた。

「ここからは歩いていくぞ」
「あの〜、なんでかな?」

 なのはの言葉にクロノが顔をしかめる。

「なのは。この任務の一番の目的はロストロギアの回収だが、それを持ち去った魔導師のことも忘れないでくれ。空から飛んでいったら、狙い撃たれる可能性がある」

 クロノに言われてようやくそのことに気づく。どうやら浮かれすぎていたようだ。なのはは気を引き締めて、クロノとともに森を進んだ。
のだが。

「きゃ!」

 根っこに足を引っ掛け、転びそうになるなのはの腕をクロノが掴む。間一髪、なのはは張り巡らされた根っこでデコボコしている地面に倒れずに済んだ。さっきからこの調子である。自然と歩みは遅くなった。

「あ、ありがと……」
「君は運動神経以前に、体力不足だな。武装隊にはこういった場所でのサバイバル教習もあるから今のうちから鍛えておかないと身が持たないぞ」
「うう、努力します………」

 申し訳なさ一杯で謝る。クロノは苦笑いを浮かべると先を急いだ。
 それにしても本当に深い森だ。日の光は木々の間をすり抜けるようにしか注いでおらず、薄暗かった。一人だったらさぞ心細かったことだろう。
 クロノの背を見る。一人でならもっと早く歩けているだろう彼はなのはが通りやすいよう、草むらを掻き分けて道を作りながら進んでいる。その頼もしい背中に知らず知らず距離を縮めていた。
 その時突如、頭上にいたらしい鳥達が高い鳴き声を上げて飛び立った、驚いたなのははクロノの背に飛びついた。
 鳥の鳴き声が響き渡って消えた頃に、なのはは目を開く。飛び込んできたのは黒い背中だった。慌てて離れる。

「クロノ君、ごめ………?」

 クロノは動かない。不審に思ってクロノの横に身体をずらして視線をやるとなのはは目を見張った。
 そこには白い髪の少女がいた。ボロキレを重ねたような服を着ており、全身が薄汚れていた。目を引いたのは白い羽のような耳だ。瞳は森の色が染み込んだかのような緑だった。
 その風貌から少女がただの人間で無いことは簡単に知れた。もしかしたら人でないのかもしれない。だがそれでも、こんな所にこんな少女がいる理由は全く思いつかなかった。
 少女は、クロノとなのはは大きく見開いた瞳で見るとすぐに身を翻した。細い手足からは想像できない俊敏さだった。

「クロノ君、あの子………?」
「わからない。使い魔のようにも見えたが……」

 報告では逃走した魔導師が使い魔を連れているとは聞いていない。また、経歴を見ても使い魔を使役できるほど高ランクの魔導師でもなかった。

「だが、もしかしたら事件に関わりがあるかもしれない。追うぞ」

 それだけ告げるとクロノは飛行魔法を発動し、森の中を低空で飛ぶ。なのはも後を追うが元来機動は苦手である。入り組んだ森を飛ぶその様は随分と危なしかった。先を行くクロノはこの森を苦もなく進んでいる。こういった細かな魔法コントロールにおいてなのははまだまだクロノに及ばなかった。
 姿は見えなくなったが、クロノの魔力を辿って彼に追いつく。クロノが止まってから五分近くは経っていた。
 クロノの隣に降り立ったなのはが彼と同じ方向に視線を向ける。なのはは息を呑んだ。
 視線の先には、先ほどの白い少女がいた。その後ろには蹲る様に座る『何か』があった。
 その『何か』は人間だったものだ。ピクリとも動かず、皮膚には血が通っていない。その身体から精気を感じることは出来なかった。明らかに死んでいる。
 そして白い少女は、それを守るように両手を広げていた。






 その獣は身体は小さかったが人間に近い知能を持っていた。しかし森の中にいた獣の知性は使われることがなかったので発達することはなかった。その知能が活用されたのは、知能を持たない獣達よりも物をはっきりと認識するという事くらいだった。その認識力の中で、獣は自然の摂理の元、自分よりも小さくて弱い物を喰らって生きてきた。
 だから、自分が自分よりも大きな獣に狙われたのも自然の摂理だった。
 何の警戒もなく襲われ、一撃で身の自由を奪われた。あとは自分を喰らうためにノシノシと大きな獣が近づいてくるのがわかるのみだ。それに恐怖を感じたが、それが自然の摂理だと獣は諦めて目を閉じた。
 その摂理が破られたのはその直後だった。
 ガサガサと音を立てて何かが現れた。狩った獣も狩られた獣もそちらに眼を向けた。
現れたのは今まで獣が見た事の無い生き物だった。獣の知る限り、二本の足で立つ生き物は見たことがなかった。
 大きな獣は、意識を自分からその生き物に移すと猛然と襲い掛かった。その生き物は歩くのに使っていない『足』で掴んだ長細い『何か』を突き出した。
 瞬間、光が走りその生き物を襲おうした獣は吹き飛ばされるように倒れた。何が起こったか獣にはわからなかった。
 その生き物は、大きな獣に近づくと見たことの無い方法でその身体を切り分け、さっきの長細い『何か』で今度は赤い光を起こして、切り取った肉を赤い光に突っ込んでから食べた。
 その生き物はすぐに食事をやめた。獣なら半年は過ごせるだろう食料をそのままに立ち去ろうとする。
 そこでその生き物はようやく獣に気が付いた。獣の眼前で止まった二本だけの足がそびえ立っていた。
 その生き物は膝を折って、自分に光を放つ『足』をかざした。その瞬間、獣の身体を今まで感じたことの無い何かが満たした。光が消えると自由を奪っていた痛みが消え去っていた。
 生き物は立ち上がると、獣に一瞥をくれることもなく歩き去っていった。
 一体アレはなんなのだろう。大きな獣を見た事も無い光で倒し、あれだけの食料に目もくれず、何だかわからない方法で自分の傷を癒した。
 自分を助けたと言う事はアレにとって自分は食料では無いということだ。先ほどの獣も大して食わなかった。だとすればアレはどういう目的を持っているのだろう?
 初めて沸いた疑問と言う心に使われることの無かった知性が動き出す。それを満たすため、獣は生き物の後を追った。





 その魔導師は真っ当に人生を送れなくなったので真っ当でない道で生きてきた。しかし、犯罪者ではあったが根っからの悪でもなかったので、悪人になりきる事も出来なかった。
 そしてそんな半端者だから苦労する。あちこちを点々とし彷徨い、そのたびに余計なことをして、様々な恨みを買いながら、各地を流離っていた。
 そんな生き方をした彼でも、余命が長くないとわかると何か残したいと思った。そうして一大決心して行ったのがロストロギアの盗掘だった。最後に一花咲かせようと言うわけだ。
 だが結果は散々なものだった。なんとかロストロギアを手に入れたものの管理局に見つかり、武装隊に追われることになった。散々追い回された挙句、辿り着いたのは人の子一人いない深い森だった。
 思い出して、忌々しく唾を吐き捨てる。一緒に胃液の出そうになったが口を押さえてなんとか堪えた。
 胃は空腹を訴えていたが、もう身体が食事を受け付けなかった。逃亡の間、無茶をし続けた体は盗掘を行う前よりさらにボロボロになっていた。
 その場にへたり込む。歩いては歩いてきた時間より倍の時間をかけて休憩し、再び歩き出す。森に逃げ込んでからずっとその繰り返しだ。
 ただ、先ほどからこの単調な歩みに小さな変化があった。ちらっと横を見ると、小さな犬のような白い獣がこちらを窺っていた。
 さきほど助けた獣だ。結果として襲われたところを助けた訳だが、その後の煮え切らない良心からかけた治療魔法は余計だった。おかげで少し寿命が縮まったと思う。そんなだから、こんな事になるんだ。
 魔導師が自分に呆れていると、獣はソロリソロリと警戒しながら近づいてくる。魔導師は動かないでいると、その鼻先を手に近づけた。
 興味津々といった様子の獣は確かめるように魔導師の指先を舐める。瞬間、魔導師は獣を指で軽く弾いた。
 たちまちとんでもない勢いで獣が飛び退った。威嚇するような視線を魔導師に向ける。
 その様を見て、魔導師は気だるさに顔を引き攣らせながらも笑った。




 獣はずっとその生き物を追い続けた。そうして、その生き物が自分とは全く違う生き物なのだと知った。
 例えば、あの長細い『何か』を掴んでいた『足』だがどうやらあれは足ではないようだ。獣の知る足と用法が異なりすぎている。獣は『手』というものを知らなかったがその生き物の『足』と『手』の区別を覚えた。
 長細い『何か』を突き立てながら、歩いていく。その『何か』は様々な現象を起こした。獣は『杖』や『デバイス』などと言う言葉は知らないが様々なことに使われるそれがそのための『道具』なのだと知った。
 そうして獣は、『人』いう言葉は知らないが、『人』という生き物のことを知ったのだった。
 獣がその人を追って数日が経った。人が座り込んだ。獣も歩みを止める。いつもの事なので獣は再び人が歩き出すまで待つ。
 しかし、いくら経っても人は歩き出そうとしなかった。それでも獣は待つ。鼻先で『手』を突くと、人は『手』を動かした。
 首から下げた何かを自分に見せるように摘む。
 紅い色をした綺麗な石だった。





「ここまで、か」

 魔導師は座り込んで呟いた。元々ボロボロだった身体だ。身を削る逃避行に、非殺傷とはいえ、まともに直撃した攻撃魔法。余命を短くするには十分だった。治療魔法でなんとか誤魔化してきたがその魔力行使すらも自分の首を絞めていた。
 思えば、何も残せない、後悔だらけの人生だった。何もやり遂げることのなかった自分にはお似合いの結末だった。
 考えるのも億劫だ。そのまま目を閉じようとした魔導師の意識を繋ぎとめたのは指先に触れる何かだった。
 見ると、あの獣が初めて触れてきた時のように指を鼻で突いていた。緑の瞳が物欲しげに自分を見上げる。
 魔導師は笑った。先ほどお似合いの結末だと思ったがそれは間違いだ。こんな奴でも最後を看取る相手がいる。全く持って相応しくない。
 何か礼がしたくなった。この白い獣に何か残してやりたくなった。
 首に下げたペンダントを摘んで、獣に見せる。紅い宝石のついたペンダントだった。
 そしてそれこそが彼が手に入れたロストロギアだった。





「こいつはな、命を吸って願いを叶える悪魔みたいな代物だ」

 獣には人の言葉はわからない。それでも人の発する声に耳を傾けた。

「何か、叶えたい事はあるか?残りカスみたいな命でも何か叶うかもしれねえぞ?」

 獣は答えない。人の言葉はわからないし、わかったとしても答えることはなかっただろう。何故なら、獣には願いと言うものがなかった。

「早くしろや。何も残せないまま終わっちまうだろ………」

 獣は人を見上げる。その視線の先には紅い石ではなくそれを摘んでいる『手』があった。見れば見るほど不思議な形だった。そしていろんな事をしていた。今もああして首から下がった蔓のように細い何かを掴んでいる。自分の足では到底出来ないだろう。



 それが、羨ましいと言えば、羨ましかった。



 紅い石が光り出した。今まで人が作りだして見せたどの光とも違う光だ。それは膨大な魔力の光だったが、獣は知る由も無い。
 紅い光が辺りを包む。その余りの眩しさに獣は目を瞑り、意識を飲み込まれた。目を覚ましたのは、光が消え去った後だった。
 目を覚ました獣はすぐに自分の身体の異常に気が付いた。視界には先ほどまで足だった自分の足が人と同じ『手』になっていた。
 獣はひどく驚いたが、それよりも気になることがあった。人はどうなったのだろう。
 視線を向ける。人は変わらずそこにいた。それに安心すると獣は人の側に座った。
 さっきの光は凄かった。今までも十分凄かったがそれ以上だ。本当に人は自分の知らないことばかりする。
 獣は待つ。次に人は何をするのだろうと。
 しかし、人が動き出すことは二度となかった。
 それから獣は人が動き出すのを待つように、人の側で人の姿で生活を始めた。





 クロノはS2Uを構える。先ほどの瞬発力を見れば油断することは出来なかった。

「こちらの言葉がわかるか?僕は時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ」

 無駄と思いつつ、声をかける。思った通り、少女は何の反応もしかなった。おそらく、人語を理解していないのだろう。
 だが、この少女は何をしているのだろう?人間ではないようだが、かといって使い魔でもさなそうだ。使い魔は主が生きていなければ存在することが出来ない。主の可能性があった魔導師は既に目の前で骸になっている。クロノの知る限りでは使い魔の契約もなしに人の姿を取る生物はいない。

「あの子、あの人を守ってるのかな……?」

 なのはの言葉に、少女をもう一度見る。両手を広げて、こちらを遮るようなその様は確かに後ろの遺体を守っているようだった。
 遺体に目を向けたクロノは、その胸に紅い宝石があることに気が付いた。底が見えないような異様さを秘めたそれが問題のロストロギアであると看破した。
少女が何者かで何を考えているかはわからないが、見つけた以上あの遺体を放って置く事は出来ない。手荒な事はしたくないが致し方ないだろう。
 S2Uを構え直すクロノ。だが、遮るようになのはがクロノと少女の間に立った。

「なのは!?」
「お願いっ。少しだけそこを通して!」

 なのはが少女に呼びかける。なのはにも少女が何を考えているのはわからない。ただ、自分にとって怖いものにしか見えないあの魔導師の遺体が彼女にとって大切なものなのだとはわかった。それを力ずくで押し退ける様な事はしたくなかった。

「なのは!無駄だ、彼女にはこちらの言葉は通じていない!」
「何にもしないから!お願いだから通して!」

 クロノの忠告に耳を貸さず、なのはは両手を差し出して呼びかけ続ける。たとえ言葉はわからなくても想いが通じるようにと。
 少女は動かない。なのはは確かめるように少女に向かって一歩踏み出す。その瞬間、少女はなのはに飛び掛ってきた。

「っ!」

 防御魔法を展開することも出来ず、なのはは身を硬くした。思わず目を閉じる。
 だが、なのはに手が届こうかという寸前に少女の突進が止まる。目を開いたなのはの目に映ったのは鎖に拘束される少女の姿だった。

「やれやれ。本当に君は無茶ばかりする」

 それはクロノが仕掛けておいたディレイドバインドだった。特定空間に進入した対象を捕縛するその魔法をなのはが割り込んできた時点でセットしておいたのだ。

「ご、ごめんなさい」
「まあ、いいさ。結果として一番望んだ形で抑えることが出来た。さっきの瞬発力だと普通にバインドをかけるのは少々骨が折れそうだった」

 クロノとなのはが少女の横を通って、遺体に近づく。クロノは膝を折って紅い宝石のついたペンダントを見た。色こそ違うが、見覚えのある宝石だった。

「クロノ君、これ………」
「ああ、ジュエルシードに似たタイプのロストロギアのようだ。だが何かが違う気がするな。まあ、それを調べるのは解析班の仕事だな」

 クロノがロストロギアに手を伸ばす。直接触れた方が封印もしやすい。だから、なんの迷いもなく手を伸ばした。





 動くことが出来ない。この光に身体を縛られているせいだ。
 唯一、動かせる首をギリギリと振り向かせる。見ると二人の人があの人に触れようとしていた。
 自分の勘が正しかったようだ。何かが近づいてきたので様子を見に行った。いたのは人だった。あの人以外に初めて人を見たが、あの人とは何かが違っていた。本能と感情による勘だった。それが二人に対して敵意を抱かせた。
 黒い人が手を伸ばす。その先にはあの紅い石があった。

 やめて。
 それはあの人が大切にしていたものだ。それはあの人のものだ。
 やめて。
 あの人は動かない。なら代わりに自分がそれを守らなくてはならない。
 やめて。
 身体はどうやっても動けない。この光から逃れるためにはもっと力がいる。
 そう、あの人が放ったようなあの光のような力が。
 欲しい。力が欲しい。こんな光を引きちぎる程の。強い光が。力が。



 力が、欲しい。



 クロノの指が触れる寸前、紅い宝石のロストロギアは禍々しい光を放ち出した。それと同時に、自分の背後で急激に膨れ上がる魔力を感じた。

「なっ!?」

 振り向くと少女が点滅するような白い光を放っていた。拘束しているバインドがギチギチと軋んでいた。

「ク、クロノ君っ?」
「飛ぶぞ!!」

 まずい。そう直感的に判断したクロノはなのはの腕を引っ掴み、飛行魔法を唱える。なのはは引きずられる様にクロノと宙を舞った。
 少女の放つ光は段々と大きくなっていった。光に押し出されるように少女は初めて声を上げた。それはほんの小さな呟きだったがすぐに森を震わせるほどの咆哮へと変わった。絶叫にもその叫びに裂かれるように魔力の鎖は砕けた。
 上に逃れたクロノとなのはが森を抜けると、同時に巨大な白い閃光が辺りを染めた。その眩しさに二人は目を覆った。
 光が収まる。目を開けた二人が見たのは、高々と聳え立っていた森の木々以上の体高を誇る白い魔獣だった。周りの木を押し退けるように現れたその白の巨体は緑の森の中でひどく目立っていた。

「あれ、あの子………?」

 クロノは答えない。それがわかりきった答えだったからではなく、目の前の事態に愕然としているからだ。
 眼下にいる魔獣の魔力量は異常だった。正確な数値まではわからないが、自分やなのはの魔力量を軽く超えている。いくらロストロギアの影響を受けているからといっても度が過ぎている。あの少女は潜在的に巨大な魔力を秘めていたのだろうか?
 魔獣の顔がこちらに向く。クロノはようやく意識を思考から目の前に戻した。魔獣から魔力の波動を感じると同時に叫ぶ。

「よけろ!!」
「っ!」

 魔獣は鋭い牙を有した口を開けると斜めから切り上げるように首を振るった。口から放たれた白い閃光がクロノとなのはに向けたれた。
 左右に弾くように閃光をかわす。そのほとんどは空に向けられていたが僅かに射線上にあった森の一部が抉られる様に裂かれた。

「なんて威力………っ!」

 ほとんど魔力の溜めがなかったにも関わらず、魔獣から放たれた閃光はなのはの砲撃魔法と同等の威力を誇っていた。
 魔獣に魔力量だけでない脅威を感じたクロノは反撃を試みる。S2Uを魔獣に向けるクロノになのはは驚いたが、気にしている余裕は無い。気遣うことが出来るような生易しい相手ではないのだ。
 S2Uに指示を送る。選択する魔法はブレイズキャノン。威力に射程、発射速度のバランスが取れた高水準の砲撃魔法であり、クロノの主戦魔法の一つである。
 完成した魔法をクロノは躊躇いなく、魔獣に放つ。青い光がこちらに顔を向けたままの魔獣に迫る。まともに直撃すれば、高ランクの魔導師でも落とせる威力を持つ魔法である。いくら巨体を誇ろうとただではすまない。

「えっ!?」

 なのはが驚いたのは無理も無い。その青い光は魔獣に届くことは無かった。当たる寸前で魔獣を囲むように発生した魔力障壁に阻まれた。魔力同士の接触するまで視認出来なかったほどの薄い障壁。だが、その薄さに反してその障壁はブレイズキャノンをあっさりと弾くほどの堅牢さを見せていた。
 何もかもが化け物染みていた。形勢の不利を悟ったクロノは即座に決断した。

「一旦、引くぞ!体勢を立て直す!!」
「う、うんっ!」

 事態の速さについていけず、呆けていたなのはに声をかけ、その場から離脱を試みる。離れていく二人を魔獣は咆哮を上げながら追いかける。森がその巨体の行く手を阻むが、それでも凄まじい速さと勢いで迫ってくる。
 森と言う障害のおかげで、なんとか魔獣より速い速度で飛行するクロノとなのは。全力で飛行し、森を抜けて草原に降り立ってからクロノはアースラと通信を繋げた。

「こちら、クロノ!聞こえるかっ!?」
『こちら、エイミィ!一体どうしたの!?』

 すぐさま、返答が返ってきたが、聞き慣れた声は慌てていた。向こうでもあの魔獣の魔力を探知したのだろう。クロノは状況を説明した。

「対象のロストロギアが発動した!近くにいた正体不明の少女を取り込んでいる!今は白い魔獣の姿でこちらに襲い掛かっている!敵の魔力量を教えてくれ!」
『了解!もう計測はしてるからすぐに………っ!?』
「どうした!?」
『た、対象の魔力数値、二百九十万、いえ、三百万を突破!なおも上昇中!』

 息を呑む。その数値は自身の最大魔力発揮値に迫る数字だ。上昇を続けているというからにはその数字を上回るのは時間の問題だろう。

「フェイトとアルフはどれくらいでこっちに来れる!?」
『あと十分!それまでには必ず………?』
「今度はどうした?!」
『あ、……いや、対象のバイタル反応なんだけど……』
「バイタル反応がどうした!?はっきり言ってくれ!」
『……バイタル反応が魔力に反比例するみたいに落ちてってる。このままだとあと十五分後には完全に停止しそう』

 その言葉にクロノは事態を理解した。あのロストロギアはジュエルシードと同じ『願いが叶う』宝石なのだろう。しかし、次元干渉型エネルギー結晶体であるジュエルシードに対してあのロストロギアは願いを叶える為に対価を必要としているのだ。その対価は生命力。すなわち命である。
 クロノは舌打ちした。命を対価に発動するロストロギアは総じて高い効力を発揮する。あの少女の潜在性とロストロギアの効力が合わさってあの尋常で無い魔獣は生まれたのだろう。
 だが、今の通信で突破口も見えた。

「わかった!こちらはフェイトとアルフが来るまで持たせるから少しでも早く頼む!」
『了解!頑張って!』

 通信が切れる。フェイトとアルフが到着するまであと十分。あの魔獣が森と言う障害を抜け、草原に出ればその巨体に似合わぬ速度を遺憾なく発揮するだろう。そうすれば逃げ切ることは出来ないがそれでも五分は時間が稼げる。その時点でフェイトとアルフが来るまであと五分。その五分間を凌げれば彼女達がやってくる。その五分後には魔獣は生命力を失い、ロストロギアは活動を停止させる。フェイト達がいればその五分を凌ぐことは簡単とまで言わないが難しいことでは無いだろう。つまり一番問題なのはフェイト達が来るまでの五分間だけだ。
 少しでも時間を稼ごうとクロノは飛行魔法を詠唱しようとする。そこで彼はようやく無言で森を見据えているなのはに気が付いた。

「なのは?」

 なのはは答えない。一歩踏み出してレイジングハートを構えた。クロノは驚いて声を上げた。

「なのは!何を考えている!?」

 なのはの行動の意図はすぐにわかった。彼女はフェイト達が来る前にあの魔獣と正面切って戦うつもりなのだ。だが、何故そうしようと考えたのかは全くわからなかった。

「なのは!」
「このまま、放っておいたらあの子死んじゃうんでしょ?」

 なのはの横顔を見る。そこには異世界の自然にはしゃぎ、笑っていた顔はなかった。一度決めたことは必ずやり遂げると言う決意を秘めた顔だった。その顔をクロノはよく知っていた。

「確かにそうだが、危険すぎる!ここは引くべきだ!」

 どれだけ叫んでもなのはは動じない。自分の決意だけを示すように語る。

「あの子は、あの子にとって大切なものを守ろうとしてただけ。それを私達が触れようとして、それを守るためにあの子が死んじゃうなんて、嫌だ」
「しかし!」
「それに!」

 なのはが声を荒げた。驚いたクロノは口を噤んだ。

「あの子がここまで来たら、この周り一帯がメチャクチャになっちゃう」
「それが………」
「ここは」

 なのはが少し悲しそうにクロノを見た。間違いに気づかない子供を諭すように微笑みながら言う。

「クロノ君の、大切な場所でしょ?」

 クロノは完全に言葉を失った。頭と心が真っ白になった。一瞬、なのはの言葉の意味を見失うほどの衝撃だった。
 なのはが正面を向く。カートリッジがロードされ、レイジングハートから薬莢が一つ飛び出した。先端が開いて槍のような形状になった杖に、桃色の翼が広がる。続けて残りのカートリッジが全てロードされる。魔力の規模からおそらくなのはの魔法の中で最大の威力を誇るスターライトブレイカーを放とうとしている。
 俯いてクロノは自問する。彼自身はここがそこまで大切な場所ではないと思っている。確かにここには思い出がある。しかし、それは過ぎ去った過去のことだ。それに捕われる気は無い。彼女にこの場所の事を話したのにも深い意味は無かった。ただ、そんなことがあったと、取るに足らない昔話をしただけのつもりだった。
けれど、彼女はそれが大切だと言った。
 その時の自分はどんな顔をしていたのだろうか。彼女にそう思わせるほどの表情をしていたのだろうか。そんなに感情を込めていたのだろうか。自分のことなのにわからなかった。
 わからなかったが、彼女はそれを守ろうとしている。自分の思い出を、魔獣に姿を変えてまで大切なものを守ろうとして自分に襲い掛かろうとしている少女の命を。大切だと思えるものを、危険を顧みず守ろうとしている。
そんな少女だからこそ。彼女が管理局に入ったとき、きっと多くの人が救われるだろうと思ったのではなかったか。
 自分は、その少女の決意を止めようと言うのだろうか。
 クロノは計算する。
 ブレイズキャノンを弾いた堅牢な障壁。その様からどれだけの防御力を有しているのかを。そこに、なのはの戦闘力を加える。初弾となるスターライトブレイカーの威力。予測では一撃で倒しきる事は出来ない。その後のなのはと魔獣の戦闘による周囲の影響。
 その計算に自身を加える。その場合における、周囲に最も被害を出さずにすむことが出来る戦術を計算。そのための手段、それによって起こる全ての結果を構築する。
 決意は固まった。

「なのは」

 なのはに呼びかける。術の展開を行っているなのはは振り向かない。

「スターライトブレイカーでもあの魔獣を一撃で止めるのは不可能だ。ここで戦闘が行われれば辺りの被害は免れない」
「クロノ君」

 邪魔をしないでと言わんばかりに険を含んだ声だった。その声にクロノは苦笑しながらなのはの隣に立ち、S2Uをレイジングハートに重ねるように合わせた。その行動に今度は戸惑った声がした。

「クロノ君?」
「君は魔法の制御と狙いにのみ集中しろ。術式は僕が構築する」

 なのはの顔がさらに戸惑う。全くわかっていない。クロノは諦めたようにため息をついた。自身に確証はないが、彼女の言葉を信じて言った。

「確かにここは大切な場所だ。だから僕にも守らせてくれ」
「……うんっ!」

 二人の足元に巨大な魔方陣が展開する。桃と青、二つの魔方陣が交錯するように回転する。

「作戦を伝える」

 あの魔獣の障壁は城壁のように堅牢だ。あれに阻まれてはどんな大出力魔法でも一撃で魔獣まで倒しきる事は不可能だろう。
 だから、魔獣ではなくそれを顕現させている大元のロストロギアを潰す。
 それがクロノの作戦であり、そのための術式を組み始める。

「狙いが逸れたら、意味がないが君の技術なら十分に可能だ。だから何があっても他には目をくれるな」
「うん!」

 なのはから魔力が流れ込んでくる。その魔力と自身の魔力を組み合わせて術式を構築。構築され意味を持ち増幅された魔力がS2Uを通してレイジングハートに送られ、魔法が展開される。
 レイジングハートに送られてくる術式を、制御しながらなのはは顔を顰めた。クロノの構築した術式によって発動しようとする魔法の圧力は尋常ではなかった。暴れまわると言うより押し潰そうとするかのような圧力を押し返すように抑えながら、クロノの言われた通り、正面を見据える。魔獣は目視できる距離まで迫ってきていた。ここまで来るのにそれほど時間は必要ないだろう。
 魔力供給から術式の展開の速度が上がる。開ききった蛇口のような勢いでクロノに魔力が流し込まれる。その余りの魔力の量にクロノは目がくらんだ。上がりそうになった呻き声を奥歯を噛み砕くようにして堪える。そんな事でなのはの気を逸らすわけにはいかない。S2Uを持つ右腕に『何か』あったようだが、魔力で満たされた身体では何も感じることが出来なかった。身体に走る感覚の何が正常で何が異常なのかもわからない。それを考える暇があるなら術式の構築をするほうが先だ。クロノは隣にいるなのはのことも考えず、ただただ機械的に術式の構築に没頭する。
 レイジングハートとS2Uの前に魔力球が形成される。注ぎ込まれた魔力に反してその魔力球は不自然すぎるほど小さかった。今は人の頭ほどの大きさだ。だが、クロノの思い描いている形と比べればそれはまだ大きかった。
 突破することも困難な障壁を破り、魔獣の体内にあるロストロギアを撃ち抜く。そのために必要なのは、すべてを破壊しつくような威力は必要ない。一点だ。ただ一点、何者にも遮ることが不可能なほど凝縮された威力が必要だ。
 二人の魔力によって作られたそれは、圧縮に圧縮を重ねた超高密度の魔力球。未だもって圧縮を続けるそれはその大きさをさらに縮めていた。
 魔獣が怒涛の勢いで突進してくる。ここまで来るのに十秒とかからないだろう。それでもなのはの瞳は揺るがない。もうすぐ完成する魔法のための制御と狙いに集中する。
 魔力球はなのはのちいさな手の平でも掴めるほど縮まっていた。初めて放つ魔法だが送られてきた術式からその名はすでに決まっていた。

「シューティング」

 術式が完成する。魔力球を環状魔法陣が覆う。覆いつくすように飛び掛る魔獣。その魔獣に向かって、その名に相応しい魔法を紡いだ。

「スターブレイカーーーーーーーーーーー!!!!」

 紡がれた魔法は戒めから解き放たれたように発射された。その余りの反動になのははレイジングハートごと吹き飛びそうになる。しっかりと握っていなければレイジングハートは流されるようにどこかに飛んでいったことだろう。
 その名の通り、流星のごとく放たれた魔力は、一秒に満たない時間で魔獣を肉迫し、異常なほどの堅牢を誇っていた障壁をすり抜けるように貫き、魔力の塊である魔獣の身体を穿ちながら体内のロストロギアを飲み込んで魔獣の肉体を貫通し、それだけでは留まらずそのまま天高く駆け、成層圏に到達したところでようやく力を失った。見るものが見れば、地に向かうはずの流星が空に戻るかのように見えただろう。
 その間、約三秒。反動に吹き飛びそうになったなのはが体勢を整えなおすよりも短い時間の出来事である。
 ひどい反動に目を瞑ったなのはが目を開けると、白い魔獣は白い粒子となってその身を崩壊させている様だった。どうやら、ロストロギアの破壊に成功したようだ。

「やったね、クロ………」

 クロノに振り向いたなのはが凍りつく。

「クロ…ノ……君………?」

 目の前の事が理解できなかった。
 クロノの右腕を覆っていたバリアジャケットは肩口から存在していなかった。袖口は焦げたように切れ、むき出しになった腕はバーナーで炙られたかのように焼き焦げていた。
 吐き気を催す生臭い匂いがする。クロノがS2Uを手から落とすとベリベリという音がした。落ちたS2Uは草むらを焦がして煙を上げた。握っていた場所には手形が残っていた。
 S2Uの後を追うように、クロノが膝を折った。

「クロノ君!?」

 慌ててなのはがクロノの右腕に触れる。

「っがぁあ!!」

 僅かに指先が触れただけでクロノがらしからぬ叫びを上げた。手を引っ込めたなのはは右腕に触れないよう注意しながら寄り添う。

「クロノ君!?クロノ君!!」

 呼びかけに答える余裕はクロノにはなかった。全身という全身が痛みを発している。全身に針を打ち込まれたかのようだ。特に右腕がひどい。こっちは針どころか隙間なく内と外からナイフで貫かれたようだ。しかもグリグリと捻じ込まれているかのように、痛みは酷さを増している。激痛の余り、気を失うことも出来ない。
 なのははどうする事も出来ず、クロノの名を呼び続ける。そんな彼女に通信が入った。

『なのはちゃん!どうしたの!?クロノ君のバイタルが急に!!』
「エイミィさん!クロノ君が!!」

 すがるようにエイミィに叫ぶなのは。何が起こったかはわからないが状況はわかった。すぐに通信を医療班に向ける。

『医療班!テレポーターに急いで!重傷者が一名!!』

 それから五分。なのはにとって拷問のように長く感じた時間が経過してから、フェイトとアルフを乗せる予定だったテレポーターから医療班がやってきた。





 なのはは足取り重く、本局内の病院を歩く。どんな顔で会えばいいのかわからない。なにを言えばいいのかわからない。それもでなのはは行かなくてはならなかった。
 あの任務から一週間が経っていた。アースラに運ばれたクロノは艦内で緊急手術、本局に戻るとそのまま手術の続きが行われた。それから意識を取り戻すまでの三日間、クロノは文字通り生死の境を彷徨っていた。
 手術が行われ、峠を越すまでは家族ですら面会することが出来なかった。三日目に意識を取り戻したところでようやく家族のみの短い面会が許された。それから体調が回復していくにつれ面会時間は長くなったがまだ家族以外の面談は許されなかった。そうして一週間が経ち、ようやく家族以外の面談が許されるようになった。
 病室の前に立つ。ノックしてからスイッチを押して扉を開く。中に入ると、傾いたベッドに横になっているクロノがいた。個室のため、彼以外の患者はいない。

「なのはか」

 その声に、なのはの胸が安心と罪悪感で一杯になる。何も言えないまま、頷くとベッドの側にある椅子に腰掛ける。窺うようにクロノを見ると、右腕の包帯が目に飛び込んできた。袖を通すのも困難なのか服に右肩を通さず肌蹴ていた。また胸が痛んだ。

「身体の具合はどう?」

 言わなくてはいけない事があるがまずはそれが気になった。クロノは世間話でもするかのようにあっさりと話した。

「右腕以外の傷は治療魔法で完治したよ。体力はまだ戻りきってないけど右腕が直る頃には戻っているだろう」

 胸の痛みが大きくなる。治療魔法と言えば聞こえはいいが、その実態は生命操作であり、過度の治療魔法は人体に影響を及ぼす。クロノの右腕は今受けている治療魔法以上の回復が出来ないほど傷ついたのだ。
 謝らなくてはならない。彼は自分のために傷ついたのだ。そのためになのははクロノに会いに来た。

「クロノ君、あの」

 決意して、顔を上げたところでノックの音が響き渡った。遅れて開いた扉から制服姿のリンディが入ってきた。なのはの姿を見つけるとにこやかに挨拶した。

「あら、なのはさん。こんにちは」
「こ、こんにちは。リンディさん」

 思わず、声が震えた。リンディの立場から見れば自分は息子に怪我を負わせた張本人なのだ。それを責める様な人物で無いとわかっていても恐縮してしまう。

「さて、クロノ執務官。今日は確認と報告のためにきました。なのはさんもいることだし丁度いいわ」
「なんでしょうか。艦長」

 クロノとリンディの口調が事務的なものになる。なのはは戸惑って二人を見比べた。

「まず、あなた達が会ったと言う少女ですが、無事に保護されました。やはり人間ではなかったようなので今は生態課でこれからの事を検討しています」
「わかりました」
「それと最終的な確認になりますが、今回の件は全てあなたの判断と言うことでいいのね」
「その通りです」

 その会話になのはは嫌な物を覚えた。何を話しているのかわからないが悪い事が進んでいることだけはわかった。そういえば、この一週間、しつこい位に任務のことを聞かれたがなにか関係があるのだろうか?

「わかりました。……クロノ執務官、あなたには二ヶ月の減給と退院後、一週間の謹慎を命じます」
「え………?」

 リンディが何を言っているのかわからなかった。

「了解しました。寛大な処分に感謝します」
「正式な通達は後日行います。……なのはさん、私は仕事に戻りますけどゆっくりしていって」

 それだけ言うとリンディは病室を出ようとする。

「ま、待ってください!」

 大声でリンディを呼び止めた。ほとんど叫び声に近かった。

「何か?」
「クロノ君は悪くありません!私がやろうって言ったんです!」
「いえ、最終的な判断を下したのは僕です」
「クロノ君!!」

 クロノに振り向く。ほとんど無表情のまま、クロノは言った。

「なのは。あの場における責任者は僕だ。あらゆる責任を僕は負う義務があるし、君は責任を負える立場じゃない」
「で、でも………」
「仮に、君が責任を取ろうと言うなら、管理局解雇もありえるぞ。そうすればデバイスを持つことも許されない」
「っ!」

 その言葉になのはは押し黙ってしまった。それでも足掻く様に言葉を続ける。

「で、でも私達がしたことってそんなにいけないことじゃ……」
「あの時の任務の目的はロストロギアの回収だ。それを僕達は破壊した。破壊された事でどんな影響が出るかわからないのにだ。ある程度体系はあっても何が起こるかわからないのがロストロギアだ。それを本局の許可なく破壊したのは立派な違反だ」
「そうね。あの辺り一帯の環境を守るためと、ロストロギアに取り込まれた女の子の救助を理由にしただけじゃ、足りないわ」
「た、足りないって……」
「それに時間を稼げば、フェイト達も来れた。救助に入るのはそれからでも遅くないというのが一般見解だろうな」
「そういうことです。私からこの件についてこれ以上言う事はありません。それでは仕事に行ってきます」

 リンディが病室を出る。今度は呼び止められなかった。
 なのはは苦渋に満ちた顔で立ち尽くした。そのなのはを慰めるようにクロノが言った。

「気にするな。思ったより処分は軽かったから良かった方だ」
「お、思ったよりって……!?」

 それはつまり、こうなるとわかっていてなのはに協力したということだった。慰めのつもりの言葉は逆効果になり、なのはは泣き出す寸前の顔になる。

「クロノ君………、どうして………?」

 彼の顔を見る事が出来なかった。なのははクロノがアースラに運び込まれた時の事を思い出した。
 運び込まれるクロノにフェイトは顔面を蒼白にした。何の反応も示さないクロノにほとんど半狂乱で泣き叫びながら近づこうとした。あまりの様子にアルフが押さえつけた程だ。実際、押さえつけなかったら治療の妨げになっただろう。
 その様子を呆然となって見ていたなのはに医療スタッフが声をかけた。クロノの怪我の原因を知るためになのはに詳しい説明を求めたのだ。なのはが事細かにその時の様子を語るとスタッフの男は信じられないと言った様子で口を手で覆った。
 クロノと放った魔法は、確かに制御に苦労したがなのはにしてみれば魔力を送り込んで勝手に魔法が作り上げられたくらいにしか感じられなかった。だが、クロノが行ったことはそんな簡単なことではなかった。
 クロノが行ったのは供給された魔力の増幅と術式の構築。つまりデバイスの役割だ。クロノ自身がS2Uと共になのはのデバイスとなって魔法を作り上げ、さらには自身の魔力を上乗せしてのブースト、カートリッジの役割まで行った。
 この時、なのはは魔法の構築にはまったく関わっていなかった。クロノの作り上げた術式には寸分の狂いも許さない高度な魔術計算が必要だった。自身の経験と知識を合わせて作り上げた理論的な術式は、感覚で魔法を組んでしまうなのはとは対極に位置している。それ故に、構築になのはの力を借りるわけにいかなかった。借りれば構築に失敗する可能性が高かった。
 そして、その行為はクロノの限界を遥かに超えていた。術式の構築が追いつかず、過剰に供給された魔力は体内で暴れまわった。特に術式の伝達をしていた右腕には行き場のない魔力が溜まりに溜まって、自身のバリアジャケットを焼き尽くし、腕を焦がした。
 また処理限界を超えたS2Uも放熱が追いつかず、熱した焼き串のように膨熱した。むき出しになった右の手の平の皮膚に張り付き、手放した時には張り付いた皮膚を剥がしていった。現在、装備課に送られているが過剰処理によって回線を焼き尽くしたS2Uの修理はいまだ完了していない。
 説明を受け、顔に血の気を失ったなのはに医療スタッフは聞かせる必要のない言葉を聞かせてしまった。

「こんな危険な真似、ハラオウン執務官ほどの人ならやる前からわかっていたでしょうに……」

 クロノはわかっていたのだ。自身が死ぬかもしれないほどの怪我を負う事も、自分のために責任を負う事になる事も、全てわかっていた。
 フェイトの事を思う。悲しいことは分け合おうと約束したのに、自分の感情に潰されて分け合うことが出来なかった。意識が戻った時、泣きながら報告したフェイトの顔が痛いほど焼きついている。
 リンディの事を思う。死に掛けた息子にあんな処分を下さなくてはならなかった彼女はどんな気持ちだっただろうか。エイミィから聞いた話では長時間に及んだ手術の間、リンディは一睡もしなかったそうだ。家族に、部下に、不安を見せまいと落ち着いているように見せた振る舞いが今は胸を抉る。
 全部、自分のせいだった。全部、自分が悪いのだった。
 俯くなのはから目を逸らし、クロノはぽつりと呟いた。

「僕の我侭、かな」

 なのはが顔を上げる。クロノが何を言っているのかわからなかったが、少ししてそれが自分の問いかけに対する答えなのだと気づいた。しかし、その意味を理解することは出来なかった。

「執務官という仕事をしていて、救えなかったものはたくさんある。本当にどうしようもなかった事。自分の力量が足らなかった事。大局のために切り捨てたもの。色々だ」

 クロノの口調は淡々としていたが、今語っていることは自身の失敗に他ならない。先ほどの答えとなんの関係があるのかわからなかったが、一言一句聞き逃さないよう、耳を傾ける。

「中でも一番堪えたのは、手を伸ばせば救えたかもしれなかったものに手を伸ばさなかったことだ。どんなに言い訳してもそれだけはしょうがなかったと諦める事が出来なかった」

 以前、フェイトが言っていた言葉を思い出す。終わった事件を後悔しすぎてはいけない。それはクロノが言っていた事だとフェイトは言っていた。けれど今、クロノは終わった事件の事を語っている。もしかしたら、その言葉はクロノが自身に言い聞かせている言葉なのかもしれない。

「我侭というのは、なのは。君にそういう後悔をしてもらいたくなかったということだ」

 出会ったばかりの頃の事を思い出す。その時、まだ敵対していたフェイトを助けるため、なのはは命令を無視してフェイトの元に向かった。
 あの行為には呆れ果てたが、救えたかもしれないと後悔した昔の自分だったらその思い切りのよさを羨ましく思ったことだろう。

「君は、あの少女を守りたいと言った。あの場所を守りたいと言った。それは手を伸ばせば救えたかもしれないものだった。それを止めて、君に後悔してもらいたくなかった」

 あの時のことが全て正しいとは言わない。管理局の仕事を続ければこういう事はいくらでもある。もしかしたら、なのはが直面しなくてはならない問題を先送りにしただけかもしれない。
 けれど、可能な限りは彼女の心を守りたいと思った。

「でも、そのせいでクロノ君が………」
「確かに、今回はお世辞にもうまくやったなんて言えないな。君にも家族にもスタッフにも心配をかけた」

 クロノは苦笑していたが、声は明るかった。何故そんな声で話せるのかなのはにはわからなかった。

「でも、救えた。あの子も、あの場所も。僕一人でも君一人でも救えなかったものを二人でなら救えた。これはとても大きな事だ。次からはもっとうまくやれるようにすればいい」

 クロノがなのはに顔を向ける。窓から刺す日差しに照らされたクロノの顔は本当に優しい顔をしていた。

「だから、なのは。これからも、一緒に頑張って欲しい」

 クロノは満面の笑顔で、心からの言葉を伝えた。



 ドキン

(あ、あれ……?)

 なのはの鼓動が急激に早くなった。あれだけ沈んでいた気持ちは異常なほどの加速を開始した血液の流れに流されてしまった。体温が上がっていくのがわかる。頬もなんだか熱い。クロノの顔を見ているのになんだかぼやけて見える。じっと見ようにもその行為がなのはにはひどく恥ずかしかった。

「……?どうかしたか?顔が赤くなっているが………」
「ななななな、なんでもないよ!」

 飛べるんじゃないかという勢いでなのはが両手を振る。顔は熱でもあるんじゃないかというほど赤い。どう見ても普通じゃない。まあ今回の件で色々気苦労をかけたし、彼女も調子が悪いのかもしれない。

「体調が悪いようなら、もう戻ったほうがいいと思うが……」
「そ、そんなことないよ〜!」

 そこにまたもノックの音が響いた。入ってきたのは食事を持って来た看護士だ。なのはに軽く会釈し、クロノに体調を聞いてから、食事をおいて出て行った。

「すまないが、食事にさせてもらうよ」
「う、うん………」

 なのははクロノの一挙手一投足を窺う。理由も無いのにクロノを見続けた。視線を感じたがクロノは何も言わない。それよりも食事が困難だったからだ。
 クロノの動きを追っていたなのはは、クロノが食べ辛そうに食事をしている事にすぐに気が付いた。利き腕である右腕は動かせないのだ。左手でぎこちなくフォークを使っている。

「………クロノ君」

 今回の件でクロノには迷惑をかけた。だから出来ることがあればなんだってしてあげたかった。

「食べさせてあげよっか?」

 何故か湧き上がる恥ずかしさを堪えながら言う。クロノは固まって左手からフォークを落とした。





 なのはがそうしたいと思った感情がなんなのか。それに気づくのはまだ先の話である。

 なお、二人が保護した少女は、検査の結果、絶滅寸前の『幻獣』と呼ばれるものの幼体だとわかり、礼状を贈られる事になるのはまた別の話である。





オリジナル魔法解説

シューティングスターブレイカー
射程 S+ 
攻撃力 S 
発射速度 E
弾速 SS 
 なのはとクロノの連携砲撃魔法。一点突破を目的とした魔法で二人の魔力を超圧縮して放たれる。一点に威力が集中されているため、驚異的な射程と弾速、実際の攻撃ランクよりも高い貫通能力を誇る。しかしそのために接触面以外にはなんの効果も及ぼすことが出来ない。バリアを貫通しても、バリア自体を砕くことが出来ないのだ。その特化した性質により、汎用性は低い。
 この魔法を実戦レベルに持っていくには二人の役割の分割と連携を深めなければならないが、その日はそう遠くないのかもしれない。



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