リリカルなのは SS

白の現実
(Song to you forever 加筆版)

「フェイトちゃん、いた!?」
「ううん、でもまだそう遠くには行ってない筈!」
「そんならなのはちゃんはあっち、フェイトちゃんはそっち、私はこっちや!」

 そう言って三人はマンションの一階ロビーから飛び出ると三手に別れた。 身体能力の高いフェイトは大丈夫だと思うが、車椅子のはやてや体力の無いなのはが夏の暑さで倒れないか心配だ。そう思いつつ、クロノはロビーの柱の影から姿を現した。

「読みはよかったが、まだまだだな三人とも」

 まだ遠くに行っていない事を読んだまではいいが、逃げた相手がすぐに遠くに逃げるとは限らない。近くに身を潜めて追っ手をやり過ごすのも逃走手段の一つだ。今度その辺りについて三人に講義しようかと考えながらクロノはロビーを出る。

「っ」

 突き抜けるような日差し。目が眩むような夏の太陽にクロノはまた駆け出していった三人を心配する。もっとも、そう思っていても今は伝えられない。何故ならクロノは今その三人から逃げている最中だからである。
 やれやれ、と今の状況にため息をつきつつ、クロノは熱気の篭った空気の中を歩き出した。



 事の発端はこうだ。
 先日、任務の際ロストロギアに取り憑かれ、一週間以上もの間クロノは意識を失い、その間彼の関係者は眠り続けるクロノに代わる様に眠れぬ日を過ごし続けた。クロノが目を覚ました時の安堵の様といったらとても一言で語れるものではない。それほど皆クロノの身を案じたのだ。
 が、当の本人にして見れば何日寝ていようが短い時間の出来事であり、身体に多少の気だるさを覚えてはいたが検査では異常なし。退院するとすぐさま職務に戻ろうとした。
 しかしそれを回りは許さなかった。ただでさえ怪我の多いクロノだ。誰も彼もが打つ手を持たず、ただ身を案じるしかなかった心境を考えれば働くなどもってのほか。数日は静養するべきだと、ありとあらゆる手を使ってクロノの即職務復帰を妨げたのだ。まさか本局長から通達が来るとは思わなかった。どんなワザを使ったんだウチの母は。
 そんな訳で本局にもアースラにも留まれず、自宅静養することになったクロノだったが。

「クロノ君、今おしぼり絞るからね」
「クロノ、お腹空いてない?今作るから待ってて」
「クロノ君。汗かいたら着替えた方がええよ。着替えどこに仕舞っとるの?」

 そこで待っていたのはどう考えても気が休まらない状況だった。
 もう一度言うが検査では異常がなかったのだ。体調もほぼいつも通り。本人からすれば病人扱いされる理由は全くないのだ。にも関わらずベッドに横になる事を強要され、身を起こすだけで何事かと詰め寄られるのだ。クロノが意識を失ってから病院に泊まり込みまでした彼女達からすれば当然の事なのかもしれないが、こんな状況で落ち着ける筈も無い。
 そんなわけでクロノは脱走を試み、三人がそれを追うという現状に至るのだった。







 三人がマンションに隠れていた自分を探して見当違いの方向に向かって行ったからとりあえずしばらくは遭遇することはないだろう。あとはばったりと出くわさないよう注意しながらクロノは時間を潰そうと翠屋のある商店街を目指す。
 その途中、クロノは散歩ついでに公園に立ち寄った。昼食には少し早かったし、実のところそれほど腹は減っていない。持て余し気味の時間を少しでも潰そうとしてその構内をのんびりと歩いていく。

「クロノ──────!!」

 そこをどでかい声で呼ばれた。聞き覚えのある声だ。何事かと思って辺りを見回すが声の主はいない。だが、咄嗟の判断で近くの樹木に身を潜める。しばらくすると声の主が向こうから現れた。

「クロノ────!出てきやがれ────!!」
「ヴィータちゃん。そんなに大声で呼んだらかえって出てこないと思うわよ?」
「いーんだよ。あっちはあたし達が追ってるなんて知らないんだから」
「それはそうだけど」

 追っている?何故ヴィータ達が?
 その言葉に嫌な想像を抱きながら、クロノは情報を聞き逃さぬよう聞き耳を立てる。

「それにしても暑いわねー」
「我慢しろよ。あたし達ははやての騎士で、はやてにお願いされたんだからしっかり役目を果たさないと」
「そう言いつつ、恨みの篭った眼で素振りしてる辺り、本音が出てるわよヴィータちゃん」

 間違いない。どうやらはやては増援を呼んだ様だ。もしかしたらヴォルケンリッター全員を投入しているのかもしれない。

「う〜ん、クロノ君には悪いけど探索魔法を使おうかしら?そうすれば歩く必要がずっと減るし」
(まずい!)

 今探索魔法を使われればここに隠れていることがばれる。動こうにもシャマルのそばにいるのは紅の鉄騎。小さかろうが幼かろうがベルカの騎士だ。この距離で迂闊に動こうものなら気取られる。緊張に身が硬くなった。

「いいよ、そんなの。まどろっこしー。そんなんだからシャマルはいっつも腰回りの心配なんかしてんだ」
「うっ!?い、言ったわねヴィータちゃん!いいわ、今日はこの先どんなに頼まれても探索魔法使わないんだから!」

 そう言ってシャマルは伸ばそうとした手を引っ込めて威圧感を振りまきながら去って行った。ヴィータもさきほどのように大声でクロノの名を呼びながらそれに続く。その後姿が見えなくなってからクロノはほっと一息ついた。
 しかしまずいことになった。この分だとおそらく翠屋にも自分の捕縛指令が届いているだろう。立ち寄ってコーヒーの一つでも飲んだ途端、意識を失って起きた時にはベッドに括りつけられてもおかしくはない。その光景が何故かリアルに想像され、クロノは頭を抱えた。
 半ば自業自得だがこれじゃ結局気が休まらないじゃないか。そんな感慨を抱きながら。






 その後のクロノの動向は脱獄者そのものだった。案の定、周囲を警戒しながら町を歩いているとシグナムの姿を見つけた。それだけならまだいいが、何かを探している様子の恭也と美由希を見つけたときは心底驚いた。
 身を潜めて二人をやり過ごして安心していると何故か野良犬がこちらを見定めるように見ていてギョッとした。深く考えないようにしてその場から離れるとすぐにザフィーラに遭遇して天は我を見放したかと嘆いた。が、彼は何も言わず何事も無かったかのように自分の横を通り過ぎていった。振り返るがかける言葉が見つからない。その背が全てを語っていた。クロノは確かな友情を感じながらその場から駆け出す。
 そうして、ザフィーラに見逃してもらったクロノだったが、今また次の追っ手に遭遇していた。

「見つけたよ、クロノ」
「ユーノか………っ!」

 まさか、無限書庫にいるユーノまで引っ張ってくるとは。
 その姿を見てクロノが奥歯を噛み締める。普段であれば、どうとでもあしらえる相手。だが、今のクロノは姿を見つけられただけで負けなのだ。念話の一つでも送れば自分の所在が伝わってしまう。残る手は、念話を送られる前に気を失わせてそこの路地裏にでも捨てておくくらいでそれも実行できるか怪しい。しかし、クロノは一縷の望みを託して四肢に力を込める。
 けれど、そのクロノとは対照的にあっさりとした態度でユーノは道を譲った。
「ユーノ…………?」
「行きなよ。と言っても皆的を絞り出してきて包囲を縮めてきてるから逃げ場はあんまりないけど」
「いいのか、ユーノ。君は頼まれてここに来たんだろう?」
「よくないさ。なのはが僕を頼ってきてくれたのに、それを裏切るんだから」
「だったら………」
「でもね!」

クロノの言葉を遮るようにユーノが声を荒げる。

「それ以上に、僕は」
「…………」
「君がこれ以上美味しい目に合うのが許せないんだあああああああ!!」

 そこで本音言うなよ。
 クロノは先ほど自分を見逃してくれた蒼の狼との年季の違いを感じながらその横をすり抜けていった。








 そして、ここに至る。

「…………」

クロノは草原で風を受けていた。強い夏の日差しも、緑の囲まれたこの場所では柔らかく感じられた。そよぐ風を、揺れる草の音を、降り注ぐ光を目を瞑って感じ取る。
 ここは桜台の裏にある草原。春頃になのはに連れてきてもらった場所。故郷の、大切な思い出の場所と似ている場所。
 父との思い出の場所と似ている場所だった。

「…………」

 その場所で自分に取り憑いたロストロギアが見せた夢を思い出す。
 あれは自分が望んだ世界だと言われた。確かにあれは理想に近い世界だ。自分の大切な人達が傷を負う事の無かった世界。自身の安息が約束された世界。
 ───大切な人が存在していた世界。
 それを自らの手で断ち切った。
 何故だろうと思う。あそこは自分が望んだ世界だ。だと言うのに何故それを否定したのだろうか。朦朧とした意識の中、何故その答えを取ったのだろうか。思い出せない。考えてみるも、答えは出ない。しかし、言葉を借りるなら説明がついた。
 クロノ・ハラオウンは自分が悲しまないようにするために戦っている。自分が悲しまないためなら自身を顧みない。だからあの世界を否定した。
あの世界は大切だった人が存在する世界。それは悲しかった過去が側にあり続ける世界。だからあの世界を否定した。
 つまり、クロノ・ハラオウンは自身の安息よりも悲しかった過去を見つめ続ける事が耐えられなかったのだ。

「…………」

 その仮定をクロノは肯定するつもりはない。しかし、否定する答えをもち得なかったのも確かだった。
 もし、そうだとするならなるほど、確かに歪んでいる。
 こんな筈じゃなかった悲しみをなくしたい。それは自分が悲しみを見たくないから。だと言うのに、自分は悲しみにとても近い場所に生きている。どんな事件であれ、悲しみが無かった事件など有りはしなかったと言うのに。
しかし、その過程で一つだけ説明がつかない事があった。
 それは悲しみを忘れ、安息のみを約束された世界に誘われ、それでも現実に戻る事を選んだ自分の決断。自分が悲しまないことが大切だと言うのならば、何故自分は戻る事を選んだのだろうか。それにもクロノは答えを持ち得なかった。

「…………」

 クロノがその手にデバイスを取り出す。手にしたのは待機状態のS2U。父と母からの贈り物のストレージデバイス。あの夢の中、自分を後押しするようにありとあらゆる限界を超えてくれた半身に答えを求めるようにクロノは術式を送り込む。
 自身が望む効果を思い描き、それを生み出すための術式を構築し、それに魔力を通して望んだ効果を形にする。魔法を構築するためのプロセスをクロノは初心者のようにゆっくりと練り込む。
 そして魔法が完成する。
 それは敵を砕く攻撃でも、身を守る防御でもない。
 それは優しく響く、音の旋律。歌であった。
 その歌にクロノは身を委ね、思いを馳せる。
 元々S2Uは戦闘用のデバイスではなかった。魔法に興味を抱き始めた息子のために両親が考案した練習用のストレージデバイス。この歌は魔法の構築に成功すると、実際の効果のかわりに奏でられる術者への賛歌。我が子を褒め称える両親からの贈り物だった。
 もう何年も聞いていなかった子守唄のようなその歌が響き、風に乗る。
風に乗った歌は草原から抜け出すように辺りに運ばれる。
 歌は響く。
 優しくて傷つきやすい人を探す少女へ。
 頼りになるけど心配もかける義兄を探す少女へ。
 大切な者を奪った事を許してくれた人を探す少女へ。
 その少女たちと共に同じ人を捜す者達にも。

 歌は響く。
 迷える少年を慰めるように。






 歌が止み、クロノは閉じていた瞳を開く。
 答えは、出なかった。

「…………」

当然だろう、と思う。例えS2Uがインテリジェントデバイスで答えを返してくれたとしてもそれがクロノの望む答えとは限らないのだ。それを過去の歌一つで答えが手に入るほうがおかしい。

「僕、は………」

その何も得られなかった空虚に瞳がまた閉じられようとする。

「ここにいたんだ」

 それを聞き覚えのある声が止めた。

「なのは………」

 振り返るとなのはが待ち合わせをしていたかのようにそこに立っていた。草原の風に揺れる結った髪を押さえながらゆっくりと近づいてくる。

「やっと見つけたよ」
「よくここだとわかったな」
「歌が聞こえてきたの」
「歌………」
「うん。それでここの近くだって気づいてここかなって」

 そう言ってなのははクロノに近づくと叱り付ける様に見上げる。

「もう、クロノ君病み上がりなんだから出歩いたりしたら駄目だよ」
「ああ、そうだな。………すまない」

そう言うクロノの表情にはどこか物憂げな物があった。ここではない、どこか遠くに想いを馳せている様なそんな表情だった。

「クロノ君………」

 クロノがロストロギアによって眠り続けていた間、彼が何を見ていたかは誰も聞かされてはいない。ただ、初めて見た彼の涙が何か悲しい事があったのだと、それだけは伝わってきた。彼はまだその場所に捉われているのかも知れない。
 だから、その場所から引き戻すように。

「帰ろ、クロノ君」

 優しく、しっかりとクロノの手を取った。

「皆、待ってるから」
「………ああ」

 クロノがなのはの手を握り返す。その温かさに夢から覚めたように一つだけの答えを得る。
 あの世界はきっと理想の世界だった。それでも自分はこの世界に帰る事を選んだ。その理由ははっきりとしないが、きっとそれはこの世界にしかないものなのだろう。
 例えば、それはこの手を繋ぐ温かさ─────。

「帰ろう、なのは」

 クロノはそう言ってなのはに手を引かれる様に草原を後にする。
 望んだ世界への小さな後悔を置いて、小さな答えを握り締めて。







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