リリカルなのは SS

                       風の系譜
                      第一話 脱獄

 一条の光も届かぬ一室に彼女はいた。その一室で彼女は全身を鎖で拘束されている。身体を拘束する幾重にも撒かれた鎖はどこか棺を思わせた。その棺の中、彼女は待ち続ける。闇の中をただ意識だけがあるという気が遠くなるような状況の中、待ち続ける。
 ここは『トロメア』。時空管理局が管理する監獄の中でも最も警固が厳しい牢獄の一つだ。それは中に収容されている囚人の種類のためだった。
トロメアに収容されるのは、犯した犯罪自体は死をもって罰する程のものではない、けれどその能力や技能ゆえ決して社会に復帰させられない者達だ。彼女もまた自らが持つ知識ゆえにこの牢獄に閉じ込められている。
 つまりトロメアとはすなわち罪人が自然と死が訪れるまで永久に封じ込め、永い死刑執行を待つ犯罪者の収容所である。

「…………」

 彼女は何も見ることの出来ぬ闇の中で懸命に意識を守る。この闇に飲まれたら後は落ちるのみだろう。どこに落ちるのかは明白だ。この監獄は名が示すとおり、地獄に近いところなのだ。
 意識を保つために時を数えた時もあったが気が狂いそうになったのでやめた。色々と試したがやはりここを出た時のことを考えるのが一番自分を繋ぎとめるのに効果的だった。
 ここを出たらまず、体力を回復させなくてはならない。何をするにも身体は資本だ。だが、長い時間をかけるつもりはない。ある程度の目処がついたらすぐに研究に戻ろう。実のところ、動けないことよりもそれに触れる事が出来ない事のほうがよほど苦痛だ。だから、ここを出たらその分を取り返すように没頭するとしよう。そうして自分は夢を叶えるのだ。

(夢…………)

 そう、彼女には夢がある。ここに出た時の事は全てその夢に繋がっている。彼女は夢のために生き続けているのだ。
 それはこの暗闇の中、灯る唯一の光。故に自身の胸に宿るそれを見失わない限り、自分は闇に落ちることはない。だからその事を考えて続けて待ち続ける。
 その一方で彼女は外にも意識を集中させている。見る事は出来ない。言葉は発せない。匂いも感じられない。触れられるものもない。故に音だけは一つたりとも聞き逃さぬよう耳を立てる。僅かに聞こえる様々な音がこの闇の中で時が進む以外の変化だった。
 聞こえてくるのは守衛の足音、周りの牢にいる自分と同じ目に合っているであろう囚人の呻き声、時折様子を見に来た局員が開いた扉の音など気にしなければ聞き落としてしまうものばかり。けれど、それが無駄な行為だとは彼女は思わない。ただでさえ、稼動している器官が少ないのだ。五感のうち、唯一使うことが出来る聴覚まで使うことを放棄したら、意識の低下に繋がると考えている。

「…………」

 その耳にここに閉じ込められてから、初めて響く音が聞こえる。
 爆発音だ。遮る物、立ちはだかる者を粉砕しながら徐々に近づいてくるその音は久しく入ってこなかった大音量を聴覚に伝えてきた。

「…………」

 来た。そう思った。思うと同時に縛られた鎖の中、歓喜に身が震えた。
 やがて音は壁越しではなく、直接聞こえてきた。おそらく、扉を粉砕した破砕音。闇と夜程度の違いではあるが、薄暗い光が彼女のいる牢獄に差し込んだ。
 入ってきたのは一人ではない。複数の足音だ。それと扉が開かれた事から複数の爆砕音が辺りから聞こえてくるのがわかった。どうやら牢に入ってきた人間以外にもまだ仲間がいるようだった。
 牢に入った男達は、すぐさま彼女を拘束する鎖を取りにかかる。ただの鎖ではない。魔力を遮断し対象を拘束し無力化するバインドの効果をもつ拘束具だ。それをいくつもの解除魔法やデバイスを使って一つ一つ解除していく。
 そうして、戒めを解かれた彼女に男の一人が声をかける。

「お迎えに上がりやしたよ」

 その声に答える余裕はまだ彼女にはない。拘束を解かれたからといって、その間低下した機能はすぐに戻ってくるわけではないのだ。生きるのに支障がない程度にしか与えられなかった栄養は確実に身を蝕んでいた。

「………ええ、本当に心待ちしていました」

 それでも、彼女はひび割れそうな喉で言った。渇き切った喉はガサガサとして血を吐くかと思ったが、確かな声を響かせた。

「うちのボスもお待ちしてますぜ。ここを出たら何か欲しい物はありやすか?なんでも用意すると言ってますぜ」

 それを聞いた彼女は考える時の仕草としてこめかみの下辺りの手を伸ばして、途中で止める。目的のものがなかったからだ。今の今まで拘束されていたのだから当然のことだが、それを考えもせずその仕草が出た事に彼女は笑う。自分が変わっていないことの証明のようだったから。

「では一つ。眼鏡を用意してくれませんか?視力も落ちていることでしょうし、丁度いいです」

 そう言って彼女は、ここを出た時に欲しかった、ささやか過ぎる物の口にした。









 連絡は突然だった。
 なのは、フェイト、はやてが同じ教室で授業を受けている時に管理局から連絡が入った。一刻でも早く本局に出向いて欲しいとの要請に三人は何事かと思いながら口実をつけて学校を早退し、本局へと転送した。
 辿り着いた本局でなのは達は目を見張った。武装局員や捜査官、本局に勤める事務員など多くの局員が右へ左へと慌しく廊下を駆ける。

「どうしたんだろ………?」

 その物々しい様子に戸惑いながら三人は指定されたブリーフィングルームへと急ぐ。廊下を行き来する局員の合間を縫うようにして着いたその部屋にはすでに仲間達が揃っていた。
 アースラで航行中だった筈のクロノ、海鳴市で家族の帰りを待っていたはずのアルフ、無限書庫で整理に追われている筈のユーノ、与えられた任務についていたはずのヴォルケンリッターの姿もあった。

「シグナム達も呼ばれたんか?合同訓練とか他の人と一緒の任務やったんやないの?」
「ええ、そうだったのですがレティ提督の要請で急遽戻って参りました」

 その言葉にさらに戸惑いが深くなる。シグナム達に要請されたのは数日に渡って予定されていたかなりの規模の演習だ。近接戦闘を主とする武装隊とそれを支援する砲撃部隊、その両方を補助する支援部隊と一軍とも言える数の局員が動員されていた。通常任務で出動の多いヴォルケンリッターの参加もレティ提督自身がなんとか予定を捻じ込んで入れたものだ。それをわざわざキャンセルさせてまで呼び戻す理由とはなんなのだろうか。見当もつかなかった。

「クロノ。何があったの?」
「それはこれから話す。とりあえず席についてくれ」

 そう言うクロノの表情は非常に厳しいものがあった。どんな事件でも冷静に事に当たる彼のその様子は何か起こったらしい事態の深刻さを予感させた。その事に気を引き締めながら一同はそれぞれ適当な席に腰を下ろす。それを見届けてからクロノは口を開いた。
 皆が予想だにしなかった出来事を。

「クレア・アンビションが脱獄した」

 一同はその意味を理解するのに数秒を要し、その事実を思い巡らすのに数秒を要した。
 いち早く、言葉を返したのははやてだった。

「ク、クロノ君。クレアってあの………?」
「ああ」

 不快気にも見える態度でクロノが短く答える。それが事態を重く見る態度であり、それ以上にクロノの隠し切れない感情をはやては感じ取り、緊張を走らせる。
 数ヶ月前、闇の書によって人生を狂わされた十二年前の闇の書のマスターの娘エレナ・エルリードとその直属の部下『ナイツ』が闇の書が残した罪───はやてとヴォルケンリッターを断罪しようとした事件があった。その時エレナを扇動し、事件を引き起こさせたのがそのナイツの一員であったクレア・アンビションである。
 確かに闇の書によって人生を狂わされたエレナは事件を起こす要因をいくつも持っていたが、もしクレアが扇動しなければ起こらなかったかもしれない事件。それを利用しはやての身体を手に入れる事がクレアの真の狙いだった。
 その真意は闇の書の残した知識。その知識を持ち、また闇の書という一級の融合デバイスの資格者であるはやてを手に入れ、融合デバイスを完成させる事がベルカの生き残りである彼女の目的だった。
 しかし、その目論みは失敗に終わり管理局に逮捕された彼女は重く深い牢獄に捕われた筈だった。

「クレア・アンビションはトロメアという管理局の中でも最も警固の厳しい牢獄に収容されていた。事内部に対する警備は管理局でも指折りの牢獄だ」
「生かしたままだったのか?」
「………彼女の犯した犯罪自体はそれほど重いものではなかったからね」

 クレアが数ヶ月前の事件で起こしたのははやてへの殺傷行為、並び管理局のデータベース改竄とそれに付随するその他の行為である。それだけなら、表向き事件の主犯となっているエレナと同じように数年の懲役のみだ。
 だがクレアには異なった事情があった。彼女はベルカの生き残りとして管理局ですら有していない知識の数々を持っていた。個人レベルでカートリッジシステムの作成を行い、一種類の魔法にのみ特化した専用デバイスの製造。そして、一番重要視されたのが融合デバイスの再現であった。管理局でもなし得なかったそれを可能にした彼女は一つのロストロギアとも言える存在だ。
 故に幽閉した。犯した罪に関わらず二度と表に現れないよう、深い牢獄に。

「そのトロメアを十数人程度のグループが襲撃。ここ何十年も襲撃がなかったため、内に対する警備にのみ気を配りすぎたトロメアはまんまと彼女を逃がしてしまったということだ」
「それでは今の本局の物々しさは」
「ああ、クレアの行方を探るためにかなりの局員が動いている。君達を呼んだのも同じ理由だ」

 管理局にとって闇の書とは忌まわしい以上に恐るべき災厄としてその名を刻んでいる。その名が出てくる度に多くの被害がもたらされた。その闇の書が夜天の書として消滅し、その罪の精算のためにはやてとヴォルケンリッターが尽力しているが、それでも呪われたロストトギアとしての印象は拭いきれていない。その闇の書と同じタイプのデバイスである融合デバイスを精製出来るクレアに対して、管理局はその脅威を振り払わんばかりに人員を動員していた。

「それで僕もこの事件の担当に選ばれている。以前、彼女を捕まえた経緯もあるからね。最も、それははやてあっての事だが」

 そこでクロノははやてを見る。鋭くなっているクロノの視線をはやては真正面から受け止める。既に決意が固まっている様子だった。

「はやて。僕は個人的にも執務官としてもクレア・アンビションを野放しにはしておけない。一刻も早く捕まえたいと思っている」
「うん。それは私もや」
「だから、また君を利用させてもらいたい」
「……また、はやては囮かよ」

 険を含んだヴィータの声。自分の不覚もあったとはいえ、その手段ではやての身を危険に晒した事があったため、ヴィータの心中は穏やかではいられない。

「彼女の目的はベルカの復興。その目的が変わっているとは思えない。そのためには夜天の書が残した知識が必要だ。だとすれば僕達は彼女から一番近い位置にいると言う事になる」
「そうやね。あの人、私の事狙っとるから」

 誰かが何かを言う前にはやては頷いた。自分を囮にするという前の事件の時も取ったやり方。そのやり方にはやては異論はない。だから誰よりも早く頷き、異論を挟ませなかった。

「いいんだな。はやて?」
「うん、これも夜天の書の主として背負わなあかんことやから。それに一回あの人の事、ガツンとやりたいところやったし」

 そういうはやての頭に浮かんだのは、今は留置所にいる赤い髪の元執務官の姿。過去と現在の板挟みに合い、苦悩の末に間違った未来を選ぼうとした彼女を弄んだクレアにはやては許しがたいものを感じている。そのためにはやては使命感とは別の意志をこの事件に燃やしていた。

「さて、はやてはこう言っているが異論はあるか?」

 その言葉に応じるものはいない。ヴォルケンリッターははやての身を案じながら、しかし彼女の意志が固いものであり、今回の事も夜天の書の主としての責務として立ち向かおうとしている。彼女に仕えているのならばそれを邪魔することは出来ない。だから、その道を切り開くことが騎士としての務めとして今回の事件に当たることを決意した。なのはやフェイト達も同様だ。どうあっても避けることの出来ない事件。それに立ち向かおうとする友達を精一杯支えるつもりだ。
 その仲間達の表情にクロノは温かな頼もしさを感じつつ、それを顔に出さずに皆に尋ねる。

「では質問があるなら今のうちに言ってくれ。それが終わったら班編成を伝える」

 クロノの言葉に一同は顔を引き締め直して、事件の心構えを新たにした。








 それが今から二週間ほど前の話だ。

「反応無し、ここにもいないみたいだね」
「では次だ。次の捜索範囲は西のほうだ」

 探索魔法の結果を告げたユーノにクロノが次のポイントを示す。
 クロノ達は二つの班を基本として探索を行っていた。はやてとヴォルケンリッター、なのはとフェイトとアルフという組み合わせだ。前者はクレアの狙いがはやてにある事がわかっているため、囮にすると同時に考えうる最適の護衛をはやてにつけるための組み合わせ。後者は遠近補助の組み合わせの相性からだ。そこに交代交代でクロノとユーノが入りながらこれまで探索を行っていた。
 だが、クレア捜索開始から二週間が経つというのにまるで捜索は成果が上がっていなかった。それは捜索に当たっている他の局員も同じことだった。
その二週間の間、はやてやなのは達をずっと捜索に当てるわけにもいかず、数日置きに休日という意味合いで通学をさせている。そういったシフト事情が組み合わさって本日の捜索はクロノとユーノが組んで行われていた。
 今二人は郊外に位置する廃墟が固まっている地点での終えた所だ。これで本日三箇所目の捜索を終えて、ユーノがうんざりした口調で言った。

「けどこれだけ探しても見つからないなんて本当にどこにいったんだろうね?」
「余程巧妙に潜伏しているのだろうさ。そうなるとやはり後ろ盾が気になるところだが………」

 クレアが脱走した時、襲撃者による手引きがあった事は既に説明を受けている。だが、それが何者なのかまでは未だに掴めてなかった。

「ただ、こうもうまく捜査の手を逃れているとなるとその筋の連中だという可能性が高いな」
「その筋って?」
「捜査の手から逃げる事に長けている、慣れている連中…………犯罪者組織だ」
「犯罪者組織………?」
「君も遺跡発掘が生業の一族なら覚えがあるだろう。発掘された技術やロストロギアを強奪しようとする者は多い。それを組織で行う連中もいる。実際、管理局に被害を訴える発掘屋は後を絶えないからな」
「ああ、確かに苦労させられたよ………。でもそいつらとクレアが繋がっているって言うのは?」
「クレア・アンビションが持つ技術は下手なロストロギアより遥かに性質が悪い。それを抱え込もうとする奴らはいくらでもいる。そう言った奴らと彼女が繋がっていても何もおかしくない。以前、彼女の経歴を調べようとしたら何も出てこなかったのももしかしたら経歴の抹消や偽装にに慣れた者の細工だとしたら納得がいく」

 それを裏付ける要因はまだあった。
 クレア脱走の際にトロメアを襲撃した集団。その連中がクレアを連れ去ったのは間違いない。調べたところでは、その襲撃といい足取りを追わせない撤退といい、組織だった手際のいいものだった。
 その計画性が見える襲撃は、内部の情報や管理局の手口に精通してなければ出来ないことだ。だとすれば、それは内部の人間かそれを知ろうとして情報を集めている者のどちらかになる。
 以前の事件の時は前者だった。そのために初動でかなりの後れを取ってしまった。しかし、今回の事件で言えばクレアと繋がっている局員がいる可能性は低いと思われた。いないとも限らないが、クレアが管理局にいた年月を考えるとそこまで腹を割って話すことの出来る仲間がいたとは思えない。
 故に後者。常に管理局の情報を得ようと様々な動きを見せる犯罪組織と繋がっている可能性が高いと思われた。
 これはクレア一人を対称にするのではなく、捜査の幅を広げるべきかもしれない。

「相変わらず聡明ですね」

 そう思うとその声が響いた。
 それと同時にこの辺り一帯の空間が切り取られる。結界が展開されたのだ。

「「!?」」

 クロノとユーノがその声のほうに振り向く。

「ふふっ、お久しぶりです。本局への引渡しの時以来ですかね?」

 探索を終えたはずの廃墟からゆっくりと近づいてくる影がある。

「嘘だろ……。この距離で見逃したっていうのか!?」

 補助魔法を得意と自負するユーノは愕然その姿を見て愕然とする。

「とても筋のいい、探索でした。潜んでいるのがばれるかと思いました」

 片側に寄せて束ねた髪。フレームのない丸い眼鏡。丈の長い法衣。手にしたデバイスは一見何の変哲もないストレージ。
 そのどれもこれもに見覚えがあった。その姿を最後に見たのは数ヶ月前。もう二度と見ることはないと思っていた姿。
 その時の事を思い出す。拘束衣を着せられ、多数の武装局員に囲まれた彼女を本局に引き渡した時の事。その姿を事件の担当者としてクロノははやてとヴォルケンリッター、協力してくれたなのは達と見送った。
 そんな状況にも関わらず彼女は全く気後れした様子もなく、不吉なものを感じさせる笑みで『また会いましょう』と言った。
 その姿が今目の前にある。

「お元気でしたか?クロノ執務官」

 その時と同じ、たおやかな笑みを浮かべたクレア・アンビションがそこにいた。
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