リリカルなのは SS
風の系譜
第四話 乱戦
目の前の光景が信じられない。
「フゥッ!ハァッ!アァッ!フ!ハァ!ハッ!」
肩で荒く息をしながら長い黒髪をもどかしげに振る少年。一見しただけではクロノだとわからないくらい変貌していながら、それでもどこか彼とわかる顔立ちを残している事が心を凍てつかせる。
「あの事件の直前までに、ほぼ完成していたんですけどね。隊長との相性が悪そうだったので見送った融合デバイス『ベルセルク』です。魔力増大の次に身体強化に成功した、完成度としては六〜七割のものです」
そのはやてとクロノの様子を楽しみながらクレアが言う。その声の調子に睨みつけたくなったが眼前のクロノの殺気に視線を逸らすことは出来なかった。
「それでは、クロノ執務官。素直に捕まってくれなかった夜天の王にお仕置きを」
クレアがオフィサーの柄尻で床をカツンと叩く。
「──────―──────────────────ッ!!」
声にならない叫びを上げるクロノ。それが響き終わらないうちにはやてに向かって跳躍し、拳を振りかぶる。
「ッ!!」
咄嗟に防御魔法を展開。迫る拳を凝視する。その手にはめた手甲は彼本来のバリアジャケットのままだった。
「!?」
拳が障壁に叩きつけられる。その衝撃は砲撃クラスに匹敵した。堪えきれず、障壁ごと吹き飛ばされ、はやての身体は壁を貫通していった。
「フゥー………フゥー………」
吹き飛んだはやてを追ってクロノが壁に空いた穴にゆっくりと歩いていく。一歩歩くごとに床に亀裂が走った。
その様に満足しながら、クレアはその後に続いた。
「行くぞ!!」
なのはの砲撃で粉砕した扉からシグナムを先頭に突入する。中の広間ははやてが入ったときとは違い、隅を見通せるまで明るく照明に照らされていた。
その人工の灯りに照らされ、並び立つもの達がいた。
「防衛部隊か」
一同の前には、角や翼を生やした四足歩行の獣、斧や剣を携えた中型の傀儡兵がずらりと並んでいた。
「エイミィさん。あれって………」
『完全な魔法生物だね。魔力パターンからして間違いないよ』
「いずれにしろ、こいつらを突破しねーとはやての所にいけねーな」
「そうだな。全てを倒す必要は無い。まずは一撃を加えて道を開く。そうしたら、何人かは主はやての下へ急げ」
短い話し合いの結果、先行するのはフェイト、ヴィータ、ザフィーラの三人。残りはここに残って殲滅と拠点の確保に専念する。
「アルフ、なのはをお願い」
「任せときな!」
「それじゃあ、道を開くよ!」
なのはがレイジングハートを構える。その先端に高出力の魔力が形成される。放つのは自分が最も信頼する砲撃魔法。
『Divine Buster』
閃光が奔り、獣と傀儡兵の群れの中央を貫く。それを追う様にフェイト達が飛び立つ。シグナムがレヴァンティンをシュランゲフォルムに変形させ敵を蹴散らす。アルフが後衛のなのは達の防衛をしながら敵に殴りかかる。
「………なんだ?」
それとユーノが奥から響いてくる鈍い破砕音に気がついたのはほぼ同時だった。
気を失うことは無かったが、衝撃に意識が朦朧とする。思わず頭を押さえようと思ったが、それよりも壁に叩きつけられた肩の方が痛くそちらを手で押さえた。
「うっ…・・・・・・・・・」
軽く、頭を振って気だるい意識を振り払う。そうしてから、顔を上げて懇願するような目で粉塵の中から姿を現したクロノを見た。
クロノの歩みは緩慢だ。だが、襲い掛かる速度がその通りではないことは身を持って痛感した。元から、近接戦は得意ではないがあんな速度で迫られたら一たまりも無い。
何より、どんな理由であれクロノと戦いたくはなかった。
それらの理由からはやてはこの場から引くことを選択した。
「アイゼンゲホイル!!」
選択と同時に行動を開始。逃走用にとヴィータに教えてもらった閃光魔法でクロノの視覚と聴覚を一時的に奪い、その場から飛び退った。
「皆と合流せんと………!!」
念話を繋ごうとするが出来なかった。先は繋がった事から少し前に念話妨害の結界が張られたようだ。そうなると後は探し回って合流するしかない。だが、転移魔法で連れて来られたため、入ってきた入口の正確な方角はわからない。建物の構造も把握できていないため、完全に感を頼りに進むしかなかった。
とりあえず、クレアがいた部屋から反対に遠ざかるように進む。おそらくあの部屋は建物の奥に位置しているだろうから少なくとも入口には近くなるはずだ。
廊下を駆ける。その先はまっすぐ進む道と右に曲がる道がある。真っ直ぐ進んだ方があのクレアの部屋から遠ざかるだろうと右の道に構わず進もうとする。
だが、右に曲がる道を通り過ぎようとした直前。突如、前方の側壁が粉砕され、粉塵が巻き起こった。
「っ!?」
そこからいつの間にか回り込んだのだろうか、クロノが姿を現した。そのクロノに前方の道を立ち塞がれ、咄嗟に右に曲がりクロノから逃げる。その際に魔力弾を放って天井を崩してバリゲードを作る。大して期待はしていないが僅かにでも邪魔になればそれでよかった。
「初めての鬼ごっこがこんなんなんて、トラウマになりそうやっ!!」
足が不自由なはやては普通の子供達が集まってやるような遊びはした事が無い。追う側と追われる側という事では確かに鬼ごっこのようではあったが今行われているのはそんな生易しいものではない。捕まれば、それこそ鬼に食われるような命に関わる追い掛けあいだ。
後方で即席のバリゲードが粉砕される。やはり大して効果はなかったようだ。
このままでは追いつかれる。そこまで追い詰められてはやてはようやく決意する。
クロノに攻撃を加えるという決意を。
「ごめんな、クロノ君!!」
走りながら、魔法を展開。選択するのはブラッティーダガー。加減はするし、無論否殺傷設定。以前、融合デバイスを主人格から引き剥がす時も魔力ダメージをぶつけていたのだから問題は無いはずだ。
クロノが迫る。その速度と気に重圧を感じながら振り向き様に、シュベルトクロイツを振るい、魔法を発動させた。
「ブラッティーダガー!!」
十の真紅の短剣が空間に生成され、クロノに放たれる。通路ゆえの狭さから回避できるスペースはない。だからクロノには受けるという選択しかなかった。
倒すつもりで放った魔法ではない。防がれてもしょうがないという気持ちも含まれた攻撃。
だが、クロノははやての想像を超える防ぎ方をして見せた。
「─────────────────────────ッ!!」
クロノが吼えると、一瞬身体が膨張したと思わせる程に魔力が増大した。だが、それは外に展開されることはない。そして、その膨大な魔力を内に秘めた身体に真紅の短剣が触れると、叫び声にかき消されるように消滅した。
「え!?」
その光景に愕然とする。クロノは防御魔法を発動させていない。使ったのはおそらく身体強化の魔法だ。それだけでクロノはブラッティーダガーを受け止めた。
それはつまり、『強化された身体のみ』でブラッティーダガーを防ぎきったということに他ならなかった。
「嘘やろ…………?」
どんな攻撃魔法でも直撃を受ければ、人一人くらい軽く吹き飛ばせる。意識を刈り取るなど造作も無いことだ。それをまともに受けて平然としていられるなどという冗談のような光景にはやては背筋が冷たくなるのを感じた。
「──────ッ!!」
クロノが迫る。今度は反応も出来なかった。手甲が胸を穿ち、放たれた銃弾のような速度ではやてを吹き飛ばした。
「────あうっ!」
何メートル吹き飛ばされたかわからない。通路の突き当たりの壁に激突し、壁に皹を作ってようやくはやての身体は静止した。
「つ、ぁ…………」
二度打ち付けられた肩を今度は押さえる事も出来なかった。ズルズルとその場に腰を下ろして、へたり込む。
正直、生きているのが不思議だった。あんな拳に殴られて、命があるなんてバリアジャケットと自分の身体は思っていたより丈夫なようだ。
けれど、そこまで。身体はまともに動かない。クロノが来れば、なんの抵抗も出来ないだろう。ただ、屈せぬように通路の先に視線を向ける。
「…………?」
けれどどれだけ待ってもクロノはやってこない。どんなに歩みが遅かったとしても姿くらいは見えてもおかしくは無いはずだ。
そう、例えば別の所にでも向かわない限り。
「────!」
身体を起こそうとして膝を突く。シュベルトクロイツを支えに膝を起こすと、スレイプニールを展開。身体の痛みのために従来では考えられないくらいの低速ではやては移動を開始した。
自分が吹き飛ばされたところまで戻ってくる。そこにはクロノの姿は無い。
代わりにあったのは、先ほどまでなかった筈の粉砕された壁だった。
敵陣を突破し、フェイト達を奥へと進む。建物の構造はそれほど複雑ではない。着実にクレアがいるであろう最奥の部屋へと進んでいた。
「…・・・・・・妙だな」
駆けながら、ザフィーラが呟く。それに反応したのはヴィータだった。
「何がだよ?」
「いくらなんでも敵の姿がなさすぎる。これでは敵は戦力をあの広間に全て集めた事になる。何か企みがあるやもしれん」
それはフェイトも疑問に思っていたところだった。
広間を突破してからフェイト達は一回も敵と交戦していない。あの場を死守させるためだったとしても、それ以外の場所に守備を残していないのは明らかに不自然だった。
「それに聞こえていたか。先ほど奥から響いていた音に」
「………ああ。多分、戦闘音だろーな」
先ほどから振動と共に破砕音が伝わってきている。奥で戦闘が行われているとすれば、はやてと敵の戦闘によって発生しているものだろう。
「急がないと………!」
足を更に急がせる。通路を抜け、扉を開くと広めのフロアに出た。ここにも敵の姿は無い。なんからの装置や計器がある他、奥に先に続く扉があるだけのフロアだ。だから、警戒しつつも迷い無くそのフロアを通り抜ける。
フェイトが先行し、ヴィータがそれに続き、殿の位置にいるザフィーラがフロアの中央を通り過ぎる。
それと壁が粉砕されるのと何かが躍り出るのは同時だった。
「むっ!?」
突如、壁を粉砕して現れたそれはザフィーラへと肉迫する。完全な不意打ちとまではいかないが、その奇襲は回避の間を与えなかった。それは手の平を振り被り、ザフィーラの顔面に叩きつける。ザフィーラは両手を交差してそれを防ごうとする。
「────ッ!?」
だが、ザフィーラのガードが整うよりも早く一段階加速した腕はザフィーラの顔面を掴み取り、そのまま速度を落とさずその顔面を壁に叩きつけた。
「ザフィーラ!?」
ヴィータが叫ぶ。フェイト達には死角になってその姿は見えないがザフィーラは崩壊した壁の瓦礫の中に倒れていた。代わりに、巻き起こる埃の中から長い黒髪の少年が姿を現した。
「っ!」
突如、現れた敵にフェイトは先を取るべく粉塵に紛れて死角を取り、バルデッシュで斬りかかる。それに直前で気付いた敵は振り向き様に腕を払った。
「!?」
斬りかかった筈のフェイトがとんでもない衝撃を受けて横に弾き飛ばされる。一回転して、着地するがその間に敵はフェイトに迫ってきていた。迫る手をバルデッシュの柄で受ける。押しつぶされそうな圧力がフェイトを襲った。
「くっ…・・・・・・・・・」
力の押し合いは苦手とするところだ。シグナムとの模擬戦でもそこから切り崩された事が何度もあった。そこを重点的にトレーニングしてはいるが、この敵の前では付け焼刃に他ならなかった。
床が軋む。身体が押し潰されそうになる。けれど負けないように相手を睨みつける。
(──────え?)
そこで、その顔がとても見覚えのある顔だと言う事にようやく気がついた。
「こんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
その見覚えのある敵の肩越しにヴィータがグラーフアイゼンを振るおうとしているのが見えた。間違いなく頭部を狙っている。あのなのはの防御魔法すら砕いた一撃を受ければ、首ごと吹っ飛んでもおかしくはない。
「駄目!ヴィータ!!」
その光景を想像した瞬間、思わず叫んでいた。その声にヴィータが鉄槌を下そうとしていた腕を止める。
その間に、敵はバルデッシュごとフェイトを振り上げ、ヴィータに叩きつけた。攻撃を急停止させたヴィータは回避できず、フェイトとともに設置された計器を粉砕しながら壁に叩きつけられた。
「う…………」
フェイトがバルデッシュを杖にして身体を支える。自分を受け止めたヴィータがクッション代りになったために、幾分か衝撃を殺せたためだ。そんなつもりはなかったがヴィータには悪いことをしたと思う。
よろよろになりながら、自分達を吹き飛ばした相手を見る。
面影も無いほど伸びた髪。真紅に染まった瞳。けれど、その顔立ちを見間違える筈は無かった。
「クロノ…………?」
その呟きに疑念はない。彼が望んでこんなことをするはずが無い。状況を理解できない戸惑いと彼に傷つけられたという悲しみが響いていた。
「ハァッ!!アアッ!!アァァッ!!ハアァッ!!」
その呟きを向けられた相手に反応は無い。肩で息をしながら、苦しげな形相で佇むのみ。
「クロ、ノ…………」
もう一度、呟く。呼吸と形相が一層険しくなる。それとともにクロノから感じ取れる魔力が一層高まった気がする。
「………」
呟きは無い。身体の痛みに一瞬、身体を支えきれなくなり頭を垂れる。その数秒の間、フェイトはクロノから視線を逸らしてしまった。
「…………クロノ?」
再び、顔を上げた時にはクロノの姿は消えていた。どこに行ったのかと考えるが、走った痛みに膝を突き思考が遮られた。
呼吸を整えようとするが、上手くいかない。身体を起こそうとするが、身体を支える手は床から離れてくれなかった。俯いた顔には床しか目に入ってこない。
ふと、そこに影がさす。誰かが自分の前に立っているようだ。
「フェイトちゃん!?」
「はやて………?」
見上げるとそこには自分に劣らず、ボロボロになったはやての姿があった。背に広げた翼を仕舞うと、フェイトの前に膝をつく。
「大丈夫!?フェイトちゃん!?」
「はやてこそ………。それより、ヴィータ達の方が心配」
その言葉にはっとなってはやてが辺りを見る。すぐに壁にめり込んだヴィータの姿を見つけた。
「ヴィータ!大丈夫!?」
近寄って声をかけるが反応は無い。呼吸はしているから生きてはいるが完全に意識を失っている。
「フェイトちゃん。これ、誰がやったんや?」
「…………」
その問いにフェイトは口を噤む。これだけ痛めつけられてもクロノに襲われたという事実は受け入れがたかった。だから、問われてもすぐには口に出来なかった。
しかし、はやてにはそれだけで答えを知りえた。
「クロノ君………やろ」
「はやて。知ってるの………?」
「うん。………私もクロノ君にやられたから」
フェイトが目を見開く。次いで、はやてに何が起こったを尋ねた。
「あれはなんなの?クロノは一体………」
「融合デバイスに操られとる。エレナさんと同じや。それでクロノ君はどこ行ったんや?」
はやてが尋ね返すとフェイトは首を横に振る。それから、搾り出すように考えを述べた。
「気が付いたらいなくなってた。けど、私達を倒したからいなくなったとするなら、次は」
二人の顔が同じ方向に向く。その先はフェイト達が来た道。まだ戦っているであろうなのは達がいる道だった。
「急いで止めへんと………!」
「待って!私も………!」
はやてが立ち上がると、フェイトも続くがすぐにその場に膝をついてしまった。
「フェイトちゃん、無理したらあかん!ここに残ってヴィータ達を見てて」
「けど………!」
「お願いや」
はやての瞳にフェイトがうつむく。今の自分は満足に戦闘が出来る状態じゃない。付いて行っても足を引っ張るだけだろう。その事に悔しさを滲ませながら、切実な言葉を紡いだ。
「うん、わかった。………クロノをお願い」
「任せて!」
はやてが再び背に翼を広げ、飛び立つ。フェイトはそれを黙って見送った。
「ハァァァァァァッ!!」
大上段から振るわれたレヴァンティンが受け止めようとした斧を傀儡兵ごと両断する。その身体が崩れ落ちるよりも早くシグナムは跳躍し、次の敵を斬り裂いていく。
「チェーンバインド!!」
ユーノの手から伸びた魔力の鎖が敵を絡めとる。その身動きの取れなくなった敵をアルフが片っ端から殴り倒す。拳が繰り出される度に、吹き飛ばされた敵に他の敵が巻き込まれていく。
「なのはちゃん!敵をまとめますから、そこを!」
「はい!」
シャマルが数体の敵に狙いを定めて強制転移させる。転移先は元から敵が密集している場所。突如転移した仲間に隊列が乱れる。そこをなのはが狙い済まして砲撃を叩き込み、敵を一網打尽にする。
「あと、少し!!」
入口広間での先頭は終始なのは達が敵を圧倒していた。数の上では敵が圧倒していたが、この集団を止めるには明らかに戦力が足りていなかった。
「これで、終わりだ!」
シグナムが最後の一体を斬り伏せる。魔力で身体を形成していた獣はリンカーコアを断ち切られ、肉体を維持できなくなり跡形も無く消滅した。
「終わりましたね」
「ああ、だがそれはこの場の事だ。まだ主達は戻ってきていない。すぐに応援に向かおう」
皆がフェイト達が先行した扉に目を向ける。それと同時に扉が粉砕された。
「なんだ!?」
奥から粉砕された扉を踏み砕きながら何者かが近づいてくる。姿はまだはっきりとは見えないが苦しげな呻きに似た呼吸ははっきりと響いてきた。
やがて近づいてきたそれはその威圧感とは裏腹に身体の小さな少年だった。長い前髪からは正気の色を失った真紅の瞳がこちらを覗いている。
「なんだい、こいつはっ!?」
アルフが警戒を強めて、拳を構える。シグナムもレヴァンティンを正眼に構えて迎え撃つ体勢を取る。ユーノもシャマルも即座にサポートできるように身構える。
「──────」
その中でただ一人、なのはだけが呆然としてレイジングハートの穂先を下げていた。
その様子に気が付いたユーノが訝しんで声をかける。
「なのは?どうしたの?」
なのはは答えない。ただ、呆然と。
「──────クロノ君?」
その少年の名を呟いた。
「「「「!?」」」」
一同に同様が走る。そこを狙ったようにクロノが一足で間合いを詰めたのは同時だった。
「っく!!」
シグナムが迫る拳を刀身の腹で受ける。グンという衝撃と共に十メートルほど後方に後ずさりながらもなんとか受け止めた。その刀身を挟んで向かい合う少年は確かにあの執務官の少年だった。
「何ってんだい、アンタ!?」
叫びながら、明らかに正気でないクロノに警戒したアルフがクロノにローキックを放つ。加減はしていない。足一本持っていくつもりで放った。まずは動きを止めることが先決と思わせるほどクロノの様子は尋常ではなかった。
アルフの蹴りがクロノの足に激突する。だが、豪速で放たれ振り抜くはずの蹴りは手痛い痺れと共にクロノの足に遮られた。
「っ!?硬っ〜………」
骨どころか肉まで鋼鉄で出来ているのかと思わせるほどの硬度だ。思わず、足を抱えたくなるのを堪えてながら足を引く。それに気を払う事無くクロノは拳をレヴァンティンに押し付ける。
力の押し合いでは勝てないと踏んだシグナムは刀身を逸らして拳を弾く。その拍子にクロノがたたらを踏んでいる間に飛び退って間合いを取った。その最中に、まだ呆然としているなのはに呼びかける。
「高町!やれ!!」
「え?で、でも………!」
「魔力ダメージをぶつけるだけでいい!!でなければあのクロノ執務官は止まらんし、助けられんぞ!」
「!」
その言葉になのはがようやくレイジングハートを構える。やるからには全力だ。カートリッジをロードしてエクセリオンモードを起動させると、さらにカートリッジをロード。エクセリオンバスターの発射に入る。
ユーノもそれに続く。唱えるのはストラグルバインド。あの異常な身体能力は間違いなく強化魔法によるものだ。ならば、この魔法で拘束できれば解除できる。発動の遅さと射程を考慮して唱えるのはなのはの魔法が放たれた後。当たるにしろ、かわされるにしろ、そのどちらかの隙を突いてクロノを拘束する。
シグナムとアルフがクロノを囲うように立ちはだかる。なのはの砲撃に巻き込まれてもいい。ユーノのストラグルバインドがクロノを拘束できればそれで勝ちなのだ。そのためなら、ある程度の危険など顧みることは無い。
シャマルもいざとなったら、クロノのリンカーコアを抜き取る体勢に入っている。魔力の源を失えば、あの状態を維持することは出来ない筈だ。
誰も彼もが、クロノに意識を向けていた。ありとあらゆる警戒をクロノに払う。
ただし、それはクロノに対しての事。
横から見ている第三者にとってはこれ以上ないくらい隙だらけだった。
『Strenght Bind』
抑揚のない電子音声と撃発音が響く。それとクロノ以外の全員が魔力の鎖に拘束されるのは同時だった。
「なっ!?」
「これ、はっ!?」
「!?」
「あっ!?」
「きゃっ!!」
皆、拘束を振り解こうともがくが一向に解けない。その内のシャマルのみがこのとてつもない拘束力に見に覚えがあった。
「これ、って………!?」
「ええ、あなたが以前受けた魔法と同じ魔法ですよ」
その声に一同が唯一自由に動く首をそちらに向ける。
「少し前に顔をあわせた方もいますが、お久しぶりです皆さん」
そこには拘束した自分達をあざ笑うかのように、クレアがゆったりと佇んでいた。
「貴、様!!」
「すみませんね。私、こんな風な小細工でもしないと皆さんに勝てないんですよ」
言葉とは裏腹に尊大な態度でクレアが歩み寄る。と、その足が不意に止まった。
「おやおや、遅いお着きですね」
クレアの視線の先には先ほどクロノが姿を現した通路。そこに息を切らしたはやての姿があった。
「みん、な……………!!」
「お帰りなさい、八神はやて。あなたの仲間達はこの通りですよ」
はやてが泣き出しそうな表情をする。クロノを助けるどころか、皆を窮地に立たせてしまった。クロノが操られ、皆を拘束されたこの状況では何も打つ手が無い。
「さてさて、人質もこれだけいれば優位に立てるというものです。どうしたものでしょう?」
「待って!」
いや、一つだけある。一番単純で安全に皆を助ける方法が。
「………お願いや。私の事は好きにしてええから皆は助けてあげて」
「主はやて!!」
「はやてちゃん!?」
シグナムとシャマルが叫ぶ。それを気にした様子も無くクレアは頬に手を添えて考える仕草をする。
「ん〜………皆、ですか。そうですね。他の方は研究対象にはなりませんから見逃してもいいんですよね」
「なら…………っ!」
「ただし」
はやての言葉を遮るようにクレアが笑う。とても、悪戯めいた残酷な笑みを。
「一人だけ、無理です」
「え?」
はやてがその意味を問う前に、視界にクロノが膝をつくのが見えた。
「クロノ君!?」
「おや、そろそろ限界が来ましたかね?」
「限界………ってクロノ君に何したんや!?」
飛び掛らんばかりのはやてに、クレアは手にしたオフィサーを教鞭のように振るって答える。
「さっき言いましたが、この融合型デバイス『ベルセルク』は魔力増大の他に身体強化を成功させたものです。しかし、これには欠陥がありまして。身体強化を成功させる代わりに魔力放出が全く出来なくなってるんですよ。つまり、膨れ上がった魔力を身体に詰め込めることで身体を強化してるんです。だから、防御魔法も無しに攻撃に耐えられる。けれど、それは融合者自身の肉体限界を超えているんです。短時間で肉体を崩壊させるほどに」
「だから…・・・・・・どう、いう…………」
「あと数分もすれば、クロノ執務官はベルセルクの負荷に耐え切れなくなってお亡くなりになる、という事です」
「──────────」
意識が真っ白になる。続けてガタガタと全身が震えた。何も考えられないというのにはやての頭にその言葉の意味が足元から這いずり上がってくる。それに耐え切れずその場に倒れこみそうになった。
「酷い…………!!」
それを押し止めたのはなのはの叫び声だった。はっとなって顔を上げる。
「なんで、そんな、酷い事を…・・・・・・!!」
そこには今まで見た事の無いくらい怒りに顔を歪めたなのはがいた。拘束の圧力にも屈せずクレアを睨みつける。
「私、あなたを、許さないっ!!」
その様子にクレアは怯えたような素振りを見せる。無論、おどけるための怯えた振りである。
「怖い怖い………。そんなに恨まれるのは嫌ですねぇ」
そう言ってチラリとクロノを見る。
「そうですね。一人くらい道連れがいてもいいんじゃないでしょうか?」
「─────え?」
その呆けた呟きは誰のものだっただろうか。それがわからないくらいはやての意識はぐらついた。
「クロノ執務官。その怖いお嬢さんの息の根を止めちゃって下さい」
その言葉に蹲っていたクロノが立ち上がる。そうしてゆっくりとなのはの方に歩み寄っていく。
「だめ」
小さく首を左右に振る。
「だめや」
段々と首の振りが大きくなる。クロノの動きは止まらない。ゆっくりとなのはの首に手を伸ばしていく。
「やめて…………やめてや…………やめて………………」
皆が叫んでいる。けれどその声は聞こえない。聞こえるのは自分の声だけ。声が引き攣る。何もかもがゆっくりと見える中、クロノの手がなのはの首に掛かった。
「やめてえええぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
震える首を押さえ込むように頭を抱えたはやては、その場にしゃがみこんで絶叫した。
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろー!!!
ゆっくりと伸びる自分の腕に呼びかけるが、一向に応じない。腕は止まる事無くなのはの細い首に伸びていく。
この、止まれ!止まれっ!止まれぇぇぇぇぇぇぇっ!!
視界には怯えたなのはの顔。あれだけ気丈にクレアを吼えたと言うのに、その顔は恐怖に染められていた。
融合デバイス『ベルセルク』はその特性ゆえに、肉弾戦闘しか出来ない。完全に意識を乗っ取ると本能的な反射や動きを阻害する可能性があった。それを防ぐため、意識的な拘束は若干緩めであった。
そのため、クロノはベルセルクと融合してからの事を全て見ていた。見させられていたと言っていい。身体の自由が利かず、目を閉じる事も出来ず、自分が起こした惨状を見せ付けられていた。
必死に抵抗はした。その結果、捕まえる事の出来たはやてや止めをさせた筈のフェイト達から離れる事は出来た。見逃されたように感じていたフェイトだったが実際にクロノの必死の抵抗によって見逃されたのだ。
だが、それも今は出来ない。ベルセルクの管制制御を行っているオフィサーからの命令は逆らえない。血を吐かんばかりに叫んでも、身体は言うことを聞かなかった。
駄目、だ!!
このままでは駄目だ。身体の動きを止める事は出来ない。何らかの方法を取らないとなのはが殺される。
そう、他でもない自分の手によって。
───────────────────────。
その光景を思い浮かべた瞬間、衝動的に加熱していた思考を一瞬にして切り替えた。冷徹とも思わせる程、客観的に今の状況を見つめ直す。
身体の自由が利かないのは、融合デバイスによって身体の制御を奪われているからだ。制御を奪っているのは身体に満ちる増大した魔力。それを体内で流動させることで肉体を操っているのだ。
つまり、その魔力の流動をなんとかしてやればいい。
どれだけ体内で魔力を動かせるか試してみる。まずはなのはへと伸びている右腕。静止不可能。だが、ほんの僅かではあるがその動きが鈍った。目に見てもわからないほどでしかないが、体内の魔力はある程度コントロールできる。
そうとわかると、クロノはコントロールできる魔力をありったけ集める。動きをコントロールするためではない。どれだけやっても動きの制御は取り戻せないとクロノは踏んでいる。
故にその根幹を断つ。
今、自分のリンカーコアは何かに絡め取られ、纏わり付かれている。おそらくこれが融合デバイスの制御部位なのだろう。これによってクロノは常に心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えていた。
そのリンカーコアに集めた魔力を集束させる。例え、どんなデバイスでも魔力がなければ起動は出来ない。
つまり、クロノはリンカーコアを自分の手で暴発させて魔力を断とうとしているのだ。
成功する保証は無い。自分の身に何が起きるかもわからない。もしかしたら、そのままリンカーコアを失うかもしれない。二度と目覚めないかもしれない。
けれど、クロノにはもうこの選択しか残されていなかった。
魔力をリンカーコアに送る。イメージとしては、自分で自分の心臓を握り潰そうとしている、死に近いイメージだ。けれど、クロノに躊躇いは無い。
送った瞬間、身の内が弾ける様な感覚に負われた。しかし、魔力の供給は止めない。張り裂けそうな衝動を必死に堪える。
膨れる。膨張する。膨れ上がる。広がっていく。
何かが身の内から這いずり出るような感覚。
────────────────────────!!
それを無視して、魔力を送り込んだ所でクロノの意識は真っ白い閃光に飲まれて消えた。
なのはの首にかけたクロノの手が止まる。そうして弾かれたようにクロノが後ずさった。
「え…………?」
クレアが呆けた声を上げる。その目の前でクロノは自分の胸を手で押さえながら身体を振って苦しみ悶えていた。
何が起こっているかを理解するよりも早く、不可解なことが起こる。突如、クロノの足元に魔法陣が展開した。魔力放出が不可能なベルセルクと融合していて起こりうる出来事ではなかった。
そうして爆発するように閃光が走った。思わずクレアが顔を手で覆い、拘束されたなのは達は目を瞑り、離れた所にいたはやても手を翳してその光を遮った。
光が止む。そこにいたのは、髪もバリアジャケットも元に戻ったクロノの姿があった。
「…………」
何も言えないクレアの前でゆらりとクロノが前のめりに倒れこむ。それを目にしてからクレアが呆然と呟いた。
「オフィサーの管制制御から逃れた………?ありえない。何か別の制御が割り込まない限り、そんな事は………?」
そこでクレアははっとなってクロノに駆け寄った。膝を付いて、何かを確かめるようにクロノの背に触れる。
「………………………………あ」
搾り出したような声。それはすぐに高らかな笑い声へと変わった。
「あははははははははははははははははははははははははははっ!!」
身を逸らして笑うクレアをはやて達は理解できず、呆然と眺める。それに構わず、クレアは笑い続ける。喜びという感情しか知らないように。
「あはははははははははははははっ!!まさか!まさかまさかまさか!!これは予想外だ!!なんという天恵!!素晴らしい!!素晴らしいですよクロノ執務官!!ああ、私はあなたを愛してしまいそうだ!!ありがとう、ありがとうクロノ執務官!!」
笑いながらクレアがオフィサーを高々と上げ、思い切り柄尻で床を叩くとクレアとクロノを中心に魔法陣が展開した。転移魔法だ。
「っ!?どこ行く気!?」
「すみませんが、これで失礼させて頂きます。今、クロノ執務官はあなたより重要な存在となりました。このまま死なれては困るから延命作業をしなくてはならないので」
「待っ」
はやてが言い切る前に、クレアとクロノが転移する。子供がおもちゃに興味をなくしたかのようにあっさりとした撤退だった。
「……………」
はやてが伸ばした手を下ろす。何も得る事も無く、ただ傷ついただけの戦いはそれで終わりを告げた。