リリカルなのは SS

                      風の系譜
                     第六話 祝宴

「さて、皆さん。申し開きはあるかしら?」

 リンディがなのは達を艦長室に集めて、問い詰める。そこにいるのは温和な女性ではなく、一艦全ての人間の命を預かる提督がいた。

「……………」

 その隣には沈痛な面持ちのエイミィもいる。
 クレアに逃げられたなのは達は傷ついたまま、アースラに帰還した。幸いだったのは回復魔法を扱うユーノとシャマルが無事だったので傷の回復はすぐに済んだ。その傷もそれほど酷いものではなく、一同が休息を取り終える頃には皆全快していた。
 そうして一同が回復したところに、リンディに呼び出されたのだった。

「けど、リンディさん。ああしないと、クロノ君が………!」
「なのはさん。以前、言いましたね。指示や命令を守るのは、個人のみならず、集団を守るためのルールだと。今回も貴方達の勝手な判断や行動で周りの人間を危険に巻き込んだかもしれない。もしこれで敵の手にはやてさんが渡っていたら、その先にどんな惨事が起こったかわかりません。結果として、何も無かった、いえクロノ執務官を救えなかったと言う事を考えれば少なくとも彼一人を危険な目に合わせたのは確かです」

 その言葉になのはは口を塞いでしまう。特に最後の言葉は堪えた。操られ、命を削らされながら自分達と戦わされたクロノの姿が目に浮かぶ。まだクロノが敵の内にある事を考えれば同じ目に合わされても不思議ではない。その危険にクロノが身を晒しているのは自分達が救えなかったためだ。それなのに、自分達の判断で動かなければクロノが助けられなかったなどと言ってもまるで説得力が無かった。

「さて、長々と説教しても仕方ありません。なので、これからの指示を出させてもらいます」
「待ってや!リンディさん!!」

 自分達への処分を言い渡そうとするリンディにはやてが呼びかける。

「勝手なことしたのは謝ります!でも、お願いです!!クロノ君が助かるまでは私らを任務から外さんで下さい!!それからなら、どんな処分も受けますから………だから、お願いです!!」
「はやて………」

 深々と頭を下げるはやてにフェイトは懇願するような目で母を見る。どうか、はやての願いを聞き入れてと訴えながら。

「………それでは、指示を言い渡します」
「母さん………っ!」

 それでも厳格な態度を崩さないリンディに思わずフェイトが詰め寄りそうになる。
そうして、リンディは目を開いて。

「各自、一時休息。十分に休んでからクレア・アンビションの捕獲を続行してもらいます」

 ニッコリと笑って次の指令を次げた。

「…………………………………………へ?」

 はやてが背を折ったまま、顔を上げる。その顔はこれ以上ないくらい間の抜けた顔になっていた。最もそうなっていたのははやてだけではなく、この部屋にいるリンディ以外の者ははやてと同じ顔をしていた。

「あのー…………リンディさん?」
「何かしら、はやてさん?」
「私らの処分は?」
「あら?私は最初から処分を下すなんて言っていませんよ?」
「で、でも上層部の意向とか命令とか………」
「別に逆らったりはしてないわ。今回のはやてさん達の行動もクレア・アンビションを捕まえるために、提督権限における判断で送った部隊という事にしておきましたから」
「し、しておいた!?」

 はやて達の独断行動を知ったリンディは、思わず頭を抱えながらもはやて達が処罰の対象にならないよう、その行動を公認の任務に切り替えたのだ。AAAランクの魔導師二人にSランク魔導騎士。それに従う守護騎士と使い魔、Aランクの補助役の魔導師。これだけ揃えば、武装隊一個大隊よりも高い戦力だ。人質の関係者であること以外は疑問を持たれる様な人員ではない。現実問題としても今、はやて達に前線を退かれるのは大きな損失だ。そのために事実を曲げてまで今回のような手段をリンディは取った。

「つまり、私達って………」
「ただの先走りになりました」

 その言葉に一同はがっくりと肩を落とし、ジト目でエイミィを睨んだ。連帯責任であるのは承知だが、それでも言いだしっぺの彼女を見ずにはいられなかった。見られたエイミィは冷や汗をかきながら明後日のほうを見て口笛を吹いている。最も、そんな彼女も皆よりも先にこってりと絞られていたりする。

「けれど、今回の事で上層部はさらに事態を重く見たわ。何せ、貴方達ほどの戦力を使って捕らえる事が出来なかった。…………それも、融合デバイスを使った事による結果なのですから」

 AAA+ランクの執務官を操った上に、武装隊一個大隊を上回る戦力を退けたクレアの融合デバイス。管理局が一番恐れているその一点が明確化された事によって上層部はさらに躍起になって捜索を行っている。それがいい方向にいくか、悪い方向に行くかはリンディにもまだわからない。

「なので、次にクレア・アンビションを見つけたら必ず捕まえなくてはなりません。それがクロノを助ける事にも繋がります」
「母、さん」

 最後の言葉は提督としての言葉ではなかった。執務官と呼ばなかった事、何よりも声に込められた感情が何よりの証拠だ。
 今回の事は組織として許していい事ではないだろう。しかし、それを迷い無く息子のために選択してくれた事は母としてこれ以上の感謝はなかった。
 全く息子は幸せ者だと思う。これだけの人たちに心配されているのだから。

「でも、リンディさん。その…………」
「なのはさん。言いましたよね、指示や命令は『個人』を守るためのルールでもあります。個人を守れて、初めて集団も守れます。あなたが指示や命令の中で個人を救って集団も救えるのなら、誰も文句は言いませんし、言わせません」
「…………はいっ!」

 明るく元気よく答えるなのはにリンディは微笑むと、パンッと手を叩いて話の締めに入る。

「それでは、皆しっかり休んで次の指令に備えてください。任務はもちろん、終わった後はツケの方を払ってもらいますから」

 ニッコリと言い渡すリンディに一同は顔を引き攣らせながらも、しっかりと休んでこれからに備えようと決意するのだった。








 それから二日後。
 はやて達は、ある次元世界へとやってきていた。深い谷と森に覆われた世界。人が住まわぬ辺境の地。既にここに存在した文明は滅び去っている。
 その世界を空から見下ろしたはやてが呟く。

「ここが………?」
「ええ、そうです。我らも何度か訪れた事があります。その時にあった人や町は見る影もありませんが」
「ここが…………ベルカ」

 ここはかつてベルカと呼ばれた勢力の統括世界の一つ、シュツルムヘイム。
 そんな辺境でも大戦の戦火を免れることは出来なかった。そうして、次元世界間の関係が断たれ、荒廃した世界は何個もあった。その中には、帰る術を失い、故郷を望みながら死んでいった民も少なくなかった。

「この世界にクロノ君と………クレア・アンビションがいる」

 リンディはなのは達が休息している間に、クレアの研究所の捜索をした。そこに残されていたのは数々の驚くべき研究成果。量産化を前提にした独自のカートリッジシステム、改造傀儡兵、戦闘用魔法生物。そこに残されていたものだけでも都市一つ制圧するには十分な技術が放置されていた。
 そこに混じるように残されていたのが、この世界にあるクレアのアジトの場所だった。
 加えてその世界を調査したところ、確かに何度か次元移動が行われた痕跡が確かに残されていた。それ以外にクレアの居場所を示すようなものがなかったため、リンディはそのアジトの捜査を決行することにした。
 そうして、はやて達は他の武装隊の準備が整うのを待ってから、ともにこの世界にやってきたのだった。今は各隊に分かれてそのアジトを包囲している。
クレアのアジトは谷に埋め込まれたようにあった。空から見下ろしても見えない位置の上に、その入口はまるで自然に出来た洞窟のようだったので一見しただけではわからないものだった。

「もうそろそろ皆、配置に着く時間だね」

 なのはの呟きに皆が時間を確認する。突入開始まであと十分というところだった。

「敵に動きはありませんね………。気付いていても不思議じゃないのに」
「ここ以外に逃げ場が無いのか、それとも余程このアジトに自信があるのか………」
「なんでもいいよ!全部、ぶっ飛ばす!!」

 皆の会話を耳に入れながら、はやてはアジトから目を逸らすことは無かった。ただひたすらにその時が来るのを待っていた。
 だから、その異変にいち早く気がついたのははやてだった。

「…………?」

 突如、アジトにむけて奔る閃光。それがなんなのかを理解する前に、閃光は爆発とともに答えを示した。

「!?」

 驚くはやての眼下に次々と砲撃魔法が放たれる。放たれた砲撃の数だけ爆音が響き渡り、辺りを揺るがした。

「なんや!?突入開始はまだのはずやて!?」
「誰かが先走って、砲撃でも撃っちまったのか!?なのはじゃあるまいし!」
「ヴィ、ヴィータちゃん!?それどういう意味!?」
「いや、それにしては砲撃が組織立ち過ぎている」

 ザフィーラの指摘は正しかった。砲撃が止むと、硝煙が立ち込める中アジトへと突入する黒い集団が現れる。そんな集団はこの作戦にはいなかった。

「別勢力だと………!?」

 その予定外の勢力に戸惑っている間に、突入開始の時間が訪れた。








「ふふ…………やっぱり来ましたね」

 振動に揺れる中、まったく動じる事無くクレアが微笑む。あの男の事だ。自分の事を手放しにしておくくらいなら消しに来るだろうと踏んでいた。予定内のことだ。出迎えの準備は出来ている。
 ただ、予想外だったのが管理局との突入が被った事だった。そちらも近い内に来るだろうと同様に準備はしていたがまさか同時に来るとは思えなかった。

「いえ………もしかしたら運命かもしれませんね」

 爆音が聞こえてくる。確かめようにスクリーンで様子を見ると管理局と組織の者達が入り乱れて戦闘を繰り広げていた。
 組織の者の手には自分が生み出した量産型カートリッジシステム。彼との夢をかなえる過程で学んだデバイスの知識で作り上げた技術の一つ。彼を生み出すために生み出された、言わば彼と育んだ子供達だ。

「これは生誕祭」

 響き渡る爆音。

「私の生み出した子供達が」

 鳴り響く撃発音。

「他のデバイス達と」

 斬り結びの甲高い音。

「歌い、踊り」

 その間を埋めるように人の怒号と悲鳴が絶え間なく、聞こえてきた。

「祝福する」

 奔る閃光。

「私を」

 飛び交う影。

「私達を」

 いくつも吐き出される薬莢。

「子供達が歌う」

 人がデバイスを躍らせるように振るう。

「────────祝福の賛歌を!!」

 クレアが指揮者のように、指を振るいながらステップを踏む。スクリーンに映る者達は観客だ。もしくは自分に指揮される奏者達。いずれにしろ、自分のための存在には違いなかった。

「ああ、早く!誰でもいいから来て下さい!!その方には、とびっきりのパーティーが待っていますよ!」

 クレアは廻る。指を振りながら、笑いながら、自らの式場へ赴くものを待ちながら。クレアは廻る。








 排莢の音が響き渡る。その度に強化された攻撃魔法が放たれ続ける。武装隊は防御魔法を張って耐えようとするが、直撃を受けると防ぎきれず障壁ごと吹き飛ばされた。

「ええい!こうも数が多くては!」

 シグナム達に向けられた攻撃はザフィーラとユーノの張った障壁によって阻まれている。敵の攻撃の合間を縫って、飛び出したシグナムが敵を斬り捨てながら言った。
 突如、現れた集団によって突入の足並みを乱された管理局側だったが、それでも事態を静観する訳にもいかず、なし崩しに突入を決行した。
 だが、先に突入した集団は管理局の部隊の姿を認めるとぎょっとしながらも、すぐさまこちらに攻撃を仕掛けてきた。その集団にとって管理局は最も関わり合いたくない集団であり、それに驚いての反射的な攻撃だったがほぼ不意打ちに近かった。正体も目的のわからない集団から放たれた攻撃は、武装隊に少なくない被害を与えた。その時点でペースを乱された管理局側はこれまで思うように攻勢に出ることが出来ていないのだった。

「攻撃自体は稚拙だが、火力だけは高い。向こうの攻勢を崩さんとどうにもならんな」
「あんな紛いもんのカートリッジにベルカの騎士が負けるか!!」

 そう言うヴィータだったが、彼女はここまで防御以外にカートリッジを使っていない。この乱戦の最中ではカートリッジを使った攻撃は味方を巻き込みかねない。離れる様に言っても、武装隊は思うように引く事も出来ない。故に、シュワルベフリーゲンやグラーフアイゼンによる直接打撃のみで攻撃しているのだった。
 カートリッジが使えないのはなのはやフェイトも同じだった。理由はヴィータと同様だ。またこれだけの集団戦闘は経験が無い。さっきなど放ったアクセルシューターで味方を撃ち抜きそうになった。
 そうしている間にも武装隊の一人がまた攻撃を受け、倒れる。すぐさまシャマルが治療に向かう。戦いが始まってから彼女の回復魔法が途切れることは無かった。
 この状況を打破するにはどうするべきかシグナムは思案する。敵の火力を考えれば、無理に攻めるのは危険だ。かといって防戦に回れば、それこそ火力で押し切られる。やはり、攻撃の合間を縫う他無いか。

「こんな、ところで足止めれとる場合やないのにっ!!」

 喚くようなはやての声が響く。その声にシグナムは忘れていた事を思い出す。自分達の目的。それはこの集団を倒す事などではないという事を。

「主はやて!ここは我らが凌ぎます!先に進んでください!」
「な、急になんやシグナム!そんな事」
「我らの目的はクレア・アンビションの逮捕です。このような者達を相手にすることではありません。こんな事で時間を食ってはクロノ執務官の身が危ない!」
「!」

 はっとなったはやてが、この場から離れることに迷いを感じながらも頷く。

「高町、テスタロッサ。お前達もいけ。主はやてとクロノ執務官を頼む」
「………わかりました」
「お気をつけて、シグナム」
「次の攻撃の合間に道を開く。その間に駆けろ」

 砲撃の雨が降る。それをユーノとザフィーラの防御魔法で凌ぎ、やがて雲の切れ目のように一瞬だけ攻撃が止んだ。

「レヴァンティン!!」
『Schlangebeiβen!』

 その間にシグナムがレヴァンティンをシュランゲフォルムに変形させる。排夾とともに連結刃へと姿を変えたレヴァンティンが切れ目を穿つように振り回される。その太刀の往く手に巻き込まれた者が次々と吹き飛ばされていく。

「今だ!」

 その開いた道をなのは達が駆ける。それを阻もうとする者は先行するフェイトにバルディッシュの一撃を受けて倒れた。敵を刈り取るように進むフェイトにフェイトの後になのはとはやてがついていく。
 慌ててそれを追おうとする敵に耳に撃発音が響く。それが何を意味するのか、理解する前に敵は台風にでも巻き込まれたように吹き飛ばされた。
その中央にいるのはグラーフアイゼンをラケーテンフォルムに変えたヴィータ。魔力を推進剤にして回転し、敵を巻き込んでいく姿はまさに暴風雨のようだ。
それに恐れた敵が、ヴィータに砲撃を向けようとするがその横から突風のような攻撃を受けて意識ごと吹き飛ばされる。そこには鉄拳を放ったアルフとザフィーラが並んで立っていた。
 また、別のものは幾重にも張られた鎖に拘束され、身動きが取れなくなる。ユーノの展開したチェーンバインドに絡め取られた敵を残った武装局員が攻撃を加える。
なのは達の強行突破は予想外の効果を見せた。僅かな間だが、突破しようとするなのは達のために攻撃の目標を変えたために敵の攻勢が崩れたのだ。後は再び攻守を交代させないように殲滅するのみ。

「見せてやろう!本家のカートリッジシステムと言うものを!」

 シュベルトフォルムへと戻ったレヴァンティンがカートリッジをロードする。そこから放たれた紫電一閃が紛い物のシステムを搭載したデバイスを両断した。








 なのは達が駆ける通路には何体もの傀儡兵が並び立っていた。しかし、それは動き出す事無く、沈黙を保っていた。それに不審を抱きつつもなのは達はなんの障害も無く奥へと進んでいく。
 進んで見てわかったがこの建物の内部はそれほど広くない。この通路も端から端まで十秒もあれば駆けられるほどの幅しかない。ここで先のような乱戦が行われたらもっと厄介なものになっていたかもしれない。
その通路をどれだけ駆けただろうか。最もどれだけ時間が短い、または長かったとしても彼女達には長い時間には変わりなかっただろう。
 そうして彼女達は最深部へとやってきた。
 扉を開けるのに一瞬だけ時間を要した。だが、その間に決意を固めたなのは達は躊躇う事無く勢いよく扉を開いた。
 そこは学校の体育館ほどの広さの部屋だった。どのような目的の部屋かは一見ではわからない。ただ、何か研究や実験といった物から離れた印象を受けた。
 その一番奥。

「………遅かったですね」

 こちらに背を向け、両手を広げたクレア・アンビションが佇んでいた。天を仰いでいた彼女は手を下ろし、ゆらりとこちらに振り向くと向かい入れる様にまた両手を広げた。

「ようこそ、いらっしゃいました。私のパーティーに」
「………パーティー?」
「ええ、記念すべきパーティーです」

 不可解なことを言うクレアになのは達が怪訝の色を示す。それに構わず、クレアは踊るようなステップを踏みながら歩き始める。

「融合デバイスに必要なものってなんだかご存知ですか?」

 突如語り出すクレアになのは達の戸惑いはさらに深まる。ただ、その得体の知れない様子に何か手が出せなかった。

「まずは本体となる術者、術者に力を授ける器、そしてそれを結びつける管制人格。これらが揃って初めて融合デバイスは稼動するんです。中でも一番重要なのが管制人格。これがないと、術者は融合した器から与えられる力の負荷に耐え切れない。何故なら管制人格が融合することによってその負荷を肩代わり、分け合い、補助することでその負荷を耐えられるんです。通常のデバイスが過剰な魔力で破損するのと同じですよ。それが術者になっただけ。だから、管制人格は不可欠なんです」

 そこで一旦言葉を切ったクレアが動きを止める。それまでの様子と打って変わって沈んだ様子で項垂れた。

「しかし、その肝心の管制人格の製造法が全くわからなかった。それでもなんとか稼動させようと考えたのが、他のデバイスによって管制制御することでしたが、これでは指示を出すまでにラグが出るし何より術者にかかる負荷は変わらない。どんなに頑張っても数十分しか術者が持たなかった。途方にくれる他、ありませんでした」

 今度はゆらりを天を仰ぐ。身体は立ち尽くしたように棒立ちだ。

「だから、八神はやて。あなたが欲しかった。闇の書が残した知識の中なら必ず、その術があるだろうと。だから、欲しかったんです」

 一瞬の沈黙。その後に発したのは地から響くような低い笑い声だった。

「けどね、それよりも、先に、手に入ったんですよ………。そう、手に、手に入ったんですよ!!」

 言葉が笑い声に途切れ途切れになる。やがて笑い声は言葉を埋め尽くし、クレアが上体を逸らし、次に身を折りながら高く笑う。

「そう、手に入れた!私は手に入れた!!彼と一つになるための最後の鍵を!!彼の、おかげで!!」

 クレアが右腕を天に翳す。その手に一振りの杖が現れる。オフィサーではない。ひび割れ、柄も真ん中の辺りから折れている大破したデバイスだ。同時に頭上に魔法陣が展開し、転移魔法が発動した。

「────────」

 そこに現れたのは、バインドによって磔のようにされたクロノの姿。

「クロノ君!」
「クロノ!」
「クロノ君っ!!」

 その姿に一斉に駆け出そうとするなのは達。だが、それを遮るようにクロノの首元から赤い宝石が飛び出し、辺りを舞った。それは暴れまわるように壁や床や天井を砕きながら跳ね返り続ける。
 やがて、その動きの範囲が狭くなっていく。もがく様に舞い続ける赤の宝石。



 それをクレアの手が掴み取った。









 ───────クロノ?

 少女の声にはっとなる。どうかした?とその目が言っていた。

 ………知っている子達に呼ばれた気がした。
 それ、クロノ?
 違う。その子達は僕とは違う名前だ。というかクロノって何の事だと思ってたんだ。
 クロノ!

 思い切り指差される。思わず言葉を失ってしまった。

 あなた、クロノ。その人、クロノ?私、誰?

 それでようやく気がついた。この子には名前の概念がないんだ。

 教える事が出来た。いいかい。僕はクロノ。それが僕の名前だ。
 名前?
 ああ。誰にだってあるその人のもの。それが名前だ。だから僕の知り合いも僕とは違う名前を持っている。
 名前、違う。クロノ、名前。その人、違う、名前。

 少女は何度も首を傾げる。何度も傾げてやがてぴたりと止まった。

 ──────────私、誰?

 そこでようやく、少女は同じ疑問を抱いてくれた。最も少女の疑問は哲学的な物だ。この子は自分を知らない。自分が無いからだとようやく気がついた。

 そうだな。いつまでも君だと僕も困る。何か名前をつけたほうがいいだろう。
 私、名前?
 そうだ。何か付けたい名前はあるか?………いや、そういうのもわからないか。なら僕がつけるが構わないか?
 クロノ、名前………私、名前──────────クロノ!名前!私、名前!

 少女がはしゃぐ。初めて僕の名前を知ったときのように。

 あんまり期待するなよ。あまりネーミングセンスには自信が無───────。
 ─────────クロノ?

 目の前で戸惑う少女の身体がブレた。錯覚と思ったがやがてはっきりとわかるほどにその姿が霞んでいく。
 少女自身もその事に気がついた。

 クロノ………?クロノ!クロノ!?

 少女が手を伸ばす。その手を掴もうと手を伸ばす。
 だが、掴もうとしたその一瞬前にその姿が掻き消える。

 ──────────────────────────────。

 それに僅かに遅れて、この世界が崩壊を始めた。









 宝石を掴み取ったクレアが、逆の手で眼鏡を摘み取り、指を離して放り出す。それに続くように宙に浮いていたクロノの身体が浮力を失い、地に落ちる。
 クレアは足元のクロノに一向に目もくれず、狂気に満ちた笑みを浮かべながら赤の宝石を目の高さに掲げる。

「デバイス連結」

 言葉とともにクレアが手にしたデバイスに宝石をはめ込む。

「ユニゾンイン」

 周囲の風が巻き起こり、クレアを包み込んだ。

 増大する魔力。

 身体に刻まれる紋様。

 身に纏った法衣がその形を変えていく

 束ねていた髪が解け、その色が漆黒に変わる。

 そうして、融合を果たしたクレアがゆっくりと目を開く。

「これで、一つになれたね───────シュツルムヘイム」

 集束し、解き放たれた風の中、クレアが夢見る少女のように笑っていた。

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