リリカルなのは SS
風の系譜
最終話 風が辿り着く場所
そこは一筋の光も刺さぬ闇の中。その闇の中に彼女はいた。身体はまるで動かない。拘束させた訳でもないのに、身動きの取れないこの闇はどこか棺を思わせた。
これが、『死』ですか。
痛いとも感じない。苦しいとも感じない。悲しいともつらいとも感じない。ただ、意識だけがそこにあった。
なんだ、大したこと無いですね。
この程度の事ならあの監獄の中でも味わった。どれだけこれが続くのか知らないがいつ闇に落ちても構わぬ身だ。一瞬後に落ちようが永遠にこのままだろうがどちらでもよかった。
もう、夢は見られませんから。
ああ、それだけはつらいと思う。あの監獄と死の明確な違い。それはもうこのまま何も変わらぬという事が絶対である事。
どうあっても変わらない。側には彼がおらず、ずっと一人だということ。
なら、早く落ちた方が楽ですね。
目を閉じる。闇が深くなった気がした。この闇の向こうに彼もいるのだろうか。
──────シュツルムヘイム。
最後にその名を呼ぶ。未練のように。向こうへの希望のように。
──────────え?
その途端、闇に光が広がった。
目に飛び込んできたのは、白い光。その次に見えたのは空の蒼だった。
「…………………」
それが何を意味するのかを理解できず、ゆっくりと上体を起こして自分の手を眺めた。指を折ったり開いたりしようとすると意志の通りに動いた。それでも、信じられず呆然と呟いた。
「生き、てる?」
自分は確かに死に掛けていたはずだ。適正も無しに融合デバイスを稼動させ、その対価としてこの身は滅び行くはずだった。だと言うのに、今はボロボロではあるがそれでも十分生きていると言える状態だった。
加えて、アジトは自分が用意した仕掛けで崩壊させた。内部に残るものを確実に潰すよう設計されたあの仕掛けに巻き込まれて生きていられる道理など無い筈だ。
辺りを見回す。信じがたい事に身の回りの瓦礫は自分を避けるように折り重なっていた。自分のいるところだけ何かに守られたように空間が出来上がっており、それは突き抜けるように空へと続いていた。
何が起きたのかわからず置いていかれたように視線を落とす。
「───────」
そこには淡く光るデバイスの欠片があった。
「─────シュツルムヘイム!!」
その欠片を手に取り、胸に抱く。そこには確かな鼓動が感じられた。
「シュツルム、ヘイム」
かける言葉が見つからない。何故自分が助かったのか。この鼓動がなにを意味し、どうしてそうなったのか。疑問が胸を掠めるが、すぐに消える。そんな事はどうでもいい。ようやく会えた。また会えた。それだけでいい。それだけが望み。叶った願いを手放さないように、望んだ存在の鼓動を確かめる。
「────────」
だから、わかった。その鼓動が段々と小さくなっていくのを。
「───────待って」
その願いとは裏腹に鼓動はどんどん小さくなっていく。
『────』
けれど、何かを訴えかけるように点々としながらも煌き続ける。
それはあの別れの時、風に消えた最後の言葉。
「────生きろって言うの?私、一人で?」
シュツルムヘイムは答えない。ただ、一瞬頷くように小さく強く輝いてその光を失った。それとともに、拙かった鼓動も消失した。
「───────────!!!」
身を折って泣き叫ぶ。あの日、流し尽くしたと思った涙がとめどなく溢れた。あの頃に帰ったように、子供のように泣きじゃくった。
永遠に続くかと思った慟哭は次第に収まっていき、やがてゆっくりと身体を起こした。
「─────────」
その先には空が広がっている。その空に風の鼓動を感じだ。
それに導かれるように、ゆっくりと歩き出す。
「─────生きるよ」
歩きながら、言葉を紡ぐ。自分のために帰ってくれた彼に向けて。
「生きるよ。貴方がいなくても」
光に導かれ、闇の中から抜け出す。
「それが、貴方の望みなら」
そこに広がる世界の風を受けて。
「私は、生きるよ。シュツルムヘイム───────」
自らの半身に別れを告げた。
クレア・アンビション脱獄から始まった一連の事件は、その張本人であるクレアが─────事件の報告から死亡はほぼ間違いないと思われるが、遺体が見つからなかったために消息を絶ったという形で終わった。
目下のところ、クレアの捜索を行う予定は無い。彼女の生死の最終的な判別よりも重大な問題があったからだ。
それはクレアのアジトを襲撃する際に現れた集団。それはクレアを抱えていた犯罪集団の一味だった。その中の何名かの身柄を確保し、尋問したところ彼らが使っていたカートリッジシステムは既に量産化の目処が立っているという事が判明した。
すぐさま、その組織に対しての捜索が行われたが相手は管理局の手から逃れることに長けており、目星をつけた場所はほとんどがもぬけの殻だった。
これ以後、クレア・アンビションが考案し、この犯罪組織が広めた量産型カートリッジシステムは裏社会に広まる事となり、管理局を大いに悩ませることとなる。
なお、この事件で意識不明の重体となったクロノ・ハラオウン執務官は今だ入院中である。
することもなく、かと言って眠くもなくぼんやりとしていると病室のドアがスライドして開いた。
「クロノ君、お見舞いに来たで」
「はやてか」
車椅子で現れたはやては果物がたくさん入ったバスケットを持っていた。ベッドまで来ると膝の上から備え付けの机の上にそれを置いた。
「随分と量があるが高かったんじゃないか?」
「ちょっとね。でも、皆の分含めてやからこんくらいせんと」
「そういえば、君一人か。ヴォルケンリッターはどうした?」
「あー………、いま私ら忙しいから」
「ああ…………」
事件終結後、はやて達はクロノ救出の独断専行のためのツケを払うべく事後処理やらなんやらに狩り出されている。かなり忙しくクロノが入院して意識を取り戻した時、全員で見舞った時以来誰も見舞いには来ていなかった。
「全く………。来てしまうとは思っていたが完全なまでの独断専行とは。聞いた時、危うく意識を失いかけたぞ」
「う………、それはまぁ………。そ、それより、リンゴ食べる?剥いたるよ」
誤魔化すようにはやては持って来た果物籠からリンゴを取り出すと、手馴れた手つきで皮を途切れさせる事無く剥いていく。
その様をぼんやりと眺めていたクロノはふっと視線を外して言った。
「そういえば、礼がまだだったな」
「え?」
「ありがとう。君達のおかげで助かった」
言われたはやてはきょとんとしてから、顔を赤らめて慌てたように手を振った。
「そ、そんなん当たり前やん。お、お礼なんかええよ」
「手に物を持ったまま手を振るな。特に果物ナイフ」
今度こそ、慌てて果物ナイフと剥き終えたリンゴを置く。それから、見上げるようにクロノの顔を覗き込んだ。
「きゅ、急にどうしたの?なんか、おかしいで?」
「そうか?助けられたのだから礼を言うのは当然だと思うが」
「そんな事言ったら、私クロノ君に助けられっぱなしや………」
今回の事件のきっかけとも言えるあの夏の事件。クレアと初めて顔を合わせる事となったあの事件の時、挫けそうになった自分を救ってくれたのはクロノだ。あの時の救いに比べれば、このくらいの事なんでもない。
そう言われたクロノはふっと表情を変えた。意図的に表情を無くそうとして、隠しきれずに沈んだ表情だった。
「助けられっぱなし、か」
「クロノ君?」
「今回の事件の僕だな。相手を捕まえようとして捕まり、デバイスの実験台になって君達に襲い掛かり、消耗しきって君達に魔力を分けてもらった。今回の僕は何も出来なかった」
「クロノ、君」
「あの子も、救えなかった」
「………!」
ようやく、クロノの表情の意味を悟る。クロノはずっと悔いているのだ。目の前で救いを求めていた手を取れなかった事を。
「あの子が、僕にとってなんだったかはわからない。交わした言葉も少なくて、望んで生み出したわけでもない」
あの少女の事は聞いている。融合デバイスの支配から逃れるためにクロノが足掻いた結果、偶然生み出した管制人格。それをクレアは自らの融合デバイスの管制人格とした。そのためにあの少女は生まれて間もなく世界から消えてしまった。
「けど、僕に手を伸ばしていたんだ」
救いを求めていた。
「名前をつけると約束したんだ」
その存在に意味を与える筈だった。
「だけど、何も出来なかった」
「クロノ君………!」
堪らず、クロノの手を取る。握った彼の手は小さく震えていた。
「あのな、クロノ君。私もあの子の事はよう知らん。だから、信じられへんかもしれへんけど聞いて?」
「………」
「あの子の事は悲しいかもしれへんけど、あの子は不幸ではなかったと思うで?」
「………どうして」
「あの子、笑ってたやん。クロノ君が助けに来てくれて。手は取れなかったけど、伸ばしてくれたから笑ってた」
「………」
「あの顔な、消えていく時のリィンにどこか似てた」
「──────────」
クロノが俯く。僅かに震える彼を慈しむように言葉をかける。
「だから、そんなに思いつめんで、な?」
クロノが胸に手を置く。そこには僅かにあの子がいた感覚が残っていた。それを取りこぼさぬよう、強く強く手を押し付ける。
そうしてクロノは俯いたまま、身体を震わせながら。
『クロノ』
あの少女の笑顔を思い出した。
何も残らなかったけど、確かにいた少女の笑顔を。
一年後 クリスマス・イブ
「あー!ようやく二学期も終わったわねー」
ホームルームが終わり、アリサが大きく伸びをする。そうはしないが、周りにいる友人達も同じ心境だ。今日から冬休みが始まるのだから。
「さって、今日は夕方からすずかの家でパーティーよ。早く帰って出かける用意しないと。今日のために色々準備してきたんだからねー」
「あ、それなんやけど」
勢い込むアリサにはやてがすまなそうに声をかける。
「私、パーティーに行くのちょっと遅れそうなんや。もしかしたら行けへんかもしれん」
「えぇ〜?」
水を差すようなはやての言葉にアリサが眉を顰める。その顔にますますすまなく思いながらはっきりといった。
「ごめんな。今日大事な用があるんや」
「今日、なんだよね」
「なんだか凄い偶然だね」
はやての事情を知るなのはとフェイトは複雑な表情で苦笑した。
「ちょっとちょっと。なに三人だけで分かり合ってるのよ。私達にも話しなさいよ」
「私ははやてちゃんがそれでいいなら構わないけど………」
はやての用事を知らないアリサとすずかは訝しげに三人を見る。
「ごめんな。無事に用事が終わったらちゃんと話すわ」
「無事に、って危ないことするの?」
「ん〜、多分大丈夫やと思うけど」
心配するすずかにはやてが笑いかける。
「全く、しょうがないわね。その代わり、来れるようになったら速攻で来なさいよ。それこそ、はやてのごとく!」
「もちろんや」
びしっと指を突きつけるアリサに笑って頷く。
「転送ポートはもう用意してるんだっけ?」
「うん。だからこのまま管理局直行や」
「頑張ってね、はやて」
「うん」
なのはとフェイトに冗談めかして任務の時のように敬礼をする。
「ほんなら、行ってきます」
クリスマス・イブと言ってもそれははやて達の世界での行事。それと何の関係もない時空管理局はいつも通り忙しい。その中をはやては装備課を目指して進んでいく。
やがて、装備課に来ると指定された一室に向かう。ドアを開くと、自分以外の人間は皆揃っていた。
「ごめんな。遅れて」
「いや、時間通りだ」
そう言ったのは入ってきたはやての正面にいたクロノだ。その隣にはシグナムとザフィーラ、さらにその隣にはヴィータとシャマル、はやてに一番近い位置にはユーノがおり円陣を組むように立っていた。
「いよいよですね、主はやて」
「うん、待たせてごめんな」
「頑張って下さいね、はやてちゃん」
「うん。まかせてや」
「あたしより年下だぞ、はやてー」
「わかっとるって」
「主、お気をつけて」
「大丈夫大丈夫」
ヴォルケンリッターがはやてに声をかけるのを見届けてから、クロノはユーノに声をかける。
「それじゃ、早速始めよう。ユーノ」
「うん。はい、はやて」
声をかけられたユーノははやてに一冊の本を手渡す。
その書の名は『蒼天の書』。無限書庫に残っていた融合デバイスの資料、それを元に装備課と夜天の書の知識を持ったはやてによって作られた魔導書である。
そしてこれから行われるのは蒼天の書を器とする管制人格の生誕の儀式であった。
『それじゃ皆さん。中央から離れてください。はやてちゃんは中央に』
別室にいるマリーが出した指示に皆は壁際まで下がっていく。ただ、一人クロノだけが中央に向かうはやてに歩み寄った。
「それでは、頑張ってくれ」
「うん………」
そういうクロノをはやては複雑そうに見る。やがて、意を決したようにクロノに尋ねた。
「なぁ、クロノ君」
「なんだ?」
「どうして、管制人格作るの手伝ってくれたん?」
一年前の事件以後、クロノは合間を見て融合デバイスの資料を探し、装備課の人間と協議し続けてくれた。中でも管制人格を生み出す技法について彼は力になってくれた。どんなに資料があろうともそれを行ったことのある人間はいないのだ。その点、クロノはあの事件の折、一度管制人格を生み出していた。そのため、今回の作製方法についてはクロノの実体験を参考に行われる。
けれど、それは。
「あれは、クロノ君にとってつらい出来事やったのに」
自らの傷跡を掘り返していることではないだろうか?
協力を申し出た時から感じていた疑問をここに至って尋ねる。怯えにも似た眼差しでクロノを見る。対してクロノは涼しげな様子で答えた。
「確かに。決していい思い出ではない」
「なら………」
「けど、あの子が生まれた事を無駄にはしたくなかった。あの子には何も出来なかった。だから、何かを残したかった。それが少しでもあの子が生まれた事の意味にしたかったから」
「クロノ君」
「だから」
クロノが微笑む。後悔を滲ませながら、それでも優しい笑みで。
「頑張れ、はやて」
「…………うん!」
そうして二人はすれ違うように離れる。クロノは他の者と同じように壁際に、はやては部屋の中央に。
『それでは始めてください』
マリーの合図にはやては蒼天の書を開き、十字剣の欠片を胸に抱く。書がぱらぱらと捲れ、十字剣が淡く輝いた。
それに自らのリンカーコアの一部を分け与える。同時に展開するベルカ式の魔法陣。
二年前、あの子に名前を与えたこの日にまた風が吹く。今度こそ、祝福の風を送るために。
「…………」
はやての前に光が集まり、ゆっくりと少女の姿が浮かび上がる。空色の髪の少女。その姿は、本当にかつてのリィンフォースを幼くしたような姿だ。
そして、その向こう側に少しだけ。
あの名も無い少女の笑顔が浮かんだ。
「初めましてなのです、マイスター八神はやて」
「うん、初めましてや。───リィンフォース」
風は吹き続ける。いつだって連なって、どこまでも繋がるように。
ここに至るまでの────風の系譜。