リリカルなのは SS

                  私をプールに連れて行って

 大丈夫大丈夫。落ち着いて落ち着いて。
 はやてがそう自分に言い聞かせる。なんら不自然な事はない。そう思わせるようにセリフも徹夜して考え込んだ。だから大丈夫。
 はやては今、アースラの執務室、つまりクロノの仕事部屋で勉強を見てもらっていた。講師は無論、この部屋の主であるクロノだ。クロノに勉強を見てもらうようになってしばらく経つ。だから、この二人きりと言う状況はなんら不自然ではない。ここで二人だけしか知らない会話が行われてもおかしくはない。

「…………」

 そう、二人きりを心の中で連呼したはやては勝手に恥ずかしくなっていた。
 ともかく、状況はなんら不自然ではない。あとは不審に思われないように話をするだけだ。

「どうしたはやて?さっきから進んでいないようだが」

 突如、声をかけられビクッと身を竦ませる。顔を上げるとクロノが渋い顔で自分を見下ろしていた。言われて課題を全く進めていないことに気が付いた。普段は優しい彼だが教官としての彼はとても厳しい。今も不真面目な生徒にきつい視線を送っている。

「あ、あはは。ごめんごめん。今やるわ」
「ああ、ボーッとしている余裕があるならあと三十分で終わるだろう」

 はやての乾いた笑いが止まる。いまやっているのは魔法の構築や制御にも通じる数学だ。残り10ページ。1ページにかけられるのは三分ほどだ。普通にやって三十分で終わる量ではない。

(あ、あかん!)

 もし、終わらなかったら課題の追加も考えられる。そうなったら忙しい彼の事だ。話をする時間が無くなってしまう。そうなったら、全ては水泡に帰す。それだけは避けなくてはならない。
 はやてに瞳に強い決意が宿る。友人の言葉を借りるなら『全力全開』という奴だ。自分の目的を阻む課題の言う名の敵をペンと言う名の剣を持って立ち向かう。

「終わったで!」

 そうして、はやてはクロノも目を丸くするスピードで課題を進め、制限時間五分前には終わらせていた。

「……よく時間内に終わったな。じゃあ今日はここまでだ。何か質問は?」

 カートリッジをロードしたかのような勢いに戸惑いつつ、クロノが勉強の終了を告げる。
来た。はやてはそう思った。

「あの………、質問やないんやけど、ちょっとお願いが………」
「お願い?」

 クロノは意外そうに驚いた。はやては人に世話になりすぎる事を嫌う。なので、自然と頼みごとをする事は少ない少女であった。その彼女がお願いがあると言う。
 思い返せば、自分の後輩に当たる三人の少女から頼みごとをされるのはそんなにない。自分に頼みごとをするのは年上の連中ばかりだ。オペーレーターとか、艦長とか、とある喫茶店のチーフとか。もう少し彼女達を見習ってもらいたいものである。
ずれかけた思考を元に戻して、クロノは尋ねた。

「なんだ?今度の講義の時間を変えて欲しいとかか?」
「あ、いや。どっちかっていうと内容と言うか」
「魔法訓練か?確かに今度の講義は時間が長く取ってあるから出来ないことはないが」
「そ、そうじゃなくて」

 あれこれ勘違いをするクロノにはやては話をはぐらかされているような気分になる。ああ、この真面目な性格は時として確かに厄介だ。
 このままではなし崩しに別の話になってしまうかもしれない。そう思ったはやては叫ぶように言った。

「ク、クロノ君!!」
「な、なんだっ?」

 突然大声をあげたはやてに驚くと、彼女は頭を下げてそのお願いを言った。

「私に、泳ぎ方教えてください!!」








 事の発端はつい二日前のこと。
 夏休みの初めに事件が発生すると言う事もあったが、その後のなのは達の管理局での仕事は通常業務しかなく、夏休みを満喫していた。家族合同での旅行、皆で集まっての宿題、泊まる家を交代交代にして行われたお泊り会。その他諸々。集まる日がないくらいの満喫ぶりだった。
 さて、そんな夏休みの真っ只中。翠屋に集まった仲良し五人組がテラスでお喋りをしている中、アリサがぽっつり呟いた。

「そういえば、まだプールには行ってないわね」

 言われて四人は顔を見合わせた。言われてみれば確かにそうだ。ここまで随分と密度の濃い夏休みを過ごしてきため、もう大抵の事はやった気でいたのだ。

「そういえばそうだね」
「去年はもっと早くに行ったよね。………なんだか、思い出したくないけど」
「私、こっちの世界のプールにはまだ行ったことないな」

 それぞれがその事を話す中、アリサは即決した。

「よーし、それじゃ今度は皆でプールに行きましょう。他に誰か一緒にいけそうな人がいたら声をかけておいて。大人数で行ったほうが楽しいでしょ。日にちはそうねぇ………」
「あ、でもアリサちゃん………」

 日時まで決めようとアリサをすずかが止める。『うん?』とすずかを見たアリサは彼女の視線が隣に座るはやてに向けられているのに気が付いた。
 アリサは冷や水をかけられたような気になった。

「あ、ご、ごめんはやて………」

 はやては懸命にリハビリをしているが、それでもまだ日常生活には車椅子を必要としている。歩行するのにも、まだまだ補助が必要な彼女がプールで遊べるはずがないだろう。
 重くなる空気。誰も彼もが口を噤む中、俯いたはやてがぽりつと漏らした。

「………ええね、プール」
「えっ?」

 顔を上げるアリサ。見ると空を見上げるようにするはやての顔は夢の王国でも見つけたように顔をキラキラと輝かせていた。

「プールやで、プール!?夢にまで見たっちゅーねん!夢を抱いて溺死しかけたっちゅーねん!あ、まずっ!今から興奮してきたわ!」

 ひたすらテンションを上げまくるはやて。呆然とするなのはとフェイトとすずか。そしてその様子を見たアリサは。

「もう少し、わかりやすいリアクションを取りなさい!」

 関西人のお株を奪うハリセンによる鋭いツッコミを炸裂させた。







「で、それで行けるの?はやて?」
「もちろんや」

 見事なツッコミで意識を失いかけたはやてが正常に戻ると、アリサが改めてプールの事を尋ねた。それに対して即答するはやて。

「でもはやてちゃん、どうするの?その……足」
「ふっふっふ。甘いで、すずかちゃん。こう見えても私は魔法少女やで?」

 聞きづらそうにするすずかとは対照的に、自信満々と言った風に答えるはやて。その証明とばかりに、はやてはすっと車椅子から立ち上がって見せた。それにぽかんと見つめるアリサとすずか。

「こう、足に魔力を通せばご覧の通りや。問題ないで」
「で、でもはやてちゃん。学校のプールじゃずっと見学してたよね………?」
「そりゃ、事情の話せん学校の前じゃでけへんよ。学校じゃ私、車椅子キャラで通っとるし」
「な、なんかようやくはやても魔法使いって実感したわ………」

 はやてが普通に立っている姿を見た事のなかったアリサとすずかはびっくりしつつも、改めて聞いた。

「それじゃ、プールは」
「バッチ、オッケー。問題無しや」
「よーし、それならプールに行くのは一週間後!各自、行けそうな人には声をかけておくのよ!」
「「「「おーっ!」」」」

 そうして解散し、その帰宅途中はやてはずっとニコニコ顔だった。

「あー、楽しみやなー。どんな水着着ていこかー?」

 家に帰るとすぐさまクローゼットを漁り出す。が、とある一着の水着しか見つからなかった。今まで着ていた水着はなかっただろうか?ないなら無いで買いに行くしか………。

「…………」

 そこである事にようやく気づく。

「って、私泳げないやん!」

 そう言って激しく時間差のある一人ボケツッコミを成立させていた。








「と言うわけなんや」

 事のあらましを聞かされたクロノは難しい顔をして腕を組んでいた。正直、呆れるか笑うかどっちかしかリアクションの取り様が無いのだが、深刻な顔をするはやての前では憚られた。なんとか、質問を捻り出して聞いてみる。

「別に泳げなくてもいいんじゃないか?今回は足の届くところで浸かるくらいで済ませておけば」
「あかんっ!そんなことしたら、皆に気を使わせるわ!それに!」
「それに?」
「溺れたら助からへんやん!」

 クロノの話した前提を無視してはやてが叫ぶ。どうやら今までプールのような大量の水に浸かった事の無いはやてにとって『泳げない=溺れる』という図式が成り立っているようだ。泳げる奴でも溺れたら助からないぞ、と言うツッコミを飲み込んでクロノが別の質問をする。

「まあ、泳げるに越した事は無いから教えるのは構わないのだが、どうして僕なんだ?」
「え?」
「なのは達に気を使わせるというなら、シグナムにでも教わればいいんじゃないか?彼女なら、気兼ねなく教えてもらえるんじゃないか?」
「あ〜、あの、それは。シ、シグナム達にも金槌なんて知られたくないんや!あの子らの事やから、私が今までプール行けなかったのは自分達のせいとか言い出しそうやし!それにシグナムやと厳しく教えてくれなそうやし!クロノ君なら、出来るまで教え込むスパルタやから安心や!そう、そういうこと!」

 褒められているのか微妙なセリフにクロノは指でこめかみをとんとんと叩いてから、腕を組み直すとため息をつきながら言った。

「まあ、いいだろう。今度の講義は三日後の予定だったな」
「え?それって………」
「時間は元の予定の通り。集合場所は本局の施設内のプール。それでいいな?」
「うん!おおきに、クロノ君!」

 こうして、はやての講義内容は泳ぎ方の練習へと変更する事になった。







 そんなわけでクロノとしては早々と、はやてにとっては心待ちした三日間が過ぎた。クロノは飾り気のない水着を荷物にする以外変わりなく、はやては勉強会のはずなのにやたらと気合の入った弁当を持っていくことを家族に不審に思われながら本局で合流した。
 クロノは手早く着替えてプールサイドにてはやてを待つ。ここは本局内にあるプールであり、娯楽的なプールは存在しない。大きな競泳用のプールが四つ程用意されているのみだ。訓練として水泳に励む局員は少なくないが、今日のところは人がまばらだ。これなら、支障なくはやての指導が出来そうである。
 待ち時間を周囲の様子を窺うことで潰している事に飽きてきた頃、後ろから聞き覚えのある声がか細くかけられた。

「お、お待たせや………」
「随分と時間がかか」

 振り向いたクロノが目を見開き、三点リーダーもなく固まる。驚愕したといってもいい。絶滅寸前の幻獣に遭遇してもこうはいかない。それほどはやての格好はクロノにとって意外だった。

「そ、そんな顔しなくてもええやん…………」

 はやてが着ているのは聖祥学園のスクール水着だった。略して言うならスク水である。旧スクとか極めるとその造形を語るだけで一時間以上掛かりそうなあのスク水である。胸元の白いネームには『はやて』と書かれている。学校の持ち物には名前を書きなさいと言われるがなんでスク水だけ苗字ではなく名前なんだろうか。スク水に詳しくないクロノにはわからなかった。ちなみに、この時クロノははやてのスク水姿を初めて見た人間になっており、その事を知ったヴォルケンリッターに袋叩きにされるがそれは全くの余談である。

「………どうして、その、が、学校の水着なんだ?」

 キャラ的にスク水などと言う単語を言えないクロノは、なんとか正気を取り戻し、疑問をぶつける。

「しょ、しょうがないやん。水着買いに行くの明後日の予定やったからこれしかなかったんや」
「そ、そうか………」

 それ以上コメント出来ず、二人して黙り込む。十秒くらい間を空けてからクロノが咳払いしてなんとか言葉を紡ぐ。

「……それでは、これから泳ぎの練習を始める。まずは準備運動からだ。いいな」
「は、はいっ!」

 十分に柔軟をして準備運動を終えた二人はプールに入って、向かい合う。まずは水に慣れる事からという訳で、顔を水につけて息を止める、全身を沈ませて潜る、などの通過儀礼を済ませるといよいよ泳ぎの練習に入った。

「それじゃ、僕が引っ張って誘導するから掴まってくれ」
「う、うん………」

 はやては視線をクロノの腕にやる。年に似合わず、引き締まった筋肉をした腕だ。それにこれから自分が触れると思うと気恥ずかしくて堪らなかった。夏休みの初めに起こった事件以来、はやてにとってクロノは単なる友人から家族である守護騎士とはまた違う特別な存在になっている。それがどう特別なのかは、覚悟と言うかそれに近いものが定まっていないので具体的には言えず、シグナム達にも言っていない。その特別な少年に触れられる状況を自分から作り出したとしても、恥ずかしいことには変わりなかった。
 おずおずと腕を伸ばす。触れた手の平から熱い感触が伝わってくる。それがクロノの体温なのか、自分の体温なのか。はやてには判別できなかった。








 と、ここまでが嬉し恥ずかし、見ているものが視線を逸らしたくなる桃色展開であった。

「はぁ、はぁ、はっ」
「ほら、もっとリズムよく。足に魔力がしっかり通ってないぞ」

 練習を始めてから、すでに二時間近くが経過している。最初こそ恥ずかしがっていたが、今ではそんな余裕はなく、しがみ付くようにクロノの腕に掴まりながら魔力を通すことで動かせる足をバタつかせる。

(し、しもうた………)

 はやてにとって誤算というか読み違えたのは、クロノにとってこれは単なる泳ぎの練習だという認識だ。本来なら女性に触れようものならすぐに顔を赤くするような恥ずかしがり屋の少年だが、明確な目的があるならそちらに意識がいき、女性に触れているという事を意識しないで済むようで、ひたすらはやての練習に没頭している。
 そんな訳で休憩時間を兼ねて昼食を取る頃には、はやては疲労困憊、弁当を並べた机の上で突っ伏していた。

「スパルタや……、クロノ君スパルタや………」
「それをわかっていて、申し出たんだろう?」

 クロノがから揚げを口に運ぶ。ちょっと、目を見張るようにしてから咀嚼する。どうやら好感触のようだ。ぐったりしつつもはやては強かにクロノの好みを観察する事を忘れなかった。

「それに僕はもっと厳しく教えられたぞ。いや、厳しいと言うより無茶だったが」
「それ、リーゼさん達に?どんな教えられたん?」

 問われてクロノは思い返す。一通りの泳ぎ方を短期間で教えられて、覚えきる前に重りをつけて泳がされ、それが出来ると徐々に重りを追加していった。何度、水の底で死に掛けたか覚えていない。
 そうして、仕込まれた水泳の最終試験は突如、目隠しをされて謎の無人島に連れて行かれて、何の装備もないまま一週間のサバイバルを行わされてから発表された。

『クロスケッ!痛みに耐えてよく頑張った!感動』
『いいから何をするのか言ってくれ』
『つれないぞ〜、クロスケ〜』

 小生意気な弟子の言葉に全く堪えた様子もなく、リーゼロッテは肩をすくめると、ビッと大海原を指差して言った。

『それじゃクロスケ、お帰りはあちら』
『意味が理解できない』
『だから泳いで。あ、あたしはアリアと一緒に船で帰るから』
『待て。ここから陸地まで5キロはあったはずだぞ』
『あはは。10キロだぞ、クロスケ』

 それだけ言うと、リーゼ姉妹はさっさと船に乗って島を出て行ってしまった。途方に暮れたクロノだったが、半ばやけになったように海に駆け出した。クロノの記憶ではこの時より長く泳いだ覚えはない。
 ちなみにその遠泳を終えたその翌日から『次の企画だ!』という訳のわからない言葉と共に高山に連れて行かれ、全身から悲鳴をあげさせれらた事は今でもよく覚えている。

「ク、クロノ君?」

 声をかけられ、はっと顔を上げるクロノ。どうやら物思いに耽ってしまった様だった。その顔はやたらと青くなっていた。

「え、え〜と。聞かんほうがええかな?」
「そうしてもらえると助かる」

 そう言ってもう一口から揚げを口に運ぶ。さっきよりしょっぱく感じるのは気のせいだろう。








 その後、とくに問題なくはやての水泳練習は終わりを告げた。クロールも覚えたし、25メートルもなんとか泳ぎ切る事が出来るようになった。まだまだ危なかったしいが、とりあえず体面は整うだろう。
 着替えを終えたクロノは更衣室の前で壁に寄りかかってはやてを待っていた。もう五分ほど待っているが、女性の着替えは長いものと言う事を知っているクロノは組んだ腕を掴んだ指で叩きながら静かに待つ。
 だが、しばらく待ってもはやては出てくる事がなく、その間にクロノは更衣室から出た局員から奇異の眼差しで見続けられていた。
 いい加減、念話でも繋げてみるか。そう思ったところではやてが更衣室のドアから隠れるように顔を半分だけこちらに覗かせた。

「遅かったな」
「う、うん…………」

 クロノが壁から身体を離す。だが、その動作を前にしてもはやては更衣室から出ようとしなかった。

「はやて、どうかしたのか?」
「あ、あう…………」

 はやての顔は僅かに出ているだけだが、それだけでもわかるほど赤くなっていた。不審がるクロノを前にはやてはそれこそ搾り出すように言った。

「あ、あんな。今日のこと、家の子らには言ってないんや」
「ああ、気を使わせたくないと言っていたからか?」
「そ、それで、バレへんように、服の下に水着着てきたんや。て、手間も省けるし………………」
「そうだな。僕もそうしたな。その方が早く着替えられる」
「それで、その、でも、肝心な事、忘れてしまったんよ」
「肝心な事?」






「か、変えの下着、忘れた…………」
「──────────」

 それってつまり。
 クロノの動きが固まる。だが、本当に僅かに、その視線が壁に隠れたはやての下半身に向けられたのを、はやては見逃さなかった。

「あう………」

 隠れてさらに顔を赤くするはやて。目元を前髪で隠したまま、口を半開きにして固まるクロノ。もの凄く気まずい沈黙が降りる。
 と、クロノがスッと先ほどまでもたれ掛っていた壁に身体を向き直す。

「ク.クロノ君?」

 クロノは壁を睨みつけている。もっとも背を向けているのでどんな目つきをしているのかは、はやてにはわからない。
 時間にして十五秒。はやてがどうしたものかと思っていると。

 ゴンッ!!

 クロノが壁に頭を打ちつけ始めた。

「ク、クロノ君!?」

 はやての呼びかけにも答えず、ひたすら壁に頭を叩きつけるクロノ。小声で「忘れろ忘れろ忘れろ」と呟いているがはやてには聞こえない。

「ちょ、ちょっと、止まってや!クロノ君!」

 慌てて飛び出そうとするも、自分の今の状態を思い出し、出るに出られないはやて。その間にも釘を打つように頭を壁に叩き続けるクロノ。
 結局、その状況はクロノが崩れ落ちるまで続き、はやての下着はシャマルに持ってきてもらうことで事なきを得た。
 もっとも、そのせいで今回のことがバレてクロノが袋叩きにあう事になるのだがその未来をはやてが知る事はないのだった。








 そんなはやての秘密特訓から数日。なのは達は海鳴市の市民プールではなく、市外のウォータースライダーなどのアクトラクションもあるプールにやってきていた。皆、着替え終わってプールサイドに集合している。

「さー、泳ぐわよー!」

 そう言う仕切り屋のアリサの後ろにはなのはとその付き添いで来た美由希、フェイトと誘われてきたエイミィ、ヴォルケンリッターは仕事のために誰もついて来られなかったはやて、すずかの御守りで来たノエルとファリン。

「…………」

 そして、たまたま休日だったので半ば強制的に連れて来られたクロノの姿があった。いくらエイミィにそそのかされたとは言っても、フェイトに上目づかいで「お兄ちゃん……だめ?」と頼まれては断ることが出来ない駄々甘兄貴であった。
 さて、知り合いは女性の方が多いと言う事をふざけた事に無自覚なクロノでもこれほど男女構成比が偏った状況の中にいたことはなく、非常に肩身の狭い思いをしていると、はやてと目が合った。

「「う…………」」

 気まずい沈黙が落ちる。クロノは更衣室の前で気を失ったので(ここだけ見ると非常に不審であるが気にしてはいけない)、はやてと顔を合わせるのはその日以来という事になる。お互い、頭に浮かぶのはあの出来事である。
 幸いにも、この二人の空気は他の人間には気づかれていないが、いつ指摘されるかわかったものではない。なので、どうにかしようとしたはやては、クロノを安心させようとして言った。

「………今日は持ってきとるよ?」

 言うなよ。忘れたかったのに。
 言葉には出さず、クロノは顔を手で押さえた。






 一同がまず向かったのはウォータースライダーだった。一口にウォータースライダーと言っても様々なタイプがあるが、今回は長い距離を蛇行しながら滑っていくタイプのものだ。シンプルなアトラクションだが、やはり人気が高く、それなりに並んで待つことになった。
 さて、ウォータースライダーは客の回転をよくするために、知り合い同士なら一人ではなく二人同時に滑ってもらうよう係員から頼まれることがある。一人ずつ滑って全員が降りてくる時間を待つのも惜しかったので、アリサは自分から申し出てペアで滑らせて貰うように係員に頼んだ。
 そうして、アリサとすずか、なのはとはやてが滑った後にペアになったのは。

「それじゃ、次の方お願いします」
「「え?」」

 クロノとフェイトだった。

「ほら、クロノ君。詰まってるから早く早く」

 残ったペアの片割れであるエイミィが後ろから急かす。

「ちょっと待て!なんで僕とフェイトがペアなんだ!?ここくらい一人ずつでもいいだろう!?」
「何、フェイトちゃんと一緒なの嫌なの?」
「そうじゃなくて!フェイトも何か言ってくれ!」
「………」
「なんで何も言ってくれない!?」
「いいから早く早く」

 急かされ、フェイトとスライダーの入口に着く。そこから流れる水はまったく冷たく感じられなかった。

「…………」

 フェイトが着ているのは、水着を首に通すスポーティなタイプの黒のビキニだ。そこから露出した肌は明らかに赤くなっている。そんなに恥ずかしいならなんで何も言わないんだ。そう思うクロノはフェイトが『兄妹なら普通兄妹なら普通』と呟いていることに気が付いていない。
 クロノは触れているようで絶妙に触れていない距離でフェイトの後ろにつく。生地の薄い水着を着たのみのフェイトからは触れなくても体温が感じられた。こんな格好の異性と触れ合いそうになるのは……………。まあ、過去はともかく、フェイトとは無い。お互い、恥ずかしがり屋の似たもの兄弟であった。
 そんな状態でで二人して固くなっていると。

「ほら、さっさと行く!」

 やたら楽しげな声で、エイミィがドンと後ろからクロノを押す。その前にいたフェイトも一緒になって押し出される。

「うわあああっ!?」
「きゃ!?」

 何の心構えも無いまま、二人はもつれ合ってスライダーを落ちていく。後ろでエイミィが係員に怒られているようだったが、そんな事を気にしている余裕は全く無かった。

「なんだか遅いわねー」

 既に滑り終えて下で残りの面子を待っているアリサはそう呟いた。同じく滑り終えたなのは達も、テレビ番組が始まる五分前のようにして待っている。

「ぁぁぁあああああっ!?」

 そこに聞き覚えのある声が悲鳴を上げて近づいてきた。何事かと思っていると、ドッポーン!!と大きな水飛沫がアリサ達の前で起こる。思わず、目を覆うなのは達。

「………え?」

 そうして、目を開けて飛び込んできたのは。

「うう…………」
「はう…………」

 縺れ合って身体を密着させているクロノとフェイトの姿だった。

「「「……………」」」

 呆然とする三人。

「……クロノお兄さんがフェイトちゃんを押し倒してる」

 そんな中、すずかだけがその様子を見た四人の主観をぽつりと漏らした。
 その言葉にたちまち動き出す一同。

「何々!?兄妹同士で禁断の愛!?」
「ちょ、クロノ君!?お兄さんってどういうことや!?」
「誤解だ!君もこっそり前の話を引っ張るな!」
「…………」
「な、なのは?」
「クロノ君のエッチ」
「…………(地味に効いてる)」
「ク、クロノ。早く、どいて…………」

 その場での騒ぎはもう一つのスライダーからエイミィと美由希が水飛沫を上げて突っ込んでくるまで続いた。








 次に一同が向かったのは波のプールだった。他の面子が波打ち際で、遊んでいる中、クロノはなのはと向かい合っていた。

「何を怒っているんだ、君は」
「怒ってなんか無いよ♪」

 笑顔で言うなのは。しかし、その笑顔から空間が歪むようなオーラが滲み出ていた。音符なんてつけて白々しいことこの上ない。その今まで見た事の無いようななのはにクロノは腰が引けるが、めげずに話しかける。

「いや、だからその態度が………」

 クロノが言葉を言い切る前になのはは笑顔でザブザブと奥に進んでいく。クロノも追いかけるが、水位が腰より高くなってもなのはは逃げていく。ここまで避けられると、さすがに距離を取ったほうがいいと思って身を返した時だった。

「うわっ」

 大きな波がクロノを襲った。波は頭からクロノを覆うほどの規模で、思わず水を飲みそうになった。

「なんだか、造波にしては随分と波が高いな」

 そう言って、また波に飲まれないよう戻ろうとして。

「──────え」

 誰かが、後ろに張り付いてきた。気配から誰かは検討がついたが、確証と何故そうするかがわからなかったので振り向いて確認しようとする。

「ふ、振り向いちゃ駄目!」

 叫びのような声に、動かしかけた首を元に戻す。ただ、その声で誰が背中に張り付いているのかはわかった。予想通りの人物だ。

「……ど、どうしたんだ、なのは」

 先ほどまで自分を険悪にあしらっていた少女の突然の行動にクロノは戸惑いながら聞く。なのはは自分の身体とクロノの背中の間に腕を入れてくっついている。その僅かな隙間に顔を埋めながら、なのはは震えながら言った。

「み、水着流されちゃった……………」








「──────なっ!?」

 今、確実に心臓が止まっていた。一瞬世界が止まりモノクロになった感覚を覚えながら振り返りそうになるクロノ。

「だ、だから振り向いちゃ駄目!」

 再び、首を戻すクロノ。その勢いは先ほどの比ではない。

「ど、どうしてまた、そんなことに」
「あ、あんまりサイズあってなかったの。この水着」
「なんでそんな水着を着てきたんだ!?」

 ちなみになのはの水着は、やたらと際どいビキニだった。正直、最初は目のやり場に困った。同時に何かなのはらしくないと思った。その上、サイズが合っていなかったという。クロノが疑問に思うのも、当然だったので尋ねてみるが。

「わ、わかんない……」
「は…………?」

 思わぬ答えが返ってきた。そう、なのはにも何故この水着を選んだのか、わからないのだった。
 この水着はつい二日前、皆で新しい水着を買いに行った時に購入したものだ。あれやこれやと色々な水着を探していると、なのはの目にこの水着が入った。
 その瞬間。

『その装備じゃないと、受賞できない!!』

 と、電波か神の啓示か異世界からのメッセージか。ともかく、逆らいがたい強制力に負われ、気が付けば『神秘のビキニ』なる妖しげなネーミングの水着を購入していた。無論、一緒に水着を買いに来た友人達が怪訝な顔をしたのは言うまでも無い。
 ともかく、クロノは身を固くする。いま、自分の後ろにはなのはの細い腕を挟んで剥き出しの───考えるな、それ以上は考えるな。なのはは水着といっただけで上とは言ってないし、もしかしたら────だから、考えるな。これ以上考えたら年齢制限に引っかかる。
 だが、どうする。動かないと探しに行けないし、迂闊に動くと、なのはが当たりそうだし、周りの客に見られるかもしれない。何がとか聞くな。具体的に明言できるほど僕は図太くない。
 クロノが見えない誰かに訴えていると、視界に見覚えのある金髪が入った。天の助けとばかりに念話を繋げる。

『フェ、フェイト!いいところに!助けてくれ!!』

 だが、こちらに振り向いたフェイトから返答はない。あれ?もしかして睨んでる?

『フェ、フェイト?』
『妹の私だけじゃなくて、なのはでもくっついていいんだ………』

 それだけ言うと、フェイトは身体を背けてしまった。

『フェイトー!?』
『フェイトちゃんー!?』

 そこにさらに追い打ちが入る。

『大変申し訳ありません。プールの点検のため、十分間ほど波のプールから上がってください』
「「はー!?」」

 無情に響く館内放送。横を過ぎ去っていく人の波。追い詰められたクロノは、執務官としての立場とか、異世界行動における禁則事項とかなにもかもを無視して結界を発動。人のいなくなった空間で、なのはが水着を見つけ出すまで目を瞑って耐えるのだった。







 精神的に疲労しきったクロノは昼食を終えても、陣取ったシートの上でぐったりしていた。おかしいな、今日は休日のはずなのに何故こんなに疲れているんだろう。

「お疲れやな、クロノ君」

 その隣にはやてが昼食の時取った位置のまま、そこにいた。彼女も昼食を終えても、他の面子と一緒に行かずこの場に留まっていた。

「ああ、まあね………」
「その割には、たくさん食べてたな」
「食べて体力くらい回復させないと、持たなかったからな………」

 げんなりとした様子で言うクロノに乾いた笑いをするはやて。笑いを収めると、はやては何か真剣な目でクロノを見つめる。

「はやて?」
「あの………今日作ったお弁当どうやった?」
「君が作った分か?美味しかったが」
「どれが一番美味しかった?」
「どれと言われても……。強いて言うならから揚げかな。この間の弁当に入っていた時もそう思ったが」

 そこまで聞いて、はやては唇を開きかけて閉じ、迷うように少し俯いてから、顔を上げて聞いた。

「あの、この間は学校のやったけど」
「学校の?」
「………この水着、どうやろ」
「え?」
「へ、変やないかな?」

 言ってはやては顔を赤くした。クロノはその赤さが移らないよう、視線を逸らして頬を掻いた。

「その……自分で選んだ水着なんだからもっと自信を持ったらどうだ」
「私は、クロノ君の意見が聞きたいんや」
「どうして?」
「………こういう水着、着るの初めてやから」

 その言葉に頬を掻いていた手を下ろし、目を閉じてため息をついた。ほとんど失念していた。初めて来たプール、初めて着込んだ水着。どう見られているのか気にならない訳がない。身内の言葉でも保障の言葉が欲しいのだろう。クロノはそう勘違いした。無論、はやてが欲しいのはそういう意味の言葉ではない。
 顔をはやてに向ける。今、彼女が着ているのはフリルのついたピンク色のワンピースだ。少し子供らしいデザインと言えばそうだが、背伸びした感じがなく、似合っていると思う。その水着を着て頬を赤らめたはやては確かに可愛らしかった。

「似合っていると思うぞ」

 だから、その通りに言ってやった。

「ほ、ほんまに?」
「ああ、可愛らしいと思うぞ」
「可愛らし………?」

 その言葉の意味を飲み込むのに少々時間を要してから、はやては顔をさらに赤くしながら満面の笑顔でクロノの背中をバンバンと叩いた。

「やーん!そこまで言われたら照れるわー!クロノ君のお上手―!!」
「痛っ!痛い!バンバン叩くな!」
「あはは!ごめんごめん!」

 先とは態度を一変させたはやてに呆れつつ、クロノはもう一度目を閉じてため息をついた。それから片目だけ開けてはやてを見ると何か気の抜けた顔をしているのに気が付いた。

「どうした、はやて」
「いや、なんや。安心したら気が抜けてしもうた」
「なんだか、疲れているようにも見えるが」
「……実はあれからこっそり一人で練習してて。昨日も本局のプールで秘密特訓や」
「………それは疲れもするだろう。水泳は全身運動だ。疲れているなら休んでいた方がいいぞ」
「あー………そうするわー………………」

 そう言うとはやてはこてんとクロノの方に身体を倒して頭をクロノの膝の上に乗せた。

「は、はやてっ?」

 突然の行動に慌てて呼びかけるが、はやてはくうくうと寝息を立てるだけで何も答えない。完全に寝入っている。よほど疲れていたのか、驚愕するほどの寝つきの良さだった。

「僕も疲れているんだがな………」

 これでは身動きが取れない。まあ、疲れている体には丁度良かったかもしれない。クロノは大人しくはやてに膝を貸すことにした。

「……………」

 そうしているとクロノも段々眠くなってきた。瞼が重くなってくる。消耗した精神が睡眠を身体に訴えていた。その感覚に逆らう事無くクロノは意識を落とした。
 それから、はやてはいつまでも来ない二人に業を煮やした友人達が戻ってくるまでクロノを独占するのであった。









 おまけ

「とまあ、そんなわけでこの間は大変だったよ」

 訓練室に向かう途中、隣にいるザフィーラにクロノはぼやくように先日のプールの出来事を話した。今日は攻撃魔法の性能向上のため、防御魔法の得意なザフィーラに訓練を付き合ってもらうことになっていた。

「まあ、ご苦労だったな。これからも苦労は多いと思うが頑張るがいい」

 何か励ましの言葉を貰いながらクロノは訓練室に入った。一度、ザフィーラと距離を取ると、何故か結界が張られている訓練室の中でさらに結界が張られた。

「ザフィーラ?なんで結界を…………」

 振り向いたクロノが固まる。そこには何故かレヴァンティンをボーゲンフォルムにしたシグナム、グラーフアイゼンをギガントフォルムにしたヴィータ、旅の扉発動準備に入るシャマルの姿があった。明らかに殺る気だ。

「ちょ、君達!?どういうつもりだ!?」

 狼狽するクロノにヴィータが少女が持つには不釣合いすぎる鉄槌を差し向けて言った。

「あたしだって、はやてとプールに行きたかった」
「は?」
「そうだな。我々が任務をしている時に遊び呆けられているのだから恨み言の
一つも言いたくなる」
「いや、休日だったし。それを言うならなのはとフェイトとエイミィは?」
「クロノ君は私達を差し置いて、はやてちゃんの初水着姿を二回も拝んだんですからこれくらい我慢してもらわないと」
「待て。あの書かれ方だと、このシーンは語られることのない後日談じゃなかったのか!?」
「地の文にツッコむのは首を絞めるからやめたほうがいいですよ?」
「ザフィーラ!君も何か言ってくれ!」

 クロノはヴォルケンリッター女性陣の後ろにいるザフィーラに助けを求める。

「……所詮俺は獣だ。お前が誰とプールに行こうと、入れないから関係のない話だ」
「こっそり拗ねるなぁぁぁぁぁぁ!!その時くらい人型で入れ!!」
「さて、クロノ執務官。覚悟してもらおう」

 弓を構えるシグナム。鉄槌を振りかぶるヴィータ。笑顔で宝石を翳すシャマル。それらが一斉に発動した。

「う、うわあああああああっ!?」

 この日、クロノ・ハラオウン執務官の訓練は攻撃魔法から防御魔法と回避行動に変更となった。






inserted by FC2 system