リリカルなのは SS

                     雨のち晴れ

 こんなはずじゃなかった。
 そう人が嘆くことがないよう努力してきた。
 ずっと前から、今まで、これからもずっとそうするつもりだ。
 だから、今回もそうしようとして、なんとかなった。
 こんなはずじゃなかった。
 そう嘆く人を少なくすることが出来たはずだった。
 けれど。

「なのは」

 頬を打つ雫。

「────泣いて、いるのか?」

 彼女が泣いていた。
 酷く、つらそうに、悲しそうに泣いていた。

 そうさせたのは───────自分。











「爆弾魔?」

 その日、任務のためアースラに召集されたなのははその説明の際に出てきた物騒な単語をオウム返しした。隣に座ったフェイトとアルフは既に説明を受けており、沈痛な面持ちで口を噤んでいる。

「ああ。と言っても爆薬を使っているわけではないがな」

 なのはの向かいに立ったクロノはモニターに目を向けながら教壇に立つ教師のように、説明を続ける。

「犯人はこれまで行った犯行は三回。その被害と特殊な技法のためにけっこうな人員が割かれていてね。僕達にもお鉢が回ってきたと言うわけだ」
「特殊な技法って?」
「魔法だよ」

 その言葉の意味を理解出来ず、きょとんとするなのはにクロノはモニターに魔法陣を浮かび上がらせた。回収されたこれまで犯人が犯行に使った物で魔法を扱うものならこの術式がいかに複雑なものか一目わかる代物だ。

「この術式は、一度展開すると術者が構築をしなくても周囲の魔力を集めて自動で魔法が完成する様に設定されている。発動する時間は解析班によると三日間から一時間までの幅で設定が可能とされ、管理局では集束型時限式爆弾と呼んでいる」
「集束型って………。それって凄いんじゃ」

 魔力の集束には高い魔導技術を必要とされている。それを術者の制御から離れて自動で行うなど、並の術式では不可能だ。

「ああ。わざわざこんな術式を作るなんて、正気とは思えない。術式の研究者としては一流のようだが、余程の狂人でもないと考え付くものではない」

 クロノは渋い顔をしながら説明を続ける。

「これを結界も張られていない街中で、いくつも設置。砲撃魔法クラスの爆発をする威力を持っているにも関わらずだ。これまでに死傷者は38人。重軽傷者は100人を越えている」
「そんな…………」
「管理局としてもこれ以上の被害は避けたい。そのための厳戒態勢なんだ」

 クロノは自分の指揮下に入る三人の正面に立ち、今回の任務の概要を告げる。

「これまでの犯行から、次の犯行場所はある程度予測されている。僕達はその一区域での犯人の捜索及び術式の発見が今回の任務だ。魔法陣は発動するまで視認出来ないが、捜索魔法で探し出せる」
「術式を見つけたらどうすればいいんだい?」
「この術式は確かに高度だがその分デリケートだ。僅かにでも魔力で傷をつければそれだけでその機能を失う。発見次第、破壊してくれ」







 それから一時間後、クロノ達はミッドチルダの市街地に転移した。フェイトとアルフ、クロノとなのは、二つの班に分かれて捜索を開始する。この班分けはなのはの誘導操作能力、フェイトの高速機動が犯人の確保に適しており、その二人を固めないようにするためにこのような組み合わせになった。

「……………」

 どす黒い雲の下、なのははビルの屋上から眼下に広がる町並みを眺めていた。自分の世界よりも発達した町並み。けれど、そこを行く人並みは何も変わらない。この中に多くの人を傷つけた、今も傷つけようとする犯人と術式が潜んでいる。何があっても止めなくてはならないと、なのはは改めて思った。

「なのは。術式を見つけた。二時の方向。座標を送るから破壊してくれ」
「うん」

 背中合わせに立っていたクロノから座標が送られる。それを元に狙いを定めて、威力の低い誘導操作弾をそこに向ける。町並みを潜り抜けるように放たれたそれは左手のビルの壁に衝突した。パン、と乾いた衝突音がしてから隠蔽された術式が一瞬浮かび上がり、色を失って崩壊した。

「これで五つ目か。随分固まっているな」

 クロノとなのはが見つけたのが五つ、フェイトとアルフが見つけたの三つの計八つ。自分達が担当している区域以外での発見報告は多くても四つ。数の上では僅かな差でしかないが、それが砲撃クラスの威力を持つ爆弾なら無視できるレベルではない。
 術式の場所に何か意味があるのかもしれない。捜索の範囲を検討するべきか考えていると、エイミィから念話が繋がった。緊迫した声が響いてくる。

『クロノ君!そっちに区域に犯人の姿が確認されたよ!いま、居所を教えるから追って!!』

 その言葉にクロノとなのはが顔を見合わせる。僅かな間を置いて、座標が送られてくる。その位置からクロノはすぐさま指示を送る。

『フェイト!アルフ!君達のほうが犯人に近い!君達はまっすぐ犯人を追え!僕達は逃げ道に回りこんで挟み撃ちにする!』
『わかった!』
『任せろい!』

 念話が途切れるとクロノはなのはに向き直る。

「僕達も行くぞ!なのは!」
「うん!」

 二人はその場から飛翔、そこから地図上で見るなら時計回りで迂回して犯人の逃げ道を塞ぐために移動を開始する。
 だが、そこに拍子抜けするような知らせが届いた。

『あ、クロノ。犯人を確保したよ』
「なに?」
『抵抗はしたけど、大したことなくて。今はアルフがバインドで拘束してる』
「そうか………。ともかく僕らもそっちに行くからそのまま押さえつけていてくれ」
『うん、わかった』

 念話が途切れると、クロノは眉を顰めた。何かあっさりしすぎている気がする。

「犯人、捕まったの?」
「ああ。何か釈然としないが。ともかくフェイトと合流しよう」
「うん」







 その男は博識で聡明で無力だった。
 男の考え出した理論や技術は理に適ってはいたが、男自身にそれを実証する力は無かった。『机上の空論』。その一言で片付けられ、見るものが見れば驚嘆に値する理論と技術は誰の目にも当たらなかった。それが男の不運。
 そしてその男は否定されようとも自分の道を貫けるほどの『力』がなかった。力なき故、力に惑わされ、自分が生み出したものが力になる事に思い至るとその力に溺れた。
 その力の証明に行われたのが、この爆弾事件である。複雑な構成で構築された術式によって作られた、魔力が満ちればそれをスイッチに発動する自動発動魔法の立証である。
 初めは、ただの実験だった。だが、それがもたらした成果に男は酔った。死傷者九名、重軽傷者三十四名、倒壊した建物には十階を越えるビルもあった。非力なるこの身がこれだけの力を生み出した。その事実に男は酔ったのだ。
 そうして犯行を繰り返すこと三回。犯行を重ねるごとにその規模を大きくしてきた男はより大きな力の成果を求めていた。
 だが、その一歩手前で邪魔が入った。その邪魔のせいでこの身は拘束され動くことができない。これでは安全圏内に逃げる事が出来ない。それどころかここは予定された爆心地に近い位置にある。僅かばかり、男は迷った。
 だが、迷ったのは僅かだった。自分が欲しいのは命ではなく、力の証明。その結果として、自分の命が失われようともそれはそういう力だったという事。それだけの事だ。
 男は縛られたまま、固く握りしめた拳の中にあるスイッチを押した。

 さあ、証明しよう。私の知識を。見せ付けよう。私の技術を。示そう。私の力を。










 空気が振動し、色が変わったような感覚を覚えた。

「なんだ……?」

 その感覚に飛翔を止めたクロノとなのはが周囲を見渡す。見渡して、目を開いた。自分達の左手にある建物の壁。そこにあの時限式爆弾の魔法陣が展開されていた。隠蔽されていたはずのそれは急速な速度で周りの魔力を集めていた。
 それを見て気が付いた。その魔力が集束していく気配が二人の両手を合わせても数え切れないほどに展開されていることを。

「クロノ君、これ……?」
「わからない。一体何が………」

 これだけの数の術式が隠蔽されていた事に驚きつつ、魔力の流れを読む。魔力の集束は確かに早い。おそらく隠蔽を解除することでその速度を上げているのだろう。だが、それでも解析班の見解では早くても完成には一時間はかかる。それだけあれば全ての術式を破壊する事は出来だろう。にも関わらず、術式の隠蔽を解除した理由は見当たらない。

「エイミィ。この状況は伝わっているか?」
『うん。犯人も捕まったし、他の地域の部隊もそっちに向かってるよ。予測発動時間までには十分に間に合うよ』

 その言葉にクロノは術式の破壊より、この状況の意味を考える。犯人の狙いがわからないまま、行動することに言い知れぬ不安を覚えたからだ。

「クロノ君、あれ………」

 その思案の最中、なのはが真正面を指差した。クロノが顔を上げる。

「────────」

 そこに犯人からの答えがあった。
 市街地の中心部。そこに爆発寸前の魔力球が形成されていた。

「────────」

 クロノは左手にある時限式の術式を見る。探索魔法で周囲を探ると術式はその魔力球に伸びるように展開されていた。ここだけではない。その術式は市街地の全域から中心部に集まるように展開されていた。
 そこに至り、クロノは犯人の狙いを見抜いた。

「連鎖爆破か!!」

 魔力を集める魔法陣の中心で爆発を起こすことで、本来なら完成に至らない術式の魔力を誘爆させる。それによってまたさらに完成に至らない術式の誘爆を引き起こす。その連鎖が市街地全域に張り巡らされているのだ。自分達が探し出した魔法陣など末端に過ぎないほどに。
 術式の引き起こす爆発は砲撃クラス。完成に至らないまま、誘爆させられても十分な威力を誇るだろう。その爆発が市街地全域で引き起こされればどれだけの被害になるかわかったものではない。また、ここには他の部隊も向かってきている。何もわからないまま、爆発に巻き込まれれば無事で済むはずが無い。
 その連鎖爆破による結果を推測したクロノは、何の躊躇いも無く魔力球に向かって飛翔した。

「クロノ君!?」

 突如、飛び出したクロノをなのはは追いかけようとする。

「君はそこにいろ!来ても危険なだけだ!!」

 だが、クロノがそれを遮った。その強い口調になのはが留まる。

「…っ」

 来ても危険なだけ。クロノがそう言うなら自分に出来る事はないのだろう。だから、なのははその言葉を信じてその場で立ち止まった。









 クロノの視界の先で魔力球が息を吸うように膨らみ、息を吐くように縮むのを繰り返す。爆発のための鼓動だ。魔力と言う導火線が満ちるまで発動しない時限式とは異なる、既に完成された爆弾。故に時限式とは違い、術式を傷つけても止まることは無い。そんなことをしたらその時点で爆発を引き起こすだろう。術式に割り込んでの解呪も間に合わない。だから、クロノはなのはを押し留めた。彼女に言った通り、来ても出来ることはなく危険なだけだから。そして、クロノにはあの爆弾を止めるための手段を持っていた。
 右腕を横に伸ばす。その手に召喚したのは氷結の杖・デュランダル。鋭い先端を持つ銀の杖を手にしながらクロノは術式を構築する。その間も魔力球への接近は止まらない。
 魔力球との距離がクロスレンジにまで近づいたところで、クロノが止まる。もし、爆発が起これば引き起こされる誘爆の爆心地のど真ん中。命の保障などどこにもないその場所でも、クロノは怯むことも恐れることも無く構築した術式を発動させた。

「デュランダル!!」
『Cocytus Cage』

 クロノの声に応じて、デュランダルが魔法を発動。爆発寸前の魔力球の周囲に環状魔法陣が形成される。環状魔法陣はその輪を大きく広げてから砕け散り、氷結の魔力となって、中央ある魔力球に集束する。凍結されていく魔力球。水が凍る様を早送りにしたようにその氷結の面積を広げていく。
 下手に手を出せばそれだけで爆発が引き起こされる魔力。だが、魔力そのものすら凍結させることが出来る氷結魔法はその限りではない。クロノは爆弾の周囲を氷の壁で封じ込めることで爆発を防ごうとしているのだ。
 デュランダルに魔力を供給し続ける。時間の無さから完全に封じ込めることは出来ないかもしれないが、最低でも誘爆を押さえる程度には凍てつかせなくてはならない。クロノは自身の防御も忘れて術式を展開し続ける。
 氷結魔法で押さえる前に計算した爆発時間まであと五秒。
 四秒。
 まだ誘爆を押さえ込むのには足りない。
 三秒。
 そろそろ防御を構築しなくては爆発に巻き込まれる。氷結によって規模を縮小させたとは言え、この距離では危険なことには変わりない。
 二秒。
 それでもクロノは防御の構築ではなく、術式の展開を続ける。
 一秒。
 凍てつき続ける魔力球。これなら誘爆を防げる事が出来るだろう。
 零。
 その瞬間、氷の障壁を破って白い閃光がクロノの視界を覆った。








「クロノ君―!?」

 その様子を見ていたなのはが見たのは、魔力球が氷の壁を粉砕しながら爆発する様、それに巻き込まれるクロノの姿。それも一瞬。辺りを照らす白い閃光に視界を遮られ、その姿を見失った。
 閃光が消失すると、なのはは辺りを見回した。先の爆発で周囲の建物が半壊し、爆発と氷によって辺りに水蒸気が立ち込めている以外、変化は無い。クロノが言った連鎖爆破というものが引き起こっているようには見えない。

「クロノ、君」

 そこでなのはは吹き飛ばされたクロノを思い起こした。

「レイジングハート!クロノ君の場所は!?」
『今、検索しています。あたりに魔力が満ちているため、識別が遅くなっていますが、すぐに見つけ出します』

 だが、なのははそれまで待っていなかった。視界が閃光に覆われる一瞬前に見た光景から当たりをつけてクロノの姿を探す。言い様の無い不安に駆られる。クロノを探すなのはの姿は迷子になった子供にどこか似ていた。
 どれだけ見渡してもクロノの姿は見つからない。もしかして、全く見当違いのところを探しているのか。この霧のような蒸気で見落としたのか。それとも─────────。

『見つけました。右下方です』

 最悪の想像をしかけた所で、レイジングハートがクロノの反応を見つけた。言われるがままにそちらに向かうと壁が半壊した建物が目に入った。どうやら爆発の余波で崩壊したようで、むき出しになった室内は瓦礫だらけだった。
 その瓦礫の中。埋もれるようにクロノが横たわっていた。

「クロノ君!」

 その姿に見つけられたと言う安堵と動かないクロノに不安を抱きながらなのははクロノに駆け寄った。

「クロノ君!!クロノ君!?」

 クロノはぴくりともしない。その様子に蘇る光景があった。忘れもしないあの草原。腕を焼き焦がし、身体中の痛みにもがき苦しんだ彼の姿。あの時は、その凄惨な様に深い痛みを覚えた。今回はなんの反応示さないクロノに心が凍てつきそうになる。どちらも死の匂いを感じるがそのベクトルは正反対であった。

『マスター。バイタル反応に異常はありません。気を失っているだけです』

 レイジングハートの冷静な声も聞こえない。なのははクロノの名を呼び続ける。それが功を奏したのか、クロノの瞼が震えるように開かれた。その目と目が合うとなのはは僅かに安堵して呼びかける。

「クロノ君!?大丈夫!?平気!?」

 クロノは朦朧とする意識の中、すぐ近くに感じる声の主を見ようとした。だが、どうにも視界がぼんやりして見えない。どうやら、閃光に目をやられたようだ。失明などと大げさな事になってはいないが一時的に目が見えなくなっている。
 それで思い至る。閃光。その原因。爆発。結果はどうなった?

「爆発、は?」
「…………え?」

 なのははクロノの問いかけがなんなのか、一瞬理解できなかった。理解してからも、言っていいのか迷うようにたどたどしく答えた。

「えっと……、周りの建物が壊れちゃったけど、それだけ。あとは何にも起こってないよ」

 それを聞いたクロノの意識は爆発に吹き飛ばされ、建物との衝突の際頭部を打った事もありまだはっきりしていない。閃光よって視力が落ちた焦点のあっていない目は感情が宿っていないように虚ろだ。

「そう、か。なら、よかった」

 だと言うのに、クロノは確かに満足げな顔でそう言った。

「──────────」

 その顔と言葉を聞いたなのはは愕然とした。
 自分が身を案じてもそれに答えず、周囲の被害だけを気にして。どれだけ心配したと思っているのだろう。いや、それよりも何よりもなんで自分の心配をしないのだろう。一歩間違えればどうなっていたかわからないのに。
 あの時に、あの草原の時のように。あんな事になったら──────────。

「馬鹿ぁっ!!」

 気が付けばそう叫んでいた。クロノが戸惑ったような顔をしているが、なんだか滲んでよく見えなかった。何故、滲んでいるのかなんて考えられない。色んな感情がごちゃ混ぜになっていた。

「なの、は?」
「クロノ君の馬鹿ぁっ!!」

 クロノにはわからない。何故なのはが叫んでいるのか。視力の回復していない目ではどんな顔をしているのかもわからない。だけど、自分の頬に何かが落ちているのはわかった。
 大粒の雫。雨だろうか?そんなはずは無い。確かに辺りには蒸気が立ち込めているが、そんな霞んだような雫ではない。それにここは室内だ。ぼんやりとだが壁が崩壊しているのが見えるが、それでも台風のような激しい雨でも降らない限り自分の頬を濡らすなんて事はない。

「なのは」

 何より、自分の顔をすぐ近くで見下ろしている少女がそこにいる。

「────泣いて、いるのか?」

 なのはは答えない。堪えきれなくなったようにクロノの胸に顔を埋めた。クロノは動くことも出来ず、見えない目で壊れた壁から空を見つめた。
 ポツポツと言う音がする。本当の雨が降り始めていた。












「あぅっ!」

 クロノの放ったスティンガースナイプがフェイトを捉える。かく乱の為にソニックフォームになったにも関わらず、クロノは二手三手先を読みその圧倒的速度を打ち落とす。防御を捨てたその形態で攻撃を受け、フェイトは撃墜した。

「今ので、一本、だな」
「うん………」

 先の事件から五日が経過していた。
 心配されたクロノの怪我だが、衝突の際に頭を打った以外大した外傷はなくそれも検査の結果、異常は見当たらなかった。デュランダルの自己判断機能により自動で防御魔法が展開されたためだ。軽い打撲が残ったくらいで、落ちた視力もその日の内に回復した。検査も合わせて、クロノは二日ほどですぐに職務に復帰した。
 だが、復帰したクロノは以前とは明らかに違っていた。

「もう一本、いけるか?」
「………うん」

 本当はもう体力も魔力も尽きかけている。だが、クロノの意志を感じ取ったフェイトはそれを無理やり引き起こしてバルデッシュを構えた。

「ちょっとちょっとぉ!もう無理だよフェイト!小坊主も無理やりつき合わせるな!」

 そこにアルフが割り込む。今ので、本日三度目の模擬戦だ。これ以上は身を壊しかねない。純粋に心配だし、いつ事件が起きても対応しなくてはならない局員としてもそれはよろしくない。

「…………そうだな」

 そこでようやく、クロノもフェイトが限界に近いことに気が付いた。相手のことを見ているようで全く見ていなかった。その事実をクロノは自覚していない。ただ、指摘された通りにフェイトに声をかける。

「フェイト。もう上がっていいぞ。僕はもう少し続けてから上がる」
「でも………」
「小坊主もこれ以上は無茶だよ。上がりなよ」

 自分を気遣う家族の言葉。それにもクロノは首を横に振る。

「僕は大丈夫だ。気にせず上がってくれ」

 言葉こそ常の調子だが、そこに変えがたい意志を感じてフェイトとアルフは渋々訓練室から出て行った。それを見送るとクロノはデュランダルを構え直した。

「…………」

 あの日以来、なのはと顔をあわせていない。だからだろうか、僅かにでも集中が切れるとあの時のことを思い出す。
 頬に落ちた涙。押し殺した泣き声。視界は霞んでいたと言うのに、彼女の泣き顔がはっきりと浮かび上がる。見えなかった目にもそれは焼きついていた。
 それが、胸を締め付ける。

「─────っ」

 それを振り払うように術式を構築する。たが、一向に胸の中の光景は晴れない。なのはが泣いていた。そうさせたのは自分だと言う事実。クロノにはそれが許せなかった。
だから、次はもっとうまくやってみせる。
 結局、クロノはこの後二時間ほど訓練をし続けた。無論、胸に刻まれた光景は晴れることは無かった。







「はい、確認しました。ご苦労様、なのはさん」

 その日、なのはは先日の事件関係の書類を提出するため、アースラにやってきていた。簡単な報告のため、一〜二時間もあれば終わる用事であり、リンディに確認してもらったのでなんの滞りもなく終えられた。しかし、なのはにはそれとは別に個人的な用事があった。

「あの、リンディさん。クロノ君は………」

 なのはは事件後一度見舞いに行って以来、クロノに会っていない。その時も様子が少しおかしかった気がしたが、学校でフェイトからここ数日のクロノの様子を聞いていたので気になったのだ。明らかにオーバーペースの戦闘訓練。睡眠時間も削っているらしい。ただでさえ、他のスタッフよりも働いている彼だ。不意に体調を崩さないとも限らないし、そんな時に事件でも起こったら大変なことになる。何より、純粋にクロノの事が心配だった。
 なのはの問いかけにリンディは首を横に振る。

「いないわ。ここの所、無理をし過ぎてるから、艦長命令で無理やり休暇を取らせたから、なのはさんの世界にいるはずです」
「そう、ですか」

 明らかに落胆した様子のなのは。それを見て、リンディは艦長ではなく、母親として聞いた。

「クロノと喧嘩でもした?」
「え?」
「様子がおかしくなったのは、あの事件の後ですから」

 なのはが目を見張る。リンディは立派な艦長であり立派な母親でもある。見るべきところはしっかりと見ていた。
 問われて、なのはは自分でも纏まらない気持ちをぽつりぽつりと漏らした。

「クロノ君に馬鹿、って言っちゃったんです」
「どうして?」
「あんな、無茶をしたから………」
「……それだけじゃないですよね?」

 リンディは諭すように優しげに聞く。

「……クロノ君と約束したんです」
「約束?」
「一緒に、頑張ろう、って」

 それは約束と明言されたわけではない。しかし、なのはにとっては大事な約束だった。一人では出来なくても、二人でなら出来る事がある。だから、一緒に頑張ろうと。クロノはそう言ってくれた。
 だが、今回クロノは一人であの状況を収めようとした。確かにあの起爆用の魔法を抑える手段をなのはは持っていなかった。けれど、振り返ってみればなのはに出来る事がなかったかと言えばそうでもない。
 クロノは爆弾を押さえ込むために、自分の防御を完全に捨てていた。吹き飛ばされ、建造物に衝突した時はデュランダルの持つ自己判断機能が防御魔法を発動させたが、爆発自体は氷結魔法の発動のため、防御魔法も展開しておらずまともに爆風を受けていた。
 なのはの出来たことと言うのは、クロノが氷結魔法の発動のために防御魔法が展開できなかったのならば、隣で盾になることも出来たと言うことだ。あの時点でどれだけの規模の爆発になるかはわからなかったが、もしそうしていたばクロノは怪我をすることなどなかっただろう。
 でも、それをクロノは危険だからと言う理由で遮った。そもそも何をするかも言ってくれなかった。二人でいたのに、一人で終わらせようとして無茶をして、それでいて自分の身を心配しない彼を見て感情を爆発させてしまったのだった。
 リンディは困ったような顔で笑って頬に手を添えた。

「それで、帰って来た時、目を腫らしていたんですね」

 なのはが固まる。本当に見るべきところは見ている女性だった。

「……なのはさん。少し昔話をしてもいいかしら?」

 唐突にリンディはそう言った。どういうつもりかわからないが、なのはは頷いた。多分、クロノと関係あることだと思ったから。

「あの子ね、お父さんっ子だったの」
「え?」
「私の言う事は聞かなくてもあの人も言うことなら聞いてね、ちょっと寂しい気持ちにもなったことがあったわ」

 なんとなくわかる。いつか見た写真ではクロノは父親にべったりだった。本当に好きだったのだろう。あんまり覚えていないと言う彼だが、父親の話をしたときの彼の顔は優しげで少し寂しげだった。

「でも、あの人が亡くなった時、あの子泣かなかったの」
「泣かな、かった?」
「それからかしらね。あの子が私の言うことをよく聞くようになって、人が悲しまないようにしようとしだしたのは」

 リンディは至らなかった自分に呆れるように嘆息する。

「子供心に、たくさんの人が悲しんでいる様子が印象深かったんでしょうね。そうさせないように、努力するようになったわ。あの子は悲しいことが大嫌いで、人がそんな思いをしないよう頑張って、そうしてあの子は強くなった」

 でもね、とリンディは言葉を切る。

「あの子自身は悲しい事に慣れていないの。慣れてないのに、それを自分一人で抱えようとしている。あの子はなんだって一人で抱えようとするの」
「………」

 なんとなくわかる。クロノはある事件の時、自分が言い出した事のためにそうなるとわかっていながら生死の境を彷徨うような重傷を負い、処分も全て引き受けた。あの時だって、何も言わずつらい所だけ一人で抱えこんだ。それだけじゃない。闇の書の事件の時も、闇の書が自分の父親を奪った事実を知る機会があった関係者以外には語らなかった。自分がその事を知ったのは事件が終わった後だし、友人で付き合いの長いエイミィすら事件発生当初その事を知らなかった。今思えば事件の最中どれだけの葛藤があったのだろうか。

「それと同じくらい人を悲しませると言う事にも慣れていない。だからでしょうね、あの子が無理をしているのは」
「………なんでですか?」

 リンディの言葉は納得がいく。そう思える節がいくつもある。だが、それが今無理をしている理由に結びつかなかった。

「あの子ね、なのはさんを悲しませたと思ってる」
「え………?」
「自分の力が足りなくて、なのはさんを心配させて悲しませたと思っているの。さっきも言ったけどクロノは人の心を傷つけるのに慣れていない。人が悲しむのが大嫌い。なのに自分がそうしてしまった。それで自分が許せないんでしょうね」
「ち、違います!私………っ!」

 慌てるなのはの肩にリンディが手を置く。そうして小さく笑いながら言った。

「だから、なのはさん。あの子にそうじゃないと言ってあげて。じゃないとあの子勘違いしたままだから」

 そう言ってリンディは不器用な息子のことを頼んだ。









 なのははアースラから戻ると、雨の降る中ハラオウン家のマンションに直行した。アースラに向かった時から降っていたが勢いは増している。雨粒も大きく、大きな水溜りがそこらに出来ている。
 マンションに着くと、インターフォンを押して呼びかける。だが、反応は無い。一応、扉を引いてみると案の定、鍵が掛かっていた。リンディの話ではこちらの世界にいるはずだが、どうやら留守のようだ。

「……………」

 拍子抜けしながら、クロノの携帯に電話をかけてみる。耳に響く発信音が途切れるのを祈るように待つが、三分ほど経っても繋がらなかったので諦めて電話を切った。念話を繋げようとしたが、やめた。しっかりと自分の口で言葉を伝えたかったので念話まで使う事に軽い抵抗を覚えたのだ。念のため、『連絡待ってます』とメールを打ってからなのははマンションを後にした。
 なのはは落胆した様子で歩いていく。このまま家に帰るのは億劫だったので、雨にも構わず寄り道する事にした。少しだけならこの雨でも大して変わらないだろう。
 道を逸れて近くの公園を歩く。塾への近道に使う公園で馴染みの深い場所だ。雨に少し肌寒さを覚えながら、なのははその中央へ歩いていく。

「………あれ?」

 公園の中央に辿り着くと、向かいに人影が見えた。雨で視界が遮られてしっかりと見えないが、この雨の中で傘を差していないことはわかった。段々と近づいてくるその姿が見知った人のものだと気が付いたのは互いの顔がはっきりと見える距離になってからだった。

「クロノ、君?」
「なのはか」

 なのはの姿に足を止めたクロノが荒く肩で息をする。黒い髪が汗と雨でべったりと張り付いている。それを鬱陶しげにかき上げながらクロノが尋ねる。

「どうしたんだ。こんな雨の中」
「……それを言うならクロノ君だって。傘も差さないで何してるの?」
「提督に無理やり休暇を取らされてね。することもないからトレーニングをしていた。傘を持ってないのは走っている最中に降ってきたからだ。まあ、あっても走るには邪魔なだけだが」

 事もなげに言うクロノになのはは息を呑む。なのはがこちらの世界からアースラに向かったのは三〜四時間ほど前だ。その時から雨は降っていたから少なくともそれ以上の時間、クロノは走り続けていた事になる。
 なのははクロノを見る。まだまだ少年の域を出ない顔はどこか強張っている様に見えた。無理に表情をなくしているかのような違和感。その表情と同じような目は、なのはと同じく正面に向けられている。ただ一つ、けれど大きく違うのはクロノは正面にいる相手の事を、なのはの事を見ていなかった。

「それじゃ、僕は行くよ。まだ走り途中なんだ」

 そう言ってクロノはなのはの横をすり抜けようとする。

「────────」

 酷く悲しい気持ちになった。手を伸ばせば届く距離にいると言うのに、クロノはなのはをまるで見えていないように一度も見なかった。私はここにいる、そう気付いて欲しくて堪らなかった。
 横をすり抜けるクロノを追う様に、なのはも振り返る。声を上げて呼びかけようとするが、何故かうまく出なかった。出たとしても、自分の事を見ていなかったクロノだ。気が付かないかもしれない。振り向いてくれないかもしれない。
 はっきりと気付いて欲しくて、手を伸ばした。傘は手を伸ばすのに邪魔だったので放り出した。雨が身体を打つが一向に気にしない。
 そして、しっかりとクロノを止められるよう、その身体に抱きついた。

「…………なのは?」

 酷く戸惑った声がした。その声になのはは自分の服が濡れるのも構わず回した腕に力を込めた。クロノの背中は、雨の冷たさと運動で上がった体温が入り混じっていた。その背中に顔を埋めるようにしてなのはが語りかける。

「………ごめんね」
「どうして、君が謝る?」

 クロノにはなのはが謝る理由がわからない。そもそも何を謝っているのかわからない。謝るとしたら自分。なのはを泣かせたのは自分だ。自分の力が足りなかった。だから、あれだけ心配させた。そうさせたのは自分。悪いのは自分だと言うのに何故なのはが謝るのかわからなかった。

「馬鹿、なんて言い方悪かったよね」

 なのはは知っている。彼が優しい人だと知っている。でも知らなかったこともある。優しいから傷つきやすくて、でも自分が傷ついている事に気づかないで苦しんで、それでも全部一人で抱えようとする。そんな一面を持っていることをなのはは知らなかった。

「私ね、傷ついた訳じゃないよ。怒っただけ」
「怒った………?」

 でも、今は知る事が出来た。だから、思っている事を伝えて、クロノを知ってもらいたい。どうして自分が泣いたのかを。そして、いつものクロノに戻って欲しかった。

「クロノ君が嘘つきだったから」
「嘘つき………?」
「一緒に頑張ろうって言ってくれたよね?」
「───────」
「でも、クロノ君一人で全部やろうとしちゃったよね?」
「あれは…………」
「私にも出来ること、あったよね?」
「…………」

 クロノは天を仰ぐ。あの時の判断は間違っていたのだろうか。確かになのはにも出来ることはあったかもしれない。けれど執務官として部下を危険に晒したくない。そう思って、あの場になのはを留めた。結果としては一人であの場を収めることが出来、なのはに危険に晒さなくても済んだ。ならば、結果だけなら間違いではなかったのだろう。
 でも、本当にそれは正しいことだったのだろうか?もし、そうでなかったとしたら何故自分はそうしなかったのだろうか?自問してみるがわからない。
 わからないが。

「………そうだな」

 ただ、確かな事が一つ。

「僕は嘘つきだな」

 あの約束を守れなかったのは確かだった。
 クロノが胸の前に組まれたなのはの手を握る。クロノの手の感触になのはの力が緩む。それと同時にクロノが一歩踏み出すようにして、なのはの手を解いた。そうして振り返ってなのはと向き合った。

「嘘をついて、ごめん」

 そう言った彼の目は、ちゃんとなのはを見ていた。その事がわかるとなのはの胸は一瞬、何もかもを忘れて高鳴った。

「正直言うと、しっかり守れる自身はないけど」

 自分を映し出しているなのはの瞳を見つめる。その目はいつのまにか涙に滲んでいた。指先をなのはの目尻に伸ばし花を摘むように優しく涙を拭う。

「守れるよう頑張るから、また約束させて欲しい」
「……うんっ!」

 クロノは少しつらいような、喜んでいるような、泣いている様な顔で笑いながら言い、なのはは晴れたような満面の笑みで答えた。
 気が付けば、いつの間にか雨は止んでいた。










 クロノの様子も元に戻り、アースラスタッフが安堵してから数日後。なのはは本局での用事を済ませてアースラに寄っていた。
 もうほとんど顔見知りなスタッフ達に挨拶しながら擦れ違っていると、向かいから見覚えのある黒い服を来た少年が歩いてきた。

「クロノ君、こんにちは」
「やあ、なのは」

 ごく自然に挨拶する二人。だが、あの雨の日の出来事の後は大変だった。なのははずぶ濡れのクロノを自分の家のほうが近いからと立ち寄らせて風呂に上がらせようとしたのだが、なのはも濡れているのを見て桃子が「なのはも一緒に入る?」だの「今日はこのまま泊まってく?」だの言い、順番に風呂に入ると夕食の準備がされており、そのままご馳走になってしまった。フェイトにはその時に連絡は入れておいた。
 それから乾燥機にかけた服に着替えてすぐに帰ろうかと思ったがなのはが『少しお話してからにしない?』と言い部屋に入れてもらったがなのはが飲み物を取りに席を外した時、トレーニングの疲労からうっかり眠ってしまい、その気も無かったのに桃子の言葉通り外泊してしまった。朝起きてなのはと顔を合わせて二人揃って慌ててからその事実にも慌てたが、作られた自分の分の朝食を断ることが出来ず、ゆっくりと自分の家に帰る事になった。帰ってきた時の「……朝帰り」と言った時のフェイトの目は今でも忘れられない。
 そんな事もあって数日の間、ぎこちなかった二人だが今はこの通り元通りである。だが、正確に言うなら僅かながら確かな変化はあった。

「クロノ君、それ書類?」
「ああ、ここ数日で溜めてしまってね。今日はこれにつきっきりだ」

 そう言うクロノの手には両手でなんとか抱えきれる量の書類の束が合った。それを見て目を丸くしたなのはは、心配そうにして言った。

「大変そうだね。手伝おうか?」
「いや、これくらいなら一人で………」

出来る、と言いかけて言葉を飲み込む。『一人で』の部分でなのはがいかにもムッとしているという表情を作ったからだ。正直、怖いというより可愛らしい顔だったが、それを見てクロノは思い直して言った。

「そうだな。じゃあ手伝ってもらおうか」

 たまたま、近くを通りかかりその言葉を聞いたアレックスとランディは仰天した。二人の知る限りクロノが人に仕事を手伝わせるなんて、絶対に一人では出来ない量で無い限り有り得なかった。やれやれ、と言うクロノに嬉々してついていくなのはを奇想天外なマジックを見るように唖然として見送る。
 クロノは思う。どうも人を頼るという行為は慣れない。自分で出来る事なら自分一人でやるほうがいいと思う。そのほうが自分のためにもなるし、人に苦労もかけない。
 けれど、あの約束と約束を交わした少女のためにも、これくらいの苦労を分け合う事は許そうと思う。まずはこれだけ。それ以上のものを分け合うこともあるかもしれない。もし、その時にそれを許せると思える自分がいるのならば、それはそんなに悪いことじゃないのかもしれない。だから、今はゆっくりと約束を守っていこう。
 手にした重い書類の束を少しだけ分け合って、クロノはなのはと仕事場の執務官室に向かった。

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