リリカルなのは SS

                      黒の夢(後)

 それはあまりに決定的な違和感だった。

「ユーノ。この間頼んでおいたロストロギアの鑑定資料、並びにそのロストロギアの生まれた世界の歴史資料、魔法体系論を出してくれ」
「え?でも、まだあれは全部出揃ってないよ。それに期日にはまだ早い………って、まさかこっちに言いもしないで期日短くしたのか!?」
「いいから出せ。進行状況を見たいだけだ」
「なら、いいけどさ………」

 渋々と言った様子でユーノが無限書庫の奥に向かう。その後ろ姿を見送りながらクロノはこの結果がどうなるかを思う。十中八九、予想通りになるだろう。この数日間、色々と検証してきたがどれも予想通り。もうこの時点でも確証はほとんど得ている。にも、関わらず遠回りをするように可能性を一つずつ潰していく自分の行いにクロノは釈然としないものを感じていた。

「あ、あれぇ?」

 戻ってきたユーノの反応は思ったとおりだった。

「おかしいな。期日も半分過ぎてるからまとめに入ろうと思ってたのに、なんにも手をつけてないなんて………、その、ごめんクロノ」
「いや、いい。助かったよユーノ」

 え?と訝しげな声を上げるユーノに背を向けるとクロノは無限書庫を後にした。確証は得た。もう、ここに来ることは無いだろう。これ以上留まる理由などないし、もう沢山だ。今夜中にケリをつける。苛烈な意志を宿してクロノは強く拳を握った。
 だが、伝わってきた拳の感触はどこか心許なかった。







 今日の夜空は雲ひとつ無く、月よりも数多の星達が夜の闇を彩っていた。その空の下、クロノは黒のバリアジャケットを纏い佇んでいた。
 クロノがマンションの屋上で佇んでいるのは人を待っているため。バリアジャケットを纏っているのはその相手に自分と自分が抱いたこの世界を示すためだ。
 クロノは静かに手甲を装着した手の平を見つめていた。違和感は無い。身体の一部とも言っていいほど馴染んでいる。だと言うのについこの間まで自分がバリアジャケットを精製、いや魔導師であることすら忘れていた。
 酷い茶番だ。自分が観客なのか主役なのか判別できないが、そのどちらだとしても誤魔化しを入れねば、見ることも演じることも出来ないとは。
  その茶番を思い出す。今日はフェイトもアルフも揃っての夕食だった。あの男の事を父さんと呼ぶフェイトのとても穏やかだった。アルフはいつも通り無遠慮であの男の肩をバンバンと親しげに叩いていた。それを眺める母の顔は今まで見たことがないくらい優しげだった。
いや、違う。その顔はかつて見た事があった。それは大切な人がいなくなってからは見る事が出来なかった顔。自分一人では見る事が出来なかった顔。
 それはありえなくて、耐え難くて。でも、それでも。その顔が見られて僕もあの男も釣られるように微笑──────────。
 思い出した光景を潰すように拳を握る。その視線の先でキィと音を立てて屋上の扉が開かれる。茶番の首謀者がやってきた。

「どうしたんだ、クロノ。こんな所に呼びだして」
「その姿で喋るな」

 その姿を見た瞬間、口を開いていた。この数日間、溜まりに溜まり、積もりに積もったものがクロノに言葉を吐き出させた。正直よく耐えたものだと思う。初めにその姿を見て喚き散らさなかったのは奇跡に近い。

「僕の父、クライド・ハラオウンは僕が三歳の時に死んだ。時空管理局の記録にもそう残っている」
「………」
「だと言うのに僕の目の前に、十二年も前に死んだ父の姿がある。これはなんの冗談だ?」

 言葉を吐くたび、頭に響く不快感が大きくなる。それはもう不快感を通り越して痛みとなって響く。だが、構わない。それこそ自分が抱いた違和感と疑問。自分がこの世界を否定させないための抑止力。この世界の軋みだ。

「それだけじゃない。僕が仕事に行くのを何故母さんは見送った?艦長を退いたとすれば説明はつくがいつ、艦長を退いた?どうしてはやては車椅子を使ってなかった?まだ、彼女の足は不自由なのに何故?エレナの初公判はまだ始まってもいない。なのにどうやってはやての仕事を手伝える?いつ僕は執務官をやめていつ翠屋の支店長をやっている?何故プレシア・テスタロッサとその家族が存在していることになっている?どれもこれもこんな筈は無い事ばっかりだ。どうしてこんな世界になっている?説明できるか?出来ないだろう?だってこれは」

 目の前にいるソレに向かってクロノは言う。決定的な一言を。

「ある筈のない幻なんだから」

 瞬間、世界は音を響かせて崩壊した。










 満天の星空に抱かれた世界が崩壊し、現れたのは瓦礫ばかりの廃墟だった。そこに来てクロノは全てを思い出していた。頭に響いていた不快感の代わりのように蘇った記憶を確かめるように頭を片手で押さえる。
 ここは次元震か闘争の果てか、原因は不明だが文明が滅び去ってしまった次元世界の町。クロノはそこにフェイトとともにロストロギアの探索に来ていた。探索自体は困難ではなく、目的のロストロギアはすぐに見つかった。見つけたのは今いる円形の闘技場のようなこの空間。その場所の奥に祭られるように置かれたロストロギア。黒に近い色の霧のような魔力を纏わせたそのオーブを封印しようとしたところでクロノの記憶は途切れている。おそらくこのロストロギアが発動したのだろう。そこからこの茶番は始まったのだ。

「………以前、フェイトが言っていた事がある。闇の書に取り込まれた時、夢を見させられたと。おそらくあのロストロギアはその魔法の原点かその派生か、いずれにしろその流れを汲む物なのだろう。ただし、取り込まれた人間はその自覚がないというのが大きな違いだが」

 しかし、と言葉を区切りながらクロノは目の前にいる父の姿をした何かを睨みつけながら言う。

「父の存在はあまりにおかしかった。それは違和感なんてレベルじゃない。異物と言っていい。それが僕にここが現実ではないと言う事を気付かせた。僕の記憶と知識を元に作られた世界。記憶と知識に無い事は反映されない世界」

 ユーノに資料を早めに要求したのは、それを確かめるため。自分の知識にない事はいくら探しても出てこない。だから、無限書庫の自分が知らざる知識はこの世界には存在しない。

「……虚偽も隠し通せない、穴だらけの幻だ」

 そうだ。これが現実であるはずが無い。だって自分は覚えている。多くの人が黒の服を着て、父に墓に並んでいた時の事を。多くの人が涙を流し悲しんでいた時の事を。その悲しみを覚えている。本当に、本当に悲しい光景だった。
 あれが、こんな幻に消されるはずが無い。

「僕を現実に戻してもらおうか。お前の存在が一番現実から離れている。その分だけロストロギアの力が分配されているはずだ。つまりこの世界の管理者はお前だ。だから僕を現実に戻すことも出来る筈だ」

 クロノは指を突きつけながら父の姿をした男に言った。男はさきほどまで俯いたままだったが、その言葉に顔を上げた。記憶と変わらないその顔と目はどこか悲しみを宿している。それを見てクロノは自分の目の前で火花が散ったような感覚を覚えた。

「…………それは出来ない」
「何?」
「私はお前の言う通り、この世界において管理権限を与えられている。だが、それもロストロギアの命令の下にでしかない。その命令は取り込んだ人間に夢を見させ続けること。その命令がある限り、私はお前をここから出すことは出来ない」

 管理者は手を広げながら、ドーム上の天井に遮られた空を見るようにして言った。

「例え、それがお前の記憶と知識、感情を元に作られたクロノ・ハラオウンの父クライド・ハラオウンでも、その願いは叶えてやる事は出来ない」
「─────!!」

 その言葉にクロノは腕を横に一閃させ全身から魔力を噴出した。その手に握られているのは氷結の杖デュランダル。その杖に呼応するように噴出した魔力は白い冷気となり、クロノの周囲に霜を作らせた。

「それでいい。私を倒せば、この世界は中枢を失い崩壊し、お前はこの世界から脱出することが出来る。それくらいは息子の願いを叶えたい父として教える事が出来る」

 言いながら『クライド』はバリアジャケットを身に纏った。丈の長さの違いこそあれ、まったく同じ意匠のバリアジャケットだ。体格の違いを考えなければ鏡合わせのような二人。ただ、一つ違うのは互いが手にした杖だった。
 クロノが握るのは闇の書という第一級のロストロギアを永久に封じるために最新の技術を駆使して作られたストレージデバイス、氷結の杖デュランダル。対してクライドが握るのは黒の杖。それが自分がよく知るデバイスに似ている事をクロノは一目で気付いた。同時によく知るが故に僅かに違う形状の部分も見抜く事が出来た。
 そしてクロノはそのデバイスの名を知っている。

「L4、U…………」

 生前、クライドが使っていたとされるストレージデバイスの名。自分に贈られたS2Uの元となった、今は父の遺品としてリンディが大切に保管しているはずのデバイス。
 それを見せてくれた時の光景がクロノの脳裏を過ぎる。その時のリンディの寂しそうで悲しそうな笑みを思い出し、デュランダルを握る拳が震えた。その様子を気にもせずクライドは落ち着いた口調で話す。

「だが、ここから先は管理者としてお前にまた夢を見させなくてはならない。今度は疑念を抱かず、ずっと夢を見続けられるように」

 感触を確かめるようにクライドがL4Uを横に振るう。

「戦う前に言っておこう。お前が持つイメージから作られたクライド・ハラオウンにクロノ・ハラオウンは勝つことは出来ない」

 L4Uをクロノに差し向け、駆け回る子供を眺めるような笑みを浮かべながらクライドは言った。

「さあ、親子喧嘩を始めよう」
「っ!!」

 その言葉に耐え切れなくなったようにクロノはクライドに向かって一直線に駆け出した。







 溜め込んだ魔力を爆発させるように噴出し、それを推力にクライドとの距離を一気に詰める。対するクライドは両手でL4Uを構え、足を広げて待ち構える体勢だ。
 十メートルもなかった両者の距離は一秒ほどで互いの間合いに入った。突撃するクロノと迎撃の構えのクライド。クライドの視界には撃ち抜かんばかりの勢いで迫るクロノ。それを打ち落とそうとした瞬間、視界からその姿が消えた。

「むっ!?」

 砂塵を巻き起こす速度でクライドに迫ったクロノはその速度のまま、ほぼ直角に軌道を変えた。一瞬にして迫り、一瞬にして相手の視界から消えた所でクロノが相手の右手からスティンガーレイを放つ。
 放たれた青い光弾は氷結の魔力を伴ってクライドに迫る。元々対魔導師として高い貫通能力を持っており、それに通常バリアでは防御困難な凍結の術式を付加させて放った高速直射弾。距離的にも光弾の速度から回避は不可能。
 先手は取った。そう思ったクロノにクライドはL4Uを差し向けるように光弾に突き出した。

『Blaze Cannon』
「!!」

 放たれた魔力はクロノと同じ青。放たれた閃光はクロノが放った光弾を飲み込むように撃ち砕いていく。そのままクロノをも飲み込もうとする閃光をクロノは真上に飛翔して回避する。それに僅かに遅れて壁に衝突した閃光が廃墟の闘技場に新たな瓦礫を作りながら埃を撒き散らした。
 それを視界の隅で見ながら自分と同じ魔法ながら相手の方が速度も威力も上回っていると分析しつつ、未だ動かないクライドに対し次弾となる魔法を選択。デュランダルの処理能力と術者の力量を持って、並の魔導師の詠唱速度の半分ほどで魔法が構築される。構築した魔法に常と同等以上の感触を抱きながら解き放つ。
 瞬間、クライドと目が合った。

「っ!スティンガースナイプ!!」

 デュランダルから放たれた細い光弾はクライドを囲むように螺旋を描きながら疾走する。自分の思うままにコントロールできる誘導操作弾。防がれる事はあっても逃がすことだけはさせないとその螺旋を縮めていく。

「スナイプショット!!」

 加速のキーワードを受け、光弾はアクセルを踏み込んだように速度を上げる。光弾が描いていた円の軌道がぐにゃりと曲がり、クライドの後方から打ち下ろすように襲い掛かる。
 入る。そう思ったその時、クライドは身を翻しL4Uを銃の抜き撃ちのように突き出して迫るスティンガースナイプに迎撃を行った。

『Stinger Snipe』
「っ!?」

 放たれた魔法は自分と同じもの。L4Uから発した光弾はクロノのスティンガースナイプを蛇が獲物を絞め殺すように巻きつきそのまま引き千切った。クロノの光弾を絡め取った部分の魔力は相殺して消滅したが、残った魔力は先ほどクロノがクライドにしたように螺旋を描いて迫ってくる。
 避けきれない。そう判断したクロノは迫る光弾に対し、左手を突き出して防御魔法を展開した。

『Round Shield』

 防御魔法の中でも、強固さにおいては指折りのその魔法をクライドの光弾が叩き、高速で迫った勢いがそのまま腕に伝わってくる。魔力を落とした誘導操作弾の物とは思えない威力だ。それに眉を顰めながらクロノは展開したシールドを解除してクライドに視線を向ける。が、先ほどまでいた場所にクライドの姿はなかった。
 一体何処に。それを考えると同時に背中にぞくりと冷たいものが走った。その感に従ってデュランダルを背後に向けて一閃させた。甲高い音と共に衝撃が腕を伝わり、視界には自分と同じバリアジャケットを纏った者の姿があった。

「このっ!!」

 意識に火花が散る。それに突き動かさせるようにクライドのL4Uを弾いて、デュランダルを振り下ろした。クライドが両手で構えたL4Uでそれを受ける。叩き割らんばかりにばかりに押してくる力を受け流すように身を捻り、その捻りを使って、回し蹴りを放つ。回り込まれた形になったクロノはクライドがいなくなった事で空いた前方に身を投げ出すようにして蹴りをかわし、半回転してデュランダルを振るい、クライドを牽制する。クライドは追ってきていない。クロノが体勢を直すのを見届けてから正面から迫った。デュランダルを構えて向かい撃つ。
 先端を突き出す。下方に潜り込まれ膝蹴りが放たれる。引き戻した杖の柄で受け肘を見舞う。上体を引いてかわされ同時に杖が迫る。上方にかわして落下の勢いを利用して杖を縦に落とす。後方に下がってかわされ、今度は向こうから突きが繰り出され、それを横に弾く。返す刀で杖を薙ぎ払うと相手も同じように杖を薙ぎ払う。魔力を付随して放った両者の一撃は互いを弾き飛ばした。すぐさま引き付け合う磁石のように肉迫する両者。
 高度な近接戦闘が続く。それは魔法ではなく自らの身体能力と格闘技術が物を言う戦い。クロノは師である猫の使い魔から仕込まれた体術を駆使してデュランダルと一体になってにクライドに挑みかかる。
 だが、徐々に押し込まれていっているのはクロノだった。真横から迫るL4Uを受け止める。受けた杖の衝撃に腕が痺れた。

「くっ!」

 両者の格闘戦の技術はほぼ互角。故に戦況を左右するのは身体能力。その点において体格で勝るクライドはクロノの身体能力を確かに上回っており、それをクロノは身を持って痛感していた。それを覆すために、クロノは次の一手を講じる。
 斜めから切り下ろされたL4Uの勢いを殺さずに受け止め、その衝撃を利用して後方へと下がるクロノ。クライドが空いた距離を詰めてくる間にクロノは構築した魔法を発動させた。

『Ice Partisan』

 デュランダルの先端に白い冷気が宿る。アイスパルチザン。触れたものを凍結させる氷結の槍だ。受け止めるだけでも侵食するように対象を凍てつかせるこの魔法は近接戦において大きな効果を持つ。受け止める事が出来ないのだからさけるしかない。それは相手の選択肢を大きく削ることを意味する。
 身体能力で劣るのならば魔法で補う。それを持って近接戦での劣勢を覆すためにクロノはクライドを迎え撃つ。
 迫るL4Uに合わせる様にデュランダルを振るう。接触は一瞬、しかしそれだけでデュランダルの先端に触れたL4Uの表面が氷に覆われる。それに眉を顰めたクライドは警戒するように距離を離そうとするがそれを許すクロノではない。先ほどまで押されていた近接戦の劣勢を巻き返すように距離を詰める。

「おおおおおっ!!」

 裂帛の気合と共に氷結の槍を突き出す。回避できる間合いではない。捌くには受ける他なく、それもクロノの思惑から外れない。故に会心の速度を持って突き出された一撃。

「!?」

 それをクライドは柄を無造作に掴んで押さえ込んだ。デュランダルの先端はあとクライドの身体まで僅かという所で止まっている。クライドが握っているのは冷気を宿した先端に近い部分の柄。そこでは相手を凍結させることは出来ない。
 驚愕と共にデュランダルを引き戻そうとするがそれは遅すぎた。それよりも早くクライドが掴んだデュランダルを引き、クロノの体勢を崩す。身体が泳ぐと同時に腹に衝撃が走った。

「がっ………!」

 クライドの膝がクロノの腹を突き破る勢いで抉る。クライドは膝を引くとくの字に曲がったクロノの背中にL4Uを叩きつける。痛烈な殴打の感触が背を襲い、一瞬にして眼前に床が迫る。クロノが地面に激突すると蜘蛛の巣のような皹が作られた。

「あ、ぐ………っ!」

 呼吸が出来ない。腹と背に走る激痛。地面に叩きつけられた身体の痛みは鉛のような重さを与えた。意識は朦朧とし、視界に入っているものをしっかりと認識できない。それでもクロノは戦闘者として身体を起こして相手に顔を向ける。
 見えたのは青い光。その瞬間、クロノは本能的に防御魔法を展開した。

『Stinger Ray』

 ほぼ同時に紡がれる魔法。それは豪雨のようにクロノに降り注いだ。

「くうぅぅぅぅっ!!」

 視界一杯に青い光弾が走る。堅牢な防御を誇るラウンドシールドが高い貫通能力を持つスティンガーレイに削られてその形を崩す。それはまるで砂の城が雨によって崩壊していくようだった。その雨はやがて穴の開いた盾を抜けてクロノに突き刺さった。

「がっ……………!」

 悲鳴は上げられなかった。衝撃に声も上げられなかった。一発目が着弾すると続けざまに二発目三発目と光弾がクロノを射抜く。クロノが次に声を上げられたのは身を削るような光弾の雨がクロノの身体を十二回射抜いた所で止んだ時だった。

「く、そっ………!!」

 折れそうになる膝をデュランダルで支えてなんとか保つ。霞む視界の先には地面に降り立ちゆっくりと近づいていてくるクライドの姿。満身創痍のこちらに対しあちらはまったくの無傷。受けたダメージを考えればもう勝敗は決していると言っても過言ではなかった。
 けれどクロノは勝負を投げる気はない。砕けそうな身体と擦り切れそうな精神を奮い立たせ、最後の最後でこの劣勢を覆すための仕掛けを耽々と狙う。
 クライドが迫る。もうどんな攻撃魔法でも受ければ立ち上がれないだろうクロノの動きを眺めるようにゆっくりと迫ってくる。その距離が十メートルを切った所で足を止める。それでも身体を支えるだけで気力を使い果たしている様子のクロノにL4Uを突き出した。
 それを待っていたようにクロノが大きく目を見開いた。

『Ring Bind』

 突き出されたL4U。それを握る右腕。空いた左腕。揃えた両足。計五箇所が青いリングによってクライドが拘束される。それを確認するとクロノは全てを振り絞るようにクライドに突進した。
 拘束魔法によって相手の魔法発動を押さえ込む。攻撃魔法が放たれる瞬間をクロノは狙っていたのだ。リングバインドの発動時間はバインドの中でも速い部類に入るがそれでも攻撃魔法の発動に合わせて起動させると言う無茶な賭けがクロノが導き出した唯一の勝機だった。
 そしてその賭けは成功した。だが、リングバインドの拘束力はそれほど高くなく、大出力魔法を仕掛けるだけの時間はない。故にクロノが狙うのは相手の無力化、すなわちデバイスの破壊であった。選択する魔法はブレイクインパルス。叩き込めれば確実に標的を粉砕する近接魔法だ。
 近づいていくクライドの姿。微動だにせずに突き出されたL4U。それに向かって雄叫びをあげながらクロノがデュランダルを構える。
 そして、あと一歩と言うところで。

「─────!?」

 身に絡んできた魔力の鎖がその突進を阻んだ。
 その鎖の正体をクロノはすぐに看破した。ディレイドバインド。魔法を仕掛けた特定空間に踏み込んできた対象を捕縛する拘束魔法。それが自分の身を拘束したのだ。
 それはいい。だが、いつ発動した?敵の様子を窺い続けたのは、バインドを仕掛けるタイミングだけでなく他の魔法の発動を見落とさないためでもあった。相手は攻撃魔法を放とうとするまで間違いなく魔力を発動させなかった。一体いつ、この魔法を発動────────。

「まさ……かっ!?」

 そこでクロノは気付いた。いつディレイドバイントを仕掛けたのかを。クライドがバインドに拘束されるまでに魔力を発動させたのはその時のみ。それはクロノに向けてL4Uを差し向けたあの一瞬。あの時、放とうとしたのは攻撃魔法ではなくディレイドバインドだったのだ。それは発動を遮られることなく、仕掛けられ今この身を縛っている。
 つまり、全ては見切られて────────。
 クロノの思考を遮るようにバインドの拘束を破ったクライドがクロノの胸にL4Uを押し当てた。

『Break Impact』

 L4Uの先端に光が宿る。それは圧縮された魔力の振動波。弾ける様に炸裂したそれは魔力の鎖を引き千切りながらクロノの身体を砲弾のように壁に叩きつけた。









 全身が悲鳴を上げている。どこもかしこも痛みで身体を騒ぎ立てる。異常が身体を覆うことで異常が異常でなくなりあたかもそれが正常であるかのような錯覚を覚えさせた。そのためにクロノは意識を失わなかった。しかし身体は少しでも動けばひび割れて崩壊しそうなほどの痛みを訴えている。だから、壁に寄りかかるように座り込んだ姿勢のまま動くことが出来なかった。

「言ったはずだ。クロノ・ハラオウンはクライド・ハラオウンには勝てないと」

 声が響いた。記憶と変わらぬ声。それに動かされるように僅かに身を動かした。

「クライド・ハラオウンはクロノ・ハラオウンにとって全ての原点。超えることの出来ないイメージを抱いた人物だ」

 煩い。黙れ。その姿で喋るなと言っただろう。
 身体は少ししか動かない。だから動かせる力全てをデバイスを握る右手に込める。しかし、手には拳の感触しか伝わってこない。どうやら吹き飛ばされた時にデュランダルを手放してしまったようだ。

「………まだ立ち向かおうとするのか。それほどこの姿を取られる事が憎いか。いや、わかる。クロノ・ハラオウンの心から作られたクライド・ハラオウンだからこそわかる。クライド・ハラオウンこそ悲しみの始まり。クロノ・ハラオウンを歪めた人物なのだから」

 歪、み?

「覚えているか、クロノ。多くの人が私の死を悲しんだ日の事を」

 覚えている。忘れるはずもない。多くの人が黒い服を着て家にやってきた。多くの人が嘆いていた。多くの人が別れを告げていた。多くの人が悲しんでいた。
 それを忘れるはずがない。

「その時、お前はどう悲しかった?」

 ─────────そんなの、決まっている。悲しかったに決まっている。あれだけの人が悲しんでいたのだ。だから、悲しかったに決まっている。
 だから、どう悲しかったかなんて─────────。

「………幼かったお前は言葉だけで父親の死を理解することが出来なかった。理解できないなら悲しむことなんて出来ない。しかし、お前は多くの人が嘆き悲しむのを見てそれを間接的に理解した。そこでお前は初めて悲しみを覚えたんだ」

 それがどうした。父の死が悲しかった事に変わりはない。お前はその姿で何が言いたい。

「そこでお前は泣けばよかった。けれどお前は泣かなかった。泣かなければ褒めてもらえると思ったお前は悲しむべき悲しみを押し込めた。────それが歪みの原点。耐えれば、悲しまなければ強くなれるとお前は想い違いをした」

 ───────そんなこと、は。

「耐えれば強くなれる。それは間違いではないだろう。事実お前は五歳の頃からつらい魔法の訓練に耐え続け、力を身につけた。だが、それによって癒されなかったものがある。──────それは悲しみ。悲しみを押し込めたお前はその傷をずっと抱いたまま成長してしまった」

 ──────無い。そんな傷なんて無い。ある筈がない。例えあったとして、それがなんだと───────────。

「故にお前は悲しみを恐れている。一度負った深い傷をまた味わうことを恐れている。悲しまないよう耐えた事でお前は悲しみに恐れを抱くようになった」

 恐、れ?

「だからお前はいくらでも身を投げ出す。いくら傷ついても悲しむ者を救おうとする。身体の傷に比べれば、心の傷の方がずっと痛いから。だから悲しむ者を救おうとする」

 ─────────やめろ。それ以上くだらない妄言を吐くな。

「クロノ・ハラオウン」

 やめろ。

「お前は悲しみをなくすために戦ってきたのではない」

 やめろと。

「お前は自分が悲しみたくなくて他人を救ってきただけだ」

 やめろと言っている──────────!!!

「何故、お前は父の仇を許した?」

 多くの者が、救われると思ったから。こんな筈じゃなかった悲しみがなくなると思ったから。だから、僕は許した。

「それは例え、仇を取ったとしても自分の心は癒されないから。新しい悲しみを生むと思ったから。だから、お前は自分の心を置き捨てた」

 そんなの当たり前だ。例え、敵を取ったとしても何も得るものは無い。悲しみが増えるだけだ。だから、癒されるとかそんな事は───────。

「何故お前は私がこの姿をしている事を憎む?」

 決まりきった事を。死んだ人間はどんな魔法でだって生き返らない。その死を、死者を冒涜するような真似が許せないだけ。

「それはクライド・ハラオウンがクロノ・ハラオウンの悲しみだからだ。お前は悲しみたくない。しかし、この姿がある限りお前は悲しみを思い出す。だから、お前はこの姿を拒絶した」

 お前はさっき、から、僕の事を、なんでもわかったように────────。

「悲しい子だ。お前は」
「─────」

 痛みだらけの身体に温かい感触が伝わった。それは遠いいつかの時と変わらぬ温かさ。その感触に痛みも何もかもを忘れた。

「もう眠れ。ここにはお前を脅かす悲しみは無い。この世界をお前は幻と言った。だがそれは違う。この世界はお前が望んだ夢。誰もが穏やかに暮らし、悲しむことの無い世界。かつて、滅びが避けられないとものと知った人間達が現実の悲しみから逃避するために作られたロストロギア『ヴァルハラ』はお前にこそ相応しい」

 あれだけ憎かった声が心地よく響く。子守唄を聞かされるように段々と瞼が重くなってくる。

「もう疲れただろう。次に起きた時には覚める事の無い夢が始まる。そこは誰もが家族を失わなかった世界、闇の書の残した傷痕が無くなった世界、悲しみを恐れているお前が悲しみから遠ざかった世界。お前が望んだ世界が待っている」

 心も身体も崩れ落ちていく感覚。何かが失われていく感覚だ。掬い上げようにも手で砂を掬うようにその何かは零れ落ちていく。それは酷く疲れる行為だった。
 ああ、確かにもう疲れた。

「望んだ世界。故にお前は私という異物を感じ取ってもすぐにそれを突きつけようとしなかった。何故か?確証を得るため?違う。お前が心の奥底でこの世界にいる事を望んでいたから。確証を得ようとしたのは少しでもこの世界にいる時間を引き延ばそうとしたからだ。私に会うまでこの世界は心地よかっただろう?穏やかだっただろう?今度はそれがずっと続く。夢が見られなくなるまで続く。それまではずっとお前が望んだ世界のままだ」

 ああ、確かに穏やかだった。あんなに穏やかだったのは父さんがいた頃以来だった。それがずっと続く。いつまでも続く。それはとても安らかな世界なのだろう。

「だから」

 だったら────────────────────────

「もう、眠れ」

 ──────────────────もう、眠ってしまおう。

 崩れた意識が自ら幕を引くように、ゆっくりと瞼を閉じた。













 そこで、誰かに手を握られる幻覚を覚えた。

「───────────────────」

 落ちきろうとした瞼が止まる。その時にはその幻覚は消えていた。けれど、その感触は手にしっかりと残っていた。
 誰かがそばにいるのだろうか?わからない。だって自分は夢を見ているのだから。眠り続けているのだから確かめる術が無い。つまり、それは会うことが出来ないことと同じだ。
 会う事が出来ない。それは自分が最初に抱いた死の概念。あの日、多くの人が父の死を悲しんだ。もう父に会えなくなったことを悲しんでいた。会えないから、話しかける事も笑いかけてくれる事もなくなったのだと思って悲しかった。
 このまま眠れば手を握ってくれた人にはもう会えない。自分に会えなくなったらその人は悲しむだろうか。悲しむとしたらそれは自分が抱いた悲しみと同じ悲しみをその人は抱くだろうか。

 ───────それは許せない。

 ああ、でもそれは確かめられない。自分は眠っているのだから確かめられない。どうすれば確かめられるだろう。どうすればその人に会えるだろうか。

 ───────簡単な事、ここから起き上がればいい。

 拳を握る。その手に拳以外の感触が伝わる。何かと思ったがすぐにわかった。今の今までそれの事を忘れていたことを内心で詫びつつその力を握る。

 立ち上がろう。悲しみを確かめるためだけに。望んだ夢を捨て去ろう。












「むっ!?」

 クロノの頭を撫でていた手を離しクライドが後退する。殆ど死人同然だったクロノの身体に力が篭り右手を一閃させたからだ。無事なところなど一つも無いその身体が動いたことと取り込まれる寸前だった精神が自分を跳ね除けた事の両方に驚きつつクライドはクロノを見た。
 左手の手甲は弾け飛び、バリアジャケットは裾も袖も焼き焦げたように破れ、顔面は肌を埋めるように血に染まっている。
 そして、右手には黒のデバイス。

「S2Uか。だがデュランダルに劣るそのデバイスで対抗できると思っているのか?」

 S2Uとデュランダル。片や十年以上前に作られ調整と改造を繰り返すことにより実戦で使えるレベルに引き上げられたデバイス。片や最新の技術と機能を持って現在ストレージにおいて最高峰の性能を持つデバイス。その両者には明らかな性能差があった。
 だが、一つ。S2Uがデュランダルに優る点があった。それはともに歩んできた年月。クロノが才無き身を叩き続け鍛え続けたように、S2Uもその身を作り変え続けることで共に歩み続けてきた。それはまさしく魔導師としてのクロノの半身。故に、クロノはS2Uの事を我が事の様に理解しつくしていた。その全てを今、引き出し尽くす。

「S、2、Uッ!!!」

 ─────外装、開放。

 言葉と共にS2Uの先端にある緑の宝石を包む外装が弾け飛んだ。

 ─────魔力集束口、開放。

 その内に収められた基盤や配線がむき出しになり。

 ─────魔力出力制限、解除。

 その内部から青い電光が奔る。

 ─────魔力増幅制限、解除。

 電光は互いを喰らいあう様に絡み、混ざり、その光を大きくする。

 ─────魔力伝達回路制限、解除。

その中央で先端の宝玉が燃えるように発光した。

 ─────術式展開限界制限、解除。

『Level 7』

 最終安全制御、解除────────全機能全展開全開放。

「なにっ!?」

 その光景にクライドが驚愕する。S2Uが発しているのは集束された魔力。空間にばら撒かれたクロノとクライドの魔力だけではない。この空間を構成する魔力をも異常な速度で集束させている。術者とデバイス、両方の身を明らかに顧みていない速度だ。その証拠にクロノは小さく咳き込むと口から血を吐き出し、S2Uもすでに微細ながらその身に皹が走っている。本来、デバイスに仕込まれている術者とデバイスを守るありとあらゆるリミッターを解除したS2Uは自身とマスターの身を蝕みながらそれでも魔力を集束し続ける。

「っ!」

 弾かれるようにクライドがL4Uを突き出す。選択する魔法はブレイズキャノン。あれだけの傷を負ったクロノを殺傷するには十分すぎる魔法だ。ヴァルハラが取り込んだ人物であるクロノを殺せば、自らの機能停止に繋がるがそれを差し置いても今のクロノにそれ以上の脅威をクライドは感じていた。
 砲撃魔法としては驚異的な速度で魔法が構築される。完成した瞬間、クライドは躊躇いも無く砲撃を放った。

『Blaze Cannon』

 青い閃光がクロノを飲み込まんと迫る。それに対し、クロノはS2Uが集束した魔力を引き出し、左腕を迫る閃光に向かって殴りかかるように突き出した。

『Round Shield』

 展開した盾が閃光を押し返すように受け止める。衝撃に腕がぶれながらも盾はその形を全く崩さない。問題なのは術者であるクロノの左腕。過剰な魔力放出で腕の毛細血管が破裂し血が噴出す。魔力を引き出されたS2Uに一つ大きな皹が走った。

「あああああああああっ!!」

 そのどちらにも構わず、クロノは左腕をさらに突き出す。押し出された盾に閃光は握り潰された様に消滅した。同時にクロノは血塗れの左腕と入れ替えるようにS2Uを握った右腕を突き出した。

『Blaze Cannon』

 放たれた砲撃は先ほどクロノに迫った閃光を凌駕する速度と魔力でクライドに迫る。咄嗟に防御魔法を展開するが相殺しきれず爆風で後方に吹き飛ばされた。

『Blaze Cannon』
「!?」

 体勢を整える間に二撃目の砲撃が飛んできた。信じがたい速度だ。驚愕と共に再び防御魔法を展開するが、反射的に構築した防御魔法はさきほどより構成が甘かった。あっさりと盾を砕いた砲撃はさらにクライドを吹き飛ばし壁際まで後退させた。

『Blaze Cannon』
「───────!!」

 馬鹿な。
 そう思うと同時に衝撃が身を襲った。今度は防御を張る間もなかった。砲撃の三連撃という非常識な攻撃に直撃を受けたクライドが膝を突く。L4Uを支えになんとか立ち上がるが身体の自由はすぐに利かなかった。よろめく身体で顔を上げ視線をクロノに向ける。

「────────────」

 クロノの姿は壮絶だった。纏う黒の法衣は煤に塗れ、裾も袖も引き千切られたように破けている。S2Uを握る右手は滲み出た血で赤く染まり、その血はS2Uを伝って雫をたれ落とす。そのS2Uもすでに柄の半分が砕け散っていた。過剰な魔力放出で身体が活性化したらしく、流す血は先ほどより多く噴出しているようだった。
 それでもクロノは止まらない。集束させた自身の限界を超える魔力で魔法を構築し続ける。足元に展開した魔法陣は残像が出来るほどの早さで回転を続ける。S2Uから発する電光も激しさを増した。
 クロノが血を零れ落としながら右腕を振り上げる。同時に生まれる魔力の刃。クロノの頭上だけではない。天井を覆い隠さんとばかりに展開した魔力刃の数は二百を超え、三百に達しようかという数だった。

「スティンガーブレイド」

 クライドが駆ける。逃げ場の無い壁際から僅かにでもかわす余地がある空間に逃げ出すために。それとクロノの詠唱が終わったのはほぼ同時だった。

「エクスキューションシフト!!」

 刃の雨が降り注ぐ。クライドがかわすことが出来たのは僅か数瞬の間だけ。そこから先は爆風に踊らされる身を必死に防御魔法を展開することで耐えるのみだった。ありとあらゆる方向から襲い掛かってくる衝撃に自分が立っているのか崩れ落ちているのかわからなくなるほどに自分の感覚を見失った。
 やがて永遠とも思えた数秒間が終わる。自分が立っていられた事に驚きつつ、クライドは周囲を覆う煙の中クロノの姿を探す。
 あれほどの大魔力放出。もう術者もデバイスも限界を迎えていてもおかしくない。あと一撃。どれだけ何もかもが許したとしても放ててあと一撃。それを凌げば自分の勝ちだ。そのために相手の位置を正確に見定めなくてはならない。

「!?」

 だが、その必要は無かった。クロノはいた。首を回す必要すら無かった。真正面から自分に向かって駆け出していた。
 策は尽きたか。自分も重傷の域だがそれでもまだ自分のほうが余力を残している。真っ向からの戦いなら自分のほうが有利だ。
 クライドがクロノを待ち受ける。血を撒き散らしながら迫ってくる少年をしっかりと見据える。
 そして見据えた故に見つけた。クロノの後ろから彼を追うように迫る青い刃を。

(スティンガーブレイド!?)

 先ほど精製した魔力刃を一本のみ残していたか。その向かう先は自分とクロノを貫く軌道。
 ─────────刺し違える気か。
 もう回避は間に合わない。クロノの攻撃を避ければ軌道を変えた魔力刃が襲い掛かり、クロノの攻撃を避けなければ魔力刃は術者ごと自分を貫くだろう。ならば、その両方を止めなくてはならない。
 L4Uを突き出す。構築するのは最大威力のスティンガーレイ。これでもクロノと一本だけの魔力刃を相殺するには十分だ。ありったけの魔力をL4Uの先端に集め、クロノとスティンガーブレイドの両方が射線上に入るように狙いを定めてL4Uの先端を迫るクロノの眼前に突き立てる。
 それとクロノが射線上から逃れるように身を捻りながら身を沈めるのは同時だった。だが、クライドは迷わずスティンガーレイを解き放つ。高速で放たれた光線がクロノのこめかみを掠り、迫る魔力刃を蝕むように削る。魔力刃はその刀身の半ばを砕かれながらも疾走を止めず────────半回転した。
 その意味をクライドが理解する前に捻った身体に振り回されるようにクロノの右腕が払われる。その手には落ちれば砕け散りそうなS2U。その半壊のデバイスが砕けた魔力刃を柄に刀身を納めるように受け止めた。瞬間、残った魔力全てを供給された魔力刃が砕けた刀身を光の柱のように再構成された。

「────────ッ!!」

 叫びは声にならない。だが、その凄絶さを受けたように噴出した魔力が青い巨刃を押し出した。軋みを上げながらもその勢いを殺さずに身体を捻る。朽ち落ちそうな腕を抜け落とすような剣速に耐える。精神が身体を支え、その精神が意識を超える。全てを感じながら、その全てを認識できない。
 ただ、乱流のような青い輝きがクロノの意識を埋め尽くした。










 最初に耳にしたのは熱を持った何かが弾ける音。それが回線が焼き切れ、僅かに残った行き場のない魔力がバチバチと紫電を上げている音だと気付くのにまず五秒。
 次に感覚の抜け落ちた体が、片膝をつき左腕でなんとか身を支えることで倒れ伏す事を堪えている事に気付くのにまた五秒。
そして。

「…………結局お前は、自身の安息より他者の悲しみを取ったか」

 身に纏ったバリアジャケットが焼かれたようにボロボロになり、手にしたL4Uを断ち切られ、口から血を流し、既にその身が半ば光の粒子となって消滅しようとしているクライドの姿を認識するにもまた五秒掛かった。

「まあいい。こうなったからには『ヴァルハラ』というロストロギアは滅びるのみ。そうしてお前はいつかお前を深い絶望に苛むかもしれない現実に戻る。───────叶うなら、そうならない事を祈る」

 目の前で消えようとしているものが何かを言っている。聞こえない訳ではない。理解できないわけではない。ただ、何かを思うには何もかもが足りなかった。
 S2Uが奔る紫電に着火したように小爆発を起こし、宝玉の色が失われる。その振動が伝わり、クロノが血の痕をつけながら手からS2Uを落とした。続くようにクロノが前のめりに倒れる。

「─────────」

 固い床の感触を味わうと思ったが、体を何かに抱き止められる。とても暖かでずっと感じていたいと思ったが耐えることが出来ず、クロノは瞼を閉じた。
 それは酷く懐かしくて────────悲しい感触だった。












 目が、覚めた。

「………」

 飛び込んできた天井の白さに目が眩む。頭痛にも似た感覚を覚えて額を抑えたクロノはそれで自分が目を覚ましたと自覚した。全身は気だるいがその気だるさが返って身体の所在を自分に押さえてくれた。
 額を押さえたまま、上体を起こす。やがてゆっくりと手を離して顔を上げて回りを見渡す。ほぼ白一色で統一された見覚えのある造りの一室。一目で本局の病室だとわかった。それ以上見るものは無い。なのでクロノはうっすらと窓に映る自分の姿を眺めた。そこに自分がいることを確かめるように。
 映った自分の姿はとくに変わりは無い。いつもどおりの自分だったので大した感慨は抱かなかった。それでもクロノは僅かでも何かを得ようと窓を眺め続けた。
 そこに扉がスライドして開かれる音が響いた。引かれる様にそちらに向くとそこにはユーノの姿があった。クロノと視線をぶつけたユーノは何が起こったか理解できない風情で立ち尽くし、弾かれたようにこちらに詰め寄ってきた。

「ク、クロノ!?起きたの!?気分は平気!?大丈夫!?」
「………ああ、今とてもまた眠りたい気分になった」
「ちょっと待て、それどういうこと!?」
「いやだって、寝起きに君の顔を見てしまったし」
「は、はっきり言いやがったー!?」

 あまりの物言いに憤怒するユーノ。だが、風船から空気が抜けたようにがっくりと肩を落としてため息をつくと苦笑を浮かべた。

「その調子だと大丈夫そうだね。安心したよ。無事でよかった」
「それはどうも。………あれから何日経った?」
「状況は覚えてるの?」
「ロストロギアに取り込まれた所までは覚えている。それからどうなった?」
「えーっと、君が意識を失ってから四日間は不安定な状況が続いてて集中治療室にずっと入ってたよ。と言っても身体自体に異常はなかったから手の施しようはなかったみたいだけど。その間、大変だったらしいよ?安らかに寝てると思ったら、急に眉を顰め出したり、苦しげに呻いたり。リンカーコアが活動しだしたり消滅しかけるほど消耗したり。で、そこから容態が安定し出したら一般病棟に移ってそこから三日間眠ってたからあれから七日かな」
「で、目覚めてみれば見舞いは君だけか。もう少し眠るんだったか」

 その言葉にユーノは怒ってはいるが、だがなんともやりきれないというか。ともかく複雑な表情をして言った。

「あのね。その台詞色々と失礼だし不謹慎だよ?僕にも僕以外の人にも」
「どういうことだ」
「ちょっと待ってて。すぐにわかるから」

 そう言ってユーノは入ってきた扉から部屋を出る。ユーノの姿を遮断した扉に疑問を投げかけるようにクロノはそちらを見続ける。
 やがて五分もしないうちに扉越しでもわかるほどドタドタとした足音が響いてきた。その音が耳に残っている間に扉が開かれ、飛び出すように人影が部屋に駆け込んできた。

「クロノ君、大丈夫―――――!?」
「クロノ、平気!?クロノ!!」
「クロノ君、起きとる!?私わかる!?」

 悲鳴に近い声で問いかけてくる三人の少女。その様子に唖然としたクロノは説明を求めるようにユーノを見る。が、見ればそこにいるのはユーノだけでなくアルフやヴォルケンリッターの面々までいた。どうして君達が、いうクロノの視線にユーノが全てひっくるめて説明する。場を濁さないよう念話を使ってクロノのみに伝わるように。

(なのは達、君が意識を失ってからずっとこっちに泊り込みだったんだよ。ヴォルケンリッターがいるのははやての付き添い。今はいないけどリンディ提督やエイミィさんだって仕事終わったら付きっ切りだったんだよ?こんなに心配かけて、なのに君はあんな事言って…………)
「──────────」

 言葉に詰まった。悲しみではない、何かが胸を締め付けた。

「ク、クロノ君!?痛い?どこか痛いの!?」
「クロノ、痛いのどこ!?言って、早く!!」
「やっぱ頭!?胸!?それとも背中とか!?」
「君たち、少し落ち着け」

 クロノの言葉にピタリと動きを止める三人。やがて騒ぎすぎたと縮みこむ三人にクロノは淡々と語る。

「特に痛いところは無い。身体の方も異常はないと思う。検査してみないと退院許可はでないだろうが問題ないだろう。心配かけて悪かった。それから───────────」

 そこでクロノが言葉を切り、考え込むように片手で顔を覆った。
 それから、なんだろう?自分が何を言いたいかのわからない。ああ、でも言うべき事がある気がする。礼だろうか?謝罪なら簡単だが今言ったばかりだ。あとはなんだろう。まだ何かある気がする。多分、それは言うべきことじゃなくて僕が言いたい事。とても簡単な気がするのに思いつかない。僕が、僕が伝えたい事は──────────。
 クロノが顔を上げ、首を皆のほうに回す。自分の顔を見た皆が何故か驚いたような顔をする。どうしたのだろうと思いつつ、クロノは笑う。笑いながらそれほどいい笑顔ではないだろうと思った。
 その笑顔のまま。

「ただいま」

 頬に一筋の涙を落として、クロノは夢から覚めた。



 ある筈のない、けれど確かに望んだ夢から。
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