リリカルなのは SS

                    就任前の兄妹

「ごちそうさま」

 そう言ってクロノは席を立つとさっさと部屋に戻ってしまった。しっかりと定められた訳ではないが、夕食後の談笑はこの家族での決まり事だったというのに。

「………」

 リビングを出て行くクロノの背を寂しげに見ながら、フェイトは箸を止めて、大きくため息をついた。








 クロノが変わってしまった。
 何故そうなってしまったのかも、そうなってしまった時期もはっきりしている。だと言うのにその時は、あんな風にクロノが変わってしまうとは思いもしなかった。

『今年の提督就任試験を受ける』

 そう皆の前で話を切り出したのは今年の初め。満十六歳となり、試験資格を満たしたためだ。試験があるのは三月末。この試験に合格できれば、今年の人事編成にも組み込まれる。元々試験のための準備はしっかりとしてきたが、これから追い込みをかけるからその間、相手をしてやることが出来ない。
 そう言ってすまなそうな顔をするクロノを笑顔で後押ししたあの時の自分が恨めしい。
 それからのクロノは人が変わってしまった。全てにおいて効率を重視し、仕事もやる事をやったら、さっさと自室や執務官室に引き上げて提督試験の勉強だ。厳しいながらも船員達を気遣い、艦内に残って仕事をしていた彼とは思えない態度だ。
 休日でもそれは変わらない。食事や風呂など最低限の用事以外は自室に篭りっきりだ。それ以外の用事で外に出たのは無限書庫や本局のデータベースで調べ物があった時くらい。休日の日課とも言えた翠屋の来訪も今年に入ってから一度も行っていないらしい。寂しいなぁ、と語った時の桃子の苦笑には隠しきれない感情があった。
 なのはやはやてとも用事が無ければ会話もしない。すれ違っても挨拶だけだ。二人とも、今年に入ってまともにクロノと会話をしていないらしく、しきりにクロノの事を尋ねてくる。だが、尋ねられたフェイトはそんなクロノの事を語りたいとは思わず、言葉を濁すばかりだ。少なくとも顔を合わせられて羨ましいと言われたが、最低限の会話しかないしあんなクロノと顔をあわせても気まずいだけだ。羨ましがられる事なんて何一つない。
 クロノはそんな風だからはやても寂しい思いをしており、そのことに対してヴォルケンリッターが一度クロノに食って掛かったそうだが、変化は見られなかった。以来、ヴォルケンリッターがクロノに苦言はかけた事はない。
 その変化を気にかけていないのは、リンディとエイミィ、アースラのスタッフくらいだ。その事を話題にしても『今は好きにさせておこう』と苦笑するだけだ。彼らはクロノの変化が気にならないのだろうか。
 ともかく、クロノの変化から三ヶ月近くが経った。その間、クロノの豹変を目の当たりにし続けたフェイトは鬱屈な気持ちを抱き続けていた。











「しっかし、どうしたんだろうねぇあの坊主は」

 休日の昼下がり。アルフはリビングのソファーに寝そべって視線をクロノの部屋に向けてながら言った。もう小坊主とは呼んでいない。成長した彼の体格は小をつけるには相応しくないくらい成長した。

「しょうがないよ、提督試験は大変なんだし」
「そんなこと言って〜。一番寂しそうにしてるのはフェイトのくせに〜」

 寂しさを隠しながらクロノを弁護するが、アルフの一言に押し黙った。長年を共にし、精神リンクでも繋がっているアルフの前では大抵の隠し事などあっさりと見抜かれてしまう。

「…………でも、提督試験が大変なのは本当だよ。執務官試験より合格率が低いんだし」
「そりゃあ、知ってるけどさぁ。だからって今のまんまでいい訳じゃないだろ?」

 それはその通りだ。フェイトとしてはクロノが以前のクロノに戻ってくれればそれでいい。それはそんなに贅沢な望みではないはずだ。そのためにはどうすればいいだろうか。

「………どうすれば」

 そうだ。このままではクロノが以前のクロノに戻る事はない気がする。今のクロノが嫌だからといってこちらから離れてしまったら、元も子もない。そうならないために、以前のクロノに戻ってもらえるよう自分が何を出来るかを考えるべきだ。
 フェイトは考える。今のクロノに出来ることは何か。クロノは早めの昼食を終えるとすぐに部屋に戻って勉強をしている。部屋に戻ってもう三時間は経っている。昼食も軽くしか取っていなかったし、休憩を兼ねて何か差し入れたほうがいいんじゃないだろうか。そうした方がいい。なんだかとても名案に思えた。

「アルフ、手伝って」
「え?……あ、ああ。いいよ」

 思い立ったが吉日とばかりにフェイトはクロノへの差し入れの準備をする。夕食もあるし、そんなに量は多くないほうがいいだろう。何より量が多いとその分だけ勉強の妨げになりそうだ。飲み物はコーヒーより疲れの取れる紅茶の方がよさそうだ。
 そうしてテキパキと準備をすること二十分。三切れのサンドイッチと紅茶を盆に乗せ、フェイトはアルフを伴ってクロノの部屋のドアをノックした。

「…どうかしたか?」

 ノックに少し遅れてどんよりとした雰囲気を纏いながらクロノがドアから顔を出す。その雰囲気に気後れしながらもフェイトは手にした盆を差し出す。

「あ、あの。これ、差し入れ。クロノ、疲れてるかなと思って」

 それを目の前にしてクロノはきょとんとした顔をして、少しだけ笑った。あ、とフェイトが小さく声を出す。それは以前のクロノの顔。微かな手ごたえを感じて胸が高鳴りそうになる。その感覚に押されるように次の言葉を紡いだ。

「クロノ。その、部屋に閉じこもりっぱなしだと気分もよくならないと思うし、リビングで食べない?」

 けれど、その感覚はそこまでだった。その言葉にクロノは小さな笑みを収めて言った。

「すまない。勉強があるから部屋で頂くよ」

 そう言って、フェイトが言葉をかける間もないまま扉を閉めようとする。

「ちょっと、待ちなよ」

 それをアルフがドアを押さえて止める。

「あんたさ。試験が大変なのはわかるけど、せっかくフェイトが誘ってるんだから一緒に食べてやりなよ」
「アルフ!」
「フェイト。やっぱガツンと言ってやらなきゃ駄目だよ」

 ジロリと敵意すら宿してアルフがクロノを睨む。

「あんたさ、フェイトがどれだけ気にかけてるのかわかってるのかい?」
「………すまないが、そういう文句は試験が終わってからにしてくれ」
「っ!」

 その言葉にアルフはより一層目を鋭くして叫ぶ。

「試験試験って最近そればっかりだね!何かい、試験って言うのはフェイトとの食事や他の連中との付き合いより大事なのかい!?」
「…………」
「アンタは!そんなに偉くなりたいのか!」
「アルフ!」

 フェイトが叫ぶ。それは聞きたくて聞けなかった事。クロノならその内偉くなると思っていた。なのにクロノは急いで偉くなろうとしている。もし、それが大事だと。自分や皆の事より大事だと言われたら───────。

「………少なくとも今は」
「──────────」

 言われ、た、ら────────。

「っ!小坊主!!」

 クロノに食って掛かろうとするアルフをフェイトが手を握って止める。

「……いいよアルフ」
「でもフェイト!」
「もういいよ!」
「っ」

 フェイトの言葉に、何よりその表情を見てアルフが止まる。それは以前に、もう見ることはないと、忘れていた表情。流れてくる精神リンクからもそれは伝わってきた。
それは想いが伝わらない悲しさ。懸命に、懸命に頑張ってきたけどそれでも伝わることの無かった気持ちだ。


「……すまない」

 そう言ってクロノは押し黙った二人から離れるように扉を閉める。そんな酷い話は無い。そう思うなら部屋から出て来てくれればいいのに。そんな言葉だけ以前のままでいるなんて。

「……………」

 何かを紡ごうとして、でも何も紡げなくて。フェイトはただ俯いたまま、扉の前で立ち尽くしていた。









 それから数週間が経った。
 現在アースラは長期メンテナンスに入っており、アースラのスタッフはリンディの後を引き継いだ現艦長である古参の提督を含め、本局で仕事をしていた。そのスタッフ一同、休日である者も含めて全員がとあるホールに集合していた。その中には無論、クロノやフェイトの姿もある。ただし、二人の距離は休日の一見以来、明らかに開いていた。
 スタッフ達はある者はそわそわと、ある者は行ったり来たり、ある者は黙って、ランディとアレックスは妖しげな神霊グッズで祈りの捧げながらある物を待っていた。
 提督試験から一週間。クロノの合格結果をである。

「…………」

 その中、フェイトはつまらなそうにアルフと一緒にクロノから離れた所におり、そこからクロノの様子をちらりと見る。クロノは黙って腕を組み、目を瞑っていた。一見なんでもないように見えるがフェイトにはわかる。クロノは緊張している。それを押さえようとする時、あんな風に落ち着こうとする格好をするのだ。

「やー。あれは緊張してるねぇ〜。執務官試験の時より緊張してるっぽいよ」

 そこに能天気な声が響いてくる。振り向くとそこにいたのはエイミィだった。あまりクロノの事を話題にしたくはないが気になる事を言っていたので聞いてみる。

「執務官試験の時より緊張してるの?クロノ」
「うん。あの時は腕を指で叩いたりしてたけど、今回は微動だにしてないでしょ?あれはもう覚悟を決めてるって感じだね」

 その言葉にフェイトの心はまた重くなる。やっぱりそんなに偉くなりたいのか。
その時、静かな音を響かせてホールの扉が開かれた。その音に息を呑んだような皆がそちらに視線をやるとそこにいたのはアースラ現艦長のロウ提督。一番責任ある立場として結果を受け取ってきたのだ。
 ロウが静かにクロノに歩み寄るとその途中にいたスタッフは飛びのくように道を譲り、その姿を目で追う。
 クロノの目の前に来たロウは何も言わず結果を通知する書類をクロノに差し出した。ロウが小さく頷くのを見るとクロノは淀みのない動作で書類を開いた。その僅かな紙ずれの音が周りの人間には爆弾のスイッチが入ったかのように聞こえ、今度こそ間違いなく息を呑んだ。
 全員が注視する中、結果に目を通したクロノは顔を上げて小さく言った。

「合格だ」

 途端、爆発したかのような歓声が轟いた。ある者は拳を振り上げ、ある者は駆け出し、ある者は感極まって隣にいる者に抱きつき、ランディとアレックスは後のことなど知ったことかと他の人間と徒党を組んでクロノに飛びついてもみくちゃにした。驚いたような顔が見えたがそれもすぐに人並みに飲まれて見えなくなった。
 その様子を離れた所で見ていたフェイトは隣にいたエイミィに言葉をかけられた。

「いや〜、よかったね、フェイトちゃん。無事に合格できて」
「…………よくなんか、ないよ」

 クロノは提督になるために変わってしまった。提督になったらどう変わってしまうのかなんて想像もつかなかった。
 フェイトのその言葉にきょとんとして、何かを思い出したようにエイミィが苦い笑いを浮かべる。

「あー、そうだった。フェイトちゃんは知らないんだったよね。実はー………」

 そこにエイミィの言葉を遮るように、けたたましいサイレンが響き渡った。出動命令を告げるサイレンである。何事かとスタッフが動揺する中、通信を受けたロウは冷静に事態を告げる。

「1611号次元で指名手配犯を追っていた部隊から増援要請だ。相手はAAAクラスの武装局員を退けるほどの手練だ」

 全員に動揺が走る。AAAクラスと言えば、管理局の魔導師でも5%に満たない高ランクの魔導師だ。それを退けたと言うことは最低でもそのランクと同レベルの魔導師と言うことになる。
 事態の重さを感じ取ったクロノは自分を取り囲んでいた人間を振り払うと出動を申し出ようとする。

「僕が」
「私が行きます」

 そこに割り込んだのは少女の声。老提督とクロノが声のほうに視線を移すとそこにはすでにバリアジャケットを見に纏ったフェイトの姿があった。となりには人型になったアルフの姿もある。

「フェイト」
「『提督』はこれから忙しくなるでしょうから、私とアルフがいきます」

 それだけ言うとフェイトは身を翻して、犯人のいる次元世界に座標をセットされたテレポートに向かい、アルフもそれに続く。

「クロノ『提督』」

 思わず後を追おうとしたクロノをロウが引き止める。

「これからはすぐに前線に立てる身ではなくなる。現状では彼女達でも十分に対応できるはずだ。ここは彼女達を信頼して待機するのが司令としての立場だ」
「……はい」

 クロノはフェイトが立ち去った方に顔を向ける。そこには誰がどう見ても、フェイトもよく知る兄の顔があった。










 指名手配犯のいる次元世界に転送したフェイトとアルフは市街地を抜けた場所にある森の上で待機していた。

「…………」

 あと数分もすれば、武装隊が追い込んだ指名手配犯がここに飛び込んでくる。そこを拿捕するのがフェイトの役割だった。
 それを待つ間、フェイトは思う。相手はAAAランクの局員を退ける相手。間違いなく強敵だろう。もし読み違えでもすればやられる事も考えられる。
 でも、頑張らなきゃいけない。だってもう、クロノには頼れないから。変わってしまったクロノには頼りたくないから。だから一人で──────────。

「一人じゃないよ、フェイト」

 はっとして顔を上げる。そこには寂しそうな顔をしたアルフ。どうやら今の思考を読まれてしまったようだ。非常に申し訳ない気持ちで一杯なりながら謝罪する。

「ごめん、アルフ」
「いいさ。これからはあたし達だけで頑張らないといけないのは確かだろうし」

 フェイトが小さく頷くと通信が入った。武装隊からだ。指名手配犯の魔導師がフェイトのいるエリアに入ってきたようだ。正面を見れば、その姿が僅かではあるが視認できた。

「…………」

 フェイトはバルデッシュを構え、悲壮ともいえる心情で魔導師に向かって飛び立った。











「どうしたんだ、フェイトは」

 フェイトの様子をモニターで見ていたクロノが心配そうに呟く。
 明らかに調子が悪い。戦闘が開始してから、数分でクロノはその事を見抜いた。相手の魔導師は確かに手練だ。力押ししようとするフェイトの攻撃をうまく受け流している。攻撃が単調になっている事を差し引いても見事なものだった。その押し一辺倒の攻撃にアルフがうまく連携できていない事も原因だろう。ずっと攻勢に出ているがペースを掴み取る事が出来ない。

「しかし」

 それでも、このまま行くなら勝つのはフェイトだろう。確かに捌かれてはいるが相手は防戦一方なのだ。攻勢に出ない限り、勝つ事は出来ない。だから、クロノが懸念しているのは別の事だった。
 先ほど魔導師の詳細を記したデータを見てみたが、それによればあの魔導師のランクはAAクラスだ。その魔導師に対して破れた武装局員は経歴を見るとかなりの場数を踏んでいる。真っ向から戦ったのならば後者が勝つのが自然だ。故にそのランクの差を覆す何かをあの魔導師が持っているとクロノは考える。だが、それが何かまでは見えない。
 そこに慌てた様子の局員が入ってきた。局員はクロノの姿を見つけると一目散に駆け寄る。

「どうしたんだ?それに君は……」

 その局員は魔導師に敗れた武装局員の部下だった。手術室に運ばれるその途中、武装局員は戦闘の仔細を聞かされた部下はそれをクロノに伝えにきたのだ。

「…………ッ!………………ッ!」

 息も切れ切れ、けれど叫ぶように武装局員の言葉をクロノに伝える。それを聞いたクロノは目を見開いて、モニターに振り返る。
 注視するのは魔導師の持つデバイス。一見何の変哲もないそのデバイスには一箇所不自然な部分、取ってつけたような箱型の形状の物があった。

(くそっ!なんで気付かなかった!?)

 内心で悪態をつきながらクロノが駆け出そうとする。

「クロノ提督」

 それをまた、ロウ提督が引き止める。

「先ほどの言葉を聞いていなかったのかな?」

 クロノが生きてきた時間よりも長い年月を職務に勤めてきたロウ提督の言葉には凄みもあれば重みもある。階級だけなら同格だが、その年月を考えれば新米の提督が簡単に跳ね除けられるものではない。
 だが、クロノは振り返りもせずに答えた。

「部下の危機を見過ごすような提督になるつもりはありません」

 それだけ言うと、クロノはその場から走り去った。

「…………」

 今度は止めなかった。代わりに微かな微笑をロウは浮かべてクロノを見送った。








「ランサー、セット!」
『Photon lancer Get set.』

 バルデッシュの詠唱に応じて、フォトンスフィアが生成され稲妻の槍が放たれる。
高速で迫る槍を魔導師は十分に引きつけてから最小の動作でかわす。続けて放ったフォトンランサーも同じようにしてかわされた。

「っ!」

 さっきから攻め切る事が出来ない。ずっと攻撃はしているが直撃が一つたりとてないのだ。それほど巧みに魔導師はフェイトの攻撃を避け続けている。敵は力押しではない、卓越した技術を操る魔導師であった。
 そう、その様はまるで彼と初めて戦ってあしらわれた時のようで──────。

「っ!」

 こんな時にもう頼れない人の事を思い出した事、あの程度の魔導師を彼と重ね合わせてしまった事にフェイトの理性が一瞬途切れた。衝動のままに魔導師に向かって突撃する。

「フェイト!?」

 そのあまりに無策な突撃にアルフが声を上げるがそれも届かない。ただ、何かを振り払うように突き進む。
 そこで防戦一方だった魔導師がデバイスをフェイトに突き出した。同時にその先端のカバーがスライドした。
 その途端、魔導師が爆発的な魔力を得る。

「!?」

 フェイトが驚愕する。今のは間違いなくカートリッジシステム。おいそれと手に入る物ではないそれを一介の犯罪者が何故デバイスに搭載しているのか。
 疑問と共に危機感が吹き上がってくるが、もう遅い。加速し、真っ向から肉迫したフェイトには避ける間も防御魔法を構築する間もなかった。

「────────」

 放たれる魔力。砲撃の魔力がフェイトを飲み込もうとする。一瞬にして、脳裏に色んな人たちの顔が過ぎった。その最後に変わってしまった義兄の顔が過ぎったところで。

『Protection』

 蒼の盾が、それを遮った。
 続いて響く爆音。

「─────」

 その爆音に反してフェイトにはなんの衝撃も襲ってこなかった。有り得ない事だ。だが、それ以上にずっと有り得ないものを見るようにフェイトが顔を上げる。
 そこにいたのは。

「………大丈夫か?フェイト」

 もう見ることはないと思っていた兄の顔だった。

「……………」
「フェイト?」
「あ、うん。大丈夫」
「そうか。よかった」
『よかった、じゃないわよおおおおおっ!!』

 安堵したクロノに響いたのは恨みの篭った絶叫。

『何があっても防げるようにってあんな際どい空間転移、あたししか出来ないよ!?ていうか次に頼まれても絶対にやらない!転送した途端に砲撃かまされたの見て心臓止まるかと思ったよ!!』
「怒っているのか、心配しているのかどっちかにしてくれ」

 やれやれと言った調子で言うクロノをフェイトは不思議なものを見るように見上げる。そこにいるのは変わってしまったクロノなどではない。自分がよく知るクロノだ。何故彼がそこにいるのかわからずフェイトはどこかに迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。

「さて、フェイト。身体を離すが大丈夫か」

 そう言われてようやくフェイトは自分が抱かかえられている事に気が付いた。気付いた途端、恥ずかしさがこみ上げた。

「あ、う、うん!」

 慌てて姿勢制御をし直してクロノから離れる。それでも身体に残ったクロノの体温を探すように彼のほうに視線を外さない。その彼の顔は既に戦闘者のそれであり、即座に戦況に判断を下す。

「油断は出来ないが人数の上でも一人一人の実力の上でもこちらが有利だ。一気に畳み掛けるぞ」
「はいっ!」

 クロノの声に素直に応じられた。その事にいい様のない喜びを抱きながら、フェイトはクロノの指示の通りに敵に迫っていった。








 その後の戦闘はものの数分で終わった。クロノが牽制し、アルフが追い詰め、フェイトの一閃が敵の意識を刈り取った。そうして、手配犯を武装隊に引渡し、三人は本局へと帰還した。

「あの一件以来、カートリッジシステムが裏に出回っているという話は本当のようだな。見た限り、君やヴォルケンリッターのそれと比べればかなり粗悪な物のようだが危険なことには変わりない。本格的な対策が必要になりそうだ」

 この事件にクロノは一つでは済まない危機感を感じる。顎に手を当てて思案するその横顔をフェイトはじっと見る。そこにあるのは、功名など考えなどしない、これから引き起こされるかもしれない事件と悲しみを我が事の様に案じる姿。自分が目指そうとしている姿があった。
 あれだけ変わってしまったと思ったクロノの姿はどこにもない。あの姿はどこに行ったのだろうか。それがわからないからフェイトは以前のクロノが戻ってきても素直に喜ぶことが出来ず、戸惑うばかりだった。
 今回の事件の事を現艦長である老提督と話し合おうと足早に歩くクロノにフェイトはついていく。それはその姿を見失わないようにしているかのようだった。その二人が通路の角を曲がったところで。

「はぁい、クロノさん(はぁと)」

 キラリと眼鏡を光らせた、白衣を着た怪しい女性がいた。

「………」

 あんまり怪しいんで、クロノはその横を素通りする。フェイトもそれについていく。

「ちょ、ちょっと待ってください!せっかく来たのにその態度はあんまりじゃないですか!?」
「……だったら、もっと普通に登場してくれシャマル。なんの用だ」
「はい。エイミィさんに言われてクロノさんを引き取りに来ました」

 その言葉にクロノは表情を隠し、フェイトは意味がわからず、それを探る様にクロノを見る。シャマルはそのどちらにも構わず、クロノの右腕を取った。押さえつけるようにグッと握る。

「っ」

 それにクロノは顔を僅かに顰めた。無論、クロノがただシャマルに腕を握られただけでそんな顔をするはずがない。その理由をフェイトが考える前にシャマルが言った。

「……折れてはいないようですが、骨に皹が入っていますね。ブーストされた砲撃魔法を真正面から受け止めた事を考えたら、この程度で済んでよかったというべきですけど…………」

 その言葉にフェイトがはっとする。言われてクロノがここに来るまで、いや思い返せば戦闘中ですら右腕を動かしていなかったことに気が付いた。その原因は語るまでもない。どう考えても一つしか思い当たらなかった。

「………後で治療はしようと思っていたさ。ただ、心配をかけると思ったからね」
「ええ、そう言うだろうとエイミィさんも言ってましたので、私に医療室まで連行するように頼んだんですよ」
「けど、待ってくれ。今回の一件はこれで済むとは思えない。まずはロウ提督に話をしてからだな………」
「ええ、そうとも言うだろうとエイミィさんが言ってましたので、私に頼んだんですよ」

 え、という間もなくクロノはやたらと屈強な男達に一瞬にして包囲される。皆、白衣を着ているが微塵にも似合っていない。敢えて言うならそれは白衣じゃなくて白の特攻服に見えた。

「まさか、これが噂のシャマル医療部隊!?」
「ええ、その呼び名は納得していませんが、皆さん何度も治療を受けに来る内にお仕事を手伝ってくれるようになった人たちです」
「僕は何度も治療に来る局員が怪しげな治療魔法をかけられた結果だと聞いているが…………」

 そんな言葉など聞こえなかったようにシャマルが手を横にかざすと医療部隊の男達がクロノを担ぎ上げる。右腕が動かせない事と多勢に無勢のためにクロノは大した抵抗も出来ない。

「さて、それじゃクロノさんを手術、コホン。治療しに行きましょうか〜」
「待て、無駄に眼鏡を光らせるな。というか、何故眼鏡をかけている。治療と眼鏡をかける事に因果関係はない筈だぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 シャマルと医療部隊がクロノを主の名のごとく連れ去っていく。その早業にフェイトとアルフはぽかんと見送る他ない。
 そうして数秒立ち尽くすフェイト。

「フェイトちゃん、ちょっといいかな」

 その肩をいつの間にか現れたエイミィが叩いた。








「さ〜て、どこから話したもんかなぁ」

 本局のカフェでエイミィが手を頭の後ろで組みながら言う。言われるままに付いてきたがそもそも何の話だかわからないフェイトはその事を尋ねる。

「エイミィ。話って?」
「ん〜、あれよ。クロノ君が急いで提督になろうとしてた理由」

 思ってもみなかった話にフェイトは虚を突かれる。そのフェイトの代わりのようにアルフが怪訝な顔で聞く。

「理由ってあの坊主は偉くなりたかったんじゃないのかい?」
「だから、なんで偉くなりたかったのかっていう話よ。あのクロノ君がただ偉くなりたいなんて思うわけじゃないでしょ」

 言葉に出されて今更その通りだと思った。ただ、その変化に惑わされて今の今までその理由を考えるまでに至らなかったのだ。その事にフェイトは焦りのようなものを感じて話を急かす。

「エイミィ。理由って何?」
「えっと、フェイトちゃん去年執務官になったでしょ?クロノ君と同じで十一歳、それも一発合格で」

 コクン、と頷く。それもそれまでクロノがフェイトの勉強を忙しい仕事の合間を縫って見続けてくれたおかげだ。もしクロノが指導してくれなかったら、一発合格など果たせなかっただろう。

「で、それでアースラには執務官が二人、それもAAAクラスとAAA+の魔導師がいることになっちゃったわけでしょ。これってさ、一隻の艦船としては戦力過多なのよ。それで来年の人事でフェイトちゃんを別の艦に異動しようかって話が出たんだ」
「え…………?」

 寝耳に水だった。そんな話が上がっていたなんて考えもしなかった。ずっと自分はアースラで働くのだとばかり思っていたから余計に驚いた。

「前までは執務官と執務官候補って事だからなんとかなってたけど、さすがに逃れられなそうでさ。ほぼ決定の話だったのよ。そうなるとクロノ君とフェイトちゃん、離れ離れになっちゃうでしょ?で、リンディ提督の代わりに仕事場でしっかりフェイトちゃんの事を見ていたいクロノ君がそうならないようにするために取った手段が提督になる事だったのよ」
「それ、って………」
「そ、もう気付いたみたいだね。艦船を預かれるのは提督クラスから。クロノ君は提督になって艦長としてフェイトちゃんを見守ろうとしたのよ」

 思わず胸を手で押さえた。なんだかうまく呼吸が出来ない。背筋には冷たいものが走る。ただ椅子に座っているだけなのに、熱に浮かされたように意識がグラグラした。

「普通なら提督になってすぐ船を預かるなんてないんだけど、今の艦長のロウ提督って本当はもう退役しようとしてたんだけどリンディ提督を船から降ろす為にそれを引き伸ばしてくれた人でさ。別の人材がいるならすぐに変わるつもりだったのよ。クロノ君は何年もアースラに勤めてるから適任だろうって。でもそれには今年の人事に間に合わせなきゃいけない。提督試験は年に一度。これを逃したら来年を待たなきゃならない。その時にはフェイトちゃんはその前の人事異動で別の船に行ってしまっている。だから何が何でもクロノ君は今回の試験で提督になりたがってたのよ」
「───────────」

 言葉が出てこない。さすがのアルフも絶句してしまっている。

「そもそも執務官試験にしろ提督試験にしろ、ハードルの高さの割には年齢制限が低いのは試験を受けさせて経験を積ませるのが目的で落ちて当たり前の世界なのよ。それを飛び越えるだけでもプレッシャーなのにそんな理由があったからさすがのクロノ君も余裕がなくなってたわけで、ってフェイトちゃん!?」

 エイミィが全部を言い終える前にフェイトは弾かれたように席を立って駆け出した。ただただ、衝動的に、一心にクロノの元へと急ぐ。

「───────────」

 駆けながら思う。何がクロノが変わってしまっただ。クロノは何も変わっていない。今更ながら、信じられないくらい、泣きたくなるほど彼は彼のままだった。何度も何度も見てきたではないか。彼は自分以外の人のために自分を顧みない人だって。それを痛いほど思い知っていたではないか。
 その彼が回りに気を使えなくなるほど、自分を追い込んでいたのだ。それほど提督試験を受かるということは困難なことだったのだろう。そんな中でも最低限とはいえ自分の職務を果たしていた彼はどれだけ立派だっただろうか。それを自分は彼らしくないと非難していた。なんて酷い妹だろう。自分は守られようとしていたのにその事にも気付かず、彼から距離を取ろうとしていた。そんなに大変な時に支えることが出来なくて何が家族だ。

「───────────」

 フェイトはただ走る。謝りたくて、それだけじゃない言葉を伝えたくて、でも何を言えばいいかわからなくて、それでもただひたすらに走った。
 やがて治療室の扉が見えてきた。扉を開こうと足を止めようとするが勢い余って体当たりするように扉に激突する。その痛みをフェイトは気にする事も無くもどかしげにスイッチを叩いて扉を開いた。
 扉が開くと少し驚いたような様子のクロノが立っていた。右腕を三角巾に通した姿が痛々しい。それを見たフェイトはたまらずクロノの胸に飛び込む。クロノは右腕をずらしてフェイトを受け止めた。

「ごめんね!ごめんねクロノ!」

 フェイトは泣きじゃくって謝り続ける。そのフェイトをクロノはあやすように頭を撫でてやる。

「大した怪我じゃない。気にすることはないさ」
「そうじゃないの!そうじゃなくて、私、クロノ、ごめんっ!!」

 その取り乱しようにクロノはその理由に思い至り、苦い顔をした。

「エイミィめ、バラしたな。全く言わなくてもいい事をすぐに人に話す………」
「しょうがないでしょう。あれだけ心配させたんですから」

 愚痴るクロノを諌めるようにシャマルが言う。

「私達だって事情を聞くまで、納得できなかったんですから。でも、話を聞いたら何も言えなくなっちゃって。出来ることといえば心配するはやてちゃんの気を紛らわせることくらいでしたから。大変でしたよ〜」
「それに関しては謝るしかないが………」
「ついでに言いますと、私もはやてちゃんに伝えますからね。あと桃子さんにも。そうすると、なのはちゃんにも伝わりますね。頑張ってくださいね」

 何をだ、と聞きたいところだったが聞いたらとても後悔しそうなので何も言わない事にする。それよりもフェイトだ。

「フェイト」

 ぽんぽんと背中を優しく叩きながら名前を呼ぶ。それでも泣き止まないフェイトにクロノは言葉を伝える。

「心配かけて悪かった」
「ちが、悪いの、私で、クロノ、私の、ためにっ、だから、悪いの、わた」

 それ以上言わせないように、フェイトの頭をぐっと、それでいて優しく胸に押し付ける。その温かさにフェイトは何も言わずにただ泣いた。

「………フェイト」

 もう影は潜めているがこんな風にかつての自虐的な部分が顔を出す時がある。こういう時、フェイトはどんな言葉で慰めても意味はない。
 だからクロノは別の言葉をかける。

「なぁ。フェイト。お願いがあるんだ」
「……おねが、い?」

 しゃくりあげながらも顔を上げてクロノの言葉に問い返す。その赤く晴らした顔に笑いかけながらクロノは言う。

「今度、皆で花見に行こう。だから皆を誘ってくれると助かる」
「はな、み………?」
「そこで、僕は皆に謝って、礼を言って、その後エイミィ達が僕の提督就任の祝いを始めて、皆で騒いで、それで全部終わりにして、いつも通りにしよう」

 そう言って笑いかけてくれるその顔は、本当に優しくて。自分が失ってしまったと思ったのは全くの思い違いなのだとわかって。それが、とてもとても嬉しくて。

「…………うんっ」

 だから、満面の笑みで答えを返した。





 それから少しだけ月日が経って、それまで艦長を務めていたロウ提督が退役してアースラに新しい艦長がやってきた。
 それをフェイトは向かい合って出迎えた。

「お待ちしていました、クロノ艦長」
「宜しく頼む、フェイト執務官」

 そう言って二人はおかしそうに笑いあった。









 おまけ

「………なぁ、フェイト」
「なに、クロノ?」
「その、僕のことばかり相手していないで皆の所に行って来てもいいんだぞ?僕の世話ばかりじゃ楽しめないだろう?」
「駄目、クロノはまだ右腕使えないんだから」

 今日はクロノの提案によって開かれた花見。初めて皆揃って開いた時よりは人数が少ないがそれでも十分なお祭り騒ぎになっていた。
 その席でフェイトはクロノの側にぴったりと寄り添っていた。結局この日までに傷が完治せず、何かと不自由にしていたクロノを甲斐甲斐しくも世話するためだ。

「はい、クロノ。あ〜ん」

 使命感のようなものを抱いたフェイトは恥ずかしげも無く箸におかずを乗せ、こちらに差し出す。途端に、桃と白の魔力が立ち昇った気がするが気のせいだ。気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
 それを何故か久しぶりと思うのは何故だろうか。疑問に思ってすぐ答えに至る。提督試験までの数ヶ月。その間、こういう思いをすることはなかった。

(ああ、確かに…………)

 いつも通りの日常が戻ってきたと、クロノは実感するのであった。




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