リリカルなのは SS
Song to you forever
第一話 草原の約束
緑の野原を駆ける。後ろを押すように風が吹いた。
本当に、どこまでも続く草原だった。小さな身体には無限とも思えるほど、長く、広くどこまでも続いていた。
けれど、その果てに行きたいとは思わなかった。
だって今いる場所が本当にいたい場所だったから。
それでも草原を駆けるのはどこかに行きたいからじゃなく。
自分の後を追ってきて欲しいから。
足を引っ掛けて盛大に転ぶ。柔らかい草の絨毯が受け止めてくれたがそれでも衝撃に目を瞑った。
瞳を開く。
そこには暖かな日差しを日に誰かが立っていて。
自分に向かってその手を差し伸べてくれた。
その手を握ろうとする。すると光が広がった。
その手を握れたのかもわからない。差し伸べてくれたのが誰なのかもわからない。
ただ、暖かさに包まれながら広がる光に身を委ねた。
緑の匂い。
柔らかい風。
暖かな日差し。
「…………」
それらに抱かれるように眠っていたクロノは、目を覚ますと横になったまま手を空に伸ばした。日差しを遮るのではなく何かを掴むように。
けれど何を掴もうとしているのかはわかってはいない。やがて、クロノは掴むことを諦めたように伸ばした手を下ろして身体を起こした。
「…………」
風に吹かれながら、クロノは何かを掴もうとした手を見つめながら握る。魔力を通せば、石をあっさり握り潰す力を発揮できる手だ。けれど、何を掴もうとしたのか、その答えを持たないその手はクロノの目には嫌に小さく見えた。
見上げた空は透き通るほど青く、とても広がって見える。その空の下と生い茂る草の上に挟まれて佇む自分はなんだかとても小さく思える。
ここは一人でいるのは、待つにしても考えるにしても悩むにしても答えを探すにしても広すぎる。一人で来る事はこれで二回目だが教訓のように深くそう思った。
その事に自分を見失い、自分を探すように顔が俯こうとして。
「クロノ君」
その声が、下がろうとしていた顔を引きとめた。
「ごめんね。待たせちゃって」
近づいてくる足音と声。それとともに大きく感じる存在。
「待ったぞ、なのは」
顔を上げて振り向いたクロノの顔は柔らかい微笑み。
一人でなくなった草原は、広いものだとは思わなかった。
「もうすぐ春だねー」
「そうだな。早いものだ」
なのはが持って来た弁当を広げながら二人は感慨深く呟いた。もう出会ってから二年目に差し掛かろうとしている。その間に起こった出来事を思うともう二年、まだ二年。どちらとも言える思いが去来する。
「そうすると、もうすぐ桜が咲くな。この辺りも咲くのか?」
「うん。桜台って名前がつくだもん。山中が桜一杯になるんだよ」
「そうなのか。なら、咲いてから来ればよかったか」
クロノとなのはがいるのは桜台にある草原だ。本来なら人の出入りが禁止されているこの場所は二人だけの秘密の場所である。最も本人達にその自覚はない。今日来たのも来るには寒すぎる冬が過ぎてようやく暖かくなってきたので久しぶりに来てみようという事だった。
「咲いてからも来ればいいんじゃないかな?」
「それだと花見には寂しくないか?まあ、あまり騒ぐような場所でもないが」
「騒ぐだけがお花見じゃないよー」
「それなら咲いてからまた来ようか」
「うん、約束だよ」
「ああ、約束だ」
そう言ってはたと気付く。なのはの母親曰く、男女が約束して出かけるのは世間ではデートと言う。つまり今のは、誰に言われるでもなく自分からなのはをデートに誘ったのか。というか、今日も約束してきたのだからこれはデートなのか。
それを自覚すると頭に血が上るのがわかった。一方、デートの最中だと言うことにもデートに誘われた事にも自覚のないなのははクロノの顔色を伺って尋ねる。
「クロノ君?顔赤いよ?どうしたの?」
「い、いや。なんでもないっ」
言いながら顔を逸らして口元を押さえる。そんな事で既に赤くなった顔を隠すには不十分だがそうしないよりはましだった。
しかし、よくもまあ自他共に認める堅物の自分が意識しないでデートの誘いなど言えたものだと思う。いつからこんなに軟派な男になったのだろうか。
クロノは思う。たまに士官学校の同期生に会うと随分変わったなとよく言われる。同じ士官学校の出で一緒に仕事をしているエイミィも同意見のようだ。しかし、クロノにその自覚は無い。だから、自分は自分のままだと思っている。
顔を逸らしたまま、視線だけをなのはに向ける。
あどけない顔はまだまだ幼いが、それでも二年という月日を感じるほどには成長している。背も伸びているし、他の少女達に比べれば遅れ気味だが女性としての成長も少しずつ顔を覗かせている。
風の行方を見送るように遠くを眺める少女の横顔を見てクロノは思う。
クロノは自分は自分のままだと思っている。面白いこともいえない、堅物のままの自分。
その自分が異性を誘うようなことを言ったのは。
「……………」
なのは、だからだろうか?
答えを探すようになのはの横顔を見つめる。するとその視線に気付いたように顔をこちらに向けたので慌てて、視線を前に戻した。それからなのはが顔を戻したところでもう一度横目でその横顔を見つめる。
しかし、答えは出ない。先ほどこちらに振り向いた瞳を見れば何かわかるかもしれない。だから慌てて顔を背けたのだと思う。けれど、それを自分から確かめる気にはならなかった。
「去年の花見は盛大だったな」
「たくさん集まったもんねー」
「今年も集まるかな」
「エイミィさんとリンディさんがもう誘ってるみたいだよ?おかーさんも誘われたって言ってたし」
「そういう事には手が早いからな、あの二人は………」
「あはは………」
「………………花見、楽しみだな」
「うんっ」
同じ先に視線をやって桜が咲く頃に想いを馳せる。同じものを見ているのかはわからなかった。
それから数日後、二人は同じ任務に着くことになる。
他愛のない約束がとても長い約束になるとも知らずに。