リリカルなのは SS
Song to you forever
第三話 向けられない瞳
「いたぞ!まだ生きてる!!」
「あ、ぅ………」
「早くしろ!!助からなくなるぞ!!」
「くっそ!こっちはもう駄目だ………!!おい、遺体回収班!!早くこっち来い!!」
「畜生!!死体のほうが多いぞ、くそったれ!!」
「痛い、痛いよぉ………!」
「頑張れ!すぐに直してやるから!!治療班、まだかぁぁぁぁっ!!
悲鳴と怒声が響き渡る。そこにあるのは嘆きのみだった。
「……………」
その場所でクロノは無言で救助に専念していた。
クロノがいるのは破壊の爪痕、あのロストロギアから放たれた砲撃の射線上にあった発掘団の駐留所である。
爪痕はまさに災禍であった。射線上に巻き込まれた人間は苦痛を感じることもなく消滅しただろう。その余波に巻き込まれた者は苦痛のうちに死ぬか生きるかのみ。そこは地獄さながらの場所だった。
歩き回るクロノの目に様々な物が映る。吹き飛ばされたテント、発掘のための器具、ここで食事を作るための調理具。多種多様ながら、ここにいた人がいた事の証明がいくつもあった。
それらを通り過ぎるように歩いていたクロノがふと足を止めて、屈みこんだ。
「…………」
手を伸ばして、目に入ったそれを手に取る。
何の変哲も無い布だ。どんな素材で出来ているのかは知らないが耐熱性があったようだ。あちこち焼き焦げそうになりながらもなんとか原型を留めていた。
それを手にした途端、一人の少年の顔が蘇った。
『あのねあのね!僕も大きくなったら管理局に入りたいんだ!!』
そうだ、これはあの少年がしていた物と同じものだ。
「息子は!!息子はどこにいるんだ!!」
そこで大きな叫び声が聞こえてきた。振り返るとそこにいたのは局員とその局員に掴みかかっている男性───発掘団のルークであった。
「落ち着いてください!!今、探しています!!だから落ち着いて!!」
「どこに!!どこにいるんだ!!息子は!!」
叫びながら、涙を流す。この惨状で無事でいる筈がない。生きている者の方が少ないこの場所で姿が見当たらないと言う事に、ルークは最悪の想像しかすることが出来なかった。
「どうして、どうして、こんな事に───────────!!」
その叫びと共に、背中から剣で突き刺されたような衝動に負われた。その拍子に手の中の布は風に攫われて空に飛んでいった。
「───────!」
クロノは手を伸ばすがもう届かない。手を伸ばしたまま空を睨みつけ、やがて項垂れるように腕を下ろした。
それは夢を追えなくなった少年のようだった。
「………報告は以上です」
「そうか…………」
クロノの報告に現アースラ艦長ロウ提督は歯切れの悪い言葉を返した。それ以外、言葉が見つからなかったとも言える。それは隣で控えているエイミィも同じだった。
アースラの艦長であったリンディ=ハラオウン提督は去年の暮れに艦長職を退き、本局勤めとなった。その後を請け負ったのが、リンディと旧知であり、五十年近く管理局に勤めているロウであった。
「まさか、こんなことになるとはな」
沈痛な表情でロウは呟く。
巨大要塞型ロストロギア。おそらくこれが今回発掘しようとしていたものだったのだろうが、まさかあれほどの物だったとは発掘団ですら予測していなかったに違いない。それはそうだろう。あれほどの物が稼動可能状態で今日まで眠っていたなどとは想像の範疇を超えている。救援の要請を受け、見下ろしたその災禍からそれが伺えた。
「…………すみません、ロウ提督」
その言葉になのはが謝る。現場にいながら何も出来なかった事を咎められている様に思えた。何より何も出来なかった自分が情けなくて許せそうに無かった。
「いや、いい。責めている訳ではない。君一人が悪い訳ではないからな。あの場に誰がいても同じ結果だったろう。どうしようもなかった事なのだ」
そのなのはを慰めるようにロウは言う。けれど、それで納得できるような事ではない。そのためにたくさんの人が傷ついたのだから。
「それで艦長。これからの指示は?」
俯くなのはの隣にいるクロノが尋ねる。表情を無理に無くそうとしているその顔にロウは違和感を覚えながら答える。
「現在、管理局は当該ロストロギアに対して警戒令を発している。可能な限りの艦船をロストロギアの探索及び破壊に回す予定だ。それと対策を立てるため、あのロストロギアが何なのかを調べている。近日中に無限書庫から結果が来るだろう」
ロストロギアは砲撃を放った後、食事を終えて巣に戻る獣のように転移魔法でその場から消え去ってしまった。後に残されたのは食い尽くされた獲物のような破壊の痕だけであった。
「それまで我々は?」
「アースラは一旦、本局へ帰還。あのロストロギアへと処置としてアルカンシェルへの換装終了後、ロストロギアの探索に就く予定だ」
「了解です」
「……………一旦休むといい。色々と疲れているだろう?」
「わかりました」
そう言ってクロノは艦長室からさっさと出て行く。なのはもクロノを追って慌てて艦長室を出た。
「大変な事になったな」
クロノとなのはが退出した後、隣にいたエイミィがコーヒーを入れてロウの前に置き、礼を言われてから、エイミィはロウに尋ねた。
「………ロウ艦長」
「なにかな、リミエッタ執務官補佐」
「クロノ執務官、何か変じゃなかったですか?」
「………うむ」
エイミィの言葉に、ロウはすぐに答えを返せなかった。それから考えを搾り出すように答える。
「確かに、いつも通りじゃなかったとは思うが、あれだけ事があった後だ。様子が少しくらいおかしくても不自然ではないだろう」
今回の被害は死傷者だけでも数千に達すると見られている。重軽傷者を含めれば万にも及ぶ。執務官就任以来、多くの現場をこなしてきたクロノでもそれだけの被害を目のあたりにしたことはない。防ぎ様の無い自然災害を除けば、それはロウですら同じだ。その直後でいつも通りに振舞うことが出来るほうが不自然ではないだろうか。ロウはそう思った。
「それよりも、これからだ。今回のロストロギアは間違いなくA級指定。規模から考えるなら世界が一つくらい滅んでもおかしくはない。どうやって、あれを止めるかを考えねばな」
「そう、ですね」
そう言葉を返しつつ、エイミィはロストロギアの脅威だけではない、言いようのない不安を覚えるのだった。
なのはは先を行くクロノの背を追うように歩く。その背に何か近寄りがたいものを感じながら。
アースラに戻ってからなのははまともにクロノと話をしていなかった。それに途方も無い寂しさをなのはは感じていた。
なんでもいいから話をしたかった。それで何も出来なかった空虚を少しでも埋めたかった。それがクロノに縋ろうとしている事だという自覚はなのはにはない。
「何も、出来なかったね」
気がつけば、自分から口を開いていた。ロウは誰がいてもどうしようもなかったと言ってくれたが、やはり何も出来なかった自分の無力を噛み締めずにはいられなかった。
「何も、出来なくて。だから、たくさん、人が死んじゃって」
「…………」
「…………私が、何も、出来なかったから。だから、私の」
「なのは」
なのはの言葉をクロノが遮る。俯いていた顔を上げる。が、そこにあったのは背を向けたままのクロノの姿。
「君は悪くない」
「え……………?」
「だから、気にするな」
その言葉になのはは足を止める。止めて、その背に向かって叫んだ。その無責任な気休めを非難するように。
「なんで!?私が何も出来なかったから、人がたくさん………!!」
「違う」
なのはの叫びを短く、しかしはっきりと否定する。その確信染みた言葉になのはは紡ぐ言葉を失う。
「それは違う。ああなってしまったのは君のせいじゃない」
言葉だけなら労わりの様にも聞こえる。しかし、その声にはそれを感じさせない異常なまでの固さがあった。
戸惑うなのはにクロノは告げる。
「ああなってしまったのは、僕のせいだ」
思いもしなかった言葉を。
「え?」
「だから、君は責任を感じなくていい」
それだけ言うとクロノはなのはを置き去りにするかのように先を急ぐ。それを止めるために、悲痛な叫びで問いかけた。
「どうして、そんな事、言うの………!?」
何故、自分の責任をクロノは背負おうと言うのだろう。そんな、自分に何もさせてくれないような言葉なんて聞きたくなかった。
責められたかった訳じゃない。
慰めあいたかった訳じゃない。
ただ、分かち合いたかっただけなのに。その全てを背負われたら何も出来ないじゃないか。
「………少し、休む。君もそうした方がいい。艦長もそう言っていただろう」
その叫びにクロノは答えない。なのはを置いて執務室に向かう曲がり角を早足で曲がっていった。
「…………」
なのはは呆然と立ち尽くす。立ち尽くして、いなくなったクロノの姿を思い返そうとする。そうして気がついた。
これまでの間、クロノは一度も自分を見てくれなかった事に。
「あのロストロギアの正体がわかった?」
「はい」
事件発生から数日後、調査の依頼を受けていたユーノがその結果をまとめて本局のリンディの元にやってきた。
「こんなにはやく結果が出るなんて、さすがユーノさんね」
「発掘団の前調査があったおかげでもありますけど。それにあれだけ巨大なものだとやはり記録もはっきりと残ってましたから」
「それではユーノさん、報告をお願いします」
ユーノは詳細をまとめた書類をめくって話し始めた。
「まずあのロストロギアの名は『リヴァイアサン』。古代文明が滅び去る直前の時期に作られた殲滅を目的とした移動要塞型兵器です」
「殲滅を目的に?」
「ええ。劣勢か膠着か、いずれにしろ戦況を覆すために一隻で国を滅ぼす事を前提に作られています。その動力炉から生み出される魔力はミッドの首都クラナガンのエネルギーを補って余りあるほど。内部に傀儡兵が設置され、迎撃用の砲台の数は全部で666。中でも『トライデント』と呼ばれる主砲はアルカンシェルと同等かそれ以上の威力を持っていると思われます」
「町に向けて放ったあれね」
映像に残った光景を思い出す。あの一撃だけのためにいくつもの命が失われた。
「それにしても、前線で使われた兵器が稼動可能状態で残っていたのは何故なのかしら?」
「それ、なんですが」
ユーノが眉を歪める。こんな事態を引き起こした古代人を非難するような顔だった。
「まず一つにあの兵器には自己修復機能がついています。インテリジェントデバイスが破損した時、魔力で自己を修復するように、リヴァイアサンにも損傷を魔力炉で生み出した魔力で修復する機能が存在するんです」
「それがほぼ完全な状態で残っていた理由、と」
「ええ。ですが、もう一つ。あれが現代まで残っていた直接的な理由があります」
「直接的な理由?」
「あれがどうやって古代文明崩壊から逃れたか、という事です」
成る程、とリンディは頷く。古代文明は今よりもずっと発達した技術を持っていたとされる。その古代文明がいかにして滅び去ったかは未だ持って解明されていないが、自己修復機能のみで発達した古代文明を滅ぼした要因から逃れられたというのは不自然に思えた。
「それで、その理由とは?」
「それはリヴァイアサンが無人で稼動出来る様に設計された事に起因するんです」
「無人で?」
「ええ。おそらく、人手に余裕が無かったのでしょう。リヴァイアサンは全くの無人状態で稼動可能であり、目的さえ設定すればあとは最低限の自己判断でそれを行うように作られたんです。それによっていくつもの国を滅ぼした」
リンディが口元に手を当てる。全くなんという非人道的兵器なのだろう。作った人間達は手を汚す事無く、そこにある全てを蹂躙するようなものを使うなんて。
「何故その無人設計のためにリヴァイアサンは崩壊から免れたのですか?」
「それがさっき言った『最低限の自己判断』のためなんです。判断って言うのはなにか基準がないと決められない。リヴァイアサンにも行動を決定するための判断基準というのがあるんです」
「…………それは?」
「周囲の魔力反応。それによってリヴァイアサンはどう行動するかを判断します。その中には撤退と言う選択肢も含まれています。あの巨大な質量を時空間移動できるほどの転移魔法で」
「…………それが、崩壊を逃れられた理由ね」
「そうです。古代文明崩壊時、危険を感じたリヴァイアサンはそれから免れる為、転移を繰り返したんだと思います。ただ、やっぱり無事ではすまなかったんでしょう。なんらかの理由で機能不全に陥って墜落。それが長い時間をかけて地中に埋まっていき………………そして今、目覚めてしまった」
リンディは背もたれに寄りかかりながら天井を仰ぎ、ため息をついた
「………おそらく、リヴァイアサンが目覚めたのは戦闘時に発生した周囲の魔力を感知してのことだと思います。撤退したのも、近づいてきたアースラの魔力を感知したためだと」
「結局は人の争いのために人の手によって作られた物が、人の行いのために起きてしまったと言う事ね」
リンディは顔を戻すと、労わるように、これからに不安を感じさせないように微笑んで言った。
「ありがとうユーノさん。この報告は上層部に持っていって今後の対策の参考にさせてもらうわ」
「………管理局の方はどう動いているんですか?」
「動かせる艦船は全部動かしてリヴァイアサンの行方を追っているわ。発見次第、破壊するつもりだけどL級巡航艦でも一隻じゃ落とせるか怪しいわね」
言ってから最後のは失言だったと口を押さえる。それから、頼み事をする親の顔でユーノを見た。
「ユーノさん、お願いがあるんだけどいいかしら?」
「なんでしょう?」
「アースラが戻って来てるからクロノ達の所へ向かってください。無限書庫のことは代理を立てておきますから」
「………いいんですか?」
それは望むところだ。しかし、無限書庫の司書であるユーノからは言い出せることではなかった。
「こんな時だもの。戦力はすこしでも欲しいわ。頼れる友達ならなおさら。あの子達、今回の事で凄く落ち込んでるから」
「わかりました。喜んで行かせて貰います」
ユーノは早速という感じで転送ポートに向かう。皆の力になれるならいくらでも力を貸す。落ち込んでいるというなら尚更支えたかった。
ただ、そのユーノの頭には。
『あの子達、今回の事で落ち込んでいるから』
リンディの言うあの子達の中に、誰からも頼りにされている少年は含まれていなかった。
なのはは明かりの消えた部屋で天井を見上げていた。もうベッドで横になって一時間以上経つというのにまるで眠れる気にならなかった。そんななのはにレイジングハートが声をかける。
『眠れないのですか?』
「………うん」
なのはがいるのはアースラで宛がわれた一室だ。本局に戻ったアースラはリヴァイアサンに対する武装局員の編隊の最中であった。その間、なのはにはやることはさほどなかったが、それでも何が起こっても対応できるようにと待機任務に就き、今は仮眠を取ろうとしていた。
しかし、眠れない。どんなに眠ろうと努力しても目が冴えて眠れないのだ。
『クロノ・ハラオウンの事ですか?』
「………うん」
その理由はただ一つ。胸に浮かぶクロノのためだ。
数日が経つが、あれからまともにクロノと話していない。執務官として艦内に配備された局員の指示で忙しいのはわかっているが、彼は明らかになのはを避けていた。自分の姿を見つけても何かと理由をつけてその場を去ってしまう。実際、休憩する間も惜しいくらい深刻な事件ではあるのだが、それでも胸を過ぎる寂しさを誤魔化すことは出来なかった。
「忙しいのはわかるし、私を避けるのもわかるけど、でも寂しいよ」
『………』
クロノの態度が変わったのはあの事件の時から。それはわかっている。きっと自分が何も出来なかったから、けれど優しい彼は責める事をしなくて、だから冷たくなっているだと思う。
けれど、それでは説明がつかない事がある。
『君は悪くない』
あの言葉はなんだったのだろうか。
ただ、冷たく当たっているのならあんな言葉はかけてくれない筈だ。それから悪いのは自分だとクロノは言った。まるで自分を庇うかのような言葉。同時に自分を突き放すような言葉でもあった。あんな事になったのは自分のせいなのにクロノはそれを背負おうとしている。責任感の強い彼らしいと言えば彼らしいが他人の責任まで背負おうなんて度が過ぎている。
態度と言葉が裏腹で。クロノが何を考えているのかわからなかった。
「それにクロノ君、なんだかつらそうなんだよね………」
『確かに。顔色も優れていないように見えました』
今のクロノはとても張り詰めている感じがする。今回の事件の事で色々と気負っているのかもしれない。
そんな時だからこそ、一緒に頑張り合いたかったのに。
「レイジングハート」
『なんでしょう?』
「こんなんじゃ、駄目だよね」
なのはが身体を起こす。どう考えても今のままでいい筈が無い。
「ちゃんと、お話しないと駄目だよね」
クロノが全部背負う事なんてないのだと。また一緒に頑張って欲しいと。彼に言ってもらいたかった。
『貴方がそう思うのならそうするべきです。私はいつだって貴方の選択を応援します』
「うんっ」
なのはは手早く身支度を整えるとクロノのいる執務室に向かった。今、彼は自分と同じで休憩時間のはずだ。仮眠を取っているかもしれないが、彼を捕まえるなら今が丁度良かった。
なのはが執務室に着く。インターフォンを押して来訪を告げる。が、反応は一向に返ってこない。扉には鍵がかかっていないようなので、失礼とは思いつつ扉を開く。
「クロノ君……?」
呼びかけるが返答は無い。執務室の灯りは消えており中は通路からの照明でしか照らされていない。薄暗いその部屋に灯りをつけるがどこを見てもクロノの姿は見えなかった。
「何処かに行ってるのかな?」
いないのならしょうがない。休憩時間が終わればまた長い待機任務だ。扉を閉めて大人しく部屋に戻ろうとする。
「…………」
けれど、数歩歩いたところで足が止まってしまう。後ろ髪を引かれる様に、背後に振り返った。
「………ちょっとくらいなら、探してもいいよね」
『───魔力反応探知、食堂の方かと』
「そ、そこまでしなくてもいいのに」
他の誰でもない、自分を納得させるための言い分をレイジングハートが後押しする。その後押しになのはは部屋に戻る道から引き返して艦内を歩き出した。
「……………」
買ったばかりのドリンクを一気に飲み干す。飲みやすいはずのスポーツ飲料がひどく不味く感じた。
クロノがいるのは食堂のドリングコーナーだった。食事時で賑わうこの場所も、今は誰もいなかった。もう数時間もすればいま任に就いている者のための夜食でも配られるだろう。
その静寂とした食堂でクロノは一人、席に着く。その様は疲れ切ったようにがっくりと項垂れていた。
それはそうだろう。クロノはこの数日間、まともに眠っていない。
眠れないのだった。
「…………」
鬱屈とした頭で何事か考えるが、それもすぐに霧散する。霧散したものが何なのかを思い出そうとするがそれもすぐに消える。そうして自分は結局何も考えたくないのだと回りくどい結論に辿り着いた。
「クロノくん?」
不意に名前を呼ばれる。顔を上げると思っても見なかった顔があった。
「はやて?どうしてアースラに?」
「そりゃ、私らも収集かけられて待機しとるからや。今、丁度当番や」
そう言えばそうだった。人員を確認した時、彼女達の名前もあったというのに失念していた。どうかしていると正直に思う。
「クロノくんこそ何しとるの?いま、仮眠時間やないの?」
「眠れ、なくてね」
なんでもないように言おうとしたが、その声は重く沈んでいた。それに気付いたはやては心配そうにクロノを見る。
「………本当に大丈夫?クロノくん?」
「大丈夫さ。…………大丈夫」
まるで説得力の無い声。はやては深刻そうにクロノの顔を見た。その顔にはいつもの精悍さがまるでなかった。今にも崩れ落ちそうな危うさがそこにあった。
「あの、クロノくん」
そう思うと、はやては酷く落ち着かない気持ちになり声をかけていた。
「その、聞いたよ。大変な事になったって」
何千もの人が傷つき、命を落とし、未だその数は増え続けると言うその凄惨さは聞くだけで身が凍った。それを目の当たりにしたクロノの心境を推し量る事などはやてには出来ない。
それでも、つらい思いをしたクロノに何か言葉をかけたかった。
「えと、今凄くつらいんやと思う。なんや、励ましたりしたら、凄く無責任になってしまうくらい、クロノくんつらいんや思う」
しどろもどろになりながら、言葉を紡ぐ。自分でも何が言いたいのかわからなくなる。
「だから、その」
だからその前に。
「………その、つらかったら頼ってええからね。クロノくんにはずっと助けられてるから。こういう時くらい、頼ってや」
伝えたい事を口にした。
「…………」
その言葉にクロノは俯いたままだ。その姿にはやては不味いことを言ったのではないという気になる。落ち着かない様子で辺りに視線を巡らし、やがてクロノを覗き見る。
クロノは何かを言いたそうに何度か唇を開いては閉じ、一度口を噤んでから懸命に這い上がるように顔を上げる。
「………ありがとう、はやて」
そうして、搾り出すようにして礼を言い、少しだけはやてに微笑みかける事が出来た。
「──────────」
それをなのはは食堂の入口から見ていた。
レイジングハートが感知した反応を頼りに、食堂に向かうと今は誰もいないはずの食堂に明かりがついていた。反応どおり、そこにクロノがいるのだと思って入り口に近づくと話し声が聞こえた。クロノの他に誰かいるのだろうかと思って入り口から食堂を覗き、なのはは見てのだ。
クロノが笑っていた。ほんの少しだけ、けれど彼らしい笑みで笑っていた。
「─────────」
気がつけば胸の辺りを押さえていた。酷く肌寒く感じるというのに心臓はこれ以上ないくらい脈打っていた。
「────────あ」
苦しくなってようやく自分が息を止めていた事に気がつく。息を吸おうとして引き攣ったような声を上げた。
「なのはちゃん?」
その声に気付いたはやてがこちらを向く。
「───────」
クロノも釣られるようにこちらを向く。
なのはを見た瞬間、微かに浮かんでいた笑みは消え去っていた。
「─────クロノ、君」
何故かわからないまま、縋るように彼の名を呼ぶ。
「────────」
クロノは答えない。なのはの名を呼ぶ事も無く、俯いて顔を逸らした。
それはなのはにとって、拒絶に等しい行為だった。
「─────────────────────!」
その瞬間、なのははこの場からいられなくなった。身を翻して、脈打つ心臓に急かされるようにその場から逃げ去った。
「ちょ、なのはちゃん!?」
逃げるように駆け出したなのはにはやては慌てる。どうしたのかと話を聞きたかったが、それよりも先にクロノに振り返った。
「ちょっと、クロノくん!?なんや、今の態度…………」
言葉が尻すぼみに消えていく。
「…………」
クロノは顔を俯いて、泣いているのかと思うほど身体を震わせていた。けれど、その頬に涙は流れておらず、それを堪える様に歯を食いしばっていた。
それは、泣き方を忘れてしまった子供のようだった。
なのはは何処を目指すでもなく胸の痛みを隠すように、ただ走り続ける。けれどそんなことでは痛みは一向に誤魔化すことなど出来なかった。
痛い。ただ痛い。胸に突き刺さった痛みは捻り込まれるような痛さだった。
クロノは笑っていた。本当に少しだけだが、確かに笑っていた。固くて、つらそうな笑みだったけど、それを人の前で表すことが出来ていた。
なのに、自分は顔を向けることすら拒まれた。
「っ!」
息が上がる。元々運動は得意な方ではない。それでもなのはは胸の痛みのまま、身体の訴えを無視して駆け続ける。
やがて、それにも限界が来る。呼吸がいい加減無理を生じたところでなのはは足を止めて壁に寄り掛かり、呼吸の苦しさにしばらく何も考えられなかった。
「なのは?」
そうしているところで声をかけられた。振り返るとそこには本局からやってきたユーノの姿があった。何も考えずに走ってやってきたのは転送ポートに程近い通路だった。
「ど、どうしたの!?何かあった!?」
なのはの只ならぬ様子にユーノが詰め寄る。
「ユーノ、君」
その心配そうな顔になのははなんでもないように微笑みかけた。
「…………あのね」
これはただの事実。そうなってもしょうがない事を自分はした。何もできなかった自分への当然の結果。
「私、クロノ君に嫌われちゃった」
なのに、言った瞬間、涙が零れ落ちた。
「あ、あれ?」
なのはもそれをすぐに自覚した。目尻を拭って誤魔化そうとするが、その途端視界が滲んだ。
「あ……あれ?お、おかしいね。変、だ、ね。わた…………しっ」
涙を拭うたび、言葉が途切れ途切れになる。その言葉も嗚咽に変わり、それとともに涙も止め処なく溢れ出た。
「なの、は」
ユーノは呆然としながらも、一歩歩み寄る。なのはは縋るようにユーノの胸に顔を押し付けた。
「ふぇ……、ひ、う……、ふ、ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
なのはが泣きじゃくる。胸の痛みを吐き出すように。
「…………」
ユーノはそんななのはを黙って受け止めることしか出来なかった。