リリカルなのは SS

                     Song to you forever
                     第四話 痛みの理由

「なのは」

 ずっと続くのではないかと思うほど、悲痛な嗚咽が収まってきたところでユーノはなのはに声をかけた。

「嫌いって、クロノが言ったの?」
「……言って、ない、けど。きっと、そう、だ、よ………」

 しゃくりあげながらも何とかユーノの問いに答えるなのは。そのなのはにユーノは問いを重ねる。

「じゃあ、なんで嫌われたって思うの?」
「だって、私の事、見ようとも、してくれない…………」

 言ってまた嗚咽が起こりそうになる。そうなる前にユーノは言う。

「クロノが嫌いだって言ったわけじゃないんだ」
「うん、でも、私だけ、見て、くれない」
「…………わかった」
「え?」
「僕がクロノから話を聞くよ」

 なのはが顔を上げてユーノを見る。労わるような柔らかい表情をしたユーノがそこにいた。

「ちゃんと、話を聞かないとわからないじゃないか。だから僕が聞いてみるよ」
「で、でも………」
「大丈夫」

 不安を抱かせないよう、なんでもないような顔をしながら。

「きっとクロノから話を聞き出してみせるから」

 ユーノは心の中の激情を抑えた。










「っ!」

 迫る連結刃を横に回避。クロノの横を通り過ぎた先端がうねりながら再びクロノに迫る。それをデュランダルで弾きながらその行方を追う。
 シュランゲフォルムとなったレヴァンティンは、クロノの周りを檻の様に囲い、こちらの動きを制限する。引く事も前に出る事も難しく、クロノはその場に留まるしかない。

「陣風!!」

 そこを狙ってレヴァンティンをシュランゲフォルムからシュベルトフォルムに切り替え、シグナムが衝撃波を放つ。それは同時に周りを囲っていた檻の消失も意味する。
 受けるか避けるか。どちらかを選択して次の行動に移さなくてはいけないところで。

「────────」

 クロノの思考が止まる。
 受けるか避けるか。
 どちらかを選ばなくてはならないのに。

「─────くっ!?」


 その逡巡の間に陣風は目の前に迫っていた。もう防御魔法を構築する間は無い。咄嗟に避けるが、衝撃波が身を掠めて体勢が崩れる。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 間合いを詰めていたシグナムがその隙を見逃すはずが無い。裂帛の気合と共に放たれた一閃は、あっさりとクロノを切り裂いた。











「どうしたと言うのだクロノ執務官?動きがまるで精彩に欠けていたぞ?」

 シグナムが怪訝な表情でクロノを見る。その顔には困惑が色濃く示されていた。
 先の模擬戦はクロノが申し出たものだ。リヴァイアサンという大型ロストロギアに対して待機任務についている中、無理を承知で頼み込んだ。その事に深い理由があると思ったシグナムは何も聞かずその申し出を受けた。
 だと言うのに、その結果は拍子抜けもいいところだった。

「だよなー。いつもはちょこまか動いてチクチクうざったく攻撃してくるのによー」

 シグナムの言葉にヴィータも同意する。待機中、やることがなく暇を持て余していたので観戦していたのだ。同様に何かあってもすぐに治療を行えるようシャマルが、訓練室の結界構築を行ったザフィーラも同じように模擬戦を見ていた。その二人もヴィータと同じ意見だった。

「そう、だな。自分でもそう思う」

 クロノは淡々と、しかしどこか厳しい表情で答える。彼自身、シグナムやヴィータが思った事を同様に感じていた。まるでなっていない。初めて戦いに出た新兵のような無様さだった。

「戦いになれば、少しはましになるかと思ったんだがな」

 その小さな呟きに、シグナムは眉を顰める。クロノは自分の不調の原因を理解しているようだ。だと言うのに彼はそれを拭う事が出来ていない。先の模擬戦もその一環だった様だがそれも功を為していない。一体何に迷っているのだろうか。
 迷っている。それは模擬戦の間にも感じられた事。何かを決める事を拒むような動きの迷いがその時から感じられた。

「………他に力を貸せることはあるか、クロノ執務官」

 何かあったのかとは聞かない。何があったかは知っているのだ。悲しみを無くすため、自分の父を殺した罪すら許した少年が多くの命が失われたのを目の当たりにしたのだ。心に傷を作らない筈が無い。
 その少年に、自分達を許した少年に少しでも報いられるのならばどんな力でも貸すつもりだ。
 その言葉にクロノは首を横に振ろうとして、けれど横には振れず俯いて、躊躇いながら顔を上げた。

「なら、一つだけ。答えてもらいたい事がある」
「なんだ。どんな事だ?」
「………これは不快な質問だ。それでもいいか?」
「構わない。それを貴方が望むなら」

 その断言を聞いてもクロノは唇を開きかけて閉じ、すぐに質問を投げかけなかった。ここでも迷いが見える。今のクロノにはどんなことにでも迷いが見れた。
 一体何を聞くつもりなのかと身構えるシグナムにクロノはようやく言葉を紡ぐ。

「もし」
「もし?」
「………もし、はやてが何らかの窮地に陥り、それを救うために、その手を血に染めなければならないとしたら。君はどうする?」
「──────────」

 思わず言葉を失った。それほど意表を突く質問だった。まさかクロノの口からそんな事を聞かれるとは思わなかった。

「んだよ、その質問………」
「確かに、意図が知りたい」

 ヴィータはあからさまに不快気に、ザフィーラは不審さを感じながら問う。はやてを救うために多くの人間を傷つけた。手を血に染める事こそしなかったが、一度その選択を取っている自分達にその質問は苦いもの以外の何物でもない。それはクロノにもわかっている筈だ。にも関わらずそれを問うクロノの意図は全く読めない。

「………答えなくないなら、答えなくていい。やはり、尋ねるには不快過ぎる質問だった。すまない」

 その問いに答えず、クロノは気まずそうに訓練室から立ち去ろうとする。

「選ぶでしょう。この手を血に染めることを」

 その背を引き止めるようにシグナムが答えを示す。扉に手をかけていたクロノの動きが止まる。

「主は非難するでしょう。そしる者もいるでしょう。しかし、私には主はやて以上に代えられるものは何もない。だから、この手を血に染める事は厭わない」

 それは確固たる意志が込められた言葉。疑いも迷いも感じられない、確かな答えだった。

「軽蔑しますか?今の答えを」
「……しないさ。僕は君の答えが知りたかっただけだから」

 問いに首を横に振りながら、クロノは扉を開く。

「それに、その答えを非難する権利は僕には無い」
「え?」

 それがどういう事なのかを問う前にクロノが訓練室から出る。閉じられた扉がそれ以上の問答を遮っていた。

「どうしたんでしょうか、クロノさん………」

 シャマルの言葉に答えられるものはいない。皆、同じ思いを抱いていたから。











 訓練室を出たクロノは手首の辺りを擦りながら歩く。非殺傷設定とはいえシグナムの攻撃をまともに受けたため、身体は強い衝撃を受けていた。治療魔法で回復してもらったが不自然な治癒による違和感は拭えていなかった。それを気にしていたためだろう。向かいから見知った人物が歩いてきているのに気がつかなかった。

「ありゃ、クロノ君」
「…エイミィか」

 通り過ぎる寸前近くで互いの事に気がつく。エイミィに声をかけられてようやく気がついたと言った方が正確である。付き合いの長い友人に気がつかなかった事を心底以外に思いつつ、両手に抱えた荷物について尋ねる。

「それは?」
「ああ、これ?無限書庫からもらったリヴァイアサンのデータ。今日中にまとめて、艦長たちに提出しないといけないのよ。あ、あとでクロノ君の分も渡すから目を通しておいてね」
「ああ、わかった」

 その気の引き締まらない返事にエイミィは眉をしかめる。その様子にクロノは気がついた様子はない。エイミィはため息をつきながら尋ねた。

「クロノ君、調子悪い?」
「いや、そんなことはないが………、そう見えるか?」
「うん、すっごく。これ以上ないくらいに。で、どうなの?」
「そんな事は………いや、君がそう言うならそうなのかもしれないな」

 だから、それがらしくないと言うのに。思わずまたつきそうになったため息を飲み込んで、代わりにおどける様に言う。

「ま、あれよ。愚痴とか言いたくなったら言っていいから。なのはちゃん達には言えないだろうけど、この士官学校からの友人のエイミィさんになら気兼ねなくていいでしょ?」

 あんな事件があった後だ。気に病むなという方が無理という物。かと言って、溜め込む一方では鬱屈とするばかりだ。こんな時くらい、愚痴の一つくらい言ってもいいのだと、そう言ってやった。

「……ありがとう。けど、大丈夫だ。心配かけてすまない」

 だと言うのに、この頑固な友人はそんな甘えを見せようとはしなかった。その事に内心でため息をつく。こいつはいっつもこうだ。肝心なところには踏み込ませてくれない。それ故に友人関係が続いているのかもしれないがその頑なさが今はやけにつらかった。

「そ。なら、あたしは行くけど。………本気でつらかったら、言ってねクロノ君」
「ああ。そっちはそっちの仕事を頑張ってくれ」

 そう言って二人はすれ違う。一方は傷を隠して、一方はその事に気がついてない振りをしてやりながら。互いを気遣いながらすれ違った。









「あ、クロノ」
「フェイトか」

 今度の任務に備え、デバイスの点検に装備課で一室を借りに向かうとそこにはフェイトがいた。人を待っているのだろうか、壁に寄りかかっている。

「どうしたんだ?こんなところで」
「うん、今度の出動までに一回バルデッシュを点検してもらおうと思って。クロノは?」
「僕も似たようなものだ。最も、自分でやるつもりだから部屋を借りようと思ってる」
「こんなに忙しいときに?」
「こんな時だからこそさ。自分でしっかり調整しておきたい」

 クロノは簡単に言うがデバイスの点検と言うのは、デリケートな作業だ。調整を間違えればそれこそ命に関わる問題になる。それを出動前の慌しい時期に自分でやろうとするクロノにフェイトは感心する。

「すごいよね、クロノは。一人でなんでもやっちゃって」
「なんだ、いきなり。別に大したことじゃない」
「大したことあるよ。それにいきなりじゃない。前から思ってた」
「前から?何を?」
「私もクロノみたいな執務官になりたいって」

 それは単純な憧れ。尊敬する義兄への賛辞であり、家族としての自慢。ただ、それだけの何の裏表も無い言葉。

「……フェイト」

 クロノがフェイトの肩に手を置く。俯いているため、クロノの目元は見えない。ただ、唇がつらそうに震えているのが見えた。

「君には頼れる友人がいる。心を開くことの出来る人がいる。だから、一人でなんでもする必要はない」
「クロノ?」
「だから、僕のようにはなるな」

 そう言ってクロノはフェイトを追い抜くようにして歩き出し、二つ先のドアを開いて部屋に入っていった。それに僅かに遅れるようにその一つ先の扉が開いた。姿を現したのはフェイトと一緒にデバイスの点検に来ていたはやてだった。

「お待たせや、フェイトちゃん。私のデバイスってなんや手間がかかるみたいやから………どうかしたん?」

 自分を待ってくれていた友人は、なんだか不安そうな顔で自分を出迎えた。何かあるのはわかっているのに、先が見えないようなそんな顔だった。

「クロノ、何かあったのかな?」
「え?」
「いま、話してたんだけど………なんだか変だった」

 はやてが弾かれたように降り返る。しかし、そこにクロノの姿はない。代わりに、昨日の晩に見た彼の姿が脳裏をよぎる。

「…………」

 フェイトの不安が伝染したかのように、はやても不安な顔でもう誰もいない廊下を見つめていた。










「あら、クロノ」
「……提督」

 装備課で整備室を一室借りる約束を取り付け、本局からアースラに戻るところでクロノはばったりとリンディと出くわした。何故ここに、と思ったがアースラの現艦長であるロウ提督がリンディを招集していた事を思い出す。優秀な人材を本局で遊ばしている事態ではないと自分より年若い女性に頼ることに老年の提督は苦笑していた。
 リンディの手にはいくつかの鞄が握られている。ちょっとした旅行にでも行くような荷物だ。それがアースラに滞在するための荷物であることは考える必要も無かった。

「これから部屋に?」
「ええ。いま着いたばかりだから」
「なら、荷物をお持ちします」

 そう言ってクロノは返事を聞く前にリンディの手から荷物を取る。それに苦笑しながらリンディは前を歩いて、宛がわれた部屋へと向かった。
 リンディに宛がわれた部屋は以前使っていた艦長室から程近い部屋だ。その歩き慣れた通路のためか、大した時間もかからず二人はその部屋の前に辿り着く。

「それでは、失礼します」
「あ、待ってクロノ」

 荷物を置くとさっさと行こうとするクロノをリンディが呼び止める。

「少し、上がらない?お茶くらいなら出せるわよ?」

 断る理由は特になかったのでクロノは頷く。
 どことなくぎこちない笑みを浮かべるリンディに気付かないまま。







「砂糖はいくつ?」
「いえ、そのままで」

 スプーンにどっさりと乗った砂糖に顔を微妙に引き攣らせながら言う。その砂糖はそのままリンディのコーヒーへと入れられ溶けていった。

「ほんと、甘いもの苦手なのね」
「母さんが過剰すぎるだけだと思います。今更ですが」
「ふふ、あの人も同じこと言っていたわ」

 昔の情景を思い起こしながらコーヒーを口に運ぶ。桃子から貰って以来、愛好しているブレンドだ。その変わらぬ味の良さに満足しつつ、リンディは身構えた様子のクロノに声をかけた。

「クロノ」

 呼ばれた途端、クロノは身を固くした。執務官とは呼ばなかった。ならば、これは職務の話ではない。
 だとすれば、なんの話かはすぐに検討がついた。

「今回の件のことは聞きました」
「………」
「貴方の無念はわかります。でも、一人で背負いすぎては駄目よ。貴方一人でなんでもできる訳じゃない。貴方は最善を尽くした。その結果を責として背負うのではなく受け入れて、次に繋げることが大事なの。わかるでしょう?」

 言いながら、リンディは迷う。我が子ながらクロノの頑なさは異常と言ってもいい。幼くして悲しみを無くそうと固めすぎた信念。それは誰も踏み入れさせない純潔さを持っている。けれど、その純潔さ故に何もかもを背負おうとし、誰も踏み込ませない領域を持っている。悲しみがその際たる例だ。けれど、一人で負うには重過ぎる悲しみもある。ならば、他の誰でもない、親である自分がそれを請け負うべきだろう。
 けれど、クロノはそれを良しとしないだろう。だから、リンディは迷う。その領域に同踏み込むべきなのだろうかと。その幼き心を知る前にクロノは彼女の元を離れてしまったのだから。

「………最善、ですか」

 クロノは俯きながら言う。どんな時も顔を上げているような我が子のその姿に、リンディは傷の深さが思っている以上のものだとわかり、心を震わせた。

「自分のした事は最善だったのでしょうか」
「クロノ…………?」
「母さん」

 何か言いたげなリンディを制する様にクロノが母に呼びかける。

「一つ、聞いてもいいですか」
「…何かしら?」
「…………父さんは」

 その一言にリンディは身を固める。今までクロノが父親の事を聞いてきた事は少ない。その話に、いつも悲しみの色が残されている事を知っているから。

「父さんは、立派な人だったんですよね?」
「…………」
「自分を犠牲にして、多くを救う事を選んだ立派な人だったんですよね?」
「………そう、ね」

 リンディはその問いの意図が読めず、返答に間を要した。しかし、黙るわけにもいかず、濁したような答えを返す。

「そう、ですか」

 手にしたカップに視線を落としながら、クロノは呟く。

「なら、僕は父さんの様にはなれませんね」
「え?」

 小さく紡がれたその言葉の意味を尋ねる前にクロノはカップをテーブルに戻すと立ち上がった。

「それでは、僕は戻ります。お邪魔しました」
「………ええ」

 事務的なやり取りを済ましてクロノは部屋を出る。その背を見送り、リンディはクロノが手にしていたカップに目をやる。
 結局、クロノはカップに一口も運ぶことは無かった。









 リンディの部屋を出たクロノは真っ直ぐに自室に向かった。本日中にやるべき事は済ませてある。普段なら他の部署の様子を見に行き、忙しいようなら手伝いをしたりもするが、今の自分では邪魔になるだけだろう。クロノは自分の状態をそう判断した。

「………違うな」

 クロノは首を横に振る。何を言い訳がましい事を言っているだと思う。単に人に会いたくないだけだ。誰かと話すたびに、気を使われ胸が痛むのがわかっているから。
 違うんだ。僕にはそんな言葉をかけてもらう資格は──────。

「───────」

 自室近くまで来たところで、クロノは顔を上げた。部屋の前に誰かがいる。近づくとそれが見知った顔だとすぐにわかった。

「ユーノ。来ていたのか」
「…………」
「ユーノ?」

 ユーノは険しい顔をしていた。声をかけても返事をしない。どうしたのかと思っているとユーノは寄りかかっていた壁から背を離すと正面から向き合った。

「すまないけど、ちょっと来てくれるかな」

 そう言ったユーノの目は戦いの時のような鋭さを持っていた。








 ユーノに連れられてやってきたのは訓練室だ。こんな所に自分を連れてきたユーノの意図は未だにわからない。

「こんな所まで来て何の用だ?これでも、忙しいんだ。手早く頼む」
「………わかったよ」

 言うと同時にユーノはクロノに殴りかかった。全く予期していなかったその行動にクロノは反応出来ず、頬を強かに打ちつけられた。その痛みに眉を僅かに顰めながら、ゆっくりと顔を正面のユーノの方に戻す。

「いきなり、何をする」
「君こそ、何をしてるんだよ」

 クロノの視線に怯む事無く、ユーノはクロノの胸倉を掴む。視線はきつくはあったが、まるで鋭くない。そんな眼に怯む道理は無かった。

「なのは、泣いてたよ」
「……………」
「君に嫌われたって泣いてた。あんな事があったばっかりで傷ついてるのに、君に突き放されて泣いてたんだ」

 その言葉にクロノは視線を逸らした。それを見て、ユーノの苛立ちはさらに大きくなる。

「突き放してなんか、ない」
「こっち見て言ってよ」
「…………」
「君だってつらいのはわかるよ。でも、それはなのはだって同じだ。そんな時だからこそ、支えてあうのが友達なんじゃないの?」
「………ああ、その通りだ」

 そんな事は言われなくてもわかっている。わかっているけれど。

「けど、僕にはそれが出来ない」
「な………」
「なのはには何の責任もない。それだけしか言えないんだ」

 言った瞬間、ユーノはもう一度クロノの頬を殴りつけた。そうしてから額が合わさるくらい近い距離でクロノを睨みつけた。

「なんなんだよ、それ?」
「………頼むから、もう離してくれ」

 これ以上。

「何を自分一人で抱え込もうとしてるんだよ?」

 何か、言われたら。

「そんな事したら、余計になのはが傷つくじゃないか!!」
「………が」

 自分を。

「………何が」

 押さえられそうにない──────────────。

「君に何がわかる!!」

 叫ぶと同時にユーノの突き放す。それだけの動作だと言うのにクロノの息は上がっていた。気がつかない間に、息を止め続けてしまっていたようだ。そんな事にも気付かずにクロノは燃え盛る火のように叫んだ。

「これ以上、彼女を傷つけろと言うのか!!」
「もう傷つけてるじゃないか!!」

 ユーノも叫ぶ。叫びながら拳を振るう。今度はクロノも黙ったままではない。同じように拳を振るう。二人の顔が同時に横に捻じ曲がった。

「ああ、わかってる!!彼女を傷つけてる!!そんな事はわかりきってる!!だからって僕にどうしろと言うんだ!!」

 ユーノの鼻を打ちつける。視界に火花が散り、呼吸が困難になる。それでもユーノは後ずさる事なく、クロノに反撃する。

「優しくしてやればいいじゃないか!!簡単なことだろ!?」

 クロノの鳩尾を叩く。鈍く、後に残る痛みが喉に這い上がってくる。それを奥歯を噛み締めて堪えると、ユーノの額に拳を打ち下ろす。

「簡単!?どこがだ!!僕は何をしても彼女を傷つけるって言うのに!!どこが簡単なんだ!!」
「何、言ってるんだよ君は!!」
「わからないなら、簡単だなんて気安く言うなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 叫びあう間にも殴り合いは止まらない。その叫びもやがて消えうせ殴り合いだけが続く。
 運動不足のはずのユーノの拳はひどく重かった。
 いつも鍛えている筈のクロノの拳はひどく軽かった。
 それでも二人は譲れぬように、倒れない。だから、ずっとずっと殴り合いは続く。もう、二人の顔のどこにも殴られていない箇所なんて無くなる程に殴り続ける。
 その永遠に続くのかと思わせるほどの喧嘩を。

「やめてーーーーーーーー!!」

 少女の叫びが引き止めた。








 ユーノと別れたなのはは、部屋に戻っても泣きやめなかった。それでも次第に落ち着いていき、気がつけば眠ってしまっていた。
 目覚めた時には昼が過ぎていた。時計を見て時間を確認した途端、胃が空腹を訴えなのはは昼食を取りに食堂へ向かい、遅め昼食を済ます。そうして皆に遅めの挨拶を交わした。
 そこで皆が口々にクロノの様子がおかしいと言っていた。クロノと模擬戦をしたシグナム。データの編集作業の合間にあったエイミィ。装備課にデバイスを預けたフェイトとはやて。誰も彼もがそう言い、それから昨日のユーノとの会話を思い出す。
 自分の代わりにクロノから話を聞くとユーノは言っていたが、人任せにするのは居心地が悪かった。そう思うと、なのははやっぱり自分から話をしようと思い、二人の姿を探して艦内を歩き出した。
 しかし、どうも間が悪くすれ違いばかりで、二人と会うことはできなかった。その事に鬱屈とした気持ちが溜まっていき、決意を鈍らせる。
 これでは駄目だと思ったなのはは、気分を切り替えるために訓練室に向かった。なんでもいいから、とにかく集中できれば気が晴れると思ったのだ。よし、と気合を入れて訓練室に入る。
 そこで、なのはは見た。

「え………?」

 訓練室で殴り合っているクロノとユーノの姿を。
 突然の光景になのはの意識は真っ白になり、何故という疑念が滲むように湧いてくる。答えは望みもしないのに二人からもたらされた。二人には殴りあいながらも自分の事を言っていた。
 ユーノは何故自分に優しく出来ないのかと。
 クロノは自分に優しくする事は出来ないと。
 叫びあいながら、互いを殴り続けていた。

「や…………」

 その叫びもやがて消え、殴り合いだけが続く。

「やめてーーーーーーーーーー!!!!」

 そこでようやく、なのはは静止の悲鳴をあげる事が出来た。

「「─────!?」」

 クロノとユーノが意表を突かれて振り返る。その顔はどこも血に滲み、腫れ上がっていた。それが目に飛び込んできた途端、なのはは二人の間に割って入った。

「やめてよ!二人とも!!」
「なのは………」
「なの、は」

 なのははユーノの方に振り返る。その顔は悲しみに染められていながらも確かに怒っていた。

「ユーノ、君。お話するって言ってたのに、なんで喧嘩なんかしてるの?」
「なのは………」
「こんな事されても、私嬉しくないよ?だって、クロノ君は悪くないのに。ユーノ君がクロノ君と喧嘩する必要なんてないのに。全部、全部私が悪いのにーーーーー!!」
「違う!!」

 苦しみに滲んだ声。はっとなってクロノの方に振り向く。クロノは何かに耐えるように手で顔を押さえていた。

「違う、違うんだなのは。君は悪くない。悪いのは全部僕なんだ」
「どうして!?私が何にも出来なかったから、あんな大変なことに───」
「その大変な事を僕は防ごうともしなかった!!」
「え…………?」

 思いもよらない言葉になのはは悲しみも忘れて戸惑う。その様を刻み付けるように、クロノはゆっくりと手から顔を離した。
 理性が止めろと叫ぶ。それを言えば、何もかもが壊れる。そうわかっていながら、痛みに軋む胸がその悲鳴を口から吐き出させた。

「なのは。君はあの時、僕にあの主砲をどうにかするようにと言ったな。その僕が何故君を助け出せたと思う?」
「え……………?」

 言われて気付く。あの時の自分と主砲は向かい合っていたのだから、クロノが主砲の方に向かえば自分のいた位置とは反対の方に向かうことになる。あの時は目の前の惨禍に気を取られていて気付かなかったが、何故クロノが自分を救い出せたのだろう。
 疑問を抱いた様子のなのはの姿に理性が危機感を訴える。言うな、全てを彼女に押し付ける気か。けれど、言葉は燃え盛る火のように止まらなかった。

「わかっていた。あの砲撃を止めなければ、多くの人が傷つくと。たくさんの悲しみが生まれると」

 あのとてつもない魔力。この世の終わりすら想像させたそれが放たれれば、大きな破壊が、途方も無い災厄が、多くの人にこんな筈じゃなかった世界が訪れる。
 そんな事はわかりきっていたのに。

「だけど、僕は………っ!」

 それを防ぐにはあの主砲を止めるしかなかった。例え、止めに行ったとしても止められた保障はどこにもない。けれど、止めようとするならば主砲に向かう以外の選択肢は有り得なかった。

「沢山の他人より」

 だと言うのに、動けなかった。止めようとするのならば、一瞬の躊躇いもしてはならない状況で、凍てついたように動けなかった。その間に、沢山の他人を救う時間は失われた。
 その躊躇いの理由はただ一つ。

「君を…………選んでしまった」

 その選択を取ることが、なのはの命が無くなる事と同意義だったからだ。

「なのは」
「………………ぁ」

 身体が震える。クロノは自分が望んだ通りに話をしてくれているというのに。

「僕が君から目を逸らしたのは、君を嫌ってのことじゃない」

 真相に混乱したなのはにクロノは告げる。

「自分がした事から、目を逸らすためだ」

 その言葉と共になのはは身体がズシンと重くなるのを感じた。まるで、身体中に何かが。いや、明確にわかる。たくさんの亡者に群がられる感覚に覚えた。
 それと同時に気づく。
 これはクロノが自分のために犠牲にしたもの。これからクロノは目を逸らそうとしたのだ。それを見るととても心が痛むからクロノは自分から目を逸らした。
 それは自分を助けたせい。
 つまり、クロノを傷つけていたのは自分だったのだと。その事になのはは気づいてしまった。

「──────────────────────!!」
「なのは!?」

 耐え切れなくなったようになのはがその場から駆け出す。ユーノが慌てて、その手を掴もうとするが空を切る。その手を伸ばしたままのユーノにクロノは告げる。

「だから、言っただろう。僕はなのはに優しくする事は出来ないって」

 その言葉にユーノはクロノを睨みつける。
 何をそんな自分が悪くないような物言いを──────────。
 そう思ったが、言葉に出せない。クロノが背負った業を思えば、クロノを非難する事は出来なかった。それを吐き出せた自分にそれをする資格はないと思えた。
 だから、拳を震わせながら訓練室を走って出て行く。クロノ以上になのはが心配だった。そのユーノをクロノは黙って見送る。

「───────────…………………ッ!!!」

 そうして誰もいなくなった訓練室で、クロノは膝を着いて蹲る様にしながら、地面を叩き、声なき叫びを上げた。
inserted by FC2 system