リリカルなのは SS

                    Song to you forever
                  最終話 Song to you forever

「えー、それでは!時空管理局関係者、その親族友人合同によるお花見を開催いたしまーす!!!!」

 エイミィの宣言に参加者が手にしたコップを掲げる。中身はお茶にジュースにお酒と様々で、それだけここにいる人間の年齢幅を物語っていた。

「さーて、うんと楽しむわよー!!」

 そう言ってアリサは聖祥グループの面々に見渡す。待ちに待ったお花見だ。目一杯楽しもうと気合を入れる。
 が、そこで一人足りないことに気がついた。

「あれ?なのはは?」
「あ、なのはなら今日は来ないよ」
「はぁ!?なんでよ?」

 フェイトの言葉にアリサは不満ありありといった様子で声を上げた。せっかく皆が集まるお祭り騒ぎをすっぽかすなんて一体何の用事だと言うのだろうか。

「そりゃあ、聞くだけ野暮やで。アリサちゃん」

 そのアリサにはやてが苦笑する。それでアリサは気がついたようで答えを確かめるように尋ねた。

「ってことはアレ?」
「そ。あれ」

 そう言ってはやて達はなのはがいるであろう方向を見る。

「今日もきっと手厚い看護しとるんやろうねー」










「そろそろ、花見が始まった頃かな」

 そう言ってクロノは窓の外に目をやる。空はこの上なく快晴で、ぽかぽかと暖かく、風も穏やかで絶好の花見日和だった。

「そうだねー。エイミィさんとか張り切ってたよね」
「張り切りすぎだ。管理局の備品まで持ち込もうとしてたみたいだぞ。寸前で、レティ提督が止めたみたいだが」
「はは………」

 困ったように笑う。そうクロノと話しているのは、花見を欠席したなのはであった。










 あれから一ヶ月ほど経った。
 リヴァイアサンの崩壊に巻き込まれたと思われたクロノとなのはは草原で発見された。アースラはすぐさま二人を回収したが、それからが大変だった。
 なのはは極度の魔力消耗で気を失っていただけだったが、クロノは文字通り半死人であった。リンカーコアと心臓は停止寸前、全身打撲に骨折数箇所、多数の裂傷のために出血多量。生きているのが不思議な状態だった。
 医療班の必死の応急処置、本局へ着くとすぐに手術室へ直行。何時間にも及ぶ治療のおかげでクロノはなんとか命を取り留めた。だが、状態が安定してもクロノは目を覚まさなかった。
 なのははそんなクロノにずっと付き添っていた。面会時間が過ぎても帰ろうとはせず、こっそり病室で夜を過ごし、リンディが朝一番で見舞いに来るとベットに寄りかかって寝ているところを発見された。その時、家族への連絡もしなかったのでちょっとした騒ぎになり、この際だからとリンディは病室の隣の部屋を借りて、そこで寝泊りするようにと言った。なのはとしては同室がよかったのだが、そこまでしてもらって我侭は言えなかった。

 そうして十日。何の前触れもなくクロノはゆっくりと目を覚ました。

 その時、傍にいたのは無論なのはだ。目を大きく見開いて、彼の手を握る。その感触にクロノは朦朧とした意識の中、ゆっくりとなのはの方を向いてこう言った。

『おはよう、なのは』

 その言葉に、なのはは震える声で言葉を返してから大きく泣いた。







 それから三日ほどでクロノの意識は明確になり始めた。起きたばかりの時は、見舞いに来た者がやけに騒いでいたのを不審がっていた有様だ。その頃になってようやく自分が何をしでかしたかを思い出した彼はその頃になって皆に詫びを入れていた。
 そうして、彼は一番謝らなくてはいけない人と対面する。

『母さん………』

 意識がはっきりしてから顔を合わすのは、これが最初だった。クロノが意識を取り戻すまでの間、リンディは事件の事後処理に忙殺されており顔を出す暇がなかった。なお、その事後処理の際に、ロウ提督が痛手を負った管理局の現状を考えクロノの単独行動、及び量産型カートリッジの件をもみ潰した事をクロノは後で知らされることになる。三隻もの巡航艦が大破した処理をしている最中にそれどころではない事と、結果としてリヴァイアサンを破壊できた功で帳消しと言う事らしい。納得はいかなかったが、確かに今事を荒立てるのは得策とは言えず、クロノは受け入れるしかなかった。
 リンディは提督として屹然とクロノと向かい合った。つかつかと、リンディは無言でベッドの近くまで歩みよってくる。そこでクロノはリンディの身体が小刻みに震えている事に気がついた。どれだけの葛藤があるのか、クロノでも推し量りきれない。
 やがて、リンディは無言のまま片手を上げる。クロノはそれを受け入れるように目を閉じた。
 が、クロノが閉じた視界の中、感じたのは頬を叩かれる痛みではなく、自分を抱く母の体温だった。

『心配……かけて………!』
『母、さん』
『置いてけぼりに、される方の気にもなって………!』

 自分を抱く母の身体の震えにクロノは父が死んだ時の事を思い出す。
 幼かった自分と違い、父が死んだと言う事実を受け入れるしかなかったリンディ。その大きな悲しみを背負いながら、自分の前でも人前でも涙を流さなかった。喪主として葬式に参列した人達の前で震えを見せなかった。
 その母が、震えを隠せず自分を抱いている。

『………ごめん』

 そうとしか言えなかった。それから母に抱かれたまま、クロノはとても久しぶりに母の前で泣いた。
 そんな母子をなのはは優しく見つめていた。





 その数日後。クロノは状態を見に来た医師に自宅療養の許可を求めた。
 その申し出に医師は渋い顔をした。容態は安定しているが、クロノはまだ重症人の域を出ない。許可自体は出そうと思えば出せたが、不測の事を考えるならまだ入院をしているべきだった。
 その話を傍で聞いていたなのはもまだ入院しているようにと子供を叱る様に言った。それでもクロノは自宅療養を希望し、なのはがその理由を咎める様に尋ねた。
すると、クロノはさも当然のようにこう言った。

『その方が、君も見舞いに来やすいだろう?』

 その言葉に、なのははぱちぱちと瞬きしてからコクコクと頷くほかなかった。
 それから、二週間。自宅療養に切り替えたクロノの部屋になのはが姿を見せない日はなかった。容態はかなり安定してきているが、まだ完治にはほど遠かった。そうして、予ねてより予定されていた花見の日はやってきたが、クロノはまだ参加できるほどに回復していなかった。
 そして、なのはは当然のように参加できなったクロノに寄り添っていた。









 時刻は昼を向かえ、クロノはなのはが作った昼食を食べ終えると、再び窓の外へ目をやった。今頃、花見のほうは盛大に飲み食いしている頃だろう。
 ふと、その目に桜の花びらが舞うのが見えた。それは部屋に響く歌に合わせるかのように軽やかに舞った。そうしてクロノは、なのはとサイドボードに置かれたS2Uに目をやった。
 あの戦いの際、S2Uは完全に大破した。録音機能や今のように歌を響かせると言った機能こそ生き残ったはいたが戦闘用のデバイスとしての機能は完全に消滅した。最も、全てのリミッターを解除した状態で使えばそうなるとわかっていたから、悲観はしなかった。

 何故なら、そのおかげで大切なものを守れたのだから。

 それから、クロノはなのはにS2Uを渡した。S2Uが大破した事を告げた直後である。悲しみから驚きに表情を変えたなのはにクロノはこう言った。

『お守り代わりだよ。───────だから、君に持っていて欲しい』

 そうして、S2Uを受け取ったなのはは見舞いの時に曲を流し続けた。余程、気に入っているのか、自宅療養になってからS2Uから流れる歌を聴かなかった日はない。

「なのは」

 その持ち主となった少女に声をかける。彼女は医師から渡された医療本を読んでいた所だ。専門的なことも書かれているにも関わらず、なのはは渡されてからそれを懸命に読み続けている。そのため、呼ばれたことに反応するのに少しだけ間を要した。

「なに、クロノ君?」
「やっぱり、花見には行きたかったか?」

 本から顔を上げたなのはにそう尋ねる。なのはは少し迷いながらも正直に答えた。

「……うん。やっぱり、楽しみだったし」

 けれど、なのはは後悔のない顔で言葉を付け足した。

「でも、私はクロノ君のお世話をしなきゃいけないし」
「そうか」

 クロノが頷く。以前の彼なら、気にしなくていいから行くといいと言っただろう。けれど、そんな事を言うつもりはクロノにはない。クロノもなのはに傍にいて欲しかったから。
 だから、口にしたのは別のこと。

「──────なら、行こうか」
「え?」

 そう言ってクロノはベッドから身体を起こす。直りきっていない身体は、何年も動かしていないように鈍かった。それを現すように鈍い痛みが身体に走った。

「ク、クロノ君!駄目!!」

 クロノがベッドに腰掛けて立ち上がろうとしたところでなのはが肩を抑えて押し留める。痛みが走らないようにそっと手を添えるような優しい手つきだった。

「そんな身体で行っても、皆に追い返されちゃうよ」
「だろうな」
「私のことなら気にしなくてもいいから。だから………」
「違うさ」

 そう言ってクロノはなのはを見上げる。とても柔らかく、迷いのない笑みをなのはに向けた。

「僕が行きたいだけさ。──────それに約束しただろう」
「え?」

 クロノがなのはを外に誘う様に窓に目をやる。外では二人を誘うかのように、桜が舞っていた。

「二人で、桜を見に行こう」














 目を開ければ、そこは花の祭典だった。

「────────わぁ」

 頭の上を流れる花吹雪を追うように、後ろを振り返る。そこには現世との境目のように、桜が見事なまでに花を咲かせている。視線を戻せば、春の恩恵を受けた緑が生い茂っていた。その息吹を示すようにあちこちに花が草原を彩っていた。
 それが、転移魔法でやってきた二人が見た光景。二人で見ようと約束した光景だった。

「綺麗だね………」
「ああ」

 言葉にした事はそれっきり。それだけで十分だった。

「僕は少し休むから。君は少し見て回ってくるといい」
「え?でも………」
「いいから」

 なんの邪気もない顔で言われてはなのはは引き下がるしかない。名残惜しそうにクロノから離れ、ゆっくりと草原を歩く。時折、吹く風に流れる花びらを追ってくるくると踊るように回る様をクロノは温かな気持ちで眺めた。
 この一ヶ月、なのはとは話したい事がたくさんあった。言いたいこと、伝えたいこと、聞いて欲しいこと。それを今まで話さなかったのは、なのはがいてくれたおかげで満たされていたから。それで十分だったから。
 ────それを全部、伝えようと思った。

「なのは」

 立ち上がって彼女の名を呼ぶ。振り向いたなのははクロノが怪我をした身体で立ち上がったのを見ると、咎めるように近づこうとする。

「ありがとう」

それを、脈絡もないお礼の言葉が遮った。

「え?え?な、なにが?」
「今日までのこと。他にも色々。礼を言いたいことはたくさんありすぎる」
「ど、どうしたの急に?」

 突然の言葉に、慌てふためくなのは。それをクロノは優しい微笑を浮かべて見ていたが、それを収めると顔を僅かにあげて遠くを眺めた。その動作に、なのはは風が小さくなるのを感じた。

「それと、ごめん」
「クロノ君………?」
「悲しい思いをさせて、ごめん」
「──────────────────────」

 その言葉になのはは押し黙る。クロノが何を謝っているかは明白だ。まだ経った一ヶ月しか経っていないあの事件。忘れていたわけではない。ただ、もう終わったこととしてなのはは今日までその事に触れなかった。
 それをクロノは自分の手で開こうとしていた。

「……僕が悲しいっていう事を知ったのは父さんが亡くなった時だった」
「──クロノ君」
「けど、悲しいと思ったのは父さんが死んだ事じゃなかった。それを理解するには僕は幼すぎた。────だから、悲しいと感じたのは父さんが亡くなった事を悲しんでいる人達を見た事だった」

 その光景は今だって明確に思い出せる。
 多くの人が嘆いていた。多くの人が別れを告げていた。多くの人が悲しんでいた。
 人一人が亡くなることで、多くの人が涙を流していた。

 それを、悲しい事だと思った。

「だから、僕は魔法を習い始めた。多くの人が悲しい思いをしないように。こんな筈じゃなかったと嘆くことが無いようにと。そのための魔法が欲しかった」

 それは魔法に描いた夢。現実に描くには難しすぎる夢をクロノは幼い心に描き続けた。

「そうして、得た魔法は、望んだほどじゃないけど悲しみを無くす事が出来た。こんな筈じゃなかったと嘆く人を減らすことが出来た。けれど」

 その幼い心は知る。魔法を持ってしても描けないものがある。

「けれど、それでも救えないものもたくさんあった」

 それを心に刻み付けられた。

「その度に、心が痛かった。痛くて、とても痛くて我慢できなかった。だから、次こそはと何をしてでも、回りの心配を省みないで、次は救えるようにと願った」

 その痛みから逃れられるなら、身体の痛みはいくらだって耐えられた。そうする事で、以前より多くを救うことが出来るようになった。だから、そう在り続けた。

「けど、僕がそうすることを悲しむ人がいた。それでも僕はそうし続けた。そうじゃないと、人を悲しみから救えなくて自分の心が痛くなるから」

 けれど、その在り方はそう在り続けるほどに、最初の願いを忘れていった。

「こんな筈じゃなかったと、人が悲しい思いをしないようにと願っていたのに、いつの間にか僕は自分が傷つかないようにと思うようになっていった」

 願いを叶えるために、自分を殺し、いつしか願いを歪めてしまった。
 その歪みが少年に罪を背負わせる。少年にしか感じ得ない罪を。

「そうして僕は、自分が傷つかないために………何千の人の命に手を伸ばさなかった」
「────クロノ君!!」
「これは事実だ、なのは。どう足掻いても救えなかったのかもしれない。何をしても無駄だったのかもしれない。────けれど、救えたかもしれない。それに手を伸ばさなかった。僕はそれに罪を感じる。きっと一生背負い続けて生きていく。それがせめてもの報いなんだ」

 誰が許そうと、クロノはその罪を許せない。例え、その重さに潰れようともクロノはその罪を下ろすことは無いだろう。

「きっとつらい事だと思う。とても重いことだと思う」
「……うん」
「───けど、一つだけ叶う事があるなら耐えられると思う」
「……それって、何?」

 なのはの胸に不安がよぎる。それは以前にも抱いた事。クロノが傷ついたのは自分を助けたから。そのために多くの人が傷ついたから。その自分が傍にいるだけでクロノは傷を直視しなくてはならない。だから、自分はクロノの傍にはいられないと不安を抱いた。
それに先ほど礼を告げられた。今日までのことをありがとうと。それはまるで別れを告げるような言葉。
もしかして、彼の願いとはもう傍に─────────────────────。

「君が、傍にいてくれれば大丈夫だと思う」

何を言われたか、わからなかった。

「──────────────────────え?」

 なのはの瞳に映るクロノは幻かと思うほど、優しい笑みを浮かべていた。

「君が悲しむととても悲しかった。君がつらいととてもつらかった。君が喜ぶととても嬉しかった。君が笑うととても楽しかった。そんな君が傍にいてくれるなら、きっと大丈夫だと思う」
「クロノ、君」
「だから」

 その言葉に自分の想いが全部伝わるようにと、全てを込める。

「ずっと傍にいてくれないか」

 言葉が風に舞う花と共になのはに届く。結った髪を靡かせた風は確かになのはに届いた。

「ずっと、一緒?」

 それを、かみ締めるように呟いた。

「ああ」
「ずっと、傍にいていいの?」
「ああ」
「本当に?」
「本当に」
「本当の本当に?」
「本当の本当に」
「嘘、つかない?」
「つかない」
「────本当に、一緒にいてくれるの?」

 きっといる。絶対になのはの傍にいる。

「君が、望んでくれるなら」

 だって、それが。

「ずっと、一緒にいたい」

 僕の望みなのだから。

「────────────」

 それ以上の言葉は要らなかった。

 なのはが草原を駆ける。望んだ場所に向かうように。

 クロノが腕を広げる。望んだものを受け止めるように。

 そうして、桜が舞う春の草原で。

 二人は約束を結ぶように互いの身体を抱きしめあった。
inserted by FC2 system