リリカルなのは SS
Song to you forever after
お泊り
「「「「「「いただきまーす」」」」」」
皆、声を揃えて手を合わせる。温かな家族の団欒の時。
「今日も母さんの料理はうまいなぁ〜」
「うふふ、ありがと〜、あなた」
「あ、恭ちゃん。お醤油取ってくれない?」
「ほら」
近所でも仲良し家族として知られているここ、高町家ではそんな団欒の時が一際温かく行われている。
そんな中に。
「はい、クロノ君。これ、美味しいよ」
「ああ、ありがとう」
最近高町家の末っ子と付き合いだした、五歳年上の少年の姿があった。
クロノが高町家で夕食を取っているのは至って単純な話だ。
休日をいつも通り、なのはと草原で過ごした帰り道、手を繋いで歩く彼女にクロノはこう尋ねられた。
「クロノ君、今日ご飯どうするの?」
休日を極力合わせようとする二人は密に連絡を取り合い、互いのスケジュールを熟知している。本日クロノは休日であったが、他のハラオウン家の面々は仕事で出払っており今日は帰ってこない。なので、今日ハラオウン家はクロノ一人しかおらず、いつも家事をしてくれる家族はいないのだった。
「そうだな。家に何かあれば何か作るし、なければ何か買ってくるよ」
「コンビニのお弁当?」
「………最悪の場合ね」
そう言うとなのはは少し表情を曇らせる。料理上手の母親のためか、なのははインスタントやコンビニ弁当といったものに今のところほとんど縁がなく、どこか忌避している節がある。何より、にぎやかな家族と食事を取ることが常と言っていいなのはには一人きりの食事と言うのがどうにも寂しいものに見えた。
「なら、ウチで食べていかない?」
少し考えて素振りをしてからなのははそう言った。なし崩しとはいえ、クロノはフェイトを伴わず高町家の夕食に取った事がある。初めての事ではないのだから遠慮する事はないだろう。一人で夕食をとるよりはずっといい事だと思った。
そんな気遣いが少し強く握られた指先から伝わってくる。
「………なら、ご馳走になろうかな」
そう言って僅かな、けれど自然な微笑を浮かべてクロノはなのはの提案を受けいれた。
そうして、突然の訪問ではあったが、桃子がクロノの来訪を嫌がる筈もなく、嬉々して夕食を作り、現在に至るのであった。
「あー、駄目よー、なのは。そこは『あ〜ん』ってしてあげなきゃー」
その桃子がおかずを切り分けるだけに留まっている娘に茶々を入れ、なのはを大いに慌てさせた。
「あ、あ〜んって………!?」
「何言ってるんですか桃子さん………」
「何よ〜、恥ずかしがる事ないじゃない〜」
「人前というか、親の前ですることじゃないでしょう………」
「人前じゃなきゃいいんだ?」
「いや、そうじゃなくて……」
「でも、クロノ君。病院でなのはにあ〜んされた事あるって聞いたけど」
「って、美由希さん!?なんでそんな事を!?」
「えっと、アリサちゃんから聞いたんだけど」
「ア、アリサちゃん。また………」
「そういえば、クロノ君学校ではやてちゃんにあ〜んされたんだよね。人前で」
「む、昔の話を持ち出さないでください!!というか、どこまで話しているんだあの子は!?それと、なのは!その事を思い出して羞恥心と対抗心が入り混じった顔で、僕とおかずを交互に見ないでくれ!!」
賑やかには違いないがやたらと精神をすり減らされるクロノ。そのクロノの肩をポンと沈痛な表情をした恭也が叩く。
「あんな母だが呆れないでやってくれ。その内、大人しくなるから」
「あの、もしかして恭也さんの時も?」
「…………ああ」
「それは………大変だったでしょう」
「…………ああ」
「僕も、頑張ります」
「…………ああ」
「何よ〜。桃子さんが悪役みたいな言い方をしてー」
不満そうに言う桃子だったが、わかりあった男達にはその言葉は届かなかった。
「それじゃ、そろそろ失礼します」
夕食を終え、高町家との談笑を楽しんでいたクロノだったが、時刻を確かめると腰を上げた。時刻はそろそろ八時を指そうとしている。帰るなら、そろそろ頃合だった。
「クロノ君、今日家の人戻ってこないだっけ?」
「ええ。帰ってくるのは早くても明日の昼時かと」
「なら、泊まっていけば?」
「は?」
あっさりとした桃子の言葉をすぐに理解できないクロノ。ぱちぱちと瞬きする間に桃子はさらに言葉を続ける。
「せっかく来てくれたんだし、いいじゃない。戸締りはしっかりして来たんでしょ?」
「え、ええ。してきましたが、ってそうじゃなくて」
「じゃあ、決定!美由希ー、恭也のお古の寝巻き引っ張り出してきてー」
「いや、だから勝手に話を………」
「そうなると、早くお風呂済ませないと順番詰まっちゃうなぁ」
「話を聞いて下」
「よし、なのは。久しぶりに一緒に入るかっ」
「!?」
「お、お父さん!もう、私そんな歳じゃないよ!」
「そうか………。父さん、少し寂しいなぁ」
「もう、あなたったら〜。馬鹿な事言っちゃ駄目よ〜」
「そうだよ。全く………」
「なのはと一緒に入るのはクロノ君とでしょ?」
「っぶ!!?!」
「おおおおお、おか、お母さんっ!?!?!」
「…………違うの?」
「心底、不思議そうな顔で言わないでください!!」
「そうだよ!い、一緒に入ったりなんてしないよ!!」
「そうなのか?俺と桃子が結婚した頃はよく一緒に」
「やだ、あなたったら。そんな恥ずかしい話」
「娘の前でノロケ話しないでー!」
「じゃあ、クロノ君。断られた者同士、仲良く入ろうか」
「え?は、はぁ………」
ポンと肩に手を置かれてズルズルと引きずられていくクロノ。一体全体どうしてこんな事になったのだろうか、と疑問に思いつつ。
「男二人で入るにはちょっと狭かったなぁ」
「はぁ………」
歯切れの悪い返事をしながら、先に湯船を譲ったクロノは湯に浸かる士郎をちらりと見る。喫茶店の温和なマスターとは思えないほど鍛えられたその身体にははっきりとわかる傷痕がいくつも刻まれていた。
「珍しいかい?」
「……ええ。僕らの仕事は怪我の多いですけど、そこまでの傷痕をしてる人はあまり見ないですね」
クロノの言葉はやや抑え目だ。あまり見ないと言ったが実際には見た事はない。ここ二年ほどの生活でこの世界の文化レベルは把握しており、この国は比較的安全が保障されている国である事を理解している。そんな国で暮らしていながら、これだけの傷痕を持っているのは一体如何なる経緯なのだろうか。
「俺も昔は危険な事をしててね。それで家族を心配させたりもして、申し訳ない限りだったなぁ」
「その気持ちはわかります。僕はまださせっぱなしな気がしますが」
「……そうだな。その身体を見ると想像はつくよ」
士郎が目を細めてクロノの身体を見る。年相応とは言い難いほどに鍛えられた細身の身体。それだけでも尋常ではなく、その身体には士郎には及ばないものの確かな傷痕が見えた。
「これでも昔よりはマシな方なんですけどね。最近は傷痕を消すように治療してもらっているので、残っているのは昔のものです」
「昔はなんで消さなかったんだい?」
「その分治療に時間を食いますから」
「じゃあ、最近はなんで消すように?」
そう問われて、クロノは少したじろいだように口を閉ざして頬を掻いた。いつからそうするようになったかと言えば、明確に覚えている。
それは一年程前の話。クロノはなのはととある任務に就き、大怪我をして入院した事があった。責任を感じたなのはは見舞いのたびに甲斐甲斐しく世話をしてくれたのだが、クロノの負った火傷の痕を見る度、表情を曇らせていた。その顔を見ているとなんだか罪悪感のようなものに負われ、クロノは担当医に傷痕が残らないように治療してほしいと相談した。そのために、入院期間が多少延びたが、それでなのはが気に病むことがなくなるなら大した代償ではなかった。
それから、クロノは自分以外の人が気に病むからという理由で怪我をした時は出来る限り傷痕が残らないように治療するようになった。そういう訳で、きっかけとなったのは実はなのはだったりするのだが、それを実の父親の前で話すのは気恥ずかしかった。
「ふぅん…………?」
が、クロノよりもはるかに人生経験の豊富な士郎はそれだけで大体の事が想像できたようで何かニヤニヤとした顔でクロノを見る。その見透かしたような顔から逃れるようにクロノは桶一杯の湯を頭から被った。
「それじゃ、そろそろ交代するか」
そう言って士郎は立ち上がって湯船を出る。クロノが後ろに下がって場所を譲ると傷が刻まれた大きな背中が目の前に鎮座した。
「……あの、お背中流しましょうか」
「おっ、頼もうか」
士郎が肩越しに手ぬぐいと石鹸を手渡す。それを湯を張った桶に不器用そうな手つきで浸すとクロノは恐る恐る士郎の背を洗い始めた。
「………」
「………」
クロノも士郎もしばし無言だった。士郎は相手に背を任し、クロノは背を流す事に専念する。ぎこちなかったクロノの手つきに慣れらしきものが出てきた頃に思い出したようにぽつりと士郎が口を開いた。
「クロノ君のウチはお父さんがいないんだったかな?」
「ええ。物心つく前に。だから、こうして背を流した事もありません」
「そうか」
会話はそれで終わった。それから背を流し終えるまで士郎は口を開く事はなく、クロノも語りかける事はなく、ただただ穏やかな空気が流れていた。
「あ、クロノ君上がったの?」
「ああ、いいお湯だったよ」
風呂上り。なのはとクロノは廊下で顔を合わせた。パジャマ姿のクロノという今まで目にしなかった姿をなのはは思わずまじまじと見てしまう。
「なのは」
その視線にクロノがちょっと戸惑っていると、クロノと同じく風呂から上がった士郎がポンとなのはの肩を叩く。
「一緒に入ってわかったが、クロノ君は中々立派なモノを持っている。受け入れるのは大変だと思うが頑張むぐっ」
「何言ってんですか、アンタはっ!?」
戯言をほざこうとする士郎に対し、思わずチョークスリーパーを決めるクロノ。
「クロノ君とお父さん、なんだか仲良し」
その様子をなのははとても不思議なものを見るような目で眺めた。
「ふぁ………」
リビングで談笑していたクロノとなのはだったが、会話の合間になのはが眠そうにあくびをする。これで三度目だった。
「眠いのか、なのは?」
「うん、少しー………」
時計を見る。もう時計は十時を回ろうとしていた。普段、もっと早く就寝しているなのはにとっては眠い時間だった。
「明日も、早朝に訓練するんだろう?そろそろ寝たほうがいいぞ」
「うん。でもー……」
「でも?」
「もう少し、クロノ君とお話したいな………」
「────」
眠そうな表情でそんな事を言われて、くらりと来たが鉄の自制心を持ってなんとか冷静を装いながら、クロノはなのはに告げる。
「訓練には僕も付き合うから。だから、もう寝たほうがいい」
「うん………。そうするねー………」
そう言ってなのははふらりとリビングを出る。去り際に『おやすみ〜……』と間延びした声が廊下から聞こえてきた。どうやら寝ぼけ気味で、よく考えないでものを言っていたらしい。少し呆れつつも、早くなった脈拍を落ち着けるとクロノはソファーから立ち上がった。訓練に付き合うなら自分もそろそろ寝なくてはならない。
「すいません桃子さん。そろそろ寝ようと思うのですが、僕はどこで寝れば?」
キッチンで明日の朝食の仕込みをしていた桃子に声をかける。桃子はクロノの姿を見ると手を止めて近づいてきた。
「あーはいはい。ちょっと待ってねー」
そう言って桃子はクロノを置いてキッチンを出る。戻ってきたのは何しに出て行ったのだろうと思うよりも早かった。その桃子の手には枕が一つ抱えられていた。
「はい、クロノ君」
桃子が持ってきた枕を手渡す。前振りもなく差し出された枕をクロノは思わず受け取り、手の中の枕と桃子を交互に見比べた。
「あの、これは?」
「枕。それじゃ、案内するねー」
いや、そういうことじゃなくて、と問う前に桃子がキッチンを出て行く。小さくため息をついてからクロノはその後について行く。
桃子はキッチンを出て廊下を歩き、階段を上がって行く。てっきり居間に布団でも敷いてあるのかと思ったが、どうやら違うようだ。しかし、二階に客間はあっただろうか?
疑問と共に首を捻っていると、不意に桃子が足を止めた。桃子はクロノに振り返ると観光バスガイドのように手を横に差し出し、満面の笑みを浮かべて告げる。
「はい。ここがクロノ君の寝る所」
「……………桃子さん」
「なぁに?」
「ここ、なのはの部屋ですよね?」
「そうよ♪」
「なんの、つもりですか?」
「クロノ君となのはの仲を深めようと思って♪」
「何考えてるんですか、あなたはっ!?」
桃子に詰め寄り、小声で大声を上げるクロノ。漫画で言うと吹き出しが点線になっている感じである。
「ああ、久しぶりだからすっかり忘れてましたよ!あなたがそういう人だって事!」
「クロノ君、あんまり騒ぐとなのは起きちゃうわよ?それじゃ困るでしょ?」
「もう十分困っているというか、これ以上何を困るんですかっ!?」
「まぁまぁ。じゃ、そういうことだから」
そう言って桃子は音もなく後ずさり、ぱたんと夫婦の寝室へと姿を消した。待ったをかけようとした手が所在無さげに空を切り、その手でクロノはガジガジと頭を掻いた。
「ああ、もうっ!どうしろと………っ!?」
悪態をつこうとしたところでカチャリとノブが回る音がして、静かに扉が開く音がする。ぎょっとなって振り返ると、今のやり取りが聞こえたのかなのはが眠そうな顔で顔を出していた。
「クロノ君―………、どうしたのー………?」
「あ、いや、その」
問われて挙動が不審になるクロノ。その姿を見てなのはが不審から少しだけ意識をはっきりとさせる。それから、最初に抱いた疑問を口にした。
「クロノ君、それ枕?」
「あ、ああ。枕だ」
「クロノ君、今日どこで寝るの?」
二階に客を泊める部屋があったか思い返す。あるといえばあった気もするがそれでもなんで枕だけ持って廊下にいるのだろうか?
(ああ、そんな目で見ないでくれ………)
純粋に疑問の眼差しを向けるなのはにクロノは嘘を考える思考もなく、うっかりと事実を口にする。
「その、桃子さんに寝る所を案内されたんだが」
「それってどこ?」
「…………ここ」
ここ?ここってどこ?
なのはがきょろきょろと辺りを見回す。
クロノ君のいる所。廊下。私がいる所。私の部屋。
だからって廊下で寝るなんてことはないだろう。ということは残るは自分の部屋しかない。
そっかー、クロノ君私の部屋で寝るんだー…………………………?
「って、ええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
ようやく事態を把握したなのはが意識を完全に覚醒させてご近所の迷惑も考えられずに大声を上げる。
その慌てようが伝染したように、クロノもしどろもどろになって弁明する。
「あ、慌てるな!これは桃子さんの罠だ!!僕はここで寝る気なんてないぞ!!だから、安心していいから!!」
「ででで、でも。えええええ、ええと」
「と、とにかく。僕は違うところで寝るから!それじゃ、おやす」
「………違うところってどこ?」
クロノの言葉を遮ってなのはが尋ねる。自身の動揺よりもそちらの方が気になったらしい。
「………とりあえず、リビングかな。ソファーもあるし、この時期なら毛布がなくて風邪を引くなんて事もないだろう。それじゃ、おやす」
振り返って立ち去ろうとするクロノ。言葉と共に回れ右して来た道を戻ろうとしたところで、服の裾が引っ張られるのを感じた。
「………なの、は?」
顔だけ振り向かせると、なのはが俯きながら、しかし指先にしっかり力を入れてクロノの服の裾を掴んで引き止めていた。
「………く、クロノ君はお客さんなんだから、リビングなんかで寝させられないよ」
「べ、べつに僕は構わな」
「だからっ」
なのはが顔を上げる。茹で上がったように赤くなった顔で、決意を込めて言う。
「今日はここで、寝よ?」
「き、君のベッドなんだからそんなに端にいなくてもいいんじゃないか?」
「ク、クロノ君だってそんなに端っこじゃ落ちちゃうよ?」
ベッドの端と端で言い合う。二人ともあと少しでも傾けば、落っこちかねない位置にいた。
結局なのはの部屋で寝る事になったクロノだったが、ベッドは一つしかないので床で寝るつもりだった。しかし、なのはは自分だけベッドで寝るのは失礼だと思い、自分が床で寝ると言い出した。無論、それを承知するクロノではない。君のベッドなんだから君が寝るのが筋だろうと言うが、なのははそれを聞かずクロノが床で寝るなら自分も床で寝ると言い張る始末だ。しかし、それではベッドが空になってしまい、本末転倒だった。
一人が床で寝て、一人がベッドで寝ると言う選択は取れない。二人とも床で寝るもの賢くない。そんなわけで、二人は残された選択である二人で一つのベッドを使うと言う選択を取ったのだった。
が、お互い承諾したと言っても、相思相愛の人間が同じベッドに入っているのだ。気恥ずかしさを感じないはずも無く、ベッドの中で可能な限り距離を取っていた。
「………確かにこれじゃ二人とも落ちかねない。だから君が真ん中に寄るんだ」
「わ、私はここでいいよ。クロノ君が真ん中に寄ってよ」
互いに譲り合い、平行線を辿る。先も同じような言い合いをしたことを思い出し、クロノはため息をついて同じ愚を避けることにした。
「……お互い譲り合っててもしょうがない。一、二の三で真ん中に寄ろう」
「う、うん。わかった。それじゃ、一、二の」
「三」
コソっ、という擬音が似合いそうな動作で真ん中による。二人ともほとんど動いていなかった。
「あ、あんまり動いてないよ?」
「き、君こそ動いてないじゃないか」
「そ、それじゃもう少し寄ろうか?」
「あ、ああ。一、二の」
「三」
今度はコソコソという感じだろうか。確かに動いてはいるが、それでも真ん中によっているとは言いがたい。
「……少ししか動いてないよ?」
「君だって同じだろう。…………いい加減、埒が明かない。今度こそ真ん中に寄ろう」
「………うん」
「それじゃ、一」
「二の」
「「三」」
ズイッと身体を横に移動させる。今度こそ二人とも遠慮なく、相手の事を考慮しないでベッドの真ん中に身体を寄せた。
(って、寄り過ぎた!?)
結果、二人は互いの半身がピッタリと密着してしまった。薄い寝巻き越しに相手の体温が伝わってくる。そのリアルな温かさに二人は身を硬くした。
動こうにも真ん中による時に伸ばしたクロノの腕になのはの頭がすっぽりと納まってしまっている。俗に言う腕枕状態だ。
バクバクと鳴る心臓を押さえようとするがうまくいかない。動く事も離れる事も出来ず、クロノはただ身を硬くしてなのはの体温を感じるしかなかった。
(どどど、どうしよう!?)
一方のなのはもクロノに負けず劣らず慌てている。クロノがなのはの体温を感じているようになのはもクロノの体温を感じていた。また、頭の下にある腕や彼の身体に添えるようにしてしまった手から彼の存在を直に感じてしまっている。
このままでは寝るどころでは無い。どうするべきだろうか。急に離れるのは失礼だろう。一言断ってから離れるべきだろうか。いやしかし、離れようとしているのは変わりないしどうしよう。
固まったまま、考えてみるが考えがまとまらず結局なのはも身を硬くするしかなかった。
けれど、どれだけそうしていたあとだろうか。
(あー…………)
伝わってくる体温が温かい。触れ合っている感触が心地よい。彼の存在が確かに感じられた。
(なんだか、いい感じ…………)
ひどく穏やかな気持ちになっていき、ゆっくりと心地よい眠気がやってくる。そうして、なのははまどろみに身を委ねた。
「………なのは?」
同じように固まったままだと思っていたなのはから小さな寝息が伝わってくる。どうやら眠ってしまったようだった。
「そうなると、参ったな………」
こうなるといよいよ動く事が出来ない。だから、クロノはため息一つついて諦める事にした。なんだかどっと力が抜けてきた。
「ふぅ………」
目を瞑る。睡魔は意外なほど早くやってきた。それに逆らわず、クロノはゆっくりと意識を落とした。
その最後まで、彼女の体温を感じながら。
「ん…………」
カーテンの隙間から差す朝日にクロノが目を覚ます。手をかざして光を遮り、指の隙間から見慣れない天井が見える事の意味をしばし考えた。
「………泊まったんだったな、なのはの家に」
首を横に傾ければ、安らかに眠るなのはの顔がすぐそこにあった。その頭の枕にされていた腕を起こさないようにゆっくりと抜く。眠っていた時よりも位置が浅くなっていたので大した振動を与える事無く、二の腕はやわらかな重みから開放された。
「………」
少し寝ずらそうに頭を動かすなのはの見下ろしてから、クロノは時計に目をやる。タイマーは時刻こそ設定されていたが、アラームをオンにするのを忘れていたようだ。時刻は六時半を指しており、早朝訓練に向かう時間を大幅に過ぎている。
「それにしたってぐっすりと眠りすぎた気がするが………」
それはとても温かな眠りで、だからこんな穏やかな朝の中にいる。
それはそう、あの草原で眠りについたときのような安らぎだった。
「────────……ああ」
それでなんとなく悟った。
あの草原はとてもいい所だけど、それだけでは大切な場所にはなり得なかった。大切な人と過ごした所だから、ずっとここにと思えるほどとても大切な場所となったのだ。
その草原と同じ眠りにつけた。それはここがとても大切な場所だから。
それはつまり───────────。
「君が、僕の大切な場所なんだな」
いとおしげになのはの髪を撫でる。その感触になのははゆっくりと目を覚まして、自分の髪を撫でているクロノを見上げる。それから照れくさそうに笑って、朝の始まりを告げる。
「おはよう、クロノ君」
「おはよう、なのは」
その他愛の無い挨拶は、とても掛け替えの無いと思えるほどの響きがあった。
おまけ
「ふぁ〜…………」
「どうした、なのは?なんだか眠そうだが」
クロノの仕事を手伝いに来たなのはが大欠伸をする。これで三度目だ。咎めるつもりはないが、一応仕事中である。緊張感がなさすぎるのもどうかと思い、尋ねてみる。
「うん………。最近、眠れなくって………」
「最近?なにかあったのか?」
そう聞くと、なのはは何故か頬を染めて指をモジモジとしだした。視線はあちらこちらに動いて落ち着きが無い。最終的には指に視線を落とすように俯いてしまった。
「なのは?」
「あの………。なんだか、ベッドが広く感じて落ち着かなくって………」
「ベッドが?なんでまた」
「えっと、その…………」
恥ずかしそうに口ごもるなのは。だが、ちらりとクロノを見ると搾り出すようにして言った。
「その、クロノ君がお泊りに来てから、なんだけど………」
「─────────────────────────────────」
それって、つまり。
その言葉の理解を一歩手前で止めるようにクロノの身体が石となる。
「クロノ君」
その硬直が解ける前に、なのはが問いかける。
「また、お泊りに来てくれる?」
そのお願いに、クロノは石化したまま頷くほか無かった。