リリカルなのは SS
Song to you forever After
二人の居場所
前編

「ハァッ!ァッ!ハッ!ハァッ!」

 走る。全力で走る。腕をでたらめに振って、訓練された呼吸の仕方も忘れて、ただ、感情のまま全力で走る。
 だと言うのに、全く遅く感じる。他の人間からすれば、突風でも吹いたかのような勢いで走っているというのに、今のクロノには牛の歩みにしか思えない。
 早く。一刻も早く。
 ならば、魔力を使い身体を強化して走ればいいのだろうが今のクロノにはそんな事も思いつかない。そこにいるのは魔導師ではなく、ただ感情に突き動かされて走る少年だった。

「───────────!」

 やがて、目的の場所にたどり着く。万里の道を越えてきたかのような思いでクロノはその場所の扉に手を伸ばす。

「なのはっ!!」

 走ってきた勢いのまま、扉を開く。その音に驚いて、中にいた医師が振り返るがそれに構う事無く、否目にも入れず、クロノは視線の先にある分厚いガラスに体当たりするように張り付く。

「なのは!」

 叫びながら、ガラスの向こうに目をやる。そこには理解しがたい、信じたくない彼女の姿があった。

「なの、は」

 幾重にも巻かれた包帯。
 細い腕にいくつも刺された点滴。
 顔を覆うように取り付けられた呼吸器。
 淡々と鳴り響く、けれど嫌に耳に残る電子音。

「なの………は」

 掠れた声はガラスに阻まれ、彼女に届かない。
 ただ、なのはは深く深く、目を閉ざして眠っていた。






「峠は越しました。ただ、いつ目を覚ますのかの保証は出来ません」
「そうですか……」

 そう医師と話すリンディと高町夫妻の姿をクロノはぼんやりと眺める。なのはのところに辿りついた後、気がつけば三人に連れられてここにいた。その間の事を思い出そうとするが記憶がすっぽりと抜け落ちている。
 なのはが命に関わる重症を負った。
 思えば、そう連絡を受けてから自分がどうやってここまで来たのかもよく覚えていない。気がつけば、彼女のところに向かうために駆け出していた。

「………」

 その時の衝動はもう無い。あるのは、自分がここにいる実感すらも持てない空虚な現実のみだった。

「それじゃ、行きましょうクロノ。皆ももう来ているから」
「───はい」

 そう答える自分の声がどこか遠く聞こえる。まるで別の誰かが喋っているのを聞いているかのようだった。
 部屋を出る。するとそこには自分達の後を追うようにアースラからやってきたフェイトとエイミィの姿があった。

「───母さん!」

 リンディの姿を見ると、フェイトは縋りつくようにリンディに抱きつく。大切な親友が傷ついた悲しみからその目は赤く濡れていた。

「母さん!なのはは、なのはは大丈夫なの!?」
「フェイト。落ち着いて、なのはさんは────」
「───命に別状は無いそうだ」

 リンディの言葉を次ぐ様にクロノが答える。フェイトの驚いたような視線が自分を見つめたところでクロノは自分が言葉を発したのだなと他人事のように思いながら言葉を続ける。

「ただ、意識が戻らない。いつ目を覚ますのかもわからないそうだ」
「そんな───────」

 クロノの言葉にフェイトが青ざめる。それを気遣う事もなく、クロノはエイミィに尋ねる。

「他の皆は?」
「隣の部屋にいるよ。なのはちゃん、面会していい状態じゃないから」

 そうだったのか、と自分が規則を破っていた事に妙な感心をしながらクロノは皆がいる部屋へと足を向ける。

「ちょ、ちょっと待って」

 それをエイミィが肩を掴んで止める。それをクロノは不思議に思いながらエイミィの方に振り返る。

「ちょっと、大丈夫?」
「………何が?」
「何がって、そんな死んだような顔して何がはないでしょう」
「……そんな顔しているのか、僕は」
「うん」

 きっぱりと頷かれて、クロノは自分の顔に触れる。多少強張っている気がするが、自分がどんな表情をしているのかまではわからなかった。

「───大丈夫だ」

 クロノは手を離して、二三度顔を振ってからそう答える。

「いや、だからその顔で言われても……」
「どんな顔に見えているのかわからないが、こういう事には慣れている。だから、大丈夫」
「クロノ………」
「大丈夫だ」

 フェイトとエイミィの心配そうな視線にそうはっきりと答える。

「大丈夫」

 その時の自分の表情がどんな物になっているのかもわからずに、けれど自分に言い聞かせるようにもう一度、そう口にする。

「………」

 その姿が、リンディにはいつか見た光景と重なって見えた。







「ハラオウン執務官。先日の遺失物調査の報告書です」
「ご苦労。あとで目を通しておく」

 そう言ってクロノは報告書を受け取りながら、自身の報告書の作成の手を休めない。一区切り付いたところで手を休め、溜まった報告書に目を通し、不備が無い事を確認すると印を押す。そうして、先ほど受け取った報告書にまで印を押したところで執務室の扉が開いた。

「はーい、クロノ君」
「エイミィか。どうした?」
「どうしたはないでしょ。はい、0706次元世界での魔力変動観測記録」
「ああ。すまない」

 そう言って差し出された書類を受け取り、目を通す。読み終えた一枚目を捲り、二枚目に目を通そうとしたところで、顔を上げるとエイミィがじっとこちらを見ていた。

「どうかしたか、エイミィ?」
「あのさ、無理してない?」
「無理?」
「ここの所、ずっと眉間にしわがよってるよ?」

 とんとんと自分の眉間を指で叩くエイミィに釣られるように、クロノは眉間に手をやる。が、自分で触ってみても全く実感は沸かなかった。

「なんだったら、お休み申請したら?有給は溜まってるんでしょ?」
「やらなきゃいけない仕事だってある。そういう訳にも行かないだろう」
「けどさー………」

 エイミィが何かを言おうとしたところで、机に置かれたアラームが鳴った。クロノがスイッチを止めて、アラームを手に取って時刻を確認する。

「そろそろ時間か。それじゃ、上がらせてもらうよ」
「なのはちゃんのところに行くの?」
「ああ。可能な限りは通いたい」
「だったら、お休み取ればいいのに」
「………」

 エイミィの言葉にクロノは何も答えず、仕度を整える。と言っても持っていくものがある訳でもない。机を少し整理したら、それで終わりだ。その時間は五分もかからなかった。

「それじゃ、行ってくる」
「はいよ。いってらっしゃい」

 執務室を出て行くクロノをエイミィが見送る。ここ、最近では見慣れた光景。だが、その光景は日に日にエイミィにはつらい物になってきている。

「なのはちゃん、まだ起きないんだよね……」

 そう呟いて、ため息をつく。
 目を覚まさない大切な人の所に行く。それがどれだけ、クロノにとってつらい事なのかエイミィにはわからなかった。
 そう、エイミィにはわからない。
 だからこそ、何故クロノが休みを取らず、仕事に固執しているのかを、エイミィはわかっていなかった。









「やあ、なのは、また来たよ」

 なのはの病室にやってきたクロノは、椅子に腰掛けると眠り続けるなのはに呼びかけた。もう何度こうしたのかと一瞬考えるが、数える気にはなれなかった。

「すまないな。毎日来れなくて。それに来ても、短い時間で」

 いつもなのはに話しかけるように話すが、なのはは何も答えない。その度に、自分はいつもどんな風になのはに話しかけていたのかわからなくなってくる。そんな思いを押し込めて、クロノはなのはに語り続ける。

「仕事の方はまぁ、いつも通りだ。どんなにやってもなくなるなんて事は無いな」

 そうして、前に来た時から今日までの間の事を話す。その内容はほとんど仕事の事ばかりだ。こんな事ばかり話しても面白く無いだろう。そう思うが、それ以外話せる事が無いのだから仕方が無い。
 そういえば、なのはと話している時は大抵自分が聞き手に回っていた気がする─────────。

「っ」

 そう、なのはと過ごした時間の光景が一瞬、頭を過ぎりクロノは言葉を詰まらせる。それから、クロノは何も話せなくなり沈黙してしまう。
 そうして部屋には医療器具の電子音だけが鳴り響く。その音を聞く度、クロノはこの病室から逃げ出したくなる衝動に駆られる。

(何故、そんな事を思う?)

 その衝動を握りつぶすように硬く拳を握る。それから自分の思いを確かめるように目を閉ざしたなのはを見る。
 ここにいたい。ここにいたくない。
 眠ったなのはを見る度、その相反する二つの感情にクロノは覆われる。何故、そう思うのかを考えるが、その度に胸が鈍い痛みを発して、それ以上の思考を遮ってしまう。

「………」

 だから、クロノはその二つの感情に挟まれながら、じっとなのはを見ているしかなかった。










 そんな日を何度繰り返しただろうか。
 管理局とアースラと病院。日が昇り、沈み、また昇るように回るような日常が当たり前になってきてしまったと感じてくる。
 けれど、胸の痛みだけは無くならない日々を、何度繰り返しただろうか。

「───────────っ」

 はっと顔を上げると、辺りは薄暗くなってしまっていた。時刻を確認すると、既に陽が落ちて数時間は経ってしまっていた。

「眠ってしまったのか………」

 そうして周りに目をやると最初に見えたのは医療機器の電光だった。その頼りなく、弱い光がなのはの命を繋いでいると考えるとクロノは言いようの無い不安に駆られた。

「なのは………」

 その不安に押されるように、なのはに視線を移す。夜の闇の中でも変わらず、彼女は眠り続けていた。
 それが、当然の光景に見えてしまって、クロノはぽつりと呟いた。

「いつ、目を覚ますんだ?」

 それはなのはが眠り続けてから一度も言わなかった言葉。
 例え、それがいつだろうとその間、彼女が目覚めない事に絶望してしまうだろうから、口に出さなかった言葉だった。

「いつまで、こんな思いをしていればいい?」

 夜の闇に誘われるように、クロノは抑えきれない感情を口にしていく。

「いつまで、こんな悲しい思いを─────」

 そう口に出したところで、クロノは歯車が噛み合った様に、自分の思いを理解した。

「ああ……、そうだった」

 クロノ=ハラオウンは悲しい事が嫌いで、慣れてなくて、恐れていて。

「だから、何をしてでも悲しみから逃れようとして」

 どれだけ傷つこうと、悲しまないように生きようとしてきた。

「だけど、君が傷ついた事はとても悲しくて」

 それはどうあっても逃れられない悲しみ。

「けど、君が傍にいてくれればきっと耐えられる」

 だから、ずっと傍にいて欲しいと願い、約束した。

「でも、君はここにいるけど、傍にいない」

 なのはがいるから悲しみと向き合える。しかし、なのはが傍にいるから悲しみに耐えられない。

「僕はいつもこんな思いをさせていたのか?」

 何かを救うため、自分を省みなかった。どんなに周りが無理をするなと言われても、自分は大丈夫だからと言って聞かなかった。

「知らなかった」

 大切な人が傷ついて、でも自分は何も出来なくて、ただ待っている事しか出来ない事が。

「こんなにつらくて、悲しい事だなんて、知らなかった………っ!」

 そう口にした瞬間、耐え切れなくなったようにクロノは膝を折って手を床に着いた。左手が震えながら、縋るようにベッドのシーツを強く握り締める。

「──────ァ、ァァ───────」

 ああ、そうだ。ずっとここにいようとしなかったのは、目覚めないなのはと一緒にいると悲しくなってしまうから。その悲しみに向き合えるほど、自分は強くなかったから。そんな自分を認めたくなくて、何かと理由をつけてここにずっといる時間を無くそうとした。けれど、なのはがそばにいない事もつらくて。縋るようにここに来ていた。
 なんて、みっともない。クロノ=ハラオウンは何も変わってはいなかった。

「ア───────────」

 つらい。
 苦しい。
 耐えられない。

「なの、は…………」

 だから、その名を呼ぶ。
 彼女がいてくれないと、耐えられないから。
 情けなくても、彼女がいてくれれば悲しみに向き合えるから。
 そうすれば、次は自分の心に向き合って見せると誓えるから。

 だけど、なのはは───────────。

「───────────」

 その時、ふと頬に何かが触れた。
 弱弱しく、頬にひっかけるように添えなければ落ちてしまいそうなその感触にクロノは顔を上げる。
 そして、確かめるようにそれを握り締める。

「なの、は?」

 頬に触れる手。それを視線でなぞるようにしてなのはの顔に目を向ける。

「クロ………ノ…………く、ん?」

 うっすらと開かれた瞳。それは確かにクロノを見つめていた。

「なのは?」

 もう一度、その名を呼ぶ。その声に動かせるようになのはは少しだけ瞼を開いて、クロノを見る。

「泣…いて…………る、の?」

 確かめるようにクロノの頬に添えた手を目尻にまで伸ばす。そうされてクロノは初めて自分が泣いていた事に気がついた。

「いたい………の?」
「………ああ、痛かった」
「くる……しい………?」
「ああ、苦しかった」
「だいじょう、ぶ…………?」
「ああ─────────」

 涙が零れるのも構わず、クロノはなのはに微笑みかける。

「もう、きっと大丈夫だ」

 そう言ってクロノはなのはの手を強く握り締めた。










「ほら、なのは。口を開けて」
「い、いいよ。大丈夫だから」
「まだロクに立てない身体で何を言っている。ほら」
「う〜…………」

 観念して、口を開けるなのは。その中にクロノがおかゆを掬ったスプーンを運ぶと、なのはは食べづらそうにそれを飲み込む。そうして一息ついたときには既にクロノは次のスタンバイを完了していた。

「う〜…………」

 ちらりと横目をクロノがいる方とは逆を見る。そこには苦笑いを浮かべたエイミィとフェイトの姿があった。

「あ〜、諦めてなのはちゃん。現在、クロノ君は変なスイッチが入っちゃってるから」
「執務室の机に、介護関係の本が山積みになってたよ」

 そう言う二人は珍しいものを見に来たかのようにクロノを止める事は無い。この二人に援護は期待できなかった。

「やー、それにしてもなのはちゃんが目を覚ましてよかったねー。一時はどうなるかと思ったわよー」
「すいません、心配かけちゃって」
「いいよ、いいよ。こうして目を覚ましてくれたんだから。それよりも〜」

 エイミィの目がキラリと光る。その目に何か嫌な予感がするなのは。

「なのはちゃん。なんでも夜にクロノ君の呼びかけで目を覚ましたそうだけど、そこんとこどうなの?」
「どう、と言われましてもー………」
「何を言っているんだ、君は」
「では、なのはちゃんを目覚めさせたクロノ君。これってば、愛の奇跡って奴なのかな?どうなのかな〜?」

 何が愛の奇跡だ、とばっさり切り捨てようかと思ったが、横で『なんて言ってくれるんだろう、ドキドキ』みたいな目で見ているなのはを前になんと言えばいいのか迷ってしまう。

「クロノくーん。ちょっといいかなー?」

 その時、病室の入り口から桃子が声をかけてきた。頭の高さまで上げた手がこっちこっちと手招いている。

「あ、はい」

 これ幸いとクロノは席を立ち、桃子の隣に向かう。が、その前になのはの方に振り返る。

「それじゃ、またあとで」
「うん」

 そうなのはに声をかけてから桃子と一緒に病室を出る。エイミィがなにかニヤニヤとしていたがそれは気にしないことにする。

「それで、桃子さん。何のようですか?」
「うん、ちょっとね」
「………?」

 桃子はいつものように笑みを浮かべていたが、それがどうも固いものに見えてクロノは首を傾げる。そのまま、黙り込んでしまい、二人は無言で歩いていき、目的の場所に辿り着く。

「ここは……」

 なのはの主治医がいる医務室。それが意味する所を確かめるようにクロノは桃子に視線を向ける。

「それじゃ、入りましょう」

 そう言った桃子の横顔はいつも明るい翠屋のパティシエではなく、我が子の事を案じる母親の顔。その顔に問う事も出来ず、クロノは桃子の後に続く。

「お、来たか」

 中では既に士郎が待っており、その向かいには主治医も座っている。桃子は士郎の隣に座り、立ったまま自分の居場所を探すように立っているクロノに隣の席を座るよう促した。

「ほら、クロノ君も座って」
「……いいんですか?」
「何が?」
「なのはの話なんでしょう?僕が聞いてもいいんですか?」
「クロノ君だからいいのよ」

 桃子は躊躇いの無い答えを返す。その言葉になんと答えればいいのか
迷っているクロノに助け舟を出すように士郎が言う。

「それになんでも魔法の事とかも関わってるらしくてな。俺達じゃその辺りの事わからないから、一緒に聞いてくれないか?」
「………わかりました」

 クロノが桃子の隣に座る。そうして一同が揃ったところで主治医は話を始めた。

「さて、なのはさんですが意識は取り戻しましたので、命にはもう別状はありません。それは保障します」
「………はい」

 桃子はそれだけを言い、主治医を見つめる。それはその後の言葉を待っているようだった。

「それで今の状態ですが、まだ体力が戻ってきていないので歩くのもままなりません。今後の回復次第ではそのままと言う事もあります」
「可能性としてはどれくらいですか?」
「何もしなければ五分五分。あとは本人の回復力と努力次第です。無論、我々も全力を尽くします」

 その言葉にクロノは僅かに安心した。本人の努力で回復に近づけると言うならなのはは大丈夫だろう。彼女は決して挫ける様な子ではないから。

「なので、ご両親もご協力をよろしくお願いします」
「わかりました。よろしくお願いします」

 士郎と桃子が深々と頭を下げる。僅かに遅れてクロノも同じように頭を下げた。

「それと……もう一つなんですが」

 三人が頭を上げたところで、主治医はまた言葉を続ける。その視線は両親である士郎と桃子ではなく、クロノを見ていた。
 その視線を受け止めながらクロノは主治医に尋ねる。

「……なんでしょう」
「……なのはさんの身体に現在魔力が確認できません。リンカーコアも回復の兆しを見せていません」

 その言葉の意味を一瞬理解できず、けれど魔導師としての自分が嫌でもその意味を理解させる。

「それは、つまり─────」
「このまま、リンカーコアが回復しなければなのはさんは魔導師として再起する事は出来ません」

 その言葉に、クロノは胸を深く刻み付けた様に手で心臓を押さえた。






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