リリカルなのは SS

                       リンネ

「クロノ・ハラオウン執務官」
「はい」

 名を呼ばれ、一歩前に進み出る。目の前にいるのは管理局のトップに立つ人物、つまり管理局長である。一介の執務官であるクロノにしてみれば雲の上の人物だ。以前、見たのは何かの講演で遠くから眺めていたのみ。提督クラスにならなければおいそれと話しかける事が出来る人物ではない。それが手を伸ばせば届く距離で対面している事に多少の緊張を覚えた。

「高町なのは仕官候補生」
「は、はいっ!」

 まあ、それも隣の少女に比べれば微々たるものだ。最も彼女の場合、偉い人の前にいることよりも大勢の人の前に出ていることに緊張をしているのだろう。カチコチに固まりながらピンと背筋を伸ばす彼女の耳には局長の言葉など入っていなそうだ。
「希少種の幻獣の保護に多大な功績を残した事をここに評する」
 その言葉が終わると賞状が渡される。なのはがボロを出さない内にクロノが一枚目の賞状を受け取り、こっそりなのはを促して賞状を受け取らせる。
 その途端、大きな拍手が起こる。恐縮しきったなのははペコペコと頭を下げる。そんな彼女に苦笑しながらクロノは儀礼的に賞状を観客に掲げて見せた。



 その話は数ヶ月前、春先にまで遡る。
 クロノとなのはは、ロストロギアの盗掘を行った魔導師を追ってミッドチルダの辺境に赴いた。クロノは幼少の頃、その場所で過ごした事がありそれをを懐かしみながら、なのははその雄大な自然に心を躍らせながら任務についた。
 その時に二人はとある少女と出会う。
 その白い髪の少女はロストロギアを盗掘した魔導師の遺体を守っており、その遺体が持っていたロストロギアの回収をしようとした二人を妨害した。一時は押さえ込んだものの少女はロストロギアを起動させ、白い魔獣となってクロノとなのはに襲い掛かってきた。
 ロストロギアによって命を削る少女を救うため、クロノとなのははその根幹であるロストロギアを破壊し、その少女の暴走を止めた。そのため、ロストロギアの回収が任務だったクロノはその違反行為の責任を取るため、処分を受ける事になる。
 しかし、それは救い出した少女の正体によって一転する。
 その少女の姿はロストロギアの効力によって形成された仮初めの姿であり、元の姿に戻った獣を調べていくうちに、それが絶滅寸前の幻獣であった事が判明したのだ。
 それは名前こそ知られていたが、その存在は過去の文献に残されているのみで、一説には過去の文人の創造上の生物とまで言われた幻の獣。
それを発見、保護したクロノとなのははその功績を讃えられることとなり、下った処分などなかった事になるような扱いを受けた。
 そうして保護から数週間。クロノとなのはは大勢の観衆の前で管理局長から礼状を贈られたのだった。






「うう、緊張したぁ………」
「お疲れ様」

 大きく息をつくなのはにクロノが労わりの声をかける。しかし、緊張しきったなのはを見ているとこっちがハラハラした。退出する時、そのぎこちない歩き方に躓いて転ぶんじゃないかと心配したほどだ。

「でも、あの子ってそんなに凄いの?保護しただけでこんなに騒ぎになるなんて」
「そうだな………。君の世界で言うなら過去に絶滅したって言う恐竜が現代に現れたと思ってくれればいい」
「そ、それって凄い大騒ぎになるよ………?」
「だから、今なっているんだ。管理局ではね」

 クロノはそういうがなのはにはいまいちピンとこない。疑問を解消するために質問を重ねる。

「何か理由があったりしないのかな?あの子が凄い理由」
「そうだな……、ない事もない」
「それって何?」

 興味津々と言った様子のなのはだが、クロノはどこか遠い目をする。その何か複雑そうな表情になのはは戸惑うがそれを問う前にクロノが答えた。

「あの幻獣は絶滅寸前だが、よほどの事がない限り今いるのが死んでも絶滅することはない。それがあの幻獣の凄いところかな」
「?それってどういう事?」
「あの幻獣は今の技術では不可能な事を可能にしている。遥か昔でなら再現できた能力ではあるけどね。それも当時でも珍しい幻獣だったらしいけど」
「えっと、その能力って………?」
「────転生能力」

 その言葉になのはは驚きで口を噤んだ。
 転生能力。死してもそのリンカーコアが記憶と能力を受け継ぎ、また世に生まれる能力。調べた所によれば、闇の書の転生機能はこの幻獣のリンカーコアを蒐集した結果、付与された機能と言う説があるらしい。それが何処まで本当か知らないが、他の説にもこの幻獣の存在が見え隠れしているらしく、何らかの関連があったのは間違いないようだ。
 その結果、闇の書はその転生機能と無限再生機能の二つの機能のために長い間、災厄を振りまき、クロノは父親を失うこととなる。
 その長い因果にクロノは何か感じ入るものがあったが。

「まあ、そういう訳で局としても丁重に扱いたいという訳さ」

 隣にいる少女が複雑そうな顔をしていたので、胸の奥にその感情を押し込め、なんでもないように振舞った。

「それより、なのは。さっきあの子の対面許可が下りた。会いにいくか?」
「え、本当?うん、行く!」
「それじゃ、まず堅苦しい礼服を着替えてからだな」
「だねー」

 そうして二人は着替えを済ませてから、幻獣のいる生物課に向かうのだった。





 時空管理局生物課。その名の通り、あらゆる次元世界の生物の研究保護を取り扱う課である。
 生物課は数ある課の中ではそれほど実績が上がっている課ではない。と言うのも、異なる次元世界の生物の生態を調べても実益がそれほど出ないからだ。さらにはなんらかの事情で生物を保護すればそれだけで費用がかかるため、毎年予算で頭を悩ましている有様だ。そう言った訳で生物課は管理局の中ではそれほど重要度が高い課ではなかった。
 最も、最近になって事情が変わってきた。

「あ、お待ちしていましたハラオウン執務官!高町隊員!」

 生物課の局員が明るくクロノとなのはを出迎える。その声に他の局員も振り向いて二人を歓迎した。
 最近になって変わった事情。それは二人が保護した幻獣の存在だった。この現存する最後の幻獣であろうあの白く小さな獣のために大きな額の予算が生物課に投資されることになり、生物課の活気は創立以来のものになっている。夢の無い話だが、やはり何をするにもお金は必要であり、現実と予算の狭間で苦しんでいた生物課にとっては恵みの雨だった。
 そんな訳でクロノとなのはは生物課にとって、救いの主と言うかなんというか。ともかく尊敬の念を一身に集める事になったのだ。

「それで、あの子は?」
「ええ、今は昼寝でもしてるでしょう。にしても、あの子は凄いですよ。どうやら、ロストロギアの影響でリンカーコアに蓄積された知識が活性化しているみたいで、こっちの言っている事を理解している節があります」
「じゃあ、お話できるのかな」
「すぐに、とは言えませんが近いうちにはできると思いますよ」

 その言葉になのはが顔を輝かせる。どうも女の子と言うのは小さい動物が好きらしい。子犬フォームとなったアルフやザフィーラを見るとよくわかる。フェレット形態のユーノもそうだが、あれは許してはいけないと思う。
 そんな事を思いながら、クロノが局員に頼む。

「それじゃ、あの子と対面させてくれ」



 目覚めた獣が見たのは見慣れない光景だった。ぼんやりとする意識を頭を振って目覚めさせると、今見たものを確かめるように辺りを見回した。
 白い壁に白い地面。いや、これは地面なのだろうか?それにしては固すぎる気がする。足でその地面の感触を確かめながらそう思った。
 白い壁はある部分だけ透明で向こう側を見通せるようになっている。それがなんなのかを確かめるには位置が高すぎる。代わりのように壁に触れると、地面と同じ感触が伝わってきた。
 どうやら、自分は本当に知らない所に連れて来られたらしい。それは理解したが、一体どうしたものか。
 途方にくれていると、壁の一部に穴が開いた。そこから白い服を来た人が何人か入ってきた。
 そう、人だ。自分は人というものを知っている。人という種族を知っている。
そして、この人達は『あの人』とは違う人だ。
 その人達は、自分の前で何事か話し合いながら、こちらを窺っている。やがて、その人達は何かを置くと壁に開いた穴から出て行く。抜け出そうとしたが、その前に壁の穴は閉じられてしまった。
 とりあえず、人が置いていった何かに意識を向ける。山盛りに詰まれた何か。匂いを嗅いでみる。
 …………悪くない。
 そう思うと腹の虫がなった。そういえばしばらく何も食べていなかった。
 どうやらこれは食料のようだ。しかし、見たことのない食料だ。食べて大丈夫なのだろうか?怪しいとは思ったが、空腹の方が優った。恐る恐るそれを口にしてみた。
 …………悪くない。
 それからは貪る様に食べた。それを食い尽くした頃には、腹が膨れ上がって苦しいくらいだった。
 ここが何処なのかはわからない。しかし、獣はしばらく大人しく様子を見る事にした。




 それからはバタバタとした日が続く。
 ここにやって来る人は日に日に多くなっていた。一度妙なものを付けられそうになったので抵抗したが、それ以来食事の後に急に眠くなる事が多くなった気がする。まあ、かまわない。昼寝はいいものだ。
 ここに不自由は無い。人がたくさんいるどうやら外敵ではないようだ。なので襲われる心配もないし、食事は勝手に向こうが用意してくれる。
 ただ、不満はあった。一つはこの狭い場所では思うように駆け回る事が出来ない事。もう一つはここにいる目的が無いことだ。そう思うとこの不自由がないとは言え、やる事の無いこの場所にいつまでいなくてはならないのかと思い、鬱屈とした気分になった。
 今、獣はその気分で気だるげに寝そべっていた。今日もやる事は無い。ただ時間を過ぎるのをぼーっとして待っていた。
 そこに『ドア』が開く音がした。また、何かの用なのだろうか。興味は無かったがくいっと顔をそちらに向けて。

『あ、いたー』
『なるほど、あの魔獣を小さくした感じだな』

 目を見張った。
 そこにいたのはあの時の黒い人と白い人だった。『あの人』の大切にしていたものを取ろうとしていた『敵』だ。
 それを思い出した瞬間、獣は二人に向かって駆け出した。鋭くない牙が生えた口を大きく開き、黒い人目掛けて飛び掛った。

『っと!?』

 黒い人は驚いたようだが、さっと身体をずらして牙を避けた。空を切った牙ががちんという音を立てた。

『にゃー!?』

 そして、その先には白い人。その顔と鼻先が激突し、お互いに悶絶しあう。黒い人は慌てて白い人を抱え起こした。

『だ、大丈夫か?なのは?』
『ううー………、目の前に星が飛んでる………』
『す、すまない。咄嗟だったのでつい受けずに避けてしまった』

 星が飛んでいるのは獣も同じだった。それを頭を振って振り払うと、すぐに飛び退って身を低くして唸り声を上げた。

『な、なんか警戒されてる?』
『………どうやら、僕達の事を覚えているらしい。悪い印象で』

 そうだ。覚えている。この二人は『敵』だ。近づけてはならない。
 だと言うのに白い人はちょこちょこと獣の前に来るとしゃがみ込んだ。

『えっと、あの時はごめんね』

 そう言って白い人は手を伸ばしてくるが、吠えて拒む。手はぴたりと止まって引いていった。

『うう、凄く嫌われてる………』
『まあ、しょうがない。ここは帰ったほうがよさそうだ』

 そう言って二人は部屋から出て行った。追おうと思ったがただ飛び掛っただけではまたかわされる。どう襲い掛かればいいのか、獣が考えていると白い人がこちらを向いた。

『また、来るね』

 その言葉と共に扉が閉まった。獣は閉まった扉を見つめながら今の言葉を思い返す。

 また、来るね。

 再びあの二人はここにくる。つまり、また襲い掛かれる機会があると言うことだ。ならば、その時には必ず仕留めてみせる。
 獣は考える。次にあの二人が来た時、どう襲撃すべきかを。牙で噛み付くか、爪で切りかかるか、それとも体当たりで怯ませるか。
 獣は考える。ここにいる目的が出来た事に気付かないまま。



 それから獣と二人の日々が始まる。
 次に二人が来たのは数日後だ。獣は二人が入ってくると同時に横から飛び掛った。正面が駄目なら横からと言うわけだ。そのためにこの数日間、いつ来られてもいいように 獣はずっと壁際に陣取っていた。

『おっと』

 しかし、黒い人は襲撃を予期していたのか、さっと飛び掛ってきた獣を避けるとその首根っこを掴んだ。じたばたももがくが何の意味も為さなかった。

『甘いな』
『クロノ君………凄い暴れてるよ?』
『大したこと無いさ。それより今なら触れるぞ。ほら、爪が届かない所に回って』

 『わー………ふかふかー』

 感嘆する白い人。何か気に食わなかったのでじたばたと暴れる。

『ク、クロノ君。離して上げた方がいいんじゃ?』
『そうだな』

 そう言って黒い人が獣を床近くで手放す。途端に、獣は逃げ出すように二人から離れた。
『また飛び掛ってくるとは思っていたからね。次はもっと工夫するといい』
『クロノ君、挑発しちゃだめー』
 獣は悔しそうに唸り声を上げた。上げながら、ふと撫でられた感触を思い出す。
 それはあまり悪い感触ではなかった。



 次に来た時は、正面から飛び掛ると見せて壁を使っての三角跳びで襲い掛かった。また首を掴まれる。悔しい。
 その次は、壁から天井に跳ねて上から飛び掛った。最初のようにかわされる。勢い余った床で鼻を打った。痛い。
 そのまた次は、こちらから近づかず向こうから寄って来るのを待った。白い人が手を伸ばしてきたので噛み付こうとするが、黒い人に叩かれた。痛い。でもその後黒い人は白い人に叱られていた。いい気味だ。
 今度は向こうを油断させることにする。正攻法では敵わない。なら、気を許したと見せかけて、その隙をついて寝首をかく事に決めた。そのためなら、なんだって我慢しよう。

『……今日は襲い掛かってこないな』
『触っても大丈夫かな?』

 白い人が恐る恐る手を伸ばしてくる。噛み付きたい衝動を必死に抑えて、身体を固くして白い人が触れてくるのを我慢する。
 そうして、頭を撫でられた。

『わぁ…………』

 感極まった様子の白い人は何度も頭を撫でた。
 その感触は悪くなくて、白い人の嬉しそうな声と顔に獣はなんだか複雑な気持ちになった。
 それからしばらくその二人と静かな日が続く。
 黒い人と白い人は相変わらず数日置きにやってくる。その度に白い人は獣を撫でて抱き上げた。もう恐る恐るではない。遠慮なく、嬉しそうに触れてきた。その度に複雑な気持ちになる。

『クロノ君もやらない?』
『え?いや、僕は別に』
『いいからいいから』

 そう言って白い人は獣を黒い人に手渡す。獣は身を固くする。黒い人には痛い目しか合わされていない。一体、どんな目に合わされるのだろうかとびくびくする。
 しかし、びくびくしているのは黒い人も同じだった。戸惑いながら最初に白い人がそうしたように恐る恐る獣を抱き上げた。そのぎこちなさが伝わって獣は少し気が楽になった。
『どう?』
『よくわからないが…………悪くはないと思う』

 ああ、そうだ。
 黒い人の抱き方は白い人に比べてぎこちなくて下手だったけど。
 それを悪いものだとは獣は思わなかった。





 獣はいつも通り、二人を待っていた。
 何故待つかは明確だ。敵であるあの二人の寝首をかくためだ。だからあの二人が来るのを心待ちにしていた。
 そうしてふと思う。自分はいつまで待つつもりなのだろうかと。
 相手はもう十分気を許しているように思える。だったら、もうチャンスは訪れている。ならすぐに実行をするべきではないだろうか?いや、それは早計かもしれない。気を許しているのは確かだが、それで確実に相手を仕留められる保障はどこにもない。だから、自分はまだ待っているのだ。
 しかし、その理由はどこか言い訳染みているように思えた。悶々とした気持ちを抱き、獣は頭を振る。けれど、それは一向に晴れなかった。
 いいだろう。もう十分待った。次に来た時こそ仕留めにかかろう。
 そうして獣は二人を待った。毎日来ているわけではないがそろそろ来てもいい頃だ。獣はいつも通りを装って二人を待った。
 けれど、その日二人は来なかった。
 次の日を待つ。二人は来なかった。
 次の日を待つ。二人は来なかった。
 次の日を待つ。二人は来なかった。

 来ない来ない来ない来ない来ない来ない来ない来ない来ない来ない。

 何日待っても二人は来なかった。
 自分の考えがばれたのだろうか?それとも最初から見抜かれていたのだろうか?だ とすれば、相手のほうこそ気を許した振りをしていたのだろうか?
そう考えて、獣は酷い裏切りを受けたような気持ちになった。なって、そんな気持ちになったことに愕然とする。
 何故、そんな事を思う?元々あの二人は敵だろう?
 獣が頭を振る。あの二人が来ない事も、裏切られた気持ちも何もかもが億劫になって不貞腐れたように目を閉じ、悲しい気持ちのまま眠りについた。

 そうして次の日、二人が姿を現した時には唖然とした。

 同時に猛烈な怒りを抱いて飛び掛る。この部屋で最初にあの二人を見たときのように真正面から牙を突きたてた。
 黒い人は動かない。ゆっくりと腕を突き出した。その腕に獣の牙が食い込む。その肉に牙が食い込む感触に獣は不思議そうに瞬きをした。
 本当に噛み付く気なんてなかった。だって、どんなに頑張っても黒い人のは届かなかったから。だから、全力で飛び掛っても同じようになると思っていた。
 思っていたのに。

『クロノ君!?大丈夫!?』

牙が食い込んだ黒い人の腕からはポタポタと赤い血が流れていた。

『すまないな………。任務やその事後処理や入院でしばらく来られなかった。これで少しは許してくれると助かる』

 その言葉と共に獣はゆっくりと口を腕から離し、自分が噛み付いた腕を見上げる。雨漏りのように赤い雫が指先から垂れていた。
 それを見た獣は黒い人のズボンの裾を引っ張る。最初は首を傾げていたが、やがて意図が通じたようで、黒い人は腰を降ろした。そのおかげで自分が噛み付いた腕がすぐ近くに来た。
 その傷を舐めて血を拭う。

『お?』

 黒い人が不思議そうにこちらを見る。それから苦笑して獣の好きにさせてやった。その事に獣は嬉しそうにして傷を舐め続ける。
 それで認めることにした。自分はもうこの二人を敵だとは思っていなかった。自分は、この二人が来るのを楽しみにしていたのだと。
 獣は侘びを重ねるように血を拭い続ける。それを白い人は微笑ましそうに見ていた。




 生物課を訪れてから随分と経つがあの子はようやく心を許してくれたとクロノは思った。

「遊びに来たよー」

 訪ねる度に襲い掛かってきたと思ったら、身を固くしてこちらの様子を窺ったりとぎこちない触れ合いが続いていたが、入ってくるなり尻尾を振ってこちらにやってくる姿を見ると今となっては思い出すのが難しいくらいだ。

「ね、聞いたんだけどまた人間形態になれるようになったって本当?」

 なのはの言葉にあの子が頷く。
 こちらに心を許してからあの子の知識は目覚しいものがあった。転生前の知識も思い出し始めてきており、完全にこちらの言葉は理解できるようになったし、魔力の扱いも出来るようになってきた。なのはが言った様に、なんでもロストロギアの影響で身につけた人間への変身が出来る様になったと生物課の局員に聞かされた。その形態なら拙いが会話も出来るらしい。
 なのはが少し離れると、あの子が魔法陣を展開する。術式としては変身魔法に近い魔法が構成された。
 そうして、あの子が環状魔法陣に覆われるとそこには白い髪の少女が。

「………………」
「………………」

 一糸纏わぬ姿でいた。
 呆然とするクロノとなのは。予想外の事に視線を逸らす事も忘れて少女を見る。先に気を取り戻したなのはがはっとなってクロノを見る。

「ク、クロノ君は見ちゃ駄目―!!!」
「ぐおおおおっ!?」

 なのはがクロノの目を覆うとして、手の平を押し付ける。勢いをつけて突き出されたそれは目潰しに近かった。眼球を潰されかけてのた打ち回るクロノ。

「………楽しい?」

 その様子を少女は不思議そうに眺めた。










「つつつ…………」
「だ、大丈夫?クロノ君?」

 濡れたタオルで目を押さえるクロノをなのはが心配する。タオルを離したクロノは呆れたように言った。その隣には局員が持って来た服を来た少女がいる。

「確かにああするのはわからないでもないが、君の場合全力全開すぎるぞ。なのは」
「うう、ごめんなさい…………」
「いじめられてる?」

 縮みこむなのはを見た少女が真っ正直な感想を述べる。

「人聞きの悪い事を言うな」
「イジメ、かっこ悪い」
「どこで覚えたそんな言葉………」
「ち、違うよ。クロノ君が悪いんじゃなくて私が悪いんだ」

 二人の仲介をするようになのはが言う。その二人を見つめていた少女はふと思い出したように言った。

「なのは」

 そう言って、なのはを指差す。

「うん」
「クロノ」

 そう言って、クロノを指差す。

「なんだ?」
「…………」

 少女は無言で自分を指差す。

「私は?」

 問われたクロノとなのはは思わず顔をあわせて、少し戸惑ったように尋ね返した。

「誰かに名前を呼ばれた事は?」
「ない」
「名前、欲しいの?」
「出来れば」
「どうしてだ?」

 クロノとなのはの問いに少女は思い返すように言った。

「憶えておくために」
「憶えておくため?」

 少女は自らが持つ感覚から、人と自分との時間の流れが違うことを知覚し始めていた。二人が老いこの世を去るまでの時は自分にとってさほど長い時ではない。その短い時の間で自分が二人のことをしっかりと記憶に留めておける保証がなかった。
 だから、自分に刻んでおきたかった。

「クロノとなのはのことを」



 それから数日、クロノとなのはは少女の名前を考え始めた。無限書庫のデータから、少女はメビウスという名の幻獣であるとわかったが、二人はこの幻獣を一個の存在として尊重したいと思い、あれこれと考えた。
 それで名前は決まったのだが、現存する最後の幻獣にもなると名前をつけるだけでも色々と面倒なものがあり、クロノは生物課と協議し、なんとか発見者である自分達に決定権を得ることに手を尽くした。
 そうして、名前と権利を得たなのはが少女のところにやってきたのは、名前が欲しいと少女が言ってから十日以上立ってからだった。クロノは来ていない。権利を得た後の協議でまだ細かいことが残っているらしく、忙しくて来れなかったのだ。

「この間の話だけど、お名前考えてきたよ」
「つけて」

 問われた少女はあっさりと頷いた。なのはは真剣な表情で詠唱するように考えに考えた名前を言った。

「えっと、貴方は長い時が経ってもまた生まれ変わって世界を巡る。私達が出会った事もずっと貴方の命と巡るから。
 だから、貴方の名前は───────────────













「リンネさん?」

 物思いに耽っていると、声をかけられた。

「来ていたの。気がつかなかった」
「どうかしたんですか?」
「調子が悪いなら、帰りますけど」

 黒い髪の少年と栗色の髪の少女が心配そうに見上げてくる。まったく関係が無いのにどこかあの二人に似ている。

「昔の事を思い出してた」
「昔ですか?」
「聞きたい?」
「はい!」
「リンネさんは管理局でも大きな功績を残した方ですから、興味があります」
「そう。でもこれから話すのはそれよりも前のお話」

 言いながら、リンネはいつでも手に取れる所でありながら厳重に大切に締まった箱に手をかける。自分にしか開けられないように施錠した鍵が乾いた音と共に開いた。
 それを少年と少女の前に持ってくる。

「これって…………」
「デバイス………ですか?」
「そう」

 別れの際に、渡された黒いカードと赤い宝石。それを見る度、あの頃の思い出は昨日の事のように蘇る。

「これから話すのは」

 私の名はリンネ。

「私に名前をつけてくれた」

 その名と共に。

「二人の友達の話」

 あの二人の思い出もまた今を巡る。

inserted by FC2 system