リリカルなのは SS

                   クロノ、一人立ちするの巻

 それは休日の朝食の席での話であった。

「皆、ちょっといいか」

 クロノの言葉に、フェイトが口にコーヒーを運ぶのを、リンディが多量のジャムをパンに塗るのを、アルフが朝っぱらから肉を食う手を止めた。

「ほははひろはい、ふほの?(訳:どうしたんだい、クロノ?)」
「食いながら、喋るな。全部飲み込んでからにしろ」

 アルフが頷いて、口に含まれていた肉を一気に飲み込む。ぷはー、と一息ついてからもう一度尋ねる。

「どうしたんだい、クロノ」

 その様にこれから真剣な話をしようとしていたクロノは気を削がれてため息をつく。それから、ぽつりと一家に激変をもたらす一言を言った。

「一人暮らしをしようと思うんだ」

 フェイトが大きく目を開いたまま、リンディが穏やかな笑みを浮かべたまま、アルフが大口を開けたまま、凍りつく。誰一人、クロノが何を言ったのか理解できなかった。

「───────────ぇぇぇええええええええっ!?」

 いち早く呪縛から解き放たれたのはアルフだった。ダンッと机を叩き、身を乗り出して問い詰める。

「な、なんだ!どうしたってんだい!?何事だって言うんだい!?」
「顔が近い。声が大きい。唾飛んでる」

 驚愕しているアルフとは裏腹にクロノは冷めた様子だ。その様子にフェイトは幾分頭を冷やして、アルフと同じ問いを重ねる。

「で、でも本当にどうしたの?クロノ」
「それはこれから説明するよ。と言っても長くなるような理由でもないんだが」
「ど、どんな理由?」

 クロノは眉をしかめ、口に手を当てながら自分の考えが伝わるよう搾り出したような答えを口にする。

「僕ももう19だ。時空管理局の提督でもある。それがいつまでも親元で脛をかじっているような生活を続けるのはどうなのかと思ってね」
「で、でも、家族が一緒に暮らすのは悪い事じゃないはずだよ?」
「わかっている。けど、いつかは自立しなきゃならない。だからそのためにも一度くらい一人で暮らしてみようと思うんだ」
「け、けど………」
「もう決めているのね?」

 フェイトの言葉を断ち切るようにリンディが問う。クロノは淀みなくうなずいて見せた。

「住居はもう目星をつけています。早ければ来週にもそっちに部屋を借りられます」
「ら、来週!?」

 あまりに唐突で早すぎる話にフェイトは驚きの声しか上げられない。それとは対照的にクロノの意思を感じ取ったようにリンディは静かに頷いた。

「わかったわ。そこまで決めているなら止めはしないわ」
「か、母さん!?」
「しょうがないでしょう。この子は頑固で言い出したら聞かないんだから」

 慌てるフェイトに苦笑しながらリンディはただし、と付け加える。

「一つだけ条件があります」
「なんでしょうか?」
「この家の部屋はそのままにしておくように。ここはいつだって貴方が帰る家なんだから」
「───────わかりました」

 その言葉にクロノは少しきょとんとしてから小さく笑い、はっきりと答えを返した。










 それから一週間後。

「初の帰宅、か」

 本局での仕事を終えたクロノが今までとは全く異なる家路につく。昨日、引越しを終えた新しい部屋への帰宅である。

「…………」

 クロノは視線を夜空に向けて、夜の冷えた空気を吸い込む。心地よいと思う反面、冷たい夜の空気が一人きりの───────帰りを待ってくれる家族がいない──────帰宅を強く思わせた。

「寂しがり屋か、僕は………」

 頭を振って苦笑する。一人立ちをするために一人暮らしを始めたというのに家に帰る前からこの調子では先が思いやられる。これからは食事だって洗濯だって一人でやらなくてはいけないのだから、そちらの心配もしなくてはならない。

「そういえば、夕食の用意なんてしてないぞ……」

 そのことに気づいてため息をつく。引越しの時に何か食べられるものがあったかなと考えつつ、クロノは周囲の地図を頭に思い描く。最悪、コンビニか何かで弁当でも買いに行かなくてはいけないだろう。目と鼻の先まで来た自宅を前に苦笑する。

「フェイトや母さんに知られたら怒られそうだな」

 そう言ってクロノは、明かりの灯った我が家を見上げた。

「………って、灯り?」

 何故に一人暮らしを始めてまだ帰宅していない自分の部屋に灯りがついているのだろうか?泥棒でも入ったのかと思ったが、セキュリティーは自作の設置型バイントをふんだんに入れ込んだ結界を張っておいたからそれはないと思う。もし、突破したものがいたとすればそれは泥棒なんぞやるにはもったいないくらい手だれだ。

「………」

 これでも時空管理局提督だ。自分を狙うものは幾らでもいるだろう。あらゆる可能性を考えつつ、クロノは警戒しながらゆっくりとドアノブに手をかける。ノブを回しておそるおそる引いてみると、あっさりと扉が開かれた。つまり、鍵はかかってはいないと言う事だ。

(今朝出る時はしっかりと施錠したはずだ。一体誰が………?)

 疑念に疑問を重ねるクロノ。不審が不可解にまで達したその時。

「おかえりなさい。クロノ」

 エプロン姿の義妹がクロノを出迎えた。

「………フェイト?」
「ごくろうさま。ごはん?それともお風呂にする?」
「あ、えと。それじゃさきにごはんで」

 って待て。何故に一人暮らしを始めた部屋で僕は新妻フェイトの再現のような光景を見ているのか。それと無許可だ。思いもしない事態にクロノの頭は混乱に陥りかける。

「うん。もう支度出来てるから着替えてきて」

 そんなクロノとは裏腹にフェイトはいつもと変わらない様子で台所へと向かっていく。あんまりにも自然すぎてここが海鳴市の自宅なのかと錯覚を覚えた。

「あー、ちょっと待ってくれフェイト。何故君がここに?」

 確か、フェイトは自分より先に仕事を終えて上がっていた。引越しをする際に家族全員にこの部屋の合鍵も渡しておいた。物理的にフェイトが家に上がる事は普通に可能だが、どうしてフェイトがここにいるのかがわからず思わず引き止めて尋ねる。

「今日から一人暮らしでしょ?色々と大変だと思って手伝いに来たんだ」
「それは助かるが………一人暮らしの意味がないような」
「そうかもしれないけど、クロノご飯どうしようとしたの?冷蔵庫見たら空っぽだったよ。近くのコンビニか何かですまそうとしたんじゃない?」

 図星を突かれ、クロノは押し黙る。対してフェイトはしょうがないなぁという風に笑った。

「これからはそういう事を考えなきゃ駄目だよ?ただでさえ、大変な仕事をしてるんだからちゃんとした物食べないと不健康になっちゃうよ」
「………努力するよ」
「それじゃ、ご飯にしよう?早くしないと冷めちゃうから」

 そう言ってクロノはフェイトの後を追うように温かな食事が用意されたリビングに入っていった。









 次の日。

「昨日は失敗したな………」

 結局昨日はフェイトが作った夕食を食べ、フェイトが用意してくれた風呂に入り、その間に洗濯物と明日の朝食の下ごしらえまですませてフェイトは帰っていった。これでは一人暮らしをする前と変わらない。意味がないというものだ。

「ああいうのはたまにくらいにしないとな」

 今日は出る前に炊飯器に米をセットしてきたし、帰宅前に買い物を済ませておいた。昨日、フェイトが買ってきた食材の余りもある。前準備は万全だ。

「…………ん?」

 決意するように顔を上げると、部屋に明かりが灯っているのが見えた。つまり、誰かが部屋に上がっていると言う事だ。

「まさかまたフェイトか?」

 言ってそれはないと思う。今日はしっかりと海鳴市の自宅へ帰っていくのを見送った。時間的にも一旦帰ってここに来るのは不可能だ。

「一体誰が………」

 フェイトを除けば、合鍵を持っているのはリンディとアルフだけだ。一体何のようだろうと思いつつ、扉を開ける。

「おかえりなのですー!」

 扉を開けた途端、ぼふっと腰に抱きつかれる。こんな事をするのはクロノの知り合いには一人しかおらず、それは合鍵を持っていない筈の人物だった。

「リ、リィン!?」
「はい、リィンなのです」
「一体どうしてここに………」
「あ、クロノ君。お帰りや」

 思いもしない人物に戸惑っていると、さらに思いもしなかった人物が姿を現した。昨日フェイトが着ていたこの家の物ではないマイエプロンを着たその人物にクロノは目を丸くする。

「はやて!?なんで君まで」
「フェイトちゃんに頼まれてな」
「フェイトに?」
「うん。今日はちゃんとご飯の準備しとるか見てきてってな。心配しとるみたいやよ、フェイトちゃん」

 ほら、預かってきた合鍵、とひらひらと見せる。キーホルダーからフェイトのものであると見て取れた。

「それは申し訳ないと思ってる………」
「でも、大丈夫みたいやね。ちゃんと材料もあるし、足りない分も買ってきてるみたいやし」
「注意されたばかり出しな。ところではやて」

 クロノは眉をしかめ、非常に複雑な、強いて言うなら困ったような表情で尋ねる。

「何故様子を見に来た君がマイエプロンを着ていて、台所から食欲を誘うような香ばしい匂いが漂っているのかな?」

 ぎくり、とはやてが身を固め乾いた笑いを浮かべる。

「あの、その。クロノ君のことだからちゃんとやっとると思ったよ。でも、もしかしたらと思って夕食の準備する気で来たらしっかり準備しててそうしたら手持ち無沙汰になってしまって」
「それで、準備を済ませてしまったか」

 はぁと大きくため息をつく。それから少しジト目ではやてを睨む。

「君、僕がなんで一人暮らしをしようとしたか聞いているのか?僕は自立のためにだな………」
「クロノさん〜、お腹すいたのです〜」

 リィンがクロノの服の袖を引っ張って空腹を訴える。その純粋なまでに無垢に訴えかけるような目にクロノは気勢を失ってしまう。

「………とりあえずご飯にしよう」
「ははは、ご、ごめんな」
「いや、いいさ。せっかく作ってくれたのに邪険して悪かった」
「ごっはん〜、ごっはん〜。マイスターの作ったごっはん〜。クロノさんといっしょにごっはん〜。三人、幸せ家族でごっはんです〜♪」
「待て。いま最後に何か変な事言わなかったか!?」

 そうしてクロノははやての作った夕食を三人で食べるのだった。









 次の日。

「ただいま………」

 部屋に灯りはついていなかったが、警戒しつつ扉を開ける。消灯された暗い部屋が示す通り、部屋には誰もいなかった。

「まぁ、それはそうだろうな」

 今日は会議やらなんやらで遅くなってしまい、もう時刻は日付が変わろうかと言うところまで迫っている。そんな時刻に誰かがいる筈ないし、夕食は局の方で簡単に済ませてしまっている。いたとしても軽い説教と共に家に帰すだけだ。

「しかし、疲れたな………」

 そう言ってクロノは軽くシャワーを浴びると、すぐにベットに倒れこむ。睡魔はすぐにやってきた。それに身を委ねてクロノは眠りへと落ちていった。








 トントントン。
 リズムカルな包丁の音に響いてくる。その音に導かれるようにゆっくりと目を覚まし、上体を起こして身体を伸ばす。まだまどろんだままの意識にいい味噌汁の匂いが染み込むように脳に刺激を与えてくる。

(って、味噌汁の匂い!?)

 そのありえない現象に意識が一気に覚醒する。慌てて、台所に駆け込むとそこには見覚えのある後姿があった。

「な、なのは!?」
「あ。おはようクロノ君」

 驚愕するクロノとは対照的にさわやかな朝のような挨拶を返すなのは。寝癖でボサボサになった髪をさらにボサボサにするようにクロノが頭を掻く。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。一体どういうことだ?」
「えっとね。今日、十時に局入りだったんだけど今日ポーターが九時からメンテナンスで使えなくて、その前の時間に来るしかなかったの」

 そうしたら、といってなのはが摘むようにこの家の合鍵を見せる。

「フェイトちゃんがクロノ君の様子を見てきてくれないかって頼まれたんだ。昨日会議で大変だったから起きられないんじゃないかって心配してたよ?でも、ちゃんと起きれたみたいだね」

 私まだ朝は弱いんだよねー、と感心するなのは。その姿に味噌汁の匂いで起きたとは言えなかった。

「それじゃ朝ごはんしよ?クロノ君、日本食大丈夫だったよね?あ、でも朝に食べるの慣れてないかな?」
「………いや、大丈夫だ。食べよう」

 そうしてクロノはなのはの作った朝食を食べて、手作りの弁当を手渡されて一緒に出勤。それを見たエイミィが一言こう聞いてきた。

「同伴出勤?」
「黙れ」









 次の日。

「…………」
「遅いぞー、坊主」
「おー、帰ってきたかクロノ」
「ご苦労だったなハラオウン」
「お疲れさまです」
「どうしました?そんな顔をして?」
「いや、なんでいるの君たち?」

 灯りがついていたから誰かしら来ているのだろうと思ったら、部屋にはヴォルケンリッターとアルフが待っていた。一体どんな組み合わせだ。従者繋がりか。五人揃って従者戦隊か。従者戦隊サーヴァンズか。

「いえ、主はやてが様子を身に来ようとしたのですが今日は都合が悪く、代わりに私たちが様子を身に来たのです」
「あたしはフェイトの代わり」

 そう言ってシグナムとアルフがそれぞれ合鍵を見える。クロノとしては空いた口が塞がらなかった。

「あのなぁ、君たち………」
「それじゃ、ご飯にしましょう。今日は私が腕によりによりをかけて」
「皆。人数も多いし外で食べよう。近くにいい店があるんだ」
「おー!ほんとか!?」
「んじゃ、さくっと行こうか!」
「うむ」
「そうしましょう」
「酷っ!ていうか満場一致!?」









 次の日。

「あ、おかえり〜」
「遅かったな、クロノ=ハラオウン」
「………エイミィ、エレナ。なんで君達がここにいて、大学生の溜まり場のごとくスナック菓子やら酒瓶で床を埋め尽くしているのか」
「まぁ、細かい事は気にしない気にしない」
「む、つまみが少ないな。マキシム、追加だ」
「はっ」
「今戻ったぜー。ほい、菓子と酒の追加」
「…………」
「ご苦労だった、パシリ組」
「勘弁してくれ………」

 次の日。

「おっかえり〜、クロスケ〜」
「お邪魔してるよ」
「お前も一人で暮らすようになるとは月日が経つのは早いものだな」
「………………」

 次の日。

「聞いてくださいな、桃子さん」
「あらあら、それは大変ね。ねぇレティさん」
「やれやれねぇ。リンディ」
「……………」

 次の日。

「う〜ん、男の人の部屋ってだけでお茶の味もなんだか変わった気がするわね〜」
「雰囲気ってやっぱり大事なんだね」
「アリサお嬢様、お茶のおかわりはいかがでしょうか?」
「すずかお嬢様、お掃除は終わりました〜」
「…………」

 次の日。

「クロノ、様子を身に来たよ。ってなんだか疲れてるね?」
「いや、なんでもないから………」
「おっじゃましま〜す、クロノ君」
「君もか………」
「いやぁ、今凄い雨降ってきとるのよ。ちょっとここで雨宿りさせてや」
「好きにしてくれ………」
「クロノく〜ん…………」
「って、なのは!?どうした、そんなずぶ濡れになって?」
「雨に降られちゃって………」
「あはは、タッチの差みたいやったね」
「と、ともかく濡れたままじゃ風邪を引いてしまうぞ」
「じゃあ、お風呂借りるね」
「はっ!?」
『臨時ニュースです。ただ今、次元空間にて次元震が観測されました。現在、クラナガンを中心とした大雨はこのための影響と思われます。なお、この影響で次元空間の座標が不安定になっておりトランスポーターによる時空間移動は運行を休止しております』
「なっ!?」
「うわ、ほんまかいな」
「これじゃ帰れないね………」
「それじゃ、お泊りするしかないね」
「どこでっ!?」
「「「ここ」」」
「ちょっ!?」
「それじゃ先に入るね」
「あ、それじゃ三人で入ろうか。その方が後がつかえなくていいし」
「けど、寝巻きがないなぁ」
「しょうがないからクロノのYシャツ貸してもらお。いいよね、クロノ」
「……………」









 そんなんこんなで一週間後。

「はい、ハラオウンです。あら、クロノ。どう、一人暮らしは?え、なんだかまったく一人暮らしになってない?皆が世話を焼きに来過ぎているから、戻ろうかと思う?そう、そういうことなら止めないわ。戻ってらっしゃいな」

 リンディが電話を切る。そうして、今日の順番決めをしている娘達に向かってVサインを送るのだった。
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