リリカルなのは SS

                     夜天の誓い
                    第一話 狼煙

「これが十二年前の闇の書事件での被害データ。これはヴォルケンリッターの戦闘能力報告書。今後、奴らが管理局から離反した時の予測被害データに、無限書庫から調べたリンカーコアが抜かれた魔導師のその後の影響を記録した資料」

 管理局の一室。申請を出せば会議から講演会にと多目的に使われる部屋。そこで一人の少女が同僚に数多くの資料を掲示していた。そのいずれも闇の書に関わるものばかりだ。

「これだけの資料があれば、奴らの危険性を上層部に十分にわかってもらえるだろう。ただし、それには必要なものがある」

 少女は、机を叩いて正面の同僚を見据える。その目には敵意とも取れる感情が宿っていた。

「クロノ・ハラオウン。奴らの立場を覆すにはお前の力添えが必要だ」

 そうして、一つの決断を同僚──クロノ・ハラオウン執務官に迫った。
 黙って話を聞いていたクロノは半分呆れを含んだ顔と口調で言った。

「今更、それを僕にしろというのか、エレナ」
「そうだ」

 問われた少女──エレナはさも当然のように即答した。
 エレナ・エルリード執務官。今年で十七歳になる彼女はクロノより二つ年上の同期の執務官。肩の辺りで髪を切り揃え、燃えるような赤髪が特徴的な少女だ。その少女が凛というよりは鬼気迫る顔でクロノを見据えている。

「彼らに対する決定はもう半年以上前に決まっている。上層部もほとんど彼らの事を認めている。そして、彼らの弁護をしたのは僕だ。それを知ってなお、そう言うのか」
「時がどれだけ過ぎようと関係ない。上の評価など知ったことではない。お前が何をしてきたかもどうでもいい。ただ、奴らに相応しい罰を与えるにはお前の力が必要で、お前にはその権利があると言う事だ。執務官としても、クロノ・ハラオウン個人としても」
「……話はそれだけか?なら僕はもう行くぞ」

 不快な話を切り上げるように無表情のまま、クロノは扉に手をかける。その背に向かって、エレナは大きく目を見開き、険しい表情で机を拳で大きく叩きながら問うた。

「お前は!それでいいのかクロノ・ハラオウン!!」

 クロノは答えない。彼は何も言わないまま、扉を閉めた。

「………」

 拳を立てたまま、エレナは俯く。小刻みに身体を震わせ、それが収まるまでの間。そのままの姿で動かずにいた彼女に念話が届く。

『交渉は失敗ですか?』
「……ああ」

 俯いたまま、エレナが呟く。

「ロッドに狼煙を上げろと伝えろ」
『了解しました』

 念話が途切れると、エレナは顔を上げる。その瞳には、激しい負の感情を宿していた。





 管理局の廊下を行くクロノは顎に手を添えながら、思案する。考えているのは無論エレナの事だ。
 彼女の生い立ちと気性は知っている。だから言葉だけでは彼女は止まらないと理解している。証拠もなく力ずくで止めようとすればそれはただの私闘だ。そして目的を明確に証明するような証拠を残してはいない。先の資料も執務官としての調べ物だと言えば済むものばかりだ。
 クロノとしては、彼女が無茶をしないよう信じる、いや祈るしかなかった。普通に考えればいくらなんでもと思うが、エレナならばやりかねない。
 思案するクロノの耳に聞き慣れた声が響いてきた。顔を上げると見知った三人が正面にいた。フェイトとはやてとシグナムだ。

「あ、クロノ」

 クロノに気づいたフェイトが声をかける。はやては手を挙げ、シグナムは軽く会釈して挨拶した。

「君達は今帰りか?」
「うん、シグナムと同じ任務だったから」
「それでシグナムと一緒に私の待ってくれたんや」

 些細なことだが、はやては嬉しそうに言った。一年ほど前まで独りだった彼女には自分を待つ人がいてくれることが嬉しいようだ。

「…………」

 屈託無く笑うはやてをクロノが見つめる。

「……クロノ君?」
「シグナム、少し話がある。いいか?」

 怪訝そうなはやてに答えず、クロノがシグナムに呼びかける。

「構いませんが、何か?」
「ここではちょっと。すまないが二人とも少し待ってくれないか?」
「ええけど、シグナムに何の用?あ、まさか執務官の権限でHな事を…」
「そんな事などしない!!」

 叫ぶクロノ。それを見てはやてがさらに笑う。
 クロノは不機嫌そうにしたまま、シグナムを連れて曲がり角に消えていった。

「でも、なんの話だろうね?」
「私達には話せない事みたいやけど。やっぱりHな事を……」
「ク、クロノはそんな事しないよ!」

 クロノとシグナムを待ちながら話す二人の横を誰かが通り過ぎた。クロノと同じ管理局の制服を着た赤い髪の少女だ。
 その少女がすれ違う瞬間、僅かにだが確かにはやてを見た。
 大きく見開いた冷たい瞳が車椅子に座ったはやてを見下ろす。

「───────っ」

 目があったはやては一瞬、心臓を射抜かれたような感覚に負われた。
 時間にすれば数秒ほどの交錯。少女が立ち去る。その背をはやては呆然と見送った。

「はやて?どうしたの?」
「え?な、なんでもあらへんよ?」
「そう?なんだか顔色悪いよ?」

 言われて自分が冷や汗を掻いている事に気が付いた。心臓は、停止した活動を再開するように激しく鳴っていた。
 自分でもわからないまま、はやては大きな不安を覚えた。





「それでクロノ執務官。お話とは?」

 はやてが赤い髪の少女とすれ違った頃、クロノとシグナムは人気の無いエリアまで来ていた。
 ここまで来る間、どうも彼らしくないとシグナムは思った。落ち着いて見えるがそれには板についた傷を同色の色で隠したような不自然さがあった。
 クロノは深刻そうな顔で、僅かに躊躇う。だがやがて決心するように顔を上げて言った。

「頼みがある。しばらく、はやての周囲を警戒してくれ」

 思ってもいなかった言葉にシグナムは戸惑った。

「……それはどういう事でしょうか」

 自分ははやての守護騎士だ。主である彼女を常に守るのは当然のことだ。その自分に警戒を促すとは一体どういうつもりなのか?
 シグナムの問いと視線を受け、クロノは言いづらそうに答えた。

「管理局にはまだ君たちの事をよく思わないものがいる」

 その言葉にシグナムは唸った。忘れたわけではないが見知った相手に言われ改めて身を固めた。
 長きに渡り、闇の書のプログラムとしてシグナム達ヴォルケンリッターは数多くの罪を重ねてきた。その中には、十二年前に管理局に多大な被害を与えたことも含まれている。
 その管理局の人間すべてに認めてもらえるとは思っていない。それでも重ねた罪を償うためにシグナム達はここにいるのだ。

「だが、それは少数だ。上層部にもそういった連中はいるが、自分の地位と感情を天秤にかけて動けない者ばかりだ。下手な発言をして自分の評価を下げたくないとも思っている。大半の者が君達のことを認めだしている中では、迂闊なことを言うことも出来ない」
「それでは何故警戒をしろと?」

 そこまでの言葉ならはやてと自分達の身は保障されている事になる。それでもなお警戒を促したクロノの意図はまだ読めない。

「例外がいる、という事だ。若く、地位も高いわけでもなく、向こう見ずに君達に危害を加えるかもしれない可能性を持っている連中がいる。最近、彼らの動きが活発になってきた。闇の書に関する資料をかき集めて上層部に呼びかけようとしている」

 その動きをクロノが知ったのは、無限書庫で司書をしているユーノから報告を受けてのことだ。執務官の権限でかなりの量の資料を請求したと伝えられ、気になって調べてみると、その人物が見知った人物かつ予想した人物と一致し、クロノはその時らしくもなく舌打ちをした。

「目星はついているのですか?」
「………ああ」

 クロノが顔を横に逸らす。その横顔はひどくつらそうだった。

「まだ事を起こしていない今は名前は言えないが、僕と同期の執務官で………十二年前の闇の書事件の被害者だ」
「………そうですか」

 シグナムはそれだけしか言えなかった。なんとなく予想はついていたが、それでもその事実は胸を穿った。

「今の所、訴えは通らないだろう。さっきも言ったが上層部のほとんどが君たちの事を認めている。処分も半年前に決定している。今更な話だ。そちらは問題ない」

 クロノは顔を正面に、シグナムに戻す。

「だがその行動は今のところ法の範疇だ。その範疇を超えない限り、僕に彼らを止める権限は無い。問題はその連中が範疇を超え、強硬な手段に出ない保障がないということだ。そしてそれがいつに行われるかはわからない」
「それで、警戒をしろと」
「ああ。何も起こさないということも考えられるが、僕の知る限り、その人物は大人しくしているような人物じゃない。現に、今日自分に協力するよう呼びかけてきた」
「あなたに?」

 クロノは管理局が処分を決める際、自分達の弁護に回っている。そのクロノに協力を呼びかけるとはとんでもない人物だ。

「無論断ったが、あの様子だとそう遠くない内に、事を起こすかもしれない。その時に事前に防げれば大した事ではなくなる。もっとも何も無いのが一番いいのだが」
「わかりました。シャマルとザフィーラにも話して主はやての周囲を警戒します。ヴィータには伝えないほうがいいでしょう。あいつがこの話を聞いたらあなたの胸倉を掴んでその相手の事を聞きだそうとするに決まっていますから」
「そうしてくれ。僕も彼女に胸倉を掴まれたくない」
「……主はやてには?」
「伝えなくていいだろう。伝えてどうなる話でも無いし、出来る限り内密に穏便に済ませたい」
「そうしましょう」
「それじゃ、呼び止めて悪かった。はやてのところに戻ってくれ。僕も仕事に戻る」

 頷き、立ち去るシグナムを見送り、クロノは考える。
 何も無ければいい。心はそう思う。だが、頭はそれはないと冷静に訴えていた。心もそれを否定できない。願っても、心自体が嫌な予感を覚えていたからだ。
 そしてその予感は、クロノが思っているよりずっと早かった。





 海鳴市桜台。町を一望することが出来るその山中で一人の男が蹲っていた。長身で細身というより痩せ過ぎな身体。長い前髪が目元を覆っていた。もう夏だと言うのに黒づくめの服の上から黒のロングコートを着込んでいる。
 ぴくりとも動かない彼に念話が繋がる。男は電源を入れられたように顔を上げて、手首を口に寄せた。その手首にはブレスレットがされていた。

『ロッド。指令が与えられました。狼煙を上げろとの事です』
「……了解」
『成功を祈ります。皆、本拠地で吉報を待っていますよ』

 ロッドと呼ばれた男は答えない。やれやれ、というため息と共に念話が途切れる。
 ロッドはコートの内側に手を伸ばす。内ポケットから取り出された黒いカードがその姿を黒い銃身へと変え、まるで最初からコートの内側に隠されていたかのように姿を現す。
 ロッドが手にしたそれは魔法を起動するデバイスでありながら、魔導師の目から見ても完全なライフルの形状をしていた。なんの飾りなのかスコープまでついている。
 それをぶら下げたまま、ロッドはゆらりゆらりとその場を歩き去った。






 管理局から戻ってきたはやてとシグナム、フェイトの三人が八神家への帰宅の途にあった。フェイトも向かっているのは今日は家人が誰もいないのではやてに誘われての事だ。

「でも、ほんとフェイトちゃんとシグナムはよう模擬戦するなぁ。そんなにやって飽きへんの?」
「飽きないよ。楽しいし、勉強にもなるし」
「そうですね。回を重ねるごとにテスタロッサの技量は上がっているので飽きることはありません」

 談笑する三人。クロノに警戒しろと言われたシグナムも気を緩めるほど和やかな会話。

「………………」

 三人は気づかない。それを遠く離れた地点から観察している者がいることに。
 桜台から三人を観測している黒づくめの男──ロッドは座り込み、台座にセットされた自らのデバイス“ヒドラ”のスコープを覗き込んでいる。スコープは飾りなどではなく、その役割の通りに遠く住宅街を歩く三人の姿を捉えていた。
 ロッドはスコープから顔を離すと、コートの内から小さな筒を取り出す。見るものが見れば、それが圧縮された魔力が詰められたカードリッジだと見抜いただろう。だたし、従来マガジンに装弾されるカートリッジをロッドはそのままコートの内に保有していた。
 ヒドラの銃身にあるカバーをスライドさせ、カートリッジを入れ、撃鉄を起こし、装填を完了させる。
 それが終わると、ロッドは再びスコープに顔を寄せる。スコープにはさきほどと変わらない様子の三人が映し出された。
 そうして、ロッドは静かに引き金を引く瞬間を待ち続けた。





「ロッドの準備は完了。あとは命令を出すだけですよ」

 薄暗い一室。その中を浮かび上がるように光る学校の黒板ほどあるモニターを眺めながら、眼鏡をかけた小柄な少女がいくつもあるパネルを操作し続ける。

「そうか。ならば開幕の儀を行おう」

 それを受けて赤い髪の『元』執務官エレナが一歩踏み出す。
 そこは海鳴市のとあるビルの一室だ。正式な手順を踏んで購入し、偽造に偽造を重ねているので、ここが本拠地とばれるまでにはそれなりの時間がかかるだろう。
 その薄暗い一室の中で、エレナの声が響く。

「時は来た。あれだけの罪を重ね、未だのうのうと時を過ごす罪人達に裁きの鉄槌を下す時だ」

 エレナがその場にいる者達を見渡す。この場にいない同士が一人いるが言葉は念話で届いている。

「ここにいる者達は皆、闇の書に未来を奪われた者達だ。目的を同じくする同士だ。そして私の誇り高き『ナイツ』達だ」

 エレナがその同士の名を呼ぶ。

「フォックス・スターレンス」
「あいよ」

 窓際に腰掛けた髪を後ろで束ねた中肉中背の男が答える。

「マキシム・アイオーン」
「はっ」

 岩のように聳え立つ巨体を誇る男が答える。

「クレア・アンビション」
「はい」

 髪を片側に寄せて束ねた眼鏡をかけた少女が答える。

「ロッド・ブラム」
「……」

 長く黒い前髪の男が息遣いだけで答えた。

「いま、この時より、審判を下す。ロッド、狼煙を上げろ!!」

 その声を受け、ロッドは引き金を引いた。
 狙いはスコープに写る車椅子に座った少女───『闇の書の主』八神はやて。








 クロノが仕事を終え、帰宅の準備をしていると多くの局員が廊下をバタバタと走っていた。駆ける音に混じって怒鳴り声まで聞こえてくる。
 不審に思っていると、見知った人物がクロノの横を通り過ぎる。急いでいる様子だったが振り返って声をかけた。

「エイミィ?」
「クロノ君!?よかった、まだいたんだっ」

 声をかけられたエイミィは小走りでクロノのところに戻ってくる。随分と走ったのか、息は荒くしている。

「どうしたんだ?何やら騒がしいが……」
「今、管理局のデータベースがクラッキングされたの。それも内部から」
「内部から?」

 管理局のデータベースには局員の個人情報から過去や現在の犯罪のまで多岐に渡る情報が詰まっており、その重要性は非常に高い。そのため、外部からのアクセスに対して厳重な防備を固めている。それを内部から崩したものがいる。つまり、局員が管理局のデータベースに手を出した事に他ならない。数多くの情報を抱えているそれに手を出すことは下手な軽犯罪よりずっと罪が重い。局員なら知っていて当然の事を行った者がいると聞き、クロノは驚きを隠せなかった。

「それでクラッキングした犯人を捜して大慌てってわけ。でも多分見つからないね。聞いた限りだと時限式でセットされてたみたいだから、犯人はもう局内から逃げていると思う」
「それで、どんなデータがクラッキングされたんだ?」
「それ……なんだけど」

 エイミィが言いよどむ。その姿にクロノは嫌な予感を覚えた。それは先ほど覚えたのと同じ類の予感だった。

「言ってくれ、エイミィ」
「……エレナ・エルリード執務官とその直属の武装局員『ナイツ』の一切のデータの削除」
「!」
「それと、これもさっき聞いたんだけどエレナが辞職届けを本局に出したみたいなんだけど………クロノ君?」

 クロノは答えない。つい数時間前のエレナとの会話。シグナムへの警告。エレナとその直属の部下のデータ削除。そしてエレナの辞職届け。
 点と点を繋ぎ、そこに線を作り出す。その線が向かう答えは────────。

「エイミィ!いますぐはやてと連絡を取れ!それと誰でもいいからはやてのところに応援を送れ!」
「え?クロノ君、それどういう……?」

 事態を甘く見ていた自身に対する怒りと後悔を織り交ぜた表情でクロノは断言した。

「はやてが危ない!!」







 ソレにシグナムが気が付いたのは全くの偶然だった。
 たまたま顔を上げたところに正面の桜台から小さな星のような光を見た。気が付いたのは全くの偶然。だが見た瞬間、正体がわからずとも咄嗟に車椅子ごとはやてを押し倒したのはまさしく彼女の戦士としてのカンだった。
 鋭い痛みがシグナムの肩を抉る。痛みに顔を顰めるシグナムをはやては訳もわからず見上げた。

「シ、シグナム?どないしたん………?」
「!?シグナム、肩!!」

 フェイトの言葉にはやては自分の耳の横に立っているシグナムの腕から血が滴っていることに気が付いた。ポタポタという音が嫌に耳に響いた。

「シグナム、血出とるよ…?」
「大丈夫です、主はやて」

 呆然とするはやてに笑いかけると、シグナムは顔を上げた。

「テスタロッサ!敵襲だ!正面、桜台!!」
「!」

 言われて、フェイトはすぐさまバリアジャケットを精製する。一体、どのような状況なのかまるでわからないが攻撃されたという事実がフェイトを戦闘者に切り替えた。

「主はやてはここで待っていてください!すぐに賊を捕らえてきます!」

 シグナムも騎士甲冑を呼び出したはやての返答も待たず飛び上がり、フェイトもそれに続いた。
 はやては何もわからないまま、言えないままそれを見送った。






 スコープ越しにシグナムがこちらの攻撃に反応したのを見て、ロッドは僅かばかり眉を動かした。彼を知るものであれば、如何に彼が驚いているのかわかったであろう。
 これだけ距離の離れた場所からの攻撃に反応し、場所まで特定するとは。カンがいいなどでは済まされるレベルではない。化け物といっていいだろう。
 そんな思いをまったく表面に出さず、ロッドは次弾を装填し、撃鉄を起こす。敵の速度は速い。撃てて次弾までだろう。それ以上は敵がこちらに接近するほうが早いだろう。
 だから、次は確実に落とす。
 ロッドは自分に迫る獲物を見据えた。







 敵の攻撃を受けたのもシグナムなら、敵の居所を掴んでいるのもシグナムだった。そのため、シグナムが自分より飛行速度の速いフェイトを先行する形になった。
 飛行しながらシグナムは思案する。襲撃者は間違いなくクロノが言っていた闇の書の被害者だと言うの一味だろう。まさか、忠告されたその日の内に襲撃されるとは思わなかったがもし、あの忠告が無ければ攻撃に反応することが出来なかったかもしれない。シグナムは心の中でクロノに感謝した。
 その彼のためにもここで襲撃者はなんとしても捕らえなければならない。そうすれば彼の望んだとおり事は大きくならずにすむだろう。
 だが、クロノに対する恩義以上にシグナムを駆り立てているものがあった。それは怒りだ。敵の攻撃は結果として自分に当たったが狙われていたのは間違いなくはやてだった。はやてを庇おうとして身を沈めたシグナムの肩を掠めたのだ。その高さにははやての身体があった。
 自分達が恨まれるのは当然だ。どんな仕打ちを受けようとそれを拒む権利は自分達にはないだろう。
 しかし、如何なる理由があろうとも、はやての命を狙うことを許すことは出来ない。
 シグナムは一秒でも早く襲撃者を処断するべく駆ける。敵の射程の長さは驚異的だったがそれ以上のものではない。今は騎士甲冑の来ている上に、防御魔法も展開している。あの程度の攻撃なら破られるはずも無かった。

「………」

 そんなシグナムの後を追うフェイトは、何故か言い様の無い不安を覚えた。





 敵が迫る。ヴォルケンリッターの将とハラオウン執務官の妹だ。
 後者は事前の情報から、前者はかつて対面した時のことからロッドは見分けがついた。
 術式を展開する。先は射程を最大にしたために落ちた威力を調整する。
 敵は速度を落とさず、真っ直ぐこちらに接近してくる。おそらく、先の威力から防御の上から落とされることは無いと踏んでいるのだろう。
 迂闊だ。ロッドは口に出さず、心の中で呟いた。
 ヒドラの銃身を環状魔方陣が覆う。射程と威力の調整は完了。
 狙いはヴォルケンリッター・烈火の将シグナム。

『Bullet』

 引き金を引く。銃口から高密度の魔力が込められたカートリッジがそのまま高速で吐き出された。
 彼のデバイス・ヒドラには“バレット”と短く名づけられた射撃魔法しか登録されていない。ライフルの形状をしているのは、射撃魔法専用と言うよりバレットという魔法専用のデバイスであるためだ。
 そのバレットは、構成された術式と込められたカートリッジによってその威力と射程を変える。先ならば目視も出来ないほど離れた相手を射抜く超長距離射撃を可能としたが、その驚異的な射程の代償として威力は込められた魔力に反して並みの射撃魔法とさほど変わらなかった。
 が、今度のその射程を半分以下に減少、変わりに威力を向上させ、カートリッジもバリア貫通能力に優れた貫通弾タイプに変えている。
 同一の魔法でありながら、全く異なる性能で放たれたソレは、先が矢であるならば今度はまるで突き出された槍のようだった。離れた敵を射抜くことに変わりは無いが、込められた力は先の比では無い。

「──────」

 シグナムは反応できなかった。ただ、正面から光が走ったのがわかっただけだった。それでも構築した防御魔法、砲撃クラスの魔法でも防ぎきるパンツァーガイストによって敵の攻撃は阻まれるはずだった。
 それを、ただ一点を貫通させるために放たれたバレットは易々と突破した。本来なら砲撃クラスの魔力を圧縮して放たれたその射撃魔法はこと貫通能力に関しては実際の威力よりも遥かに高い威力を誇っていた。

「──────」

 シグナムは反応できなかった。だから、敵の攻撃を受けたことも何故、全身から力が抜けるのかわからないまま意識を失った。






 先を行くシグナムが突如止まった。

「?」

 その行動に戸惑うフェイト。その戸惑いはすぐに驚きに変わった。
 シグナムの上体が揺れたと思った瞬間、彼女は浮力を失い、落下していった。

「シグナム!?」

 この高さから落ちれば一たまりも無い。フェイトは慌てて進路を変えシグナムを拾い上げる。それが障害物に阻まれたバレットの射線上から外れた地点だったのは全くの偶然だった。
 相手が射線上から逃れると、ロッドはヒドラをコートのうちに戻し、ブレスレットに口に寄せた。念話が繋がる。

「回収しろ」
『標的は?』
「失敗した」

 ロッドは見ていた。攻撃自体には反応してはいなかったが、バリアが突破された瞬間、シグナム自身も自覚の無いまま僅かに身を逸らしていた。そうでなければ、バレットはシグナムのリンカーコアを撃ち抜き、彼女を消滅させていたはずだった。全く持ってふざけた反応だった。長きに渡る戦歴は伊達では無いというところか。

『でも、しばらくは戦線の復帰は無理でしょう。十分です』
「早くしろ」
『はいはい』

 通信を受けたクレアは予めロッドのいる場所にセットしておいた転送魔法を発動させる。光に包まれたロッドの姿がその場から消える。
 まるで気配を感じさせなかった襲撃は、終わった気配も感じさせないまま終わった。







「それで、シグナムの容態は?」
「とりあえず命に別状は無いけど、リンカーコアが損傷してる。しばらく復帰は無理だね」
「そうか」

 エイミィの言葉にクロノが安堵のため息をつく。だが、その顔は晴れる事は無かった。
 襲撃から一夜。フェイトからの連絡とクロノが用意していた部隊のため、すみやかに本局の病院に運び込まれたシグナムはなんとか一命を取り留めた。
 襲撃の話を聞いた時、クロノは思わず拳で壁を叩いた。シグナムに忠告したその日に襲撃が行われ、その彼女が倒されるまでの事態になるとは全く予想していなかった。
 今にして思えば、あのエレナの協力要請は今はまだ法の範疇で訴えるつもりに見せるフェイクだったのかもしれない。もしくは、強硬手段に出る最後通告だったとも言える。
苦い後悔がクロノを覆う。だが、沈んでいる暇は無い。

「皆は集まっているか?」
「うん、もうブリーフィングルームに集まってる」
「わかった。そっちに行くからあとは任せた」

 彼女がこれ以上の罪を重ねないために。これ以上悲しみを広めないために。
 クロノは自分の後悔を置き捨てた。






 クロノがブリーフィングルームに入ると、呼び出された皆が集まっていた。集められたのは見知った仲間たち。なのはとフェイトは何かを話しながら、はやてはヴィータとシャマルに付き添われるように座っている。アルフとザフィーラは壁に寄りかかり、ユーノは皆を見渡せる位置に立っている。誰もがこの事態に戸惑いを隠せないでいるようだ。

「皆、待たせたな」
「クロノ君!?シグナムは!?無事なんか!?」

 はやてがクロノに詰め寄る。つい先ほどまで手術室の前で待っていたはやてだったが、集合をかけられ仕方なくその前を離れたのだ。家族の安否が気にならないわけが無い。
 周りの人間もまずそれを知りたいようで視線をクロノに向けた。

「はやて。落ち着け。シグナムなら無事だ。命の別状は無い」
「そっか………。よかったわ………」

 その言葉に安堵するはやて。その姿に置き捨てた後悔が顔を出そうとするがクロノはそれを押し殺す。不安や動揺を回りに見せないのは指揮官には必要なのだ。

「ただ、リンカーコアが傷つけられたからな。復帰には時間がかかる。今回の事件への参加は無理だろうな」
「事件………?クロノ君、事件ってどういう事?何が起こってるか知ってるの!?」

 途中から叫ぶような声でクロノの問い詰める。その様に態度を崩す事無く、クロノは冷静に言った。

「それはこれから話す。皆、今から今回の事件について話す。それと重い話しになるから覚悟してくれ」

 クロノは部屋の正面にある卓上の前に立つ。全員が小さく頷くのを見てから、話を切り出した。

「今回の事件だが、一部の管理局員がある一件の処罰に対しての不満と、自分達の感情を優先させ、局員の立場を捨ててこの事件を引き起こした」
「クロノ、その事件って……」
「闇の書事件。不満と言うのは夜天の王八神はやてとその守護騎士達に対する処罰だ」

 全員が息を呑んだ。想像していなかった訳ではないが、それを現実のものとして言葉で示され、皆が身体を固くした。

「事件を起こした人物はもう特定している。犯人の名はエレナ・エルリード執務官。僕と同期で四年間のキャリアを持つ執務官。この事件が起きたのとほぼ同時に部下と共に姿を消している。同時に辞職届けを提出している」
「エルリード……?」

 その名前にシャマルが呟いた。どこかで聞いた事のある気がする。ザフィーラとヴィータも同じようで考え込む仕草をしていた。

「あの、クロノ君。なんでそれだけでそのエレナって人が犯人って事になったのかな?」

 なのはがクロノに質問する。確かに事件が起こったのと同時に姿を消すのは疑わしいがそれだけでは何か不十分な気がした。

「……彼女、いや彼女とその部下には動機があると言う事だ」

 クロノはそこまでの話で一番声を重くして言った。その声と今までの会話の流れからはやては想像する。いつの間にか口の中が乾いていた。

「……クロノ君、その動機って」

 クロノは語る。はやての想像した通りの事を。

「エレナ・エルリードとその部下達は全員、闇の書事件の被害者だ。それも去年の冬ではなく十二年前の事件のだ」

 想像通りの言葉にはやてが思わず胸を押さえた。鼓動は感じたことの無い緊張でこれ以上無いくらい波打っていた。

「特にエレナ・エルリードはある意味、十二年前の事件で最も人生を狂わせられた人間だ。十二年前、彼女はこれ以上無いくらい事件の中心にいた」

 そして、クロノははやての想像以上の事実を知っていた。その気配にそれまで黙っていたザフィーラが口を開いた。それは皆が聞きづらい事を変わりに訪ねたようだった。

「……それはどういう意味だ。ハラオウン執務官」

 クロノは、ザフィーラを、ヴィータを、シャマルを、はやてを見る。それから目を閉じて意識を失っているシグナムを思い浮かべる。そうしてこれからはやて達が直面しなくてはならない事実を、決心するように目を開いて言った。

「エレナ・エルリード。彼女は十二年前の闇の書のマスターの娘だ」





 続く
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