リリカルなのは SS

                     夜天の誓い
                    第二話 開戦

 誰もが言葉を失っていた。闇の書によって引き起こされた悲劇。それによって多くの人生を狂わされ、その悲しみを乗り切ることが出来ず、恨みを抱く人達がいる。それはわかっているつもりだった。
 だが、やはりそれは『つもり』だった。そんなにも闇の書に近いところで人生を狂わされた人がいるとは想像もつかなかった。
 誰もが口を閉ざすその重苦しい沈黙を断つようにクロノが言葉を続ける。

「エレナ・エルリードは事件後、管理局の施設で育てられ士官学校入りをして十三の時に執務官になった。それからエリスは『ナイツ』と呼ばれる直属の部下を率いて、四年間の間にこと戦闘において大きな戦果を上げている」
「直属?執務官の?」

 フェイトが疑問の声を上げる。執務官は事件捜査や現場人員への指揮権など高い権限を持つ。その権限において武装隊の要請など行うこともあるが、基本的に直属の部下を持つことはない。必要な人員を事件に当てるのが執務官としての手腕であり、直属の部下がそれに必ず当てはまるとは限らないからだ。フェイトもクロノの指揮下で事件の捜査をしているが、厳密に言えばフェイトはクロノの部下ではなく、所属艦アースラの艦長であるリンディの部下になる。

「ああ。なぜ直属の部下を持つ事を許されたかはわからないがね。ただ、そのメンバーの全員が十二年前の闇の書事件の被害者だと言う事が何か関係しているかもしれない」

 クロノがパネルを操作し、正面のスクリーンに四人の人物を浮かび上がらせた。管理局データベースには彼らのデータは一切削除されていたため、局内を回って入手した写真である。

「彼女の直属部隊『ナイツ』は四人のメンバーで構成されている。フォックス・スターレンス、マキシム・アイオーン、ロッド・ブラム、クレア・アンビション。以上の四名だ」
「この四名の戦闘能力は?」
「わからない。僕も彼らと直接面識したことはない。その上、事件発生と同時に管理局のデータベースから彼らのデータが削除された。内部からの時限式でね。十中八九、彼らの仕業だ」

 ザフィーラの言葉に答えた後、クロノがさらにパネルを操作する。今度は、二人の人物の写真が映し出され、そのうちの一人の少女がアップになって映し出される。短い赤い髪の少女だ。その隣には管理局の制服を着た今よりも背の低いクロノがいた。

「四年も前の写真になるが、この赤い髪の人物がエレナ・エルリードだ。彼女に関してなら何度か模擬戦を行ったことがあるから、ある程度は答えられるが………」
「あ」

 その画像を見て、はやてが声を上げた。

「どうした?」
「あ、いや、その人昨日、局内ですれ違うた人やったから……」
「それはまた、紙一重な………」

 彼女は激しい気性の持ち主だ。よく敵を目の前に自制したものだと思う。
 一方、はやてはあの冷たい視線の意味を理解して自分を抱くように腕を組んだ。その不安を感じ取ってシャマルがはやての肩を抱いた。
 そのはやてを冷たいとも取れる目で見つめてクロノが言った。これからの問いと今回の事件は覚悟が無ければ乗り切る事は出来ない。それを図るための厳格な目だった。

「はやて」
「……なに、クロノ君?」
「今回の事件だが、アースラに任されることになっている。レティ提督に申請を出せば君達を捜査人員として指揮下に置く事が出来る」
「…………」
「逆に言えば、申請次第で君とヴォルケンリッターを捜査から外すことも出来る」
「………それって」
「君の意志に任せたい。君が決めてくれ」

 問われ、はやては目を閉じる。闇の書の犯した罪に向き合うか、目を背けるか。暗にクロノはそう訪ねていた。
 闇の書が犯した罪は重い。去年の冬だけでもなのはやフェイトや多くの局員を傷つけた。そして、十二年前の罪の爪痕が消える事無く色を残している。たとえ、闇の書が消えようともその罪は消えてはいない。その罪が今、夜天の書の主である自分と書が残した守護騎士達に降りかかってきている。
 それは夜天の王の名を継ぎ、守護騎士達といる限り避けられない道だった。けれど自分はその道を自ら選び、騎士達と共に贖罪の道を歩もうと決めたのだ。そのためにはその罪と向き合わなければならない。
 ならば、何を迷うことがあるだろうか。

「クロノ君。私やる。いや、やらせてください」

 強い決意を宿して目を開く。迷いの無い瞳だった。

「今回の事件が闇の書の罪なら、私は立ち向かわなきゃならない。闇の書の罪を背負った夜天の王としても、この子らとおるためにも」
「はやて……」
「はやてちゃん……」
「主」
「だから、やらせてください」

 その言葉に、クロノは強く頷いた。

「わかった。艦長とレティ提督にはそう話を通しておく。そして、可能な限り僕は君に力を貸す」

 クロノの言葉に応じて、なのはとフェイトもはやてに微笑みながら言った。

「私もだよ、はやてちゃん」
「頑張ろうね、はやて」

 言いたい事はもう言われている、アルフはウィンクしながら親指を立て、ユーノも笑いながら頷いた。

「……ありがとう、皆」

 ここにいる皆の思いを受け、はやては万感を込めてそう言った。少し涙ぐみそうになったが、なんとか堪える。まだ事件は始まったばかりだ。こんな所で泣いて入られないし、泣くには少し早すぎた。

「しかし、君がそう言ってくれて助かった。君の決意とは別に人員的な事からも君が事件から外れると厳しいものがあったからな」
「クロノ、それはどういう事なんだ?」

 訪ねるユーノにクロノはこれ以上無いくらい渋い顔をした。

「今回の事件は局員が起こした事だ。あまり騒いでは管理局のイメージが悪くなる。だから上層部は出来る限り、人員を駆使しないでかつ事を大きくしたくないんだ」
「それってつまり……」
「ここにいる人員だけで事件を解決しなくてはならないということだ。サポートにはアースラのスタッフが回ってくれるが、それ以上の人員の増強は望めないだろうな。その上で早期の解決を上層部は望んでいる」
「ひどい話だね、それ………」

 普段、無限書庫で管理局から膨大な仕事を与えられているユーノはその不満も込めてげんなりと言った。最も、その数割が目の前の人物から寄せられている仕事でもあるのだが。

「けれど、これ以上事を大きくしたくないのは僕も同じだ。エレナがしたことは局員として許されることではないが、個人的な感情で言えば彼女に同情する部分は確かにあるからな」

 それははやても同じだった。例え、自分に害を及ぼそうとする人物でもそれが闇の書の罪のためならば、そのせいでこれ以上傷ついては欲しくなかった。

「だから、今回は一番手っ取り早く解決できる方法を取る。危険だが、おそらく確実に向こうからアクションがあると思う」
「どんな方法なんですか?」
「簡単だ。はやてには向こうの世界で生活してもらうだけだ」
「え?」

 思わず声を出したはやてだけでなく、その場の全員がクロノの意図が読めず、半分以上の人間が首をかしげた。

「、はやての生活の主軸は向こうの世界で、今回の襲撃があったのも向こうの世界。だから、はやてを狙う彼女たちの拠点は向こうの世界にあると思われる。他の世界に拠点を置いても対応が遅くなるだけだ。つまり、向こうにとって一番都合のいい襲撃場所は向こうの世界と言うわけだ」
「………はやては囮って事か」

 険を含んだ声でヴィータが呟く。その言葉に皆がはっとする中、クロノは瞳を揺らす事無く、頷いた。

「彼女らの狙いははやてだ。事を起こさせるならそれが一番いい」

 はやての安全を考えるなら管理局内で保護してもらう事が一番だろう。しかしそれでは、闇の書の罪と向かい合うことも出来ず、上層部の望む早期の解決にもならない。クロノとしても苦渋の決断だった。

「ええよ。私はそれでええ」

 その決断を後押しするかのようにはやてがキッパリといった。

「はやて………」
「大丈夫や、ヴィータ。それで早く事件が解決するならそれでええ。わかるな?」
「うん………」

 ヴィータは渋々ながら頷いた。そんなヴィータをあやす様にはやてがその頭を撫でる。

「それでクロノ君。向こうで生活する言うけど他になんかする事ないんか?」
「ああ。さっきも言ったが今回の事件は君が狙いだ。だから戦力を分散させる意味はないから、事件の間は君とヴォルケンリッターは僕のマンションで寝泊りして欲しい。幸い、今は夏休みだから都合はつくだろう」

 聖祥学園は先週に一学期を終え、夏休みに入ったばかりだった。その矢先にこんな事件が起こり、クロノは申し訳なく思う。

「なのは。出来れば君にもお願いしたいのだが………」
「うん。おとーさんとおかーさんにはお話しておくから」

 急な要請にもなのはは頷いてくれた。こういうところでは本当に迷いがない。

「あの、それならはやてちゃんのお家でもいいのでは?」

 シャマルが控えめに質問に近い意見を述べる。

「はやての家では全員が寝泊りするには少し狭いだろう。それと場合によってはその場で戦闘が行われる。僕は君達の家を戦場にしたくはない」
「なるほど」
「フェイト。すまないが僕達の家が戦場になるかもしれない。いいか?」
「うん。大丈夫」

 家族の生活の場である自分の家が荒らされるかもしれないのは心苦しいがそれでも親友の安全と天秤にかければ、後者が勝った。

「エイミィには周囲の探索とオペレートを任せる。それとユーノ」
「え、僕?」

 急に話を振られてユーノは軽く戸惑った。

「君は僕と一緒に本局に残って調べ物をしてくれ。君は無限書庫、僕は聞き込みだ」
「クロノ君、現場に来ないんか?」
「さっきも言ったが、彼女達のデータは全て削除されてしまっている。戦闘記録もなくなっているから、どんな能力を有しているかもわからない。未知の敵と言うのはそれだけで脅威だ。だから可能な限り調べ上げたい」

 その敵の一人が奇襲とはいえ、一流の魔導騎士であるシグナムを撃墜している。他の面子がどんな能力を持っているかわからないが油断できるような相手ではないのは確かだった。

「でも、調べるってどうやって?データは無くなってるんやろ?」
「だから聞き込みさ。彼女達と作戦を共にした局員を片っ端から探し出す。データは消せても、人の記憶までは消せないさ」

 クロノがもう一度全員を見渡す。皆それぞれに決意を宿した顔を見てから厳かに言った。

「艦長とレティ提督は今回の件の処理で現場には立ち会えない。調べ物は三日間までには終わらせる。それまで慎重かついつでも戦闘が起こる心構えをしてくれ」

 その言葉に皆揃って頷いた。









 そうして、ハラオウン家にクロノとユーノを除いた全員が集合することになった。八神家と両親の許可をもらったなのはが大きなバッグを抱えて家に上がる。無論、中身は替えの衣服に寝巻きと言った宿泊に必要と思われる一式である。
 全員が揃ったところで、簡単に部屋割りが決められた。なのははフェイトと同じ部屋、はやてとヴィータとシャマルの八神家女性陣は余っている一室、ザフィーラは女性陣への配慮と配置上の穴が無いよう、リビングに陣取った。臨時の指揮を任されたエイミィは闇の書事件の時に使っていた部屋がそのままになっているのでそこを使う事になった。
 部屋割りが決まると、数日間分の食料を確保するためフェイト、シャマル、ザフィーラの三人で買出しに向かった。相手には長距離狙撃を可能とする者がいる。もしかしたら今もこちらを狙っているかもしれないそれに対する警戒として極力外出を避けるための配慮だ。この買出しをしたらしばらくは外に出る必要がないだけの食料を買い込み、戦力の集中している家の中に篭っていれば迂闊には手を出せないだろう。それだけでしばらく時間が稼げる。攻勢に出るのは調べ物が終わったクロノとユーノが戻ってきてからでも遅くはないのだ。そのために狙撃されるリスクを負う事を承知で三人は買出しに出てきていた。
幸いと言うべきか、特に問題なく買出しは終わった。ちなみにザフィーラが買出しについてきたのは荷物持ちの為である。現在、ハラオウン家に一人しかいない男は損な役回りを回されていた。
 皆が揃った当初は重苦しい空気だったが、買出しに向かった三人が戻ってくると僅かに空気が弛緩する。それから食事を終え、交代交代で風呂を済ませる頃にはいつもの雰囲気に戻っていた。リラックスしすぎるのも問題だが、常に緊張しているのも身が休まらないのでその空気は正解とも言えないが間違いとも言いきれない。その中で唯一空気を緩めず、しかしそれを表面に出さなかったザフィーラが一晩寝ずに周囲の警戒をしてハラオウン家での一日が終えた。
 二日目。朝にクロノから連絡が来た。エリス・エルリードとその直属部隊『ナイツ』と作戦を共にした事のある部隊はある程度絞り込めたがそこからは消去法で探していくしかないのでまだ敵の情報は掴めていない。ユーノに無限書庫で調べてもらっているデータも選別がこれからでまだこちらには戻って来られないと言う連絡だった。リンディとレティも本局内の警備体制や執務官に対する権限など事件とは直接関わりのない事の会議につき合わされ、そちらも戻ってこられないとの事である。
 クロノからの連絡を皆に伝え、昼食を終えた昼時。

「……暇や」

 はやてがだれていた。

「はやて、だらけちゃダメだよ」

 そういうフェイトの声にも張りがない。外からは夏の強い日差しが燦燦と刺しているにも関わらず、室内に篭りっぱなしというのは中々億劫だった。
 今回、急を要してハラオウン家にやってきたのだが、任務のことばかり考えて必要最低限の物しか持ってきておらず娯楽物を全く持ち込んでこなかった。アルフとザフィーラが待機しているリビングでは昼ドラに夢中のシャマルにテレビは占拠され、ヴィータはする事がないでの寝ている。はやても寝ようかと思ったが、あんまり寝すぎると夜に眠れなくなる。だからと言って時間を潰すものは何もない。
 そんな訳ではやてはダレていた。

「はやてちゃん、我慢しなきゃ」
「う〜ん、でも確かに何も無いのは頂けないねぇ」

 クロノが戻るまでメンバーの指揮を任されているエイミィはその責任感からこの状況を打破しようと思案する。
 トランプ?駄目だ、昨日散々やった。ゲーム?いや、この家には持ち込まれるだけで本体は置かれていない。漫画?いやいや、この空気を打破するには足りない。物は駄目。ならば、嬉し恥ずかし思い出話?でも、外すと寂しいしなぁ。何かこう皆でわかる話なら──────────。
 そこでエイミィの頭に新しい技が閃いた時の様に電球が光った。

「ちょーと待っててね、三人ともー!」

 そう言ってエイミィは部屋を飛び出る。どうしたのだろうと首を傾げる三人。そこにドンガラガッシャンと凄まじい音が廊下から響く。一体何をしているのか検討もつかない音だ。そんな音が十秒くらい響いて止む。先の音がなんだったか知らないが不自然なほどの静寂だ。不審に思って三人が顔を見合わせているとようやくエイミィが戻ってきた。その手には分厚い本を持っている。

「ふっふっふ……、お待たせ〜」
「あの、エイミィさん。それは一体?」
「よくぞ聞いてくれました!」

 高々と手にした本を掲げる。その手が白く丸い物に見えたが錯覚だろう。

「じゃじゃーん!これこそ、製作責任者リンディ・ハラオウン、製作協力リーゼアリア、リーゼロッテ、製作編集エイミィ・リミエッタ、で作られたクロノ君の赤裸々メモリー、その名も『黒ノメモリーズ』!!」

 何故か未来型ネコ型ロボット的な効果音が流れる。ダジャレのつもりか、その本の表紙は黒かった。

「つまり、アルバムってことですか?」
「そ。あの子ったら、自分の事あんまり話さないでしょ。だからクロノ君が語らずともその過去が皆に広められるよう、皆で撮った写真を集めたわけ」

 元々このアルバムは幼少時代、魔法訓練時代、士官学校時代とその時その時でクロノの側にいた人物が違かったので、それぞれの人物が自分の知るクロノを相手に教えられるよう作られたものであり、製作関係者はそのまま関係者各位である。

「というわけで〜。クロノ君の過去に興味ある人手を上げてっ」
「「「はいっ」」」

 控えめ、やたらハキハキと言った違いはあるが全員揃って手を上げた。それを見てエイミィがニンマリ笑う。

「よ〜し、それじゃ皆で見ようか。ついこの間、最新ヴァージョンに変えたばっかりだから最近のもあるよ。なんだからそっちから見ようか?」

 エイミィが後ろからページを開く。何ページかの空白の後に写真が挟まれたページが出てくる。

「あ、これこの間のはやてちゃんの誕生日の写真だ」
「ほんまや。ついこの間のことなのに中々えらい事になったから、なんや懐かしいわ」
「こっちはお花見の写真だね」

 その他にも、翠屋のエプロンをつけたクロノの写真。前に大怪我して皆で見舞った時、動けないクロノに対して好き勝手やろうとする面々から彼を庇おうとするなのはの写真、正月明けに皆で行った温泉での写真、その後に色々忙しくて正月には着られなかった振袖の写真、フェイトの裁判中になのは送ったビデオメールにつけたクロノ達と一緒に写った写真等、様々な写真が出てきた。特に、クロノと知り合ってまだ一年も経たないはやてには見たことのない写真がたくさんあった。
 だから、はやてはその写真の変化にいち早く気づいたのかもしれない。

「ん〜……」
「どうしたの、はやてちゃん」
「いや、なんかクロノ君が仏頂面した写真が多くなってきたなぁと」
「そういえばそうだね」

 今、開いているページは三人が知らないころのクロノだった。そのクロノは訓練中という訳でもないのに、引き締まったと言うより厳しい表情をしていた。

「あ〜、そうだよねぇ。三人ともこの頃のクロノ君知らないもんねぇ」

 この中で唯一、その頃のクロノと過ごしているエイミィが感慨深そうに言った。

「これ、執務官になってすぐくらいの写真かな?成り立てで緊張してる頃だったから余計にそう見えるかも」

 言いながら肩をすくめるエイミィ。それから呆れた様子で言葉を続ける。

「でも、それでもまだマシな方だよ。会った頃なんてそれはまぁ小生意気な子供でさ〜」

 その頃の写真は〜、とエイミィがパラパラとページを捲る。やがて、丁度なのは達くらいの年頃の写真が出てきた。

「これこれ。士官学校で会ったばっかりの頃。生意気そうな顔してるでしょ?写真撮らせるのにも一苦労したくらいなんだから」
「ほんとだ……」

 写真に写ったクロノはなんで僕がこんな事に付き合わなきゃならないんだと言わんばかりの表情をしている。どう見ても九歳の子供がする表情ではない。

「でも、なんとなく可愛いかも」
「ほんまか、なのはちゃん………?」
「うん、なんか背伸びしてるみたいで」

 本人が聞いたら壁に頭を叩きつけて悶絶しそうな感想を述べるなのは。はやてにはその感性はちょっと理解できない。

「あ〜、そうだね。確かにそんな感じだったかも。うんうん、確かにあの頃のクロノ君はあれはあれで可愛かった」

 賛同するエイミィ。しかしそれはクロノより年上の彼女だから抱ける感想で過去の事とは言え、五歳も年下のなのはが抱く感想ではないだろう。

「これが士官学校時代だと……この後の写真はエイミィと会う前の写真になるのかな?」
「うん、そっからはリーゼ姉妹の領分だね」
「リーゼ姉妹?」
「クロノ君のお師匠さん。猫の使い魔で双子さんなんだ」
「へー」

 どんなものかとはやてがページを捲る。

「「「……………」」」

 三人揃って言葉を失う。写真にはさっきよりも幼いクロノが目を回して倒れており、そのクロノを踏みしめてダーッ!と指を立ててポーズを取っている女性が写っていた。その女性がリーゼ姉妹と呼ばれた人の一人なのだろうとはやては思った。
 さらにページを捲る。その幼さに似合わず険しい顔ばかりしているクロノの写真はほとんどどこかしらに傷を負っていた。所々にされた絆創膏や包帯がなんとも痛々しい。時折、冗談のつもりなのかロープに吊るされていたりする写真などもあったがとても笑えなかった。

「……随分とハードな過去を送ってたんやねクロノ君」
「うん……」
「そうだね……」

 クロノが過去を語らないのは、思い出すとトラウマになりかねないからじゃないかなー、と三人は思った。そうしてさらにページを捲ったところで、写真の内容が色を変えたように変わった。
 家族の写真だった。あどけない笑顔をした小さなクロノが背の高い男性にしがみついている。その隣では、いまより若いリンディが微笑ましく笑っていた。

「これ……クロノ君のお父さん?」

 黒い髪をしたその男性は、クロノによく似ていた。彼の背丈が伸びたらこんな風なんじゃないのかと思うほどだ。それを肯定するようにエイミィが言った。

「そ、クライド・ハラオウン。リンディ艦長の旦那さんで時空管理局では提督を務めていたって話だよ」

 務めて『いた』。その言葉とこれまでその姿を見たことが無い事からはやてはおそるおそる尋ねる。

「あの、このクライドさんって今………」
「亡くなってるよ。クロノ君が三歳くらいの時らしいけど」

 はやてがもう一度その写真を見る。年相応にとても無邪気に笑うクロノ。その姿はとても数ページ先の歯を食いしばって耐えるような表情をしている数年後の姿に結びつかなかった。この優しそうな父親の死が大きな影響を与えたのは間違いなさそうだった。

「でも、どうして亡くなったやろ?やっぱ管理局のお仕事かな?」

 なのはは知らない。フェイトも知らない。エイミィは知っているが何も語らない。だからはやてはその理由を知ることが出来なかった。もしそれが十二年前と言われれば何か気づいたかもしれない。
 ただ、はやての胸には写真の小さなクロノと優しそうなクライドの姿が心に小さく残った。






 三日目。また朝にクロノからの連絡が入り、エレナとその部下達と作戦を共にしたことのある部隊を見つけたので、これから詳しい話を聞くそうだ。ユーノの調べ物も目処がついたのでどんなに遅くなっても明日にはこちらに戻れるそうだ。それを皆に伝えると、室内に篭りっぱなしで鬱屈とした空気が多少晴れた。そうして、日が暮れて今日もこのまま何事もなく終わりそうだと皆が思っていた。
 それをビルの屋上から双眼鏡で眺める二人の男の姿があった。

「あー、あちらさん気ぃ抜いてやがるな。隊長の読み通りになったなぁ、珍しく」

 言いながら、髪を後ろで束ねた男が双眼鏡を下ろす。袖のない上着から見える腕は細身ながら芯の太い筋肉を持っていた。

「あの人の言は理に適っている。ただ、それを自分から理に反しだす事が多いから外れて見えるだけだ」

 答えた男は隣の男と対照的に服の上からでもわかる、岩を思わせるような隆々とした筋肉を宿した男だった。身長はさほど変わらないのに、細身の男と比べると一回りも二回りも大きく見えた。

「しっかしよー、ほんとに女子供ばっかだな。入りたいかって言ったら間違いなく入りたいけど、戦うとなるとやりづれぇなぁ、おい」
「よく言う。そう言って手を抜いたことなどないくせに」
「そりゃそうだ。やりづらい相手に手を抜いて勝てるほど大層な実力持ってねぇだろ、俺達は」
「だったら、愚痴るのはやめたらどうだ」

 巨体の男は、いちいち律儀に細身の男に軽口に付き合う。そういう男だとわかっているから細身の男も事あるごとに話しかけるわけだが。
 出来うる限り最良の状態で襲撃をかける。そう明言した彼らの隊長が示した襲撃のタイミングは今日だった。あのクロノ・ハラオウン執務官ならまず相手のことを知ろうとする。そのために掛かる日数は最低でも三日間。その不在の間、敵の警戒が薄くなるのは彼が帰還する目処が立つ三日目だと彼らの隊長は読んだのだ。戻る可能性のない初日と二日目は三日目より警戒しているはずだと断言する隊長に細身の男は半信半疑だったが、どうやら今回はその読みが当たったようだった。

「さって、それじゃあちらさんに挨拶してくるか。大人しく待ってろよ」
「私はお前のようにせっかちではない。そちらこそ、戻るまでにやられるなよ」

 巨体の男の否定と身を案じる言葉に細身の男は肩をすくめる。それから手にしたカードを無造作に地面に放る。乾いた音を立ててカードが地面に触れると半分に分割した。二つに割れたカードは細身の男の足に纏わりつき、西洋の甲冑を思わせるような青銅色の金属靴へと変形した。ただ、それと異なるのはその両脇から長細い箱──マガジンと排気口のパイプが伸びている事だった。

「そんじゃま、いってくらぁ、マキシム」
「行って来い、フォックス」

 そうして、フォックスは一瞬にしてマキシムの横から掻き消えた。







 狙ったわけではないが、リビングには滞在している人間が全員揃っていた。暇そうにだれている奴もいれば、駄弁ってる奴もいる。全く持って和やかな雰囲気だ。これからそれを壊さないとなると頭をガジガジと掻きたくなる。
 フォックスはなるべく穏便に気が付いてもらえるよう鍵の掛かった窓をコンコンとノックした。

「──────────?」

 またも狙ったわけでもない。しかしそれは誰もが窓の外から意識を外している時にその音は響いた。皆が皆、視線を窓に向けてもそれを理解するのに一瞬の時を要した。

『よう』

 さも、先ほどからそこにいたかのように念話を送る男が一人。初めて見る細身の男。だが、その顔を部屋にいた者達はそれが何者かこの場にいない執務官に教えられていた。
 皆、一瞬にしてバリアジャケットを纏う。フェイトが戦斧を窓の外の男に向け、なのはが杖を構える。守護騎士達は主であるはやてを囲んで守る。狼形態のアルフが唸り声を上げた。
 その自分ごときに物々しい様子にフォックスは待ったをかけるように両手をあげる。

『ああ、待て待て。こんなところじゃやりづらいから外に出てきてくれよ。連れも待ってるからよ』

 勝手な言い分を言うとフォックスは飛び退るように後方に飛行した。

「はやてはここで待ってて!なのは!」
「うん!」

 それを追ってフェイトが外に飛び出し、なのはとアルフがそれに続く。はやてはヴォルケンリッターに任せておけば安心だ。そう思ってフェイト達は迷い無く敵を追った。
 住宅街からビル街に差し掛かった辺りで敵は飛行を止めた。その横には微動だにせずこちらを見据える巨体の男が待ち構えていた。

「よう、よく来たな」

 フォックスの声は念話の時と同じく極めて軽い口調だった。初めて聞くその声にフェイトは不謹慎だと思った。それはその声にまるで悪意が感じられなかったからだ。

「えーと、お嬢ちゃんがハラオウン執務官の妹さんのフェイト・T・ハラオウンでいいんだよな?お嬢ちゃんと使い魔の相手は俺がするからよろしく頼むぜ。あ、言い忘れてた。俺はフォックス・スターレンス。よろしくな」

 ベラベラと勝手なことを話すフォックスにフェイトは思わず斬りかかりたくなった。至って不真面目な態度を取るこんな男にはやての命が狙われているのだと思うと、我慢が出来なくなる。
 一方の巨体の男──マキシムはそんなお喋りを全く気にする様子も無く、身体の向きをフェイトから背けていた。
 その視線の先には距離を取ってレイジングハートを構えるなのはがいた。

「我が名はマキシム・アイオーン」

 突如、口を開いたマキシムの言葉になのはは戸惑った。少し間を置いて巨体の男が自らの名を名乗っているのだと気が付いた。

「高町なのは。そちらの高名は聞き及んでいる。不肖の身だがお相手願おう」

 言いながらマキシムが宙にカードを突き出す。カードは回転しながらその面積を広げ、子供一人なら覆い隠せるような巨大な盾を形作った。

「……高町なのは、行きます!」

 名乗りながらなのはが魔法陣を展開した。







 フェイトとなのはとアルフがフォックスとマキシムと追って部屋を出た後、はやては三人が出て行った窓をずっと見続けていた。今すぐ出て行きたそうに身体をウズウズさせている。

「主」

 そのはやてにザフィーラが呼びかける。

「ご自重下さい。敵はまだいます。迂闊に前に出て討ち取られては元も子もありません」
「………わかってる」

 自分は囮だ。敵の目的は自分であり、向こうが行動を起こしやすいようこちらに留まっていたのであり、前線に出るためではない。それはわかっている。それでも、自分のために親友達が戦っているのに自分だけ安全なところにいるのは耐えがたかった。

「エイミィちゃんが、オペレート室で向こうの状況を調べてます。何かあったらすぐ教えてくれますから落ち着いて、はやてちゃん」
「うん……」

 完全に納得したわけではないが、守護騎士達の言い分が正しい。それもわかっているのではやては頷いた。

「行きたがってるんだから行かせてあげたらどうです?主の意を叶えるのも臣下の役目でしょう?」

 そこに聞いた事の無い声が響いた。その声の主を探す前に、先ほどやってきた男が立っていた位置に魔法陣が展開する。そこから穴から浮き上がってくるように眼鏡をかけた丈の長い法衣を着た少女が現れた。

「御機嫌よう、闇の書の主とその守護騎士」
「誰だ、てめぇ!」

 ヴィータが険しい表情でグラーフアイゼンを差し向ける。その様子にも少女は落ち着いた様子で答えた。

「申し遅れました。私はクレア・アンビション。エレナ・エルリードが率いる『ナイツ』の一人です」
「じゃあ敵だな」

 グラーフアイゼンを構え直す。その様子に幾分慌てた様子でクレアが待ったをかける。

「ああ、待ってください。そんな物使ったらこの部屋メチャクチャになりますよ。せっかくウチの者が気を使ってここから離れたのに」
「ならば、どうする気だ」

 ザフィーラが敵の言葉を気にした様子も無く、己が役割を果たすために一歩前に踏み出す。

「ええ、ですからここから離れようかと。元々私は戦闘能力のないので今回はただの案内役なんです」
「従うと思うか?」
「いえ。なので強制的に来てもらいます」

 そう言ったクレアの手にはいつの間にか灰色のデバイスが握られていた。一見なんの変哲もない杖型のデバイス。しかし、その柄頭が床を叩くとその先端から薬莢が飛び出ると、全員が目の色を変えた。

「カートリッジシステム!?」

 敵の攻撃に備え、防御魔法を展開するザフィーラ。だが、敵の魔法は攻撃魔法ではなかった。この場にいる全員の足元に魔法陣が展開される。

「これは……転移魔法!?」
「それではご招待」

 足元の魔法陣が光り、全員を包み込む。その眩しさに目が眩み、再び目を開いた時にははやて達がいる場所はハラオウン家のマンションではなくなっていた。辺りを見回すと見覚えのある丘の光景があった。

「ここ……桜台?」
「ええ。そうです」

 その声に、呆然としていたはやて達が振り返る。そこには現れた時と同じく穏やかな微笑をするクレアの姿があった。
 クレアが使ったのは間違いなくカートリッジによるブースト。しかし、通常は攻撃や防御に回される爆発的魔力を彼女は転移魔法に使用し、本来なら長時間かかる詠唱を短縮、自分を含めた五人もの転移を一瞬にして発動させたのだ。
 そのカートリッジの使い方に本来の使用者であるベルカの騎士達は警戒の色を強める。その視線を受け、クレアはネタばらしをするマジシャンのように語る。

「そんなに睨まなくても大した事はしてませんよ。私は攻撃魔法は使えませんから使える魔法を伸ばすためにそうとしか使えないだけです。使える魔法を伸ばすと言う点では彼も同じですよ」

 クレアが指をはやて達の後ろに向ける。思わず振り返ると黒づくめの男が背を向けて立っていた。挟み込まれた形になり、はやて達の意識が男に向けられた一瞬、クレアのデバイスが再び地を叩いた。

『Strenght Bind』

 飛び出した薬莢は三つ。その音に振り返る前に足元から伸びた魔力の鎖が守護騎士達の全身を絡め取った。

「皆!?」
「ご安心をただのバインドです。カートリッジで強化はされていますが」

 その中で唯一、バインドをかけられることのなかったはやてにクレアが落ち着かせるように語り掛ける。最も、それは微塵も効果はなかった。

「にしても、ベルカの民は対人戦闘に特化する余り、こういった搦め手に弱いのはどうやら変わっていないようですねぇ」
「てめ……え、案内役だけじゃ……なかったのかよっ」
「あ、そういえばそう言ってましたね私。嘘になってしまいました。ごめんなさい」

 ヴィータの悪態にクレアは悪びれた様子も無く謝る。その謝罪のようにクレアが解説をする。

「あ、それ無理やり解こうとしても無駄ですよ。カートリッジでブーストした上に補助魔法に特化した私の『オフィサー』でのバインドですから。あんまり拘束力が強いので内外からの干渉に対しては並みの防御魔法より強いんですよ」

 言いながら、クレアはカードを取り出しバインドに捕われた三人に投げつける。放たれたカードは三人を包み込む半透明の半四面体の檻を形成した。

「で、こうしてクリスタルケージに拘束すればどんな魔導師でも十分は出て来れませんよ。まあ、外から干渉できないんで本当に拘束するだけですけど」
「一体、この子達をどうする気!?」

 事実上、一人のみの戦力となったはやてが叫ぶ。どこまでも丁寧で得体の知れないクレアに対する感情を表すように。

「いえ、何も。ただ邪魔をしていただき無いのでこうしただけです。私も後ろの彼もただの露払いですから」

 それまでの間、ロッドは一度も後ろを振り返らず、宙の睨んでいた。そのずっと先ではなのは達とフォックス達の戦いが行われている。あの二人の能力からすれば打倒されることはないと思うが、万が一に突破されこちらに敵が迫った時の用心のために彼は備えていた。

「露払い………?」
「そうだ。私による闇の書の裁きのためのな」

 突如、声が響いた。その声に身を固めたはやてがおそるおそるその声の主のほうに振り返る。
 彼女を直接見たのはこれで二度目。だと言うのに、はやてはその顔をはっきりと覚えていた。燃えるような赤い髪、自分を見下ろした冷たい瞳、どれも変わらない。違うのは表情だ。あの時は雪の白一色のような冷たく感情を殺したような表情。だが今の彼女は怒りとも喜びとも取れる感情が入り混じった表情でこちらを見据えていた。

「こうして対面するのは初めてだな、八神はやて。知っているとは思うが名乗っておこう」

 手にしたシュベルトクロイツを知らず知らずの内に構えるはやてに丈の短い薄い青の法衣を纏った赤髪の少女が名乗る。

「私の名はエレナ・エルリード。十二年前の闇の書のマスターの娘だ」

 そうして、夜天の王の前に闇の書の罪は立ちふさがった。




 続く


inserted by FC2 system