リリカルなのは SS

                      夜天の誓い
                     第六話 理由

「ちぃっ!!」

 エレナが射撃魔法を放つ。クロノはそれを避けずに防御魔法で弾き返し、その間に間合いを詰めてきたエレナを迎え撃つ。この戦いが始まって五度目の近接戦。それまで叩きつけられるジャッチメントを捌いて距離を取り直していたクロノがそれまでとは違う切り替えしを試みた。
 大振りに薙がれるジャッチメントをクロノはデュランダルの先端で受け止める。受け止めた先端を外されないようジャッチメントを絡めると魔力を送り込み、構築した術式を発動する。


『Ice Partisan』
「!?」

 力の押し合いなら負けないと押し切ろうとするエレナが自分のデバイスに違和感を覚えた。見るとデュランダルの先端が白い靄を発して受け止めたジャッチメントを凍りつかせていた。棒の先から侵食するように氷がジャッチメントを上ってくる。
 このままでは腕ごと凍りつかされるとエレナは氷ごとジャッチメントをデュランダルから引き剥がそうとする。それに合わせてクロノが術式を解除。氷は意外なほどあっさり引き剥がされ、勢いに余ったエレナの体勢が崩れた。
 そこを狙い澄ましてクロノが回し蹴りを放つ。体勢が崩れた上にジャッチメントを持たない左方向から放たれる蹴りをエレナは防御することが出来ず、まともに受けて吹き飛ばされた。

「くっ!」

 自身が得意とする近接戦を制され、怯んだエレナは牽制に再び射撃魔法を放つ。対してクロノはデュランダルを突き出しスティンガースナイプを発動。螺旋を描く光弾はエレナの放った射撃魔法を全て叩き落し、再び螺旋を描いて魔力を補充する。

「スナイプショット!」

 術者のキーワードを受け、光弾はその速度を加速させてエレナに迫る。その光弾の操作性能はよく知っている。この距離では回避不能と読んだエレナはジャッチメントに魔力を付与させて引きつけた光弾を叩き落した。

「この程度でっ!」

 無論、クロノもこの程度で落とせるとは思っていない。故に本命は別のところにあった。それにエレナが気づいたのはその本命が放たれた後だった。
 エレナの死角にはクロノが精製したスティンガーブレイドが設置されていた。それをスティンガースナイプが叩き落されたと同時に発動。魔力の刃が一回転してからエレナに迫った。
 だが、接近してくる魔力に気づかないエレナではない。それを感知すると振り向き様にジャッチメントを一閃させて『クロノの狙い通り』に打ち砕く。

「!?」

 その刃に氷結魔法の術式を組み込まれたスティンガーブレイドは砕かれると魔力の粒子を放射状に散らばらせ、そのまま氷結してジャッチメントを凍りつかせた。エレナ自身もあちこちを纏わりつくように凍らされる。その冷気に皮膚が痛みを告げた。
 そこにクロノが再びスティンガースナイプを放つ。凍ったままのジャッチメントと腕では満足に振るうことも出来ない。エレナは鞭のようにしなやかな光弾に撃たれて体勢を崩した。

「お、おおおおおおおっ!!」

 再び迫る光弾を爆発させるように発生させた防御魔法で弾き返す。そのまま、温度変化魔法でによって纏わりついた氷を解凍させた。

「はっ!はっ!はぁっ!!」

 疲労と痛みからエレナは呼吸を荒げさせながら、自分より高度の高い位置にいるクロノを見上げる。
 何故だ、何故こうもいいようにやられる!?
 確かに中遠距離戦では勝てるとは思っていなかった。エレナは大魔力の放出が苦手であり、砲撃魔法はそれほど得意ではなかった。射撃魔法も近接戦に持ち込むための牽制がほとんどである。対してクロノは高水準の砲撃魔法に小回りの効く射撃魔法、大出力魔法も扱うことが出来る。だからその距離ではいいようにやられた。それはわかる。だが自身が得意とする近接戦すら手の内が読まれたように捌かれ続けた事には納得がいかない。さきほどなど、虚を突かれて後退させられた始末だ。これでは勝ちようがないではないか。
 エレナは気づけない。自分がクロノの言葉によって気負いすぎて、そのことからすべての攻撃が直線的になり、そのため容易に攻撃を読み切られている事に。

「何故だ。何故貴様はそれだけの腕がありながら……」

 悔しさに歯を噛み締めたエレナはその気負っている自分を否定するように呻いた。その事を認めるわけにはいかなかった。クロノの言葉を否定しなければ戦うことが出来ない。その事をわかっている彼女は自らを誤魔化し続ける。

「何故だ!?それだけの腕と執務官の立場があれば奴らを追い落とすことも出来た筈だ!!何故そうしなかった!?貴様は何故、奴らを追い落とさなかった!?答えろ!!」

 呻きはすぐに喚きになった。その問いかけは彼女が抱き続けた疑問。そしてもしかしたら聞いてならない疑問だった。何故ならクロノの口から出る答えがもし自らと全く異なるものだったら、いままで抱いてきたものが砕かれる事になるからだ。それを知ってなお、今のエレナはそれを問わずには居られなかった。

「貴様はほんの僅かでも奴らを、闇の書を憎まなかったとでも言うつもりか!?答えろ!!クロノ・ハラオウン!!」









『貴様はほんの僅かでも奴らを、闇の書を憎まなかったとでも言うつもりか!?答えろ!!クロノ・ハラオウン!!』

 その言葉は部屋に繋げられたモニターを通してはやてにも届いていた。エレナの声を聞く度、身を竦ませていたはやてはその問いに自分の身体を強く抱いた。
 その問いは、はやても知りたい事だった。そして聞きたくない事でもあった。闇の書によって自分の父を失った少年。その胸中を図ることは出来ない。出来る筈もない。はやてにとって想像もつかない闇のような答えが今、問われている。彼がなんと言うのかひどく恐ろしかった。彼に憎まれていると言われたらどうすればいいのだろうか。耳を塞ぎたかった、モニターを消したかった。しかしそのどちらも出来なかったし、してはならない事だった。だから、はやてはただ耐えるように自分の身体を強く抱いた。

『確かに、闇の書を恨まなかったと言えば、嘘になるだろう。皆が悲しんだ。本当に悲しいことだった』

 そうだろう。写真を見るだけでわかる。クロノは父親が好きだった。その父親を亡くして、何も憎まず何も悲しまずにいられる筈が無い。

『でも、僕はその悲しみを広げたいとは思わない。こんなはずじゃなかった。そんな悲しみから多くの人が救われればいいと願っている』

 その言葉は胸に痛い。彼は自分の言葉を守り続けている。自分とは違う。罪を償うと言いながら、その罪もわからず、償えない自分とは違う。

『そして、はやてとその守護騎士達なら、多くの者が救えると思った。僕では救えない悲しみも、はやて達がいれば救えると思った』

 どうしてそんな風に思ってくれたのだろう。自分の親を殺した者達に、自分の悲しみを生み出した者達に。

『君も知っているだろう。守護騎士達ははやてを救った。はやては守護騎士達を救った。無くならない呪いも、止められられない悲しみも救われた』

 クロノが言葉を切る。なんと言うつもりなのかはやてには検討もつかない。

『こんなはずじゃなかった。そんな悲しみを無くすことが出来たんだ。僕の願いと君の誓いのように』

 そうじゃない。私はただ、自分のために救いたかっただけ。彼のように崇高な願いなどではない。

『……違う』

 エレナの声が聞こえる。その声には深い怒りが込められていた。

『違う違う違う!!!奴らと私達は違う!!奴らは自分達のためにそうしただけだ!!呪われた自らの身を開放するために!!それは今も変わらない!!罪から開放されるためだけにそうしただけだ!!』
『それこそ、こんなはずじゃなかった事だ。僕はそれを救いたい。彼女達にもそうしてもらいたい』

 ああ、そうだ。確かに救いたいと思う。もし闇の書が引き起こしたような悲しみがあるのならば確かに救いたい。彼の願いのように救いたい。でも、でも、でも。

『だが、仮に奴らが何かを救ったとしてそれで罪が償われるわけではない!!奴らの罪は償い切れない!!多くを救ったとしても、それまで奪われた者は決して奴らを許さない!!そうだ、誰も許しはしない!!許しはしない!!!!許しはしない!!!!許しは、しない!!!!』

 その通りだ。罪を知ることも出来なかった自分を誰が許すと言うのだろうか。
 許されない。
 許される筈が無い。
 誰も許さない。誰も、誰も、誰も、誰も。
 誰も────────────。











『僕が許す』



 その言葉にはやては顔を上げた。

『な………』
『誰も彼もがその罪を許さなかったとしても、僕は許す。償い切れない罪なのかもしれない。償いの方法は誰からも認められる方法ではないのかもしれない。でも、それで多くの悲しみが救われるのなら』

 目を逸らし続けたモニター。顔を上げたはやてはそのモニターに写る少年の姿を凝視した。強い決意を瞳に宿した少年は迷いの無い答えをもう一度言った。

『僕は闇の書の罪を許す」

 その答えは確かにはやてに届いた。その答えを胸に宿したはやては自問する。

 自分は、何をしているのだろう。罪を償うと決めたのに、その罪に膝を抱えて怯えて、何をしているのだろう。

 自分は、このまま罪を許すと言った少年が、自分を断罪しようとする少女を、止めてくれるのを、待つつもりなのだろうか?

「────あかん」

 それだけは。それだけは許される事ではない。誰か許そうとも、彼が許そうとも、それだけは自分が許さない。
 はやてが立ち上がる。未だ罪の意識は変わらないが、彼の言葉がそれを軽くしてくれた。だから膝を抱えたままでいる理由などなかった。
 いつの間にか流れていた涙を拭う。涙はまだ流れそうだったが、今は泣く訳にはいかなかった。

『だだっ子はご友人に嫌われます……聞き訳を我が主』

 別れ際に言われた言葉を思い出す。あの少女にまた向き合うのは怖い。また罪を突きつけられたらと思うと震えそうになる。でも、それは自分が受け止めて背負わなければならない事なのだ。嫌だから、怖いからといって我侭を言って彼に甘えるわけにはいかないのだ。

「嫌われとうないよね」

 首から下げた十字剣を握る。残された彼女の欠片。いつだって彼女は自分の側にいるのだ。言われた言葉に頷くように瞳を閉じる。

「行こう、リインフォース」

 瞳が開かれる。その時にははやては罪に怯える少女ではなく、夜天の王として決意と騎士甲冑を纏っていた。








 ジャッチメントが小刻みに揺れる。震えが止まらない。腕だけでなく全身の震えが止まらない。わかっていながら、エレナにはその震えを止めることが出来なかった。
 罪を許すと言った少年が昔と変わっていなかった。彼の願いは悲しみを無くす事。闇の書の事ですらその願いのうちにある。闇の書を裁く。そんな事を彼は誓ってはいなかった。彼は変わっていない。彼を知る自分がそう告げていた。

「…………お」

 だとすれば、あの裏切れられたと思った気持ちはなんだったのだろうか。彼が変わっていないとするなら、変わったのはなんだったのだろうか。あの誓いを裏切ったのも、彼を裏切ったのも、変わってしまったのも、全ては────────────。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 認めるわけにはいかない。そうすれば今までの全てを失う。もう、あの誓いは失われた。失ってしまった。だから、自分に残っているものを失わないために戦う。もう自分にはそれしか残されていなかった。
 激情そのままに射撃魔法を撒き散らす。狙いなどつけてはいない。ただ、感情を表すように出鱈目な攻撃を放ち続ける。
 クロノにそれをあっさりと回避されてもエレナは射撃魔法を放ち続けながら接近する。無駄な魔力消費である。だが、エレナは自分の身の内にあるものを削らずにはいられなかった。
 クロスレンジに距離が縮まるとようやく射撃魔法の発動を止める。そのままエレナはクロノに突撃すると、身体ごとぶつかる勢いでジャッチメント専用の近接魔法パイルバンカーを放った。
 パイルバンカーは強力な近接魔法ではあるが、本来はバリアの貫通を目的としており、本来は防御魔法を展開して動きを固定させた相手に向けて放つ魔法である。いくら突き出される先端に威力が篭っていようと当たらなければ意味が無く、真正面から拳と同じ軌道で放たれるそれをかわるのはクロノにとって困難なことではなかった。
 クロノが跳ね上がるようにしてパイルバンカーの軌道から姿を消す。目標を失った先端から放たれた衝撃波は空間を揺らがせた。

「ちっ!!」

 かわされた事に苛立ちを隠そうともしないエリスはクロノの姿を探して顔を上げる。

「─────な」

 そしてその姿を見つけた愕然とした。
 クロノの姿はすぐに見つかった。真正面の視界の少し上、そこから逆さになったまま静止してデュランダルをこちらの眼前に突きつけていた。
 パイルバンカーにはその構造故に一つの欠陥を抱えていた。取っ手側の先端を高速でスライドさせて相手を貫く近接攻撃。その可変機能のために放った後、形状が元の状態に戻り、魔法の残照を吐き出すという終了のための処理を行うまでデバイスとしての機能を一旦停止させる。
 その一瞬の機能停止。回避から最短動作での切り返し。それに対する驚愕。
 クロノが魔法を叩き込むには十分すぎる隙だった。

『Stinger Ray』

 ほぼ零距離からスティンガーレイ。放たれた光弾に撃ち付けられながらエレナは吹き飛ばされていく。吹き飛ばされながらも光弾が十発ほど着弾したところでその射線上からなんとか逃れた。

「く、ぁっ!!」

 射撃魔法とは言え、零距離からの直撃を受けたにも関わらずエレナは意識を留めていた。驚嘆すべき身体と精神だが、受けたダメージは隠し通せなかった。痛みが走る身体を支えるのが精一杯だった。だから、クロノが発動の遅い大出力魔法を詠唱していることに気づいても動くことが出来なかった。
 クロノの頭上には五十ほどの魔力の刃が精製されていた。そのいずれも先に放った氷結魔法の術式を組み込んだスティンガーブレイドだ。温度変化魔法の特性として氷結魔法は通常のバリアでの防御が非常に困難である。あれだけの数を撃ち込まれたら今の自分では回避も防ぐことも不可能だ。その客観的事実にエレナは歯を鳴らした。
 クロノがデュランダルを振り上げる。それの応じてすべての魔力刃が一回転した。あとは発動のためのヴォイスを紡げば、エレナに向かって氷結の刃が放たれるその瞬間。



「待って。クロノ君」



 彼女の声が響いた。
 クロノもエレナもお互いに戦っていた相手のことも忘れてその声の方を向く。そこには白の騎士甲冑を纏った少女がいた。

「はやて」
「八神、はやて」

 クロノとエレナがその少女の名を呼ぶ。それに答えるようにはやては魔法を停止させたままのクロノに近寄った。

「クロノ君、私に戦わせて」
「はやて」
「今更かもしれない。遅すぎるかもしれない。でもこれは私が向き合わなきゃあかんことやから」

 はやてはクロノの瞳を見る。少し心配げの瞳だ。対してはやての瞳を見たクロノはその瞳に強い決意を感じ取った。

「だから、お願い。私に戦わせて」

 クロノは考える。エレナは確かなダメージを受けてはいるが前線で戦い続けた執務官である。魔法を習い始めて半年ほどのはやてとは経験の差が大きい。それは両者の間にある魔導師としてのランクを埋める事を十分に可能にする。わざわざトドメをさせる相手を譲って、敵の狙いであるはやてを戦わせるのは得策とは言えない。
 けれど、執務官としても彼女の友人としても、罪と向き合おうとする少女の決意を邪魔する事を選ぶ気になれなかった。
 クロノはデュランダルを肩に担ぐと唱えていた魔法を解除する。クロノの頭上に掲げられていた魔力刃が掻き消えた。

「クロノ君」
「はやて。敵は直線的だ。それを読め」

 はやてが戦闘に集中できるよう、最低限の助言を告げるとクロノは後方に下がった。その行為に感謝してはやては笑った後、表情を引き締めてエレナに視線を送る。
 エレナは身を震わせていた。屈辱と怒りからだ。結果として、エレナははやてのおかげで今を救われた。そしてクロノは相手をはやてに譲った。これ以上ない屈辱と怒りだった。

「八神、はやて」

 闇の書の主。クロノが救った少女。エレナにははやてがクロノの願いの象徴に見えた。

「貴様がああああああああっ!!」

 全てが変わってしまったのはこの少女のせいだ。そう責任を押し付けて、エレナははやてに向かって突撃する。牽制など放たない。一撃を持って粉砕する。そう誓って距離を詰める。
 対してはやては接近するエレナに合わせる様に前に加速した。前回の戦いで自分の近接攻撃に対して為すがままにされていたはやてが前進して来た事にエレナは虚を突かれた。その虚の間にはやてが先手を打った。

「シュヴァルツェ・ヴィルクング!!」

 魔力を宿した鉄拳がカウンター気味に放たれる。咄嗟にエレナは防御魔法を展開。はやての拳と障壁がぶつかり合う。

「ぐううっ!?」

 宿された魔力の圧力が半端ではなかった。その圧力に押されて身体を痛めたエレナが呻く。圧力は増し続けている。防御魔法が身体と共に悲鳴を上げていた。

「いっけええええええ!!」

 はやての拳が振り切られる。同時に障壁を突破されたエレナが大きく後方に吹き飛ばされる。そこに追撃をかけるようにはやてがブラッティダガーを放つ。体勢を立て直しきれないエレナに八本ある魔力の短剣が三本ほど直撃する。

「く……そっ!!」

 体勢を整えると同時に砲撃魔法を展開。得意ではないとは言え高い魔力を伴った砲撃が放たれる。対してはやては防御魔法パンツァーガイストを展開、砲撃を真っ向から受け止めた。爆炎が晴れると揺るがず動じないはやての姿があった。

「おの……れっ!!」

 怒りと共にはやてを睨みつける。だが、彼女の瞳は揺るがない。むしろ、その瞳を見た自分のほうが気圧された。それを否定するためにエレナは言葉を突きつけた。

「罪人……がっ!!」

 言葉は揺らいでいたが、苛烈さはそのままだった。だが、はやてはその言葉を静かに受け止めた。受け止めて静かに自分の答えを返した。

「確かに、私は罪人です。闇の書の罪を背負った夜天の王です」

 静かな声だった。だが、その決意の篭った声にエレナは身を強張らせた。

「その罪は償いきれないかもしれません。許されないのかもしれません。でも」

 少年から貰った許しを胸に、はやては自分の決意を語る。

「それでも、償おうとすることで何かが救えるならそれを救うことを許してください。罪を許せなくてもそうすることを許してください」

 その決意に願いを込めて。

「私も救いたいんです。私を救ってくれた人がそうしてくれたように、こんなはずじゃなかった悲しみを」

 自らの贖罪の形を告げた。

「………」

 エレナは動かない。動けなかった。はやての言葉に身を凍らされた。
 はやての言葉はあの願いと同じだ。悲しみを救いたい。そう語った少年と同じ言葉。自分が守れなかった誓い。
 それを、断罪するはずの少女に誓われた。

「ああああああああああああああっ!!」

 身を縛る心の重圧を叫びを上げて振り払う。自分は道を違えたとわかっている。わかっていながら、エレナは尚もはやてに襲い掛かる。自らの過ちに気づいた心から目を逸らすために、目の前にいる少女に八つ当たりをした。
 乱雑に放たれる射撃魔法。それがはやての身をかすめるが、はやては気にも留めず腕を天に掲げた。その手の平に巨大な魔力が発生する。

(撃たせるものか!!)

 加熱して理性を保てない頭でエレナは心の中で叫んだ。口はもう意味の無い叫びを上げていて、その言葉を発する事が出来なかったからだ。
 最大加速ではやてとの距離を詰める。狙うは心の臓。そこをパイルバンカーで貫き、間違いなく息の根を止める。もう五秒足らずで間合いに入る。エレナはジャッチメントを握った右腕を大きく振り被る。
 そして、振り被った構えのまま、動けなくなった。

「──────な」

 その事態に加熱した頭が一気に冷めた。腕を足を腰を。全身を絡め取る魔力の鎖。エレナはそれがなんなのかを知っていた。

「ディレイド……バインドッ!?」

 ディレンドバインド。魔法を仕掛けた特定空間に侵入した対象を捕縛する拘束魔法。そして、その使い手はエレナのよく知る少年だった。

「そや。クロノ君直伝や」

 どこか誇らしげにはやては言った。クロノに言われた通りエレナの直線的な動きを利用したのだ。そのはやてを見上げたエレナの眼前に巨大な魔力球が突き出される。

「デアボリック・エミッション」

 炸裂し広がる光。エレナの大きく見開いた目が光に覆いつくされる。そうして、襲ってきた衝撃にエレナは意識を飲み込まれた。









 視界を薄暗い空が覆っていた。どうやら、もうすぐ夜のようだった。そこに思い至ってからエレナは自分が倒れていることに気が付いた。
 すぐそばに人の気配がある。それに釣られるように上体を起こした。それだけの動作で身体はズキズキと痛んだが、大して気にも留めず気配のするほうに顔を向けた。
 すぐ近くにクロノが立っていた。その後ろには邪魔にならないように距離を取ってはやてが控えていた。背後の光景を見ると桜台のようだった。よくもここまで吹き飛ばされたものだ。

「倒されたのか、私は」
「ああ」

 その事実をエレナはあっさり受け止めた。単に自分が思ったことを確認しただけだった。もう苛烈な激情も凍てついた心の痛さも敗北と共に消えうせた。
 だが、まだ命はある。
 エレナは錆び付いた機械のような動作で、ジャッチメントを杖にして立ち上がる。足ががくがくと震え、支えが無くては立つことも危ういような状態だった。

「エレナ」

 強くは無い。だが確かな意志を込めた瞳をするエレナにクロノが呼びかける。

「僕はまだ君の答えを聞いていない」
「………答え?」
「君は本当に復讐を望んでいたのか?」

 一瞬の間があった。問われたエレナは躊躇うように静かに語り出した。

「私は、闇の書に復讐しなくてはならない」
「それは何故だ?」
「私に、付き従ってくれた者達に応えるためだ」

 『闇の書に復讐したければついてこい』。それが彼らを旗下に誘う時に言った言葉だった。彼らは自分の父のために彼らは本来歩むべき未来を失った。自分はそれを背負うべき業として、彼らを導きたいと思った。
 だが、その背負った業はいつしかかけがえの無い絆になった。きっかけはなんであれ、ともに歩んできたこの四年間。導こうとした彼らにどれだけ救われただろうか。苦難もあった。挫折もあった。衝突もあった。けれどそれらを包み込むほどのの喜びがあった。楽しいと、自らが過ごした時を誇ることが出来る四年間だった。
 けれど、その絆が自分の中で大切なものに変わる間、消すことの出来ない負い目があった。それは、きっかけとして彼らの復讐心を煽って自分の旗下に入れた事。それはいつしか果たさねばならないという強迫観念に変わっていった。絆が深まるのと一緒に大きくなっていった恐れ。その葛藤の中に彼女は常にいた。
 そんな中だった。闇の書がクロノの手によって屠られたと聞いたのは。

「『私達』は闇の書に復讐すると誓った。その誓いの下、従ってくれた彼らの思いを無下にする事は私には出来ない」
「つまり、君は」
「闇の書を憎んでいないと言えば嘘になる。だが私はそんな物の事を考えなくても生きて来れた。ただ、彼らの思いを守るためにはそれしかなかった」

 そう、エレナははっきりとした答えを語った。
 自分の父親を奪った魔導書。それによって変えられた未来。それを多くの人が救ってくれた。
 自分の子供にしてくれると言った提督。
 遠慮の無い愉快な友人。
 自分の抱いてくれたあの人の妻。
 いつしか笑顔で笑いあうようになった部下達。
 そして、目の前にいる誓いを立てた少年。
 だから、エレナは復讐を望む事無く生きてこられた。そうすることよりも大切なものが出来たのだ。
 けれど。

『私達の復讐は果たせないのですか?』


 その言葉に葛藤した。揺れ動く想いがあった。過去の誓いと今の絆。その狭間で揺らいだ彼女が選んだのが、この戦いであった。

「だから、私は」

 自分を支えるジャッチメントを力の限り握る。小さくも残った確たる信念を宿してクロノとはやてを見る。そうして、ジャッチメントを構え直して、自らの足で立った。力はなくもけっして弱くは無い姿だった。

「エレナ。もう止まれ」

 そのエレナにクロノが歩み寄る。どんなに虚勢を張ろうとももう彼女には戦う力が残っていないことをクロノは理解していた。

「もうこんな事は誰も望んでいない。何より、君自身が望んでいない。もう認めてもいい筈だ。自分が間違えたことを。それに気づいたのなら正すべきだ。罪を償おうとするように」
「……八神はやてのようにか?」
「どう正すかは君次第だ」

 その言葉にエレナは構えたジャッチメントを下ろした。そうして歩み寄ってきたクロノを見上げる。項垂れたような体勢だったため、彼の頭の方が高い位置にあった。それを差し引いても身長が伸びたと思う。伸びているとわかっていながら追いつかれるはずがないと思っていた身長差が変わっていた事にようやく気が付いた。
 何もかもが変わらないわけではない。それと同時に何もかもが変えられないわけではない。誓いを曲げてしまったこの過ちも何かに変えることが出来るのだろうか。

「クロノ・ハラオウン」

 エレナが静かにクロノの名を呼び。





 ジャッチメントをクロノに突き刺した。






「──────な」

 誰も彼もが凍りつく中、最初に驚きを発したのは突き刺した当の本人であるエレナだった。
 何が起こっているのかわからない。わからないが、クロノのわき腹にジャッチメントの先端が突き立てられているという光景が目に映る。それだけが事実として認識できた。それを自分がしたという認識は出来なかった。
 クロノも何をされたのか認識するのに時間が要した。エレナにはさっきはおろか、なんの気も気取れなかった。ただ、腹にめり込む冷たい感触と熱いモノが零れていく感覚に何をされたのかを理解する。

「ぐっ!」

 クロノの呻き声にようやく我に返ったエレナがジャッチメントを引き抜こうとする。だが、腕は石になったように動かない。それどころかさらに埋め込むようにジャッチメントをクロノの腹に押し込んでいく。クロノがその手を掴むが押し返すことは出来なかった。

「これは……一体っ!?」

 その疑問に答えるように穏やかな口調の念話が繋がった。

『こうなりましたか。まあ、予想内の結果ですけど』
「クレア!?」
『はい、私ですよ。隊長』

 狼狽するエレナとは対照的にいつもと変わらない口調でクレアが話す。

『あ、動こうとしても無駄ですよ。今隊長の身体は私がちょちょいと操ってますから』
「貴様……なんのつもりだ!?」
『なんのつもりもただ私の目的を果たしたいだけですよ。あ、言っておきますけど復讐なんかじゃないですよ?』
「なん、だとっ?」

 目の前の出来事とクレアの言動に困惑するエレナに内緒話をするようにクレアが楽しげに言った。

『だって私は親族知り合い含めて闇の書に何かされたわけじゃないですから。復讐なんて出来ませんよ』
「な」
『あんな作り話をあっさり信じてくれるんだから、隊長って本当に優しい人っ』

 酷く悪意に満ちたからかいの声だった。その声に割り込むように怒気を孕んだ声が響いた。

「クレア・アンビション。君が、黒幕か」
『そそのかして利用しただけですよ。でもその様子だと検討がついていたみたいですね?』
「君には、不審な点がいくつもあった」

 調べていてわかった事だった。
 エレナの部下である『ナイツ』の内、三人は十二年前から管理局入りしていたので、データが削除されていてもその足取りを追うのはそれほど困難ではなかった。だが、一人だけ管理局入りする前後の足取りがまるで掴めない者がいた。それがクレアであった。
 クレアは十二年前の時点では管理局入りしていない。出来る年齢ではなかった。なら、親族かそれに近い人物が事件の犠牲者になったかと思ったがそれに該当するような人物は見つけられ無かった。
 また、エレナとナイツが使っているデバイスの開発をしたのはクレアだった。装備課の研究室を借りていた記録が残っておりエイミィの後輩であるマリーからそれを受け取った。その記録からクレアは独力でそれらのデバイスを作り上げた事が判明した。クレアは士官学校の出ではなく、直接管理局入りを果たしている。デバイスの専門的な知識は生半端な事では身につける事は出来ない。それらの知識をどこで養ったというのだろうか?
 そもそもその作り上げたデバイスがおかしかった。一般的にミッドチルダのデバイスは杖、またはそれに近い形状をしている。にも関わらず、クレアの作り上げたデバイスは一つの魔法に特化した専用デバイス。そのために、靴や盾といったその魔法に適した形状をしている。またカートリッジシステムを搭載している事も不審だった。このシステムを搭載しようとする研究者はミッドにはそうはいない。ジャッチメントにしても、カートリッジシステムこそ搭載していないものの、近接戦に向いた形状にストレージデバイスながら魔法の発動のための可変機構を有している。その設計思考はミッド式ではない、『別のもの』に近かった。
 また、クレアは例外的に自分から志願してエレナの旗下に入った部下だった。元々、ナイツとはエレナがリンカーコアに障害を持った三人の部下達に贈った呼称。そこにわざわざ闇の書との接点が見えない者が志願した理由が見えなかった。
 不審と言えば不審。だが確証は得られなかったクレア・アンビションの調査結果だった。

「何が、目的だ」

 疑問をぶつける。答えは期待していなかったが、クレアはあっさりと白状した。

『八神はやて。その身体です』
「なんの、ためだ」
『あの闇の書の主に選ばれた少女です。さぞかし、融合型デバイスに適した体なんでしょう。闇の書の残した知識も研究のためにぜひ手に入れたい』
「融合、デバイス?」

 意外な単語に意表を突かれる。クレアは自慢をするように説明を続ける。

『ええ、私は滅び去った民の技術を受け継ぐ一族でして。その復興を目指しているのですが、その行きつく先が融合デバイスなんです。ありとあらゆるデバイスの頂点となる究極の一つ。それが私の目的です』

 クレアの言葉を断片的に紡ぐ。
 滅び去った民、融合デバイス、カートリッジシステム、デバイスの知識、ミッドとは異なるデバイス、闇の書。
 点と点を繋いで線にするとそれらに共通する物が浮かび上がる。推論でしかないがクロノは言った。

「君はベルカの生き残りか」
『わぁ、凄い。ご明察です』

 念話ごしにパチパチと拍手が響いた。ひどく耳障りだった。

『まあ、そんなわけでわたしは八神はやてが欲しいんです。もっとスマートに行きたかったんですが』

 念話では相手の表情はわからない。だが笑っているとわかるような声でクレアは言った。

『強硬手段です』

 瞬間、ジャッチメントの先端が突き出された。クロノの身体が大砲の弾のように凄まじい勢いで林に突っ込んでいく。進路にある木々をなぎ倒しながら吹っ飛んでいく様はそれこそ砲弾のようだった。

「クロノ君!?」

 それまで状況を理解できず、動けずにいたはやてがクロノが吹き飛ばされた方向に向かおうとする。だが、それをエレナが上げた悲鳴が止めた。

「あ、ああ、あああ、あああああああああああああああっ!!」

 その様子をモニターから満足げに見るクレアがまるで腕が何本もあるかのような速さでパネルを操作していく。

「融合デバイス『キメラ』起動。管制制御を主人格からオフィサーに移行」

 パネルの操作とともにエレナの悲鳴が高くなる。

『補助デバイス『キメラAH』及び『キメラS』転送』

 そのエレナの左腕に盾が、両足に金属靴が装着される。その色はエレナの髪の色が濁ったような赤銅色。

『さ、隊長。あなたの両親も研究していた融合デバイスの成果。ご堪能下さい』

 エレナは知る由もない。
 自分の両親が研究していた議題は、失われた技術の再現。その内容に融合型デバイスが含まれており、その実験によって母親が亡くなった事を。そしてエレナは父親を融合型デバイスである闇の書のために失った。
 クレアは融合デバイスの研究データを調べる過程でエレナという少女の存在を知った。おそらく闇の書に最も近い少女、故にクレアはエレナに近づいた。管理局と言う環境も情報が集まりやすいと踏んだためでもある。それからエレナと行動を共にする間に残された研究データと自分自身の知識を合わせて融合デバイスを作り上げた。エレナと融合デバイス。その皮肉な巡り合わせにクレアは笑う。
 エレナの悲鳴が止まる。それと同時に短く揃えていた赤い髪が腰に届くまで伸びる。頬や首に絡む赤い髪はまるで血を流しているかのようだった。

『Freilassung(開放)』

 エレナが身につけた首輪に埋め込まれた瞳が鈍く輝いた。





続く
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