リリカルなのは SS

                      夜天の誓い
                     最終話 約束

 その家族は極めて普通の家族だった。両親は時空管理局という大きな組織の重役についていたが、両親は一人だけの息子を愛していたし、子も親を慕った。だからその家族はなんの変哲も無いささやかな幸せを持っていた普通の家族だった。
 父親は仕事が忙しくよく家を空けていた。それでも息子は父親が大好きだった。父親が帰ってくる日はどんなに遅くなっても眠らずに帰ってくるのを待っていた。何度も何度も眠い目を擦って、日付が変わっても眠らずに待った。そうして待ち続けて玄関の扉が開くと、息子は眠気を吹き飛ばして駆け出して帰ってきた父親の足にしがみ付く。父親は自分を待ってくれた息子を撫でると抱き上げてくれた。そうされることが大好きだった。
 夜遅くまで帰りを待った時、両親の似顔絵を描いた時、草原で転んでも泣かなかった時。父親は褒めてくれる時は抱き上げてくれた。だから息子は抱き上げてもらえるようにずっと頑張ってきた。
 その日も、そうしてもらいたくてずっと父親の帰りを待っていた。チッチッチと秒針が進む音を父親の帰りが近づいてくる音だと思ってずっと待っていた。秒針ではなく全ての針が十二時を回って日付が変わる。これくらいはいつもの事だと息子は待ち続ける。
 一時。
 二時。
 三時。
 どれだけ時計が回っても息子は待ち続けた。むしろ時計の針が進むだけ、父親が待ち遠しくて眠くなどならなかった。
 そうして自分にはまだ大きすぎる椅子に座って足を振っていると母親がやってきた。

『もう、遅いから、眠りましょう?』

 息子は首を横に振って嫌だと言った。ずっと待っていた分、ずっと褒めてくれると思った。高く抱き上げてくれると思った。だから嫌だと言った。
 母親はそういうとわかっていた。父親に似て頑固な所がある息子が父親が帰ってくる時の夜更かしを止めたのは最初だけだった。それでも、母親はもう一度言った。

『もう、遅いから、眠りましょう?』

 息子がまた嫌だと言って首を振る。それを見た母親は堪えきれずに息子を抱きしめた。急にそんな事をした母親に息子はようやく様子がいつもと違うことに気が付いた。

『あのね、クロノ』

 抱き締めた息子の名をすがる様に呼ぶ。全身を震わせながら、自分でも認めたくない事を、口に出して息子に伝えた。

『父さん、もう、帰って来れなくなっちゃたの』

 その言葉は幼いクロノにはなんだかよくわからなくて遠い言葉だった。







 それから数日が過ぎるとたくさんの大人が黒い服を着て、家にやってきた。皆が皆、写真に写った父親を見て涙を流して、父親のために作られたらしい、まだ難しくて読めない文字が書かれた石の前でも涙を流した。



『なんでこんなことに』


『死んでいい人じゃなかった』


『まだ教えてもらいたいことがあった』


『どうしてこんな最後を』


『こんな別れなんて』


『こんなはずじゃ、なかった』


 多くの人が嘆いていた。多くの人が別れを告げていた。多くの人が悲しんでいた。
 それを見て、クロノはなんとなくその悲しみを知った。もう会うことが出来ない。皆、それを悲しんでいると思った。
 もう会えない。それを思うと涙が出そうになった。優しく頭を撫でてくれない。笑いかけてくれない。高く高く抱き上げてくれた父親にはもう会えないと知ると涙が出そうになった。
 でも、泣かなかった。父親は転んでも泣かなかった時、褒めてくれた。痛くてもつらくても泣かないでいると褒めてくれた。だからこの時も、泣かなければ褒めてくれると思った。
震える小さな拳を握って、歯を食いしばって、それでもクロノは涙を流さず、顔を上げていた。
 そうして悲しむべき悲しみを押し込めた子供はそのまま成長していくことになる。
 自分を押し込める少年。自分を置き捨てる少年。自分を殺し続ける少年。

 その歪んだ在り方に気づいている者は少ない。







 エレナ・エルリードが起こした、名もつくことのなかった事件から五日間が経った。事件発生から五日間のスピード解決。それほど多くの人員を動員することのなかったので上層部はそれなりに満足していた。だが、局員が事件を引き起こしたという不祥事に対しての議論は続けられている。それに参加させられているリンディは『早く翠屋のお茶が飲みたい』と愚痴った。
 事件の焦点は主犯であるエレナ・エルリードではなく、管理局ですら有していないデバイスの技術を持っていたクレア・アンビションに置かれていた。未完成とは言え、融合デバイスを稼動させた技術。専用特化デバイスにカートリッジシステムの使用。それらの技術を持ったクレアは危険視され、重く深い牢獄に捕われる事になった。
 一方のエレナだが、はやてを殺害しようとした行為については当の本人から訴えがなかったため、無罪とは言うほどではないがそれほど重要視されず、彼女の罪はほとんど管理局のデータベースの改竄を行ったことだけになっていた。エレナの部下であるクレアを除いた『ナイツ』の三人もほぼ同様である。それでも数年の懲役は免れないが、犯した事に比べればずっと軽い処分だった。
 そんな経緯もあったためだろう。はやてが申し出た申請は思いのほかあっさりと通った。
 はやてにとって大きな事件が終わって五日。
 はやてはエレナと面会することになった。








 空気がピリピリしている。はやては口の中が緊張でカラカラになるのを実感していた。そわそわとしような身体を、車椅子の肘掛をぐっと握ることで我慢した。
 対するエレナはまだ傷が癒えていないらしく、あちこちに包帯やら絆創膏をつけており、なんとも痛々しい姿をしていた。その姿でズンと居座るように腕を組んでいるのだから威圧感を感じるのは無理がなかった。
 それでもはやてはおそるおそる尋ねる事から会話を始めた。

「あの、身体の具合はどうです?」
「見ての通りだ。死ぬ程でもないが無事でもない。こうしているだけでズキズキ痛むし、リンカーコアも回復していないから魔力が身体を通らなくてスッキリしない」

 思いのほか、多弁なエレナにはやては逆に戸惑った。なんと返すべきか迷っているとエレナが話を続けた・

「聞けば、ずいぶんと派手に倒してくれたそうだな?話を聞いていると生きているのが不思議なくらいだ。そんなに私が憎かったのか?」
「い、いいえっ!そんなことは!」
「わかってる。お前はそんな奴ではなさそうだ。冗談だから慌てるな」

 それは冗談としては性質が悪過ぎる。そう言いたかったが、言って気を悪くさせるのも嫌だったのではやては口を噤んだ。それを見てエレナは落胆したようにため息をした。

「なんだ、不満があるなら言ってみろ。なんでもいいから話さないと会話が続かないではないか」
「あれ、会話のつもりだったんですか!?」
「無論だ。それ以外何がある」

 何と聞かれても困るが、あれを会話と呼ぶにはどうにも一方的だ。山なりのボールを投げるこちらに対して剛速球で返してくるのは会話のキャッチボールとは言いがたいだろう。

「あの、私そういう用で来た訳じゃないんです」
「では何の用だ、八神はやて」

 エレナの目つきが変わる。それで弛緩していた空気が再び張り詰めた。
 針のような視線が刺さる中、はやてはまず聞きたい事を聞いた。

「あの、出所したらどうするつもりですか?」
「出所したら?」
「はい。早くても三年くらいって聞いてますけど」

 その問いは考えてもいなかったらしい。エレナは実に気難しい顔で考え出した。

「………見当がつかん。仕事が楽しかったからな。それが出来なくなった時の事など考えていなかった」

 その答えにはやては思わず瞬きをした。ガラス越しに会話するこの人物はもっと理知的な人かと思ったが実に短絡な答えが返ってきたからだ。この様子だと今回の事件が別の形で終わったとしてもその後先など考えていなかったのかもしれない。

「それで、何故そんな事を聞く?」
「……その、実はエレナさんに頼みたい事というか、私の我侭聞いてもらいたいと思うて」
「頼み?」

 問い返された言葉にはやては大きく頷いて、願いを込めて言った。

「出所したら、また管理局に戻って欲しいんです」
「………何?」
「見てもらいたいんです。私とあの子達の罪の償い方を」

 罪を起こした事は消える事はない。背負った罪の大きさは償いきれないものかもしれない。それでも、許されなくても償い続ける。そうしてこんなはずじゃなかった悲しみを救っていきたい。その償い方をエレナに見届けて欲しかった。

「それで一緒に仕事とか出来たらええな、と思うんですけど………。あかんなぁ、やっぱ我侭やこれ」

 乾いた笑いを浮かべるはやて。それとは対照的にエレナは俯いて満足そうに笑った。筋違いな理由、それも自分の勝手な勘違いで命を狙われたと言うのに、その相手と仕事がしたいとはなんとも図太い奴だと思った。
 そして、とても優しい子だと思った。
 だから、清々しく答えを返した。

「そう、だな。それも悪くないかもしれない」
「……え」
「そうなるように努力してみよう。犯罪者になった局員が再び局入りするのは並大抵ではない。もしかしたら前例がないかもな。ならそれを作るのも面白い」
「エレナ、さん」
「だから待っていろ。見届けてやる。お前の償いを。」
「……はいっ!」

 はやてが笑顔で頷く。それを見たエレナが思い出したように言った。

「八神はやて。私からも頼みがある」
「頼み?」
「ああ、聞いてくれるか」
「ええですけど、何ですか?」

 エレナがどんな事を頼むのか見当もつかなかったが、自分の我侭を聞いてくれた相手の頼みである。出来ることならなんでも受けようと思った。

「クロノ・ハラオウンを頼む。あれはああ見えて危うい所がある。お前が支えてやってくれ」
「え?支え……?」
「本当は私が支えてやりたかったがな。どうやら役不足のようだ。だからお前に頼みたい」

 なんだか実に感慨深そうに語る。その姿にはやてはしどろもどろになって聞く。

「あ、あのエレナさん?なんや、変なこと言ってません?」
「変とは?」
「だから、その、私がクロノ君を支えるとか、なんとか……」
「ずっと支えてやればいいだけだ。それ以外何がある?」
「だ、だから!その、私とクロノ君がそ、そういう仲みたいな言い方です!」

 ほとんど叫びに近いはやての言葉にエレナは顔を顰めて呆れるように言った。

「八神はやて。同じ男に惚れた者同士だ。隠し事などするな」
「ほ、惚れっ!?」
「……違うのか?」
「違います!私とクロノ君はそんなんじゃ、それになんですか、その惚れた者同士って!?」
「私があいつを好きだったという事だ」
「な」

 絶句するはやてにエレナは構わずに語り続ける。後悔のような、誇り高いような、そんな思い出を語るように。

「強いあいつが好きだった。挫けないあいつが好きだった。隙が無い様で抜けた所があるあいつが好きだった。大人びているくせして子供のままな所があるあいつが好きだった。自分を曲げないあいつが好きだった。それを奪われたような気がして許せなかった。それも私の勘違いだったがな」

 楽しげに語るエレナ。その笑いはまだはやてに理解できる笑いではなかった。

「まあ青春の甘酸っぱい思い出という奴だ。今にして思えば、もっと素直になるべきだったと言えるがな」

 その甘酸っぱい思い出とやらを聞かされたはやてはあうあうと唸る。そんな告白をされても何を言えばわからず、恥ずかしさがこみ上げるばかりだ。

「まあ、それはどうでもいい。とにかく頼まれろ、八神はやて」
「だ、だからっ!」
「あれだけの男が身体を張ったのだ。何かあってしかるべきだと思うが」
「何も、ありませんっ!」

 叫ぶはやての思考はもうパンク寸前だった。

「それにクロノ君、あんぐらいの無茶はようやるし!だから、何でもないんです!」
「そうか?そうだな。確かにそんな所はあるな、あいつは。うむ、なら八神はやて。約束はしなくてもいい。変わりに忠告を聞け」

 その言葉を言ったエレナの顔はこれ以上ないくらい楽しげで、はやてにとってとても意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「早く素直になった方がいいぞ。あれだけの男だ。目をつけている奴はいるだろうから早くしないと奪われるぞ」









 面会を終えたはやてが本局の廊下を車椅子で渡っていく。時折擦れ違う人がはやてを振り返るがそれはぶちぶちと何か呟いていたからだ。

「だから、べつに、私は、何も、何にも、別に、だから」

 先ほどから同じ言葉を繰り返している。けれど、肝心な言葉は出てこなかった。

「別に、お仕事やから、そういう事でなくて、クロノ君は」
「僕がどうかしたか?」
「わひゃあっ!?」

 突然かけられた声にはやてが車椅子ごと飛び上がらんばかりに驚いた。声をかけたほうもその様に若干驚いた。

「ク、ククク、クロノ君!?なんでこんな所に!?」
「こんな所も何もここは本局だぞ?僕がいても不思議ではないと思うが」
「あ、ああ、ああ!そ、そうやね!!その通りや!」
「……どうかしたのか?さっきも手を振っても気が付かなかったようだったし」
「そ、そうだったん!?」

 全く気が付かなかった。それほど意識を奪われていたらしい。動揺するはやてとは対照的に、クロノは落ち着いた、それでいて固い口調で尋ねた。

「エレナと面会したそうだな」
「し、知ってたん?」
「ああ、シグナムから聞いた」

 そのシグナムだが、ほとんど病院を抜け出したのも同然で戦いに参加したため、はやてに傷が完治するまで入院するようきつく言われている。フェイトなどが見舞いに行っているようだが、暇を持て余しているようだ。

「彼女は固い人間だからな。会話が大変だっただろう?」

 確かに大変だった。だがクロノが言っている意味とは全く違う意味で大変だった。あれのどこが固い人間なのか小一時間問い詰めたい。
 はやては知る由も無い事だが、本来なら人をからかうのが好きな明るい性格のエレナは過去の経緯からクロノの前では異常なまでに頑なだった。そこに両者のエレナに対する認識の違いが出ているのだった。
 その事を知らないクロノは神妙な顔のまま、尋ねる。

「ところで何を話したんだ?何か言われたか?」
「え」

 面会の時、エレナに言われた言葉がリフレインする。




『お前が支えてやってくれ』




「何にも!何にも言われなかったわ!うん!」
「そ、そうなのか?」

 じゃあ何のために面会しに行ったのか?どう見ても何かあったとしか言えない様子だがその剣幕に聞くことが憚られた。

「まあ、とにかく面会は終わったのだろう?送っていこう」

 そう言ってクロノははやての返事も待たずに後ろに回って車椅子を押す。押されたはやては振り向くことが出来なかったので何も言えなかった。

(あ、あかん。まともに顔を合わせられへんっ!)

 見えないことで感じられる気配と車椅子を押す力にクロノの存在を強く感じる。早鐘を打つ心臓を押さえるようにはやては俯いて身を縮ませた。顔はおろか髪の下に隠れたうなじまで赤くなっている。
 なんでもないなんでもない、そう言い聞かせるほど心臓が鳴る。その心臓を叩いているのは彼の言葉。

『僕が許す』

 その言葉が胸を締め付ける。締め付けられて何かが溢れそうになるのを口を押さえて堪えた。脳裏を過ぎる彼と思い出は何か別の色を伴っていた。

「──────」

 その時、突如クロノの足が止まった。どうしたのかと思っておそるおそる振り返るとクロノは顔を見たことがないくらい引き攣らせていた。不思議に思ってその視線を追うとそこには二人の女性の姿があった。局内だというのに私服姿である。

「あ、やっほー!クロスケー!!」

 女性の方もクロノに気が付いたらしく、手を振ってこちらに近づいてきた。クロノは顔と同じくらい引き攣った声で答える。

「リ、リーゼ。何故本局に?」

 リーゼ。はやてはその名前には聞き覚えがあった。確かクロノの師匠とだという双子の猫の使い魔。写真ではそれほど気にしていなかったがぱっと見ても美人といっていい二人組みだった。

「何故ってあんたの要請を受けた後の手続きだよ。元局員でもそこらへんは変わらないよ」
「とっころで、クロスケ〜」

 ニンマリ笑いながら、獲物を狙う目でクロノを見るロッテ。その様子にはやてがきょとんとしているとロッテがクロノに抱きついた。

「な、なっ!?」
「こ、こら!離れろロッテ!!人前だぞ!?」
「人前じゃなきゃいいの?」
「そういう意味じゃない!!」
「聞いてるぞ〜、クロスケー。怪我の方はどうなんだ〜?」

 言われて気が付く。クロノも結構な傷を負っていた。あれからまだ五日間しか経っていないが平気なのだろうか?

「大丈夫だから、離れろ!!」
「ふ〜ん?」

ロッテが抱きついたまま、ぽこんとクロノの腹を叩く。

「───────」

 瞬間、クロノの顔が歪んだ。なんというか(注・左手画)という感じである。

「腹えぐれて、骨も折れたんだろ〜?身体も打撲だらけ。師匠の目は誤魔化せんぞ〜?」

 言いながらクロノの身体をあちこち触る。その間も抱きついたままだ。

「こっ!?そ、そこは!?あ、やめ、いだっ!?」

 ロッテの手が這う度に呻くクロノ。

「や」

 その様子に。

「やめてくださいー!!」

 はやてが爆発した。

「やめてください!クロノ君、嫌がっとるやないですか!」

 言いながらクロノの腕を抱きつくように引っ掴む。それにきょとんとしていたロッテが対抗心を燃やす。

「ほっほ〜!あたしとクロスケを取り合おうってか?上等!それとこれは親愛の情だからクロスケは嫌がってないんだな」

 そんなことはない、そう言う間もなくクロノは左右から腕を引っ張られた。

「痛い痛い!これどんな拷問!?というかそんな引っ張られるとわき腹の傷が開きそうなんだけど!?」

 その声に事態を静観していたアリアはやれやれという表情でクロノを引っ張っているロッテの首根っこを掴む。

「はいはい、そこまでにしときなさい」
「んにゃ?」
「はやて、だよね。私たちはもう行くけどクロノのことよろしく」

 そのままずるずるとロッテを引きずってアリサが去っていく。引きずられたロッテも名残惜しい様子もなく、能天気に手を振っていた。

「…………」

 嵐のような出来事が過ぎ去って気を落ち着けたクロノははやてが腕に抱きつくようにして密着していることをようやく認識する。慌てて、離れようとするが自分を掴んだ腕は意外と力が込められていて解けなかった。

「は、はやて?」

 戸惑うクロノを余所にはやては車椅子を置き去りにしてクロノをしがみつくような体勢のまま引っ張っていき、魔力を通した足でずんずんと歩いていく。

「あ、あの。はやて?どこに行くんだ?」
「病院。クロノ君も入院や」
「いや、そこまでする必要は。こうして動けるし」
「あんなに痛がっておいて何言うとるんや」
「それにこれからエレナの裁判の事で忙しくなるんだが……」
「それは大切な事やけど、怪我を治してからな。シグナムの相手でもしてて」

 クロノを引っ張りながらはやてはエレナの言葉を思い出す。ああ、確かにクロノは危なっかしい所があるようだ。それは、もう色々と。
 クロノは自分を救ってくれた。その彼を支えられるならそうしたいと思う。………その、そういう仲とかどうとかは別にして。ともかく彼を助けたいと思う。
 だから、精一杯頑張っていこう。はやてはクロノの腕を強く握ってそう誓った。








 四年後








「全員配置についたな。作戦開始まであと十五分。それまで待機していろ」

 そう言ったのは時空管理局・巡航L級8番艦アースラの艦長であるクロノ・ハラオウン。若干十九歳でその地位に辿り着き、管理局内で知らぬ者はいないとまで言われる若き提督だ。
 その彼が指揮しているのはある犯罪組織の撲滅作戦だ。四年前に起こったある事件を境に裏社会にベルカ式のカートリッジシステムの技術が流出し、それを使った犯罪が多発するようになった。上を見れば巨大犯罪組織がその技術で大規模な武装強化、下を見れば何も知らぬ魔導師がそのシステムの制御の難しさによる危険性を教えられずにデバイスにシステムを組み込んで暴発させるなど、多くの影響を与えることになり、その数は年々増え続けていた。クロノが撲滅しようとしている犯罪組織とはカートリッジシステムによって規模を大きくした組織だ。これを叩けばシステムの流出をかなり抑えることが出来る。そして、それを行うのは八神はやてと守護騎士達のチームと『とある部隊』であった。
 はやては今、そのとある部隊の隊長と共に配置についている。作戦開始まで何か話そうかと思っているとシグナムから念話が繋がった。

『………主はやて。共に配置についた男を斬り伏せても宜しいでしょうか?さきほどから言い寄ってきてとても邪魔なのですが』
「………って言ってますけどどうします?」

 自分の部下について問われたその隊長は実にあっさりと言った。

「あれはそういう男だ。やめろと言っても聞かん。だから、作戦に支障が出ないくらいに叩きのめしてやれ。案外、タフだから平気だろう」

 それを聞いたその部下は幾分慌てた声で念話を繋げた。

『おいおい、隊長。可愛い部下にそりゃねぇんじゃ、って姉ちゃん!いきなり長物抜くのはどうかと!うおおおっ、ぎ』

 耳障りな悲鳴が聞こえそうだったので念話を遮断する。しかし今一歩遅く悲鳴の頭が聞こえてしまい、『ゃああああああああ〜………』と途切れた筈の悲鳴が耳の中に響いた。
 はやてが乾いた笑いをしていると、今度は隊長の方に念話が繋がった。彼女の部下からである。

『隊長。共に配置についている者に蹴られ続けているので、そちらにいる八神はやてに止めてくれるよう要請してください』
『あ、てめぇ、何はやてにチクろうとしてんだ!』
「何かしたのか?」
『……見えなかったので踏みそうになりました』
「お前が悪い。大人なら我慢しろ。子供好きならじゃれつかれているとでも思え」

 いや、この実に鋭いローキックはそんなレベルではない、と言う部下の抗議は隊長から念話を遮断されてので届かなかった。ちなみにその一連の念話はやてには繋がれていない。直接本人に言えばいいというのに、わざわざ自分に許可を求める辺り本当に律儀な男である。
 どこかに念話で繋げていたらしい隊長に、はやてが首を傾げているとまた念話が繋がった。今度はシャマルからだ。

『あの〜、こちらの方なんですけど、なんか凄く重い空気を放ってるんです。私、何かしましたか?それにザフィーラとは仲がいいのか険悪なのかわからない感じになってますし…………』
「って、言ってますけど?」
「あれはそういう男だ。諦めろ。もしくは慣れろ。慣れると何を思っているかわかるようになるぞ。黙っている時は大抵肯定だ。否定の時は何かしら反応はするし、YesとNoでは返せない事には答える。言えるのは以上だ」
『……はぁい』

 実にキレの悪い返答で念話が途切れた。またもはやてが乾いた笑いをしていると隊長はふと思い出したように聞いた。

「そうだ、八神はやて」
「なんですか?」
「あの約束はどうなった?」
「ちょ、今それ聞きますか!?そ、それにあれしなくていい言うとったやないですか!?」
「果たすな、とも言ってないぞ」
『………君達、作戦前だぞ。それに約束ってなんの話だ?』
「女の会話だ。男が口を挟むな」

 そう言われてクロノは口を噤んだ。だったらわざわざこちらに聞こえるように念話を繋ぐなと言いたい。
 今度はクロノに聞こえないように隊長がはやてに言う。

「どうやら、果たされてはいないようだな。まだ途中か?」
「う〜………」
「否定をしないくらいにはなったようだな」
「………意地悪や」

 はやての拗ねた口調と視線に笑うと隊長はそろそろ開始される作戦に備えて自らのデバイスを召喚した。その手に長大なトンファーのような銀というより灰に近い色のデバイスが握られる。
 そのデバイスの名は『プレッジ』と『プラミス』。『誓い』と『約束』の名を冠した二つのデバイス。
 デバイスで思い至ったのか、隊長はまたも思い出したように言った。

「そうだ、そこの小さいの」
『小さいのじゃありませんです!リインにはリインフォースという名前があるです!』
「そうか。なら、リイン。この作戦が終わったらケーキでも奢ってやろう」
『え、本当ですか!?』
「あのー、なんででしょうか?」
「それだけ可愛いのだ。愛でたくなるのは当然だろう」
『リイン、可愛いですか』
「ああ、極上だ。誘拐と言う名の犯罪に走りたくなるくらいにな」
『犯罪は駄目です!』
「ああ、駄目だな。だから終わったら存分に撫でさせろ」
『はいです!』
「よし、ならばとっとと終わらせて帰るとしよう」

 はやては懐柔される自分のデバイスの管制人格に頭を抱えた。抱えながら、これまでを思い返した。

「ほら、リイン。こっちもそろそろ準備するで」
『はいです!』

 あれから色々な事があった。大変だった事、挫けそうになったこと、受け入れられなかった事。折れそうになった時は何度もあった。それを支えたのは自分がした誓いだった。
 許されなくても償い続ける。この四年間、大なり小なり何かを救えたと思えた時もあった。それでどれだけ罪が償えたかはわからない。言えるのは、たとえ全てが償えたとしても、はやてはこの道を歩き続けると言う事だった。

「それでは行くとしよう。八神はやて」

 はやては歩いていく。誓いを胸に。

「はい、エレナさん」

 背負った罪と共に歩いていく。





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