リリカルなのは SS

                     休日の助っ人

 その日、クロノ・ハラオウンはまたも休日の昼を翠屋で済まそうと商店街を歩いていた。家族の誰かと休みが揃わない限り翠屋で昼食を取るのが当たり前になってきている。時折、休日の家庭教師ついでに八神家でご馳走になることもあるが翠屋に比べれば少ないほうである。何よりはやての勉強を見るのは彼女が学校から帰ってきてからが多い。昼食を取ろうにもその時間はとっくに過ぎているのだから取り様がない。
 そんなわけでいつも通り、商店街を歩いて行き翠屋に辿り着く。店を経営している高町家の知人であり、結構な常連ぶりから他の店員からも顔を覚えられている。何も言わなくても空いていれば桃子と話せるカウンター席に案内してくれるのでクロノの方も顔と名前が一致しているくらいだ。
 さて、今日は誰が出迎えてくれるのだろうか。適当に予想を立てながら翠屋の扉を開く。来客のベルが響くと続くように店員の挨拶が響いた。

「いらっしゃいませー!」

 聞き覚えのある元気の良い声。見覚えのある明るい顔。しかし、それは初めて見る格好で現れた予想外の人物にクロノは目を丸くした。

「……なのは?」
「クロノ君?」

 それが、いつもと違う休日の始まりだった。







「おとーさん、今日は少年サッカーの遠征でお店に出られないからその手伝いなの」

 いつものカウンター席で桃子が入れたコーヒーをなのはが運んできてくれる。中身はいつもと変わらないのにそれだけでなんだか新鮮な気持ちと味になるのだから不思議なものである。

「しかしいいのか?確か君はまだこちらの就業可能年齢に達していないはずだが……」
「大丈夫だよ、家の手伝いだもん。学校の先生もお店に来たけど偉いね〜って褒めてくれたよ」

 なんとも温厚な先生である。まあ、店員としての賃金を貰っているわけでもないようなので問題ないと言えばないのだろう。

「時々、フェイトちゃんも手伝ってくれるよ。おかーさんも助かるって言ってお小遣い上げてるし」

 ガクン、と頬杖をついていた手がずれる。最近、小遣いの割には小物が増えた気がしたがそういう理由だったのか。友人の店で手伝いをするほど小遣いが足りないのだろうか。フェイトの小遣いはこの世界の基準に合わせて管理局からの給与から差し引いて渡しており残りは貯蓄している。それが足りていないようなら今度、提督にフェイトの給与(小遣い)を上げるよう申し出たほうがいいのかもしれない、と思う駄々甘な兄であった。

「ま、まあそれはそれとして大丈夫なのか?休日の割には人手が少ないような気がするが」
「うん、たまたま店員さんのお休みが重なっちゃって。でも、お給料日前だから大丈夫だろうっておかーさんが言ってたよ」
「それならいいが。ともかく頑張ってくれ」
「うんっ」

 そう言って翠屋の小さな看板娘は頷いた。







「………」
「あ、はーい!今行きますので少々お待ちになってくださーい!」

 クロノは静かにコーヒーを口に運び、回りを見渡す。
 噂をすればなんとやらと言うか。雨が降らなければいいと言うと雨が降ってきたり最近見ない相手のことを話すとその人物が現れたり今日は忙しくならければいいのにと口に出すと忙しくなったり。人には口に出した言葉と反したような結果が訪れることが多々ある。
 給料日前だから大丈夫、という桃子の予想に反して本日翠屋はデパートのバーゲンか、と思わせるほどの盛況振りを見せていた。常連であるクロノでもここまで混んでいるのは見た事がない。小学生に中高生、近所の奥様方にお年寄りと幅の広い客層が席を埋め尽くしている。ここからは見えづらいが外の席も埋まっているようだ。

「はい、ご注文は以上ですね。ごゆっくりどうぞ!あ、いらっしゃいませ!ただ今、席のほうが空いていませんのでお待ち下さい!あ、少々お待ちくださーい!」

 この大軍とも言える客の群れになのはは懸命に奮戦するが明らかに手が足りていない。桃子もレジと店内と厨房を行ったり来たり、中にいるスタッフは立て続けの注文に厨房から離れられない。普段いる士郎もおらず、まだまだ引くことを知らない客足によって戦況は一向に良くなる気配を見せない。窓から微かに見える順番待ちの客からそれが窺えた。

「…………」

 クロノは自問する。出過ぎた真似はするべきではない。しかし、この状況を黙ってみているのもどうか。しかし、自分はこういう事をやった事が無くむしろ不向きだと思うし逆に足を引っ張りかねないと思う。そうなったら事態を悪化させることになるわけで、それでも見て見ぬ振りは頂けない。が、新兵を戦場に入れることの危険性は良く知っているはずだぞクロノ・ハラオウン。
 賛成が三、反対が七くらいの割合で脳内会議が可決しそうになる。

「あ、おか、じゃなくてチーフ!レジお願いしまーす!」
「………」

 その一生懸命な声に賛成反対の比率はあっさり逆転裁判を決めた。クロノはコーヒーを飲み干したカップを置くと席を立って、自分の目の前を横切ろうとするなのはに声をかける。

「なのは」
「はい、すいません!少々お待ちになってくださーい!」

 最早、客とクロノの区別もつかないほど余裕をなくしているなのはに苦笑すると、クロノはなのはに提案をした。

「なのは。僕でよかったら手伝うがどうだろう?」







 お客さんに呼ばれたら、注文を聞いて、それを厨房に伝える。料理が出来たら運んで、お客さんには丁寧に愛想良く笑顔を忘れずに。
 以上が、三十秒ほどでクロノに伝えられた仕事のレクチャーである。もう少し具体的に話を聞きたいところではあるが、その説明の三十秒すら惜しいこの状況ではそれ以上聞く時間が無いのはよくわかっている。こうしている間に注文を求める声が響いている。後は本当にぶっつけ本番しかなかった。

「よろしくね、クロノ君」
「ああ」

 最後の方のレクチャーが一番難しいと思ったが、それ以外ならなんとかなるだろう。そう思いながら翠屋のロゴの入ったエプロンを纏ったクロノだったが。

「すいませーん。このドリンクセットってミルクティーと変えられないのー?」
「…申し訳ありません。ただ今確認するのでお待ちいただけますか?」
「早くしてねー」
「あと、このサンドイッチって何挟んでるの?」
「…それも、確認しますのでお待ち下さい」

 等と、メニューに載っていない様な注文をする客がけっこういてそれを厨房に確認してそれを伝えてからまた客の注文を聞くと言う二度手間を何度もした。
 注文を取って、厨房に伝えようとしたところに別の注文をする客に呼ばれた時には危うく注文が混ざるところだった。人を呼んでおいてからああでもないこうでもないと注文を考える客にはイライラさせられた。急いでいる時に呼ばれて片付けだけを頼まれた時は後にしてくれと言いたくなった。あるメニューについて聞くだけ聞いてそれを頼まなかった時はふざけているのかと思った。一度、注文をして厨房に伝え終わってからもう一度呼ばれて注文の変更を頼まれた時は思い切り顔が引き攣った。その度、すれ違うなのはに笑顔笑顔と注意された。
 やはりやるんじゃなかったか、と後悔にも似た念に負われるが『大丈夫?』と不安そうな視線を向けるなのはの手前、そんな念を顔に出すわけにはいかない。第一言い出したのは自分である。そう言った以上は何があろうともいい訳してはいけないし、投げ出すことは出来ない。気を取り直して再び注文を取りに店内を右に左に回る。
 ここまでが、即席アルバイト店員クロノ・ハラオウンが働き始めて一時間ほどのことである。

「申し訳ありません。そちらのセットではお取替えをすることは出来ません」
「じゃあ、こっちは?」
「そちらでしたら、お取替えできます」

 スムーズに注文を受け取り、厨房に伝える。新しく入ってきた客に待ってもらうよう声をかけてから次の注文を取りに行く。

「これ、大盛り表示ついてないけど出来ないの?」
「パスタは全て大盛りにすることが出来ます」

 次の客席で聞かれた事も一度別の客に聞かれた事だったのでサラサラと受け答えた。
働き始めて一時間以上経過すると即席アルバイトは見事に順応していた。
 クロノの師である猫の使い魔曰く『一度覚えたことは忘れない』と評させた資質を発揮し、同じ質問の類だったのならば厨房に聞きに戻るという事はなかった。魔法戦闘において、三百六十度全方位を把握しながら仲間に指示を行う状況把握能力はこの一時間で客の流れを読めるようになった。また、翠屋に訪れた時桃子と会話しない時に店内の様子を観察し続けていた事も大きかった。店員が注文以外にどんな仕事をしているか知ることが出来たし、ほとんど意識しないで客に対する応対の仕方をなんとなくであるが理解していた。

「なのは。六番テーブルは僕が片付けるから三番テーブルに待っているお客さんを案内してくれ!」
「うん、わかった!」

 今となっては、テーブルの番号と場所を完全に一致させている。その中でどう動けば効率よく店内が回るかをクロノは理解してきていた。本来なら就業年齢に達しない少女と少年が懸命に立ち回る店内に桃子とスタッフも負けられないとばかりに注文を的確に迅速に作り続ける。
 そうして午後三時過ぎて午後からのアルバイトがやってくる頃には店内はいつもの落ち着いた雰囲気を取り戻していた。







「あ〜、でも本当に助かったわ〜、クロノ君」
「いえ、そんな」
「謙遜しなくてもいいのに〜」

 満面の笑みを浮かべて桃子がクロノを褒め称える。照れ臭くなったクロノは照れ隠しに手伝ってくれた礼にサービスされたミルクティーを口に運んだ。一口飲んでカップをカウンターに戻す。その横には先ほどまで着ていたエプロンが置いてある。

「でも、クロノ君本当に凄いよね。途中から私指示出されてたし」
「なのは、君まで。あれは指示をしたと言うより仰いだつもりだったのだが。まあ、いつもは僕が指示をする側だし君に指示されて動くのは初めてだったからそう思うのかもしれないが」
「うんうん。確かに息が合ってたわね二人とも」

 クロノの順応振りもさることながら、なのはとの連携も店内の立ち回りに一役買っていた。互いに最優先でやるべき事を伝え合ってそれを分担し、最後の方では簡単な用件なら目線と手振りだけで伝わるようになっていた。最も当の本人達にしてみればいつもの魔法訓練のノリで連携していた感じになっていたので、特別意識して行ったわけでもない。

「そうだ、クロノ君。今のお仕事やめたら翠屋継がない?」
「は?」
「今日見た限りだと、桃子さん的にはかなり見所あるんだけどなぁ〜」
「……いえ、今の仕事には満足していますし、そもそも継ぐなら子供さんたちが適任でしょう?」

 何を言い出すんだこの人は、と呆れるクロノが再びカップを口に運ぶ。

「なら、なのはも付けるからどうかな?」
「ブッ!?」

 吹いた。
 それはもう盛大に。
 カップの中身が全部こぼれる位に。

「おおおおおおおおかーさん!?」

 母の言葉に顔を真っ赤にして慌てるなのは。初々しいことこの上ない。

「ゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホッ!」

 一方、クロノは噴き出した拍子にいい感じにミルクティーが気管に入ったらしく、臨終間際かと思わせるほど咽ていた。

「あっ!ク、クロノ君大丈夫!?」

 苦しそうにするクロノになのはが優しく背中をさする。その感触を感じてクロノは次第に呼吸を落ち着けた。

「あ、ああ。すまないなのは……」
「よかった……」

 見詰め合う二人。しかしすぐに視線を感じて同じ方向に顔を向ける。

「…………」

 桃子が二人を見て笑っていた。しかしその笑みは微笑ましいというものではない。効果音で言うなら『ニマ〜』という感じである。
 あー、この人こんな風にも笑うんだなー、と自分の中の桃子像がガラガラと崩れそうになりながら、その笑みから顔を逸らすことが出来ずダラダラと冷や汗を滝のように流し続ける。
 帰ったらシャワーを浴びたほうがいいかもしれない、と現実逃避に走りかけたその時、オーダーを求める声が響いた。

「ちゅ、注文を取ってきます!」

 言いながら外したエプロンをまた着て逃げ出すように、というか逃げ出すために再び即席アルバイトとなったクロノが客席に駆け寄る。

「もう、変なこと言わないでおかーさん」

 呆れを含んだ困った顔でなのはが言う。あんな事言われたらクロノも迷惑だろう。クロノが働いている翠屋というのは悪くないどころかとてもいいとは思うが。
 桃子はそんな娘に何も言わず微笑んでいた。







 動揺を鎮めながら、クロノが客席に向かう。
 全く、とんでもない事を言う人だ。あんな事を言われたらなのはも迷惑だろう。確かに今日やったばかりだがこれはこれでやりがいのある仕事だとは思う。この仕事でもなのはが協力してくれるならそれは悪くないどころかいい事だとは思うが。
 横道に逸れかける思考。それを無理やり頭の隅に押し込めて気持ちを切り替えるとすっかり板についた爽やかな営業スマイルとともに注文を訪ねる。

「いらっしゃいませ、ご注文は何を……」

 スマイルが固まる。店員としてはあるまじき態度だが、それを客は咎めなかった。何故なら客のほうもクロノを見た瞬間、固まっていたからだ。
 クロノが石の様に固くなった表情を引き攣らせていると、相手のほうから訪ねてきた。

「何をしているのですか、クロノ執務官………」
「………君こそ一人でどうした、シグナム」

 客席に座っていたのは烈火の将・シグナムだった。シグナムからすれば現れた店員は時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだった、という見方になるが。
 意外な所で対面した二人は戦闘のそれのように相手を窺う。一瞬でも隙を見せれば倒されてしまうような緊張感が二人の間だけで漂う。
 先に口を開いたのはシグナムだった。

「見たところ、店の手伝いをしているようにお見受けしますが」
「……忙しそうだったから、手伝いを申し出ただけだ」
「その割には営業スマイルが板についていましたが」

 うっ、と思わず言葉に詰まる。言われて最初は一番難しいと思っていた愛想を自然にこなしていた自分にようやく気づく。それを指摘したシグナムの口調にはからかうような物が合った。このまま黙って守りに入ったら反撃の機会はなく押し切られるだろう。そう読んだクロノは自分の持つカードを切り出した。

「そういう君は、いつも通り主に隠れて抹茶パフェを食べにきたのか?」
「なっ!?なぜそれを!?」

 クロノは不適な笑みを浮かべるだけで答えない。その表情はまだまだ知っていることはあるんだぞ、と語っているようだった。シグナムもそれを言ったら即皆にバラすぞ、言わんばかりに睨み返す。
 戦況は五分。持っているカードが互角である以上、いずれを切ろうともこの膠着状態を打破するには至らない。むしろ、次にカードを切ったらドロ沼になるのは目に見えている。打破されるのは膠着状態ではなく、身内には知られたくないと言う二人の願望だろう。お互いの戦闘者としての経験と知識とカンがそう告げていた。
ならば、取るべき道は一つ。

「シグナム」
「なんですか、クロノ執務官」
「ここはお互い、見なかった事にしないか」
「奇遇ですね、私もそう思っていたところです」

 どう考えても喫茶店で浮かべるべきでない不気味な笑みを浮かべる二人。幸い誰も見ていなかったからよかったものの、店の評価を下げかねない光景だった。

「それじゃ、シグナム。改めて注文は何にするんだ?」
「む……、待ってください。今考えますから」

 見なかった事になる予定でもやはり知り合いの手前でパフェというファンシーな食べ物を注文するのは抵抗があるようだ。メニューを睨みながら、黙考するシグナムをからかいたくなる衝動に駆られていると新しい客が入ってきた。
 先にそちらの応対をしようと入口に向かうクロノ。

「いらっしゃいませ。何名様……で…………」

 クロノがスマイルをしたまま凍りつく。コンッ、と叩いたらガラガラと崩れそうだった。

「………クロノ、何、してるの?」

 その目の前には思いっきり怪訝な顔をする義妹がいた。普段見せないようなスマイルをする義兄を初めて見るもののような目で見る。

「あ、ほんまや。クロノ君や」

 その横からひょこっと車椅子に座ったはやてが顔を見せる。その後ろからゾロゾロとアリサとすずかの聖祥仲良しグループにシャマルにヴィータの守護騎士に足元には子犬モードのアルフとザフィーラ、エイミィと美由希の異世界親友コンビ、美由紀の肩にはフェレット姿のユーノがおり、何のオマケかランディとアレックスのアースラスタッフコンビまでいた。ほとんどオールスターだ。細かく言えば出てきていない人はそこそこいるが、メインキャストはほとんど揃っていた。

「クロノ、何、してるの?」

 フェイトがもう一度尋ねる。その複雑そうな表情と心中を図ることはクロノには出来なかった。

「フ、フフフ……」

 敗北を悟った悪役のような笑みを浮かべるクロノ。普段そんなに笑わない上に初めて見るやたらネガティブな笑みに皆がギョッとした瞬間、クロノがカウンターに振り返って叫ぶ。

「桃子さん!シグナムが!抹茶パフェを大盛りでだそうです!」

 その声に様子を窺っていたシグナムが思わず立ち上がった。

「なっ!?クロノ執務官、一体どういうつもりだ!?」
「道連れ」
「道連……?そ、それはあなたのキャラではない!」
「あれ?シグナムやん?なにしとるの?」

 主の声にシグナムが固まる。それを尻目にクロノは嫌にハキハキした声で言った。

「さあ、なのは。一緒に注文を取ろう。大丈夫、二人でなら一人では片付けられないオーダーも片付けられるさ。ついでだから僕も救ってもらいたいところだが今回は無理みたいだから、次はうまく出来るよう頑張ろう」
「え?ええ?えええ?」
「だから、クロノ、何、してるの?」

 その後の翠屋での騒動はちょっと語れないような事になり、それを聞いたリンディは「あの子がそんなに感情豊かに……」と本人にしか理解できない類の涙を流し、その時に取られた写真をしっかりアルバムに収め、焼き増しして関係者に配ったという。
 なお、その日から翠屋のシフト表に一人の少年の名が加えられたが当の本人はそれを知ることは無かった。


 戻る


inserted by FC2 system