リリカルなのは SS
Song to you forever After
二人の居場所
後編

 魔法が使えなくなる。
 もし、自分がそうなってしまった時、自分はどうなるのかを考えてみるが、全く想像ができない。それほどクロノにとって魔法とは当たり前にある存在だった。
 それをなのはが失う。
 一体そうなったら彼女はどうなるのか。考えてみるが自分に当てはめて想像できなかった事を他人の立場で考える事など出来るはずもなかった。

「……まだ可能性の段階です。少しすれば回復し始めるかもしれません。いずれにしても予断を許さない状態です」

 主治医の言葉にクロノは意識を目の前に戻す。知らずに握り締めていた拳を解きながら、クロノは気を取り直して話を聞く。

「なんにしても、まずは身体が回復してからです。先の話はそれからという事で」
「わかりました」

 再度、なのはの事を頼んでから三人は部屋を出る。それから来た道を戻ってなのはの病室へと向かう。

「魔法の事、なのはに伝えた方がいいと思うか?」

 その途中で、士郎はクロノに聞いてきた。その問いにクロノは首を縦にも横にも振る事が出来なかった。

「わかりません……。ただ、伝えるにしても医師が言っていた通り身体がある程度回復してからの方がいいと思います」
「わかった。じゃあ、いつ伝えるかはクロノ君に任せるよ」
「え?」
「魔法のことはわからないからな。君の方がなのはの気持ちがわかると思う」

 そんな事は無いだろう。そう言おうとしてやめる。
 自分より長く生きている士郎だ。何かを失うと言う事を自分よりもずっと知っていると思う。そう思わせるものが士郎にはあった。
 その士郎が自分を信頼して任せると言ってくれている。家族でもない自分になのはの容態の事を聞かせてくれた信頼にも答えなくてはならない。
 だから、クロノは強く頷いた。

「わかりました」
「うん。それじゃ、任せた」

 そうして、なのはの病室に辿り着く。
 何にしてもまずはなのはの身体が回復してからだ。それまでは彼女に気付かれないようにいつも通りに振舞おう。
 そう、心を固めてからクロノは病室の扉を開けた。











 そうして数ヶ月。なのはの身体が回復に向かい、本格的なリハビリが始まろうかと言う時期。

「なのは、調子はどう?」
「こんにちわー」
「フェイトちゃん、はやてちゃん」

 フェイトとはやてが見舞いに来る。二人共、学校と管理局の仕事で忙しい身だが、それでも時間を作って足を運んできてくれる。それに感謝しながらなのはは笑顔で出迎えた。

「もうすぐ、リハビリ始まるんだって?」
「うん、今週から始めるんだ」
「何かわからない事とかあったら、聞いてな。私、経験者やから」
「そうするね」

 頷くなのはにフェイトとはやては顔を見合わせる。その顔にどことなく悪戯めいた隠し事を感じて、なのはは少し首を傾げる。

「なのは」

 フェイトが紐解くように後ろ手に隠したものを差し出す。それはなのはがよく見知った赤い宝玉。

「レイジングハート!?」
「昨日、修理が終わったんだ。だから、持ってきた」
「ありがとう、フェイトちゃん……」

 なのはは抱きしめるようにレイジングハートを握り締める。空から落ちたあの日から離れてしまって感じる事が出来なかった鼓動を取り戻すように。

『───────────』

 指の隙間から零れ出る光。レイジングハートが語りかけてくれる時に光る淡い輝き。それは全く変わっていなかった。

『───────────』
「………レイジングハート?」

 なのはが怪訝な顔をして手の中にあるレイジングハートに問いかける。それに答えるようにレイジングハートがまた淡く光る。

『───────────』
「なのはちゃん?どうかした?」
「えっと、レイジングハートが………」
「レイジングハートがどうかした?」

 フェイトがなのはの手の中にあるレイジングハートを覗き込むようにして顔を近づける。すると、レイジングハートはまた輝いて答えた。

「あ、そうなんだ。なのは、まだ調子悪いんだ」
「なら、今日のところは帰ろうかな。来たばっかりやけど」
「え、う、うん。ごめんね、二人とも」
「ううん、いいよ。それにレイジングハートと話す事いっぱいでしょ」
「ふたりでごゆっくりな〜」

 そう言って二人は病室から出て行く。それをなのはは出来る限り、いつものように振舞いながら見送る。
 そうして、病室になのはとレイジングハートの一人と一基のみとなったところで再びなのはがレイジングハートに問いかける。

「レイジングハート?」

 出会ったあの日から、呼びかければいつだって答えてくれた赤い宝玉。今も変わらずに、その光を放って語りかけてくれる。

『───────────』

 けれど、その声は今のなのはには聞こえない。

「─────────」

 そこでなのはは思い至る。
 目覚めてから、感じ続けていた違和感。体力がなくなっている、身体を動かすたびに痛みが走る。そういった事ではなく、何か根幹的なものが抜けてしまったような感覚。
 それがなんなのかをなのはは自覚してしまった。
 今、自分の身体に魔力が通っていないと言う事実を。











「高町さん、頑張って!」
「は、はい!」
「そう、その調子ですよ!」

 なのはがリハビリルームで、平行棒を使っての歩行の練習をしている。歩く事もままならなくなった身体を必死に奮い立たせ、足を震わせながら以前の身体を取り戻そうと懸命に歩いている。

「…………」

 その様子をクロノはガラスの向こうから眺めていた。一度リハビリの最中に声をかけてバランスを崩させてしまった事があってから、リハビリの時に来た時は邪魔にならないよう、こうして終わるまで待つことにしていた。

「それで、先生。なのはの身体は?」

 なのはから視線を逸らさず、隣にいる担当医に尋ねる。今日病院に来たのは、なのはの見舞いも勿論大事だが、なのはの身体の経過を確認しに来たのが本題だった。

「回復には向かっています。リハビリには意欲的に取り組んでいますし、この分だと成果が出るのも早いでしょう。ただ………」
「リンカーコアには変化がない、と?」

 クロノの言葉に担当医が頷く。それにクロノは胸に苦いものが広がっていくのを感じた。それを表面に出さないよう、表情を変えずに担当医に先を促す。

「何か変化があれば、それに応じて対応するのですが、回復の兆しが見えない今では手の打ちようがありません。リンカーコアの機能停止自体、事例が多いわけではありませんから」

 その言葉に、クロノはその少ない事例を洗い出すべきかと考える。同時にシャマルやユーノにも協力を仰ごうと思ったところで、ガラス越しに小さな悲鳴が聞こえた。
 見れば、バランスを崩したなのはが前のめりに倒れていた。床に手をついて起き上がろうとするが、まだ力が入らず僅かに上体を起こすだけで止まってしまう。それを見て周りの人間が今日はここまでとなのはを助け起こした。

「それと、最近の事なのですが………」
「あ、はい」

 担当医の言葉に知らず知らずにガラスに張り付くようになっていたクロノが慌てて振り返る。その向けた視線の先にいる担当医はどこか渋い表情をしていた。

「高町さん、あまり寝ていないようですね。何度か日付が変わる時刻になっても起きている所を巡回者が見つけています。何度も注意はしているのですが、おそらくまだ夜遅くまで起き続けていると思われます」
「夜に、起きている?」

 体力の回復にも体調にも悪いと伝えてはいるんですが、と言う担当医の言葉にクロノは眉を潜めた。
 今のなのはの病室に時間を潰すようなものはそれほどない。差し入れに持ってきた漫画や本はそれほど多くない。夜遅く起きてまで読むような量ではなかったはずだ。何より、まだ身体はベッドから一人で起きられるほど回復していない。
 一体、そんな身体で何をしているのだろうか?

「すいません。その時の様子を聞かせてもらえますか?」

 クロノの問いに担当医は聞いた話を掘り起こすようにして話す。話が進むたびに、クロノの顔は少しづつ険しいものになっていく。

「…………」

 話を聞き終えたクロノは角から顔を僅かに出して様子を窺う。その先ではリハビリルームから出ていくなのはの姿があった。それを確認すると、クロノは身を翻して逆の方へと歩いていく。
 その日、なのはの前にクロノが姿を現す事はなかった。










「それじゃ、高町さん。お休みなさい」

 今日は夜更かししないように。と厳しい顔で言われて、なのはは困り顔で笑いながらわかっていますと言って部屋の明かりを消した。

「…………」

 最初こそ、言われた通りに眠ろうとした。身体だってリハビリで疲れきっている。眠って、明日に備えなくてはいけないのはなのはだってわかっている。
 けれど、眠れない。夜、明かりを消すと途端に押し隠した不安が広がってしまう。あの日から。自分の身体に魔力が通っていないと気付いたあの日からなのはは眠れなくなってしまった。
 それを拭うようにレイジングハートを握り締める。けれど、未だにその声は聞こえず、一層不安を広げていく。

「─────っ」

 それに抗うようになのはは上体を起こす。それだけでも少ない体力を使ってしまい、大きく息をついてからレイジングハートを両手で握り締め、祈るように目を閉じる。

「───────────」

 強く強く、想う。
 そうすれば、いつだってこの赤い宝石は応えてくれたから。辛い時、迷った時、くじけそうな時。その度に、応えてくれた事で何度も救われてきた。
 だから、強く願う。
 また、その声を聞きたいから。

「───────────」

 けれど、やはり聞こえない。その事に、ひどく落胆して涙で目が滲みそうになった時だった。

「初歩の瞑想トレーニングと言っても、その身体で一時間も続けていいものじゃないぞ」

 望んだものとは違う、けれど間違える事の無い声が響き渡り、なのはは驚愕しながら顔を上げる。

「ク、クロノ君!?え、ええっ!?な、なんで!?」
「なのは。夜だから静かに」
「で、でも!ええっ!?」

 なおも慌てるなのはにクロノはしーっ、と指を口に当てる。それを見てなのはは慌てて口を手で押さえ、息苦しくなったところで大きく息をついて、クロノを見た。

「えっと、クロノ君。いつからそこに?」
「君が部屋に戻る前から。幻術と結界の応用で潜ませてもらった。じゃないと、どうやっても気付かれるからな」
「な、なんでそんなことしてるの!?」

 部屋に戻ってきてから既に数時間は経っている。ただ、待つだけでも大変だろうに、魔法を使ってまでこの部屋に潜んでいたクロノの意図がまるで理解できなかった。

「君の監視だ」
「!」

 身体も思考も動揺もその一言で凍りつく。

「担当医の話を聞いていたら、大体見当は付いた。面と向かって聞いても、答えてくれないだろうからこんな手を取らせてもらった」

 そう言いつつ、クロノはなのはの手の中にある赤い宝石に目をやる。

「レイジングハート。まさか、そんなところからボロが出るなんて思ってなかったよ」
「………クロノ君。私の身体の事、魔力が通ってない事、知ってたの?」
「………ああ。担当医から聞かされていた。ただ、伝えるのは君の身体がある程度、回復してからの方がいいと思って黙っていた。それは謝る」

 けれど、とクロノは言葉を続ける。

「どうして、こんな事をしている?」
「………」
「気付いてしまっていたのなら、誰かに相談したりすればよかったじゃないか。少なくとも担当医に話すくらいはしてもよかった筈だ」
「………」
「不安なら誰かに話すだけでも楽になったかもしれない。皆、しっかりと受け止めてくれる筈だ」
「………」
「…………どうして、僕にも話してくれなかった」
「───っ!」

 そう言ったクロノの表情が胸を締め付ける。

「………ったから」

 そうして、なのははぽつりぽつりと語りだす。

「……怖かったから」
「怖かった?」
「………誰かに聞いて魔法が使えないって言われるのが怖かったから」
「どうして、怖かったんだ?」

 その言葉になのははレイジングハートを強く握り締める。
 まるで、何かを手放さないようにするように。

「クロノ君。私、魔法に会えてよかった」

 思い出を語るように話すなのは。その思い出の楽しさに口元は僅かに綻んでいた。

「魔法に会えたから、ユーノ君に会えて、フェイトちゃんと会えて、はやてちゃんにもシグナムさんにもヴィータちゃんにもシャマルさんにもザフィーラさんにも会えた。リンディさんともエイミィさんとも会えた。………クロノ君にも会えた」

 声の響きに曇りは無い。本当にそう思っているからそう聞こえるのだとクロノは思った。

「魔法があるから会えたんだよ?魔法があったから私、ここに来れたんだよ?」

 けれど、俯いて、前髪に隠された瞳は。

「クロノ君っ」

 堪えきれない苦しみに染められていた。

「私、ここにいられるのかな?魔法が使えなくなってもここにいられるかな?」

 その瞳がクロノを見る。それだけでなのはの苦しみが伝わってくる。

「魔法があったから、ここに来れたのに、魔法が使えなくなったらもうここにはいられなくなっちゃうんじゃないかって………」

 だから、クロノは理解する。
 魔法が使えなくなる。そう聞いた時、もし自分がそうなった時どうなってしまうのか想像しようとして出来なかった。魔法とはそれだけ自分にとって当たり前の存在だったから。
 けれど、なのはは違う。本来なら魔法の無い世界で、魔法とは無縁の世界で生きていく筈だった少女。彼女にとって、魔法とは当たり前のものではなく、色んなことに引き合わせてくれた特別なもの。
 だから、それがなくなった時。魔法によって得られたものが全て無くなってしまうのではないかという不安に駆られていたのだ。

「だから、私っ!」
「なのは」

 声を荒げようとしたなのはを落ち着かせるようにクロノがその手を握る。

「クロノ君………?」
「大丈夫だから」

 そう言うクロノの言葉をなのはは理解できない。一体、何を指してそう言っているのかすら理解できなかった。

「確かに魔法があったから、なのははここにいるんだと思う。だから、魔法が使えなくなったら確かにここにはいられないんだと思う」
「だったら……」
「けど、無くならない」

 なのはの言葉を遮り、クロノは言葉を続ける。

「君が魔法に出会えた事で得た物はきっとなくならない。だから、ここにいられなくなっても、皆きっと君の傍にいてくれる」
「でも………」
「少なくとも」

 クロノがなのはの手を少し強く握る。自分の心が伝わってくれるようにと。

「僕はきっと君の傍にいる」

 その言葉になのはは顔を上げる。そこで見たのは、少し不器用そうに笑うクロノの笑顔だった。
 その顔を見た途端、胸に渦巻いていた不安が引いていくのをなのはは感じた。

「だから、余り無理はしないでくれ」
「…………うん」

 そう答えてくれたなのはにクロノは安堵すると繋いだ手を放そうとする。が、それをなのはが手を重ねて止める。

「なのは?」
「……傍にいてくれるって言ったよね?」
「いや、確かに言ったけど」
「だったら、今日はこのまま手を繋いでて欲しいな………」
「……前みたいに一緒には寝ないぞ」
「えっ!?ベ、ベッドそんなに広くないから無理だよ!」
「ベッドが広ければ寝るつもりだったのか……?」
「そ、そうじゃなくてー!」

 慌てるなのはの声。それがなんだかとても久しぶりに聞いた気がする。同時にようやくいつもの彼女が戻ってきたような気がした。
 そうして、クロノはなのはが静かに寝入るまでその手を繋いでいた。












 一年後。

『それじゃー、受験者の方。名前と出身世界をどうぞー」
「第97管理外世界出身、高町なのはです」

 聞こえてくる通信になのはが元気よく答える。その姿に一年前の重傷の跡を感じさせるものは何も無かった。

『やー、それにしても復帰していきなりSランク魔導師試験とは。さすが、なのはちゃん、やる事が違うわねー』
「そ、そんな事無いですよー」

 試験前という事でエイミィは仕事に差し支えない程度になのはに話しかける。緊張を和らげるという意味では、エイミィの声はとても効果的だった。

『それじゃ、今日の試験の説明っ。筆記とかはもう前日に済ませたから今日はなのはちゃんの好きな実技試験。思う存分やっちゃっていいよー』
「べ、別に実技が好きって訳じゃないんですがー」
『えー、筆記試験の時、思いっきり渋い顔してたじゃんー』
「あ、あれは問題が難しかったからですー!そ、それより試験官の人はまだですか?」
「いや、いま着いたよ」

 その声になのはがはっとなって振り返る。そこには既にバリアジャケットを身に纏ったクロノの姿があった。

「クロノ君!?クロノ君が試験官なの!?」
「ああ。Sランク魔導師の試験なんてそうそうないからね。『たまたま』、手が空いていたから、引っ張り出されたよ」
「そうなんだ……」

 なんだか驚いて呆然とするなのはにクロノはやれやれとため息をつく。それから、仕方ないといった感じで言葉を続ける。

「Sランク試験といえば、執務官試験より狭い門。その実技試験となれば、いくら君でも全力で挑まないと合格できないだろうな」
「うん、そうだね。そのつもりだよ」
「だから、まぁ、僕がこうして試験官をすることになった訳だが」
「?」

 クロノの言い回しが理解できずなのはが?マークを頭に浮かべて首を傾げる。それにクロノは大きく息を吐くとなのはに念話を繋いだ。

『君の全力を受け止める役を誰かに譲りたくないからな』

 それだけ言うと念話を切る。その言葉を届けられたなのははようやくクロノが自分の目の前にいる意味を理解し、頬を染めて頷いた。

「うんっ」
『あー、お二人さん。試験前にイチャつかないようにー』
「別にイチャついてない。普通だ」
『うわ、普通って言い切ったよ。この黒いの!』

 けぇー!と叫ぶエイミィを無視してクロノがなのはに向き直る。

「そろそろ始めよう。準備はいいか?」
「うんっ!」

 なのはがレイジングハートを握り締める。いつも傍にいてくれる相棒。それでもその存在を確かめるように語りかける。

「いくよ、レイジングハート!」
『All right, my master』

 その姿にクロノは僅かに口元を綻ばせながら、一枚のカードを取り出す。それを指で挟み、宙に放す動作を寸前で止める。

「それじゃいくぞ。なのは」
「はい!」

 そうして、二人一緒にデバイスを起動させる。

『Stand by Ready』
『Start up』

 今も、ここにいることを示すように。



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